挿話 フォート家の家令(2)

 雪で白い塊のようになった産屋。

 屋敷から離れた、敷地内に設けられた小さな建物の影を二階の窓から遠く見守り、どうか生と死だけではなく再生ももたらされますようと私は願っておりました。

 産屋の上空には、産屋に覆いかぶさるように青白く光る魔術の陣が浮かんでいました。なにが起きても対応できるよう旦那様が施した魔術ですが、奥様が産気づいてもう一昼夜が過ぎていました。

 虚弱な奥様の体力も心配ではありますが、魔術を待機させたまま魔力を消費し続けている旦那様もまたお体への負担は相当のものでしょう。


 フォート家の出産で使用される魔術は、四季の女神と四大精霊のすべてを組み込んだ特別のものであるそうです。

 具体的にどのような魔術なのかはわかりませんが、通常の魔術において使われる神は一つなはず。フォート家の出産は母親だけでなく父親もまた命を削るように産声の時を待つものでした。

 夕暮れに差し掛かった頃でしょうか。

 産屋が一瞬で恐ろしいような業火に包まれ、直後に周囲一帯が目が眩むような青白い光に染まりました。

 一体何事かと私は、呆然と窓辺にただただ立ち尽くしていました。

 その後のことを考えれば、家令という屋敷をまとめる立場にありながら、まったくもって無能であり、またおそろしく暢気でいました。

 産屋の中でなにが起こっていたのか知らなかったとはいえ、通常のお産より少々特殊である程度にしか考えていなかったのです。

 通常のお産自体、場合によっては命にかかわる危険なものであるというのに。

 言い訳になりますが、通常のお産もその場を見ることはない男の私には想像が及ばなかったのです。

 

 出産を終えて屋敷に運ばれた奥様の様子は、母となった喜びに満たされた女性のそれでも、難産に疲弊し切った母親の姿でもありませんでした。

 美しかった銀色の髪の艶は消え、翡翠色の瞳は虚ろで表情を失い、嗚咽とも息を引き込む音ともつかない声を口元から漏らしぐったりと力無く、時折身を震わせていました。

 あまりのお姿に声もかけられず、側についていた年配の女達に目を向けても皆一様に押し黙っているばかり。

 その人数が足りないことに気がついて尋ねれば、旦那様の手当てを受けていますと震えた声が答えました。 

 寝室へ奥様をお連れして部屋には入らなかった若い女性使用人は、私の顔をそろりと見上げるなり突然暇を願い出ました。 

 とても美しい御子です……ですがいくら魔術の家系とはいえ、あのような恐ろしいことがありますでしょうかっ、と訴えて。

 そこでようやく私は気がつきました。

 奥様と共に当然屋敷に運ばれてこなければいけない存在に。 


「その御子様はどうしたのだ!?」

「あんな……あのようなのっ、旦那様でなければ扱えやしませんっ……!」

 

 私の問いかけに、彼女は金切り声で叫んで、わっと泣き出し廊下を闇雲にかけて去っていきました。

 事の異常さをようやく察して、私は慄然としました。 

 事前に旦那様からは、大変な危険を伴い、お産に関わった者達の多くは屋敷を辞めるだろうことを聞かされておりました。

 そのような説明が主からなされるといったことが、どれほど尋常ではないか愚かにも私は主の考えを推し量るどころか、理解してもいなかったのです。


 あのようなの――?


 とても主夫妻に生まれた子を指すような言葉ではありません。

 まるで、あのような化け物とでも言いかけ寸前で堪えたような言葉です。

 屋敷の階段の踊り場で立ち尽くし、玄関ホールの寒々しい空間を見下ろしていた私の視界に、従僕や雑用係の男性使用人に支えられるようにして数の足りなかった女性達が戻ってくるさまが見えました。

 皆一様に虚な目をして、とても声をかけられませんでした。

 

「赤子を産湯につけた瞬間、生きながら燃やされかけたのです。旦那様が対処し、治癒と記憶を曖昧にする魔術を施していなければ、とっくに死ぬか狂うかしています」


 女性達を休ませて戻ってきた従僕の一人の報告に、私は完全に言葉を失いました。

 ああ、ならば先程の奥様も……まるでうまく働かない頭でなにをしようというのでもなく階段を降り、ホールに立った私を、厳粛さに満ちた声が呼び止めました。


「フェリシアン」

「……旦那、様」


 王宮の軍部へ赴く時のような、革を染めた上着と重々しいマントを身につけた軍衣姿の旦那様が、凛々しくも厳しい容貌に酷い疲労を浮かべ、白い絹と柔らかく織られた毛織物に二重に包まれた赤子を抱いて立っていました。


「フェリシアン、これを頼む。おそらく今日一日は、女達はこれにはつかぬだろう。あれにも抱かせる必要はない。記憶を薄めても身に覚えた恐怖はそう簡単に消えるものではない」

「旦那様、いくらなんでもそれは。それに私では赤子の世話など」

「問題ない。子には冬の女神による眠りを施した。加護の術を織り込んだ布で二重に包んでもある。七日の間、目覚めることもなければ世話も不要だ。冷えることや息が詰まることがないようにしてくれればよい。乳母はその間になんとかする」


 其方の仕事は下の者に任せよと命じられ、私は旦那様の手から赤子を受け取りました。

 まだ生まれたばかりの赤みも抜けない、小さな男児でした。 

 男であればこの赤子は、このフォート家の後継者です。

 それから七日、私は旦那様の御命令通りに赤子の世話をしました。

 ただ死んだように眠っている赤子が体を冷やしたり、息を詰まらせたりしないようにただ見守るだけです。

 世話らしい世話というものはありませんでしたが。

 その間に、出産に立ち会った女達の大半が屋敷を辞めていきました。

 私は七日の間で、旦那様が私に教えてくれたフォート家と魔術の話を繰り返し思い出していました。


 フォート家は、とても古い王国以前の時代に蔓バラの精霊から祝福を与えられたのだそうです。

 祝福とは神や精霊が、彼らがよかれと思った力や恩恵を一方的に人に授けるもの。大抵の場合、祝福どころか呪いに近いものになるそうで、人にとってはありがた迷惑なものともいえます。 

 フォート家が受けた祝福は、後継は絶えず、その後継は代々の魔術の知識と力を受け継ぐといったものでした。

 それは、ともすれば一族の繁栄させる素晴らしいものに聞こえるかもしれません。私もそうでした。

 話を聞いた時、この家が豊かで恵まれているのはそのためと思いました。


 魔術は王国独自の技法です。

 それを扱うには適性と魔力を操れる資質、そして膨大な知識を覚え理解することができる者であることが条件となります。

 王国に魔術師は多く存在しますが、その大半はごく簡単な魔術を扱えるのみにとどまります。

 それでも人の怪我や風邪などの病を治し、賊や暴風雨などの災害から人や財産を守る力を持つ者として、人々から尊敬と畏怖を向けられる存在です。

 魔術の知識を理解し自分で独自の魔術を組み上げられるような、中級以上の魔術を操れる魔術師は貴重な人材とされ、王都でその実力が認められれば高い評価と待遇を受けられます。

 そのような魔術という技法を編み出したのは、偉大なるヴァンサン王の子です。

 フォート家はその魔術の技法を編み出した者の子孫として、この王国の魔術の歴史そのものを担う由緒ある魔術の家系とされてきました。

 しかし、世の人々が知らないこともあります。

 フォート家の当主は、精霊の祝福により生まれながらに魔術師。

 まだ理性より本能が勝る頃から、この国のすべての魔術の知識と何代も前のフォート家の当主が獲得した強大な魔力を受け継ぐ存在なのです。

 それが意味するところを、その危うさを、これまでフォート家のような大貴族がなぜ徹底して少子を貫き直系筋のみでかろうじて繋いできたのか、私は実際に赤子が生まれるその時を見るまで理解してはおりませんでした。


 後継は絶えず、その後継は代々の魔術の知識と力を受け継ぐ祝福。

 生まれてすぐに無自覚に恐ろしい魔術を暴発させる、祝福によって守られた赤子は一人いれば十分。


 出産の場に立ち合い、屋敷に残った女性達は旦那様の命で奥様の侍女となりました。私が見知っていた彼女達とはまったく顔つきが変わり、使命と覚悟を持って奥様の側にお仕えするといった気配を纏っていました。

 その中で乳母を志願した者がいたため、その者が乳母となりました。

 志願だなんてまるで戦に行くようですが、まさにそれと同じでした。


「子はルイと名付ける。受洗式で与える名には私の祖母の名を……」


 旦那様の魔術によってお体も回復した奥様は、出産にまつわる戦慄の記憶を曖昧に薄めるためにかけられた魔術も徐々に抜け、平生の大らかで明るい表情が戻ってきていました。

 奥様を見舞った旦那様は、以前は二人でお使いになっていた寝台の脇に腰かけ、上半身だけを起こしている奥様を労り、その身を支えるように肩から背に腕を回しながらそう仰いました。

 フォート家に生まれた者は、三つの名をもつしきたりがありました。

 一つ目はご自身の名、二つ目は受洗式を迎えて与えられる過去の領主の妻の名、そして三つ目は当主となった際に背負うフォート家の前身と伝えられる元七小国王家の偉大な王ヴァンサンの名。


「受洗式……まで、育てられるでしょうか」

「神の子である間は祝福の守りがある。それに其方に再び苦しませるようなことは……婚儀の翌日、戦地に駆り出されることさえなければ、このような……っ」

「あなた」


 言い淀んだ旦那様に、奥様は彼女の肩を支える旦那様の手にご自分の手をそっと重ねて、旦那様を見上げるように首を傾けました。


「気持ちも随分落ち着きました。明日は、あの子を抱かせてくださいな」

「そうだな」


 美しい翡翠色の目に揺れる涙を止めるように奥様の目元に旦那様は口付け、そのように寄り添う御夫婦の姿を眺めながら、フォート家に絡みつくような物哀しい予感に私は胸の奥が潰れそうになったことをいまでもよく覚えています。


 出産に立ち会った女性が言った通り、ルイ様は赤子の時から美しい男児でした。多くは奥様譲りなご容貌でしたが、目元と瞳の色は旦那様によく似ていらっしゃいました。

 そして物心つくまでの間、旦那様による様々なお守り、魔術による守りをかけられてもなおそれを破って発揮される、受け継いだフォート家の魔術と力が周囲に与える影響は甚大でした。

 幸い死者はありませんでしたが、死者はなかったというだけです。

 旦那様の魔術は怪我を癒し、物を直すことはできても、心の傷まで消すことはできません。

 ルイ様が五つを迎える頃には、どれほど表面を取り繕っても、殺伐と荒廃した雰囲気が屋敷の中に淀んでいました。

 加えて、激化していく共和国との争いに男手は取られ、故郷に戻る女達は増え、戦地に赴かなければならない旦那様も屋敷に不在がちになっていました。

 そのような状況で、出産後もルイ様の魔術や魔力の暴走に対する怯えを必死に抑え、母親としてルイ様を慈しもうとしていた奥様の心が限界を迎えたのも仕方のないことでした。

 

 年月が過ぎるのは早いものです。

 さらに季節は二巡りし、青い空も麗かな、芽吹きの春。

 フォート家の庭に、青白い光がまるで雪のように舞いました。 

 冬生まれの春の祝い。

 ルイ様が七歳を迎えた受洗式。

 旦那様による、本来なら聖職者が唱える言祝ぎが、祝福の魔術となった光でした。父親の前に、ルイ様は静かに立ってその光を受けていました。


「受洗式を迎え、フォート家のしきたりにより添え名を与える――」


 旦那様の厳粛さに満ちた声が、ルイ様に二つ目の名を与えました。 

 私の知る受洗式の子供がはしゃぐようなことも、じっとしていられないこともなく。もはやそのお姿は小さな大人のようでした。

 実際、ルイ様は恐ろしく聡明で早熟な子供でした。

 貴族であれば十三歳までに教育されるべき知識や教養は、その頃にはもうほぼすべて覚え理解されていて、器楽や詩作といった芸術に関することと、男児であれば嗜まねばならない乗馬や剣技や弓などの武芸の訓練くらいのものでした。

 魔術においては、その頃にはもう完全にご自身の制御下に収めたようで、旦那様もほっとしていた様子でした。

 しかし今度はご自分の後を継ぐ者として、厳しさを緩めることはしませんでした。


 ルイ様が子供らしくない落ち着きを見せ始めたのは、五歳過ぎ。

 奥様がとうとう我が子に抱える恐怖とその罪悪感で精神を崩し、ルイ様の姿を見ると全身が震えて立っていられず、呼吸困難に苦しまれるようになり、同じ屋敷に暮らしながら母子が直接会うことは一切なくなった頃です。

 ルイ様が急速に大人びた理性を持った子供として成長するにつれ、屋敷の内部も落ち着き、使用人達の間にあるルイ様への怯えや抵抗も少しずつ薄らいでいきました。


 元々、ルイ様が悪いわけではないことは皆重々承知しております。

 奥様の健気なご様子や、同じ魔術師である父親として旦那様が警戒を向けないわけにはいかないことに、皆不憫を感じてはおりました。

 しかし両親から愛情だけではない複雑な感情を向けられ、また屋敷に満ちていた殺伐と荒廃し雰囲気が、子供心にまったくなにも影響を与えないはずがありません。

 ルイ様は、芸事と武芸の訓練以外はほぼ私室にこもり、長く一人で過ごす時間を勉学に費やしていました。

 食事や入浴など身の回りのことは使用人の手を借りはするものの、不必要に人を寄せ付けなくなりました。

 一方で穏やかな表情と言葉を使用人に惜しみなくかけ、気遣うようになりました。類稀な美少年であるルイ様がそのように振舞えば、いつかの恐怖心も忘れて心酔する使用人も出てきます。

 いつしかご立派な旦那様の跡取りに相応しい聡明なルイ様として、遠巻きに敬愛される対象となっていったのです。


 間違いなく、いまの屋敷内の穏やかな落ち着きは、たった五歳や六歳の少年の細心の注意と考えでもって作り上げられたものです。

 お仕えするはずの主の子に、ここまで張り詰めた気遣いをさせる使用人がどこにおりましょうか。

 私は、受洗式で本当に大人のように静かな表情でいるルイ様の姿を、まだ幼いのにご立派だと祝う使用人達の筆頭の位置に立って眺めながら、とても歯痒い気持ちを抱えておりました。 

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