挿話 フォート家の家令(4)
「なんですか、リュシー。ナタン様からのこの請求書は」
「え、それはぁ……そのぅ……奥様に流行発信源になっていただくためにお召しになっていただく衣装といいますか、なんといいますかぁ」
ヴェルレーヌとの会話で随分と昔のことが思い出され、あの頃といまの旦那様について考えながら午前中の屋敷の仕事を終えた私は、昼休憩後にリュシーを執務室に呼びました。
王都の服飾工房から屋敷に届いた請求書が、明らかに普段と異なる額のものだったからです。
請求書を見せて尋ねれば、予想通りにしどろもどろに言い訳めいたことを口にしながら視線を泳がせたリュシーに、まったくと額を押さえて私は工房の請求書の明細へと再度目をやりました。
「トゥルーズの特注絹服地に絹ゴーゼ、刺繍工賃、染糸、リンシャール産レース生地……」
トゥルーズは領内にある絹織物産業で栄える街です。
海洋貿易の盛んな連合王国経由ではない、国産の良質な絹織物は王国の発展にも重要なものなため、王家による特許を得ているロタール領の事業でもあります。
「特注品の絹服地。糸の染めから地紋の指定までするようなもの、下手をすれば支払いに金貨が必要になるものですよ」
「はあ……」
その上、繊細に透ける薄絹とそれに施す刺繍の手間賃と糸。
王家と縁ある南部の最高級レース地など、宝石同等の価値を持つものです。
「特注品と高級素材ばかりをよくぞここまで……婚礼衣装でもまた作ったのですか?」
「ち、違いますっ! それはナタン様渾身の新作! リュシーも一押しなドレスの試作ですっ!」
「新作……試作?」
「そうですっ。ナタン様からのお手紙に添えられていた、この春から夏にかけて王都を席巻するだろう新作デザイン画の中で、次は絶対にこれがきますとリュシーが選んで、ナタン様と練りに練り上げた一品でっ」
「リュシー」
「はぅっ」
「あなたまたナタン様に乗せられましたね」
「え、えっとぉ……その、ちょっと夢中になってしまったというかなんというか……申し訳ありません」
ぺしゃんと萎れたように謝り、しょんぼりしたリュシーを眺め、私はもう一度請求総額を確認しました。
「少なくとも半額は工房の持分とするよう、私から伝えます」
リュシーにそう告げれば、「本当に申し訳ありませんでした!」と再び謝った彼女にどうやら反省は十分にしたようだと許すことにしました。
高額は高額ですが、正直、国内有数の資産家でもあるフォート家の財力からすれば痛くも痒くもない金額ではあるのです。
とはいえ、無駄な支払いをすることはありません。
「向こうもわかっていて送ってきているでしょうから、言えばこちらの要望は飲むでしょう」
鉄錆色から茜色へと遊色に揺らぐ髪色をした、精霊の取り替え子……取り違え子というのがより正確でしょうか。
まだほんの乳幼児の頃に屋敷に引き取られた、マリーベル様付きの侍女の少女は、幼い頃から綺麗なもの美しいものが大好きでした。
いまやそれが高じて、服飾を見る目と美容の腕は一級品の域ではあるものの、フォート家が支援し出資している服飾職人にその趣味を悪用されがちなのはまったく困り物。釘を刺しておく必要があります。
「今度同じことを繰り返せば、王都との“箱”を使うことは当面禁止しますよ」
「き、気をつけます、気をつけますっ! 流行最先端が詰まった王都の、リュシー唯一の楽しみを奪わないでくださいぃっ」
精霊に攫われて養育され、半分精霊になりかけ人間の世界に戻された少女は、人でも精霊でもない肉体であるために屋敷の外に出れば弱って数年後には命を落としてしまいます。
そのため、屋敷の外に出ることはありません。
マリーベル様付侍女であるにもかかわらず、屋敷で留守番をしているのはそのような事情あってのことです。
同じ理由で、ナタン様との手紙のやりとり、彼の伝手で王都から取り寄せている様々なデザイン画やカタログ画が届くのをとても楽しみにしているリュシーに王都との“箱”の使用禁止はかなりこたえるはずです。
「請求書が届いているということは、そのドレスはもう納品されているのですか?」
「はい。丁度、トゥルーズに滞在されると旦那様からお聞きしましたので、今回の奥様の荷物に入れました。前哨戦です。王都一の服飾職人ナタン様のまだ王都には出ていない型のドレス。それも細身で可憐な奥様が着てぴったりな。お召しになって貴族街を歩かれるだけで噂になること間違いなしです!」
えへへーと、おそらく納品されたドレスを思い浮かべているのでしょう。
緩んだ笑みを見せたリュシーに、これはまた近々似たようなことをやらかしそうだと、私は心の忘備録に要注意と書き記しました。
それにいくらナタン様とリュシーが練り上げといっても、この金額に手が届くのは相当上位の貴族のみでしょう。
「これをお召しになれるご婦人はほんの一握りですよ、リュシー」
私の言葉に、当たり前じゃないですかとリュシーの声が耳に響いて、思わず顔を
「最初の一発目の仕掛けですよ! 圧倒的高品質! 遠目にも素敵、近づいたらなお素敵、道ゆく人が目を向けため息を吐くくらいでなければ火はつきません!」
「なるほど」
「それにぃ、公爵領であるトゥルーズから、トゥルーズの素材を使ってっていうのがミソなんですよ」
「たしかに新しい公爵夫人による領地からの流行発信。領内の産業も活気付くとなれば、マリーベル様にとって大きな実績になりますね」
それも夏の社交に出る前からの話題となれば、マリーベル様を元平民と侮る方々も少しは見る目を変えるのでしょう。
統括官をトゥルーズに招集したのもこの仕掛けのためと、私は旦那様の考えを察しました。おそらくこれは、旦那様がナタン様に手を回してのものでしょう。
そうであれば工房へは半額などといわず、全額負担させる話をしてもきっと構わないはずです。
旦那様のことです、先にそれなりのものを渡しているはずですから。
「でしょ、でしょーっ! そのための投資と考えましたら……」
「高過ぎです」
もちろんリュシーには伝える気はありません。趣味半分でこんなことばかりされてはたまったものではありませんから。
「うぅ……」
「あなたは少し原価というものを学びなさいリュシー」
「はい」
私の言葉にリュシーがうなだれたその時、チリンとベルに似た音が執務室の壁一面に作りつけられた棚の一画から聞こえました。
細かく等分に区切られている棚には、王都と領内各地の設置場所と瞬時に手紙のやりとりできる魔術具である“箱”が地域別に整理されて設置されています。
「速達ですか? 珍しい」
「そのようですね」
瞬時に手紙が届く“箱”を使って、急ぎの印をつける手紙などめったにありません。それは届いたらすぐさま読めといった、余程の火急の用件に違いないのですから。
そのような用件が発生しそうな場所といったら王都か、あるいはいま旦那様がいらっしゃる場所です。
しかし、王都の“箱”があるあたりから音は聞こえませんでした、だとしたら十中八九トゥルーズでしょう。
そう考えてトゥルーズの“箱”を当たれば、やはり旦那様が滞在している宿から私宛の手紙が届いていました。
「おや? マリーベル様」
「え、奥様?」
手紙を開けばたしかにそれは火急の、救難信号でした。
領地を治めさせている五人の統括官を集めた会議が明日の午後に宿で行われ、マリーベル様はお茶の歓待をすることになったため、付け焼き刃でも対応できるだけの資料を届けてほしいとのご要望でした。
どうやら旦那様は、本気でこの夏の王都の社交に向けてマリーベル様を奥方として鍛え上げるつもりのようです。ただただ、過保護に屋敷に閉じ込めるのではないかと心配しておりましたが。
マリーベル様と外に出れば、旦那様もまたこれまで公爵家が関わってこなかったものと関わっていかなければなりません。
魔術研究以外は雑事としていらっしゃる旦那様の、昨年の初夏の頃から始まった変化には驚くべきものがあります。
本当に、あの方が、ただ一人のためにこれだけ動くとは。
フォート家の祝福は、たった一人を選ばせるものではありますが、これはあまりに大きい作用です。
まだお若い少年の頃に愛する人なんてできるはずもないとして、本当にその通りに、女性と関わっても恋愛相手としては誰一人まともに向き合ってはこなかった方が。
それでいて、祝福回避について何年も研究し続けていらした方が。
「しかし、それにしてもマリーベル様は……」
「はい?」
「なんでもありません。リュシー、ここに詳しい内容が記してあります。わたしが資料を用立てる間に装いについてまとめておくように。あちらでそのようなことを任せられるのは臨時雇いの侍女しかおりません」
「お任せくださいっ」
元気よく返事をした彼女に頷いて、私は執務室から図書室へと足を向けました。
主の考えを推し量るのが使用人です。
領地に関する資料やマリーベル様が必要とする知識を大まかに把握するために必要な資料の用意なら、とっくに出来ています。
それにしてもユニ領へと出られた時は、旦那様はご自身の仕事を片付けついでにマリーベル様を主だった者たちに紹介する程度にしか考えていなかったはずなのですが。
どちらかといえば、籠の中の鳥を愛でるようにご自分の腕の中に囲っておくような考えであったと思います。
それが突然のこの気の入れよう、一体どうしたというのでしょうか。
旦那様は臨機応変な対応もしますが、本来決めたことを決めた通りに着実に実行されるお方です。
このように急激な気紛れともいえる変更をするようになったのは、マリーベル様と関わるようになってから。
なんでも「予想の通りに、それ以上のことをしてくれる」ということらしいのですが。おそらく今回もマリーベル様が旦那様の気を変えさせたのでしょう。
「本当に離婚されたいのでしょうか、マリーベル様は」
私から見れば、旦那様への彼女の言動はどう考えてもそれとは真逆です。
旦那様がこれまで得られなかったもの、望みながらも諦めていたもの、きっとあの方自身も意識していないことも含めて、まるですべてを知っているかのようにせっせと与えていると言っても過言ではないのですから。
マリーベル様は、大奥様やこれまでの当主の妻とはどこか違う気がしてなりません。そのように思いながら、しかし私は祈らずにはいられないのです。
どのような神でも精霊でも構いません。
どうか、旦那様とマリーベル様にご加護を――伝えたい言葉を伝えきれないような哀しみや、固く冷たく閉ざされてしまったものに、どうか再生が与えられますよう。
フォート家の家令として、旦那様に仕える者として。
私が願うのは、ただそればかりなのでございます。
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