第45話 王国と魔術師

 トゥルーズに来て三度目の朝。

 起き抜けにルイが入れてくれた水を飲み、ふと他国のように飲み水に苦労しない魔術を活用した王国の衛生事情の話になって、ルイから王国の魔術師についての説明を聞いた。

 難しい魔術を操れる魔術師はとても少ないとは聞いていたけれど、具体的にどれほど少ないかなんて知らなかった。

 まさか王国の魔術師の八割方が、初歩的な魔術に留まるものだったなんて。


「初歩の魔術で、仕事になってるってことですよね?」

「貴女自身が先程仰ったでしょう。他国だと飲み水に苦労すると。本来王国も同様であるところをそうではないようにしているのですよ」

「ああ、そっか」

「浄化や癒し、あとは防災防犯あたりですかね。初歩的な魔術でも日常生活においては十分な恩恵です。汎用魔術でも生業とするだけの報酬は得られます」


 たしかに。浄水や汚水の処理がなくなった状態の生活なんて想像できないし、したくもない。

 考えてみたら、魔術の生活への貢献はものすごく大きい。

 魔術を編み出したヴァンサン王の子、天才では。

 むしろ生活向上においては、ヴァンサン王より偉大なのでは。

 

「正直、私や宮廷魔術師のような中級以上の魔術をいじっている者より、遥かに世の役に立っていますね、っ」

「えっ、ちょっと!?」


 突然、腕から引き寄せられて両脇の下から持ち上げられ、寝具の中で両足を伸ばしている彼の上に座らされた。


「なんなのっ」

「受講料です」

「受講料って……寒っ」


 随分明るくなってきたけれど、まだ起床の鐘も鳴る前だ。

 明けたばかりで空気は冷えている時間帯、暖炉の火だって消えている。

 寝具の上におろされ、薄手の寝間着でいるのに体に掛けていたものがなくなった肌寒さにわたしが文句を言えば、ルイはわたしの両肩から腹部へと腕を回して交差させた。抱き締められてはいないものの、ルイの胸元に頭や背を預ける格好になっている。

 たしかに彼の温かみは伝わってくるけれど――。


「魔術の基本知識は必須教養ではありますから、講義なら喜んでして差し上げます」 

「――っ、んんっ」


 頭の上に乗せられたルイの顎先が、彼の口の動きに合わせてがくがくと頭頂部に振動を伝えてくる。


「もうっ、人の頭の上で遊ぶのは止してっ」


 ルイから逃れるため、のけぞるように頭の位置を下げて、わたしは両腕を持ち上げて彼の頬を手で挟んだ。


「マリーベル」


 はたと気がつけばわたしの真上から、わたしとは上下逆さまのルイの顔がわたしを見詰めている。


「とはいえ、まったくのタダで講義いうわけにはいきませんが」 

「えっと」


 逆さまの麗しくも胡散臭い微笑み。 

 たとえるなら王立高等教育機関の偉い先生から個人講義をタダで受けているようなものとは思ったけれど……み、密談の魔術でも使われていた?

 ルイの顔から手を離し、ずり下がっていた体勢を少しばかり立て直せば今度は彼の両腕に軽く抱き寄せられた。これはなんだか嫌な予感がする。


「おそらく王国最先端にして、最高峰の講師ですよ私は」

「そ、そこまでお偉い先生は恐れ多いといいますか……」

「独学で夏までは厳しい。私の他に魔術の講師のあてはあるのですか?」


 人の、み、耳元に顔を寄せて囁かないでっ。

 本人が調子に乗るから、絶対に隠し通す気でいるけれど。

 正直、ルイの声は……諸々あって近頃だめなのだ。

 いまみたいに、低く潜めた声で耳打ちのようにされると特に。


「マリーベル?」 

「……よろしく、お願いします」

「結構」


 実にご満悦といった声音に、見なくても悪徳魔術師な笑みを浮かべているのがわかる。

 

「眠っている間もだけど、なにか抱きかかえていたいのなら、わたしでなくてクッションでもなんでも抱えたらいいのに」

「前にも言いましたが、貴女なかなか悪くないですからね。特に寝間着のような薄着は、日中の服を着ている貴女では味わえないものがある。貴女も暖が取れていいでしょう」

「好色魔術師」

「否定はしません」


 開き直らないっ――!

 

「観念してくださったところで魔術師の話に戻りますが、数の話なら全体で見ても軍部に属する人間よりずっと少ないですね」


 ルイの言葉に、そうなのと驚く。

 どんな町や村にも一人や二人はいるのに?


「騎士団の騎士だけでなく、従士や技官や医師や文官も含めたら軍部は相当な数になりますよ。規模が全然違います」

「でも……」

「町や村に一人二人。大きな街でもせいぜい数人。行商のように転々としている者や貴族のお抱え、王宮や各領所属の者、私のように個人の趣味や研究で魔術を扱う者もいますが数はしれています。そもそも魔術を扱うための条件はご存じですか?」


 問われて、たぶんと頷く。

 魔術適性、魔力を操る資質、知識や概念の理解。

 この三つが揃わなければ、魔術は出来ないと聞く。


「その通り。ですから汎用魔術のような初歩的な魔術でも、きちんと扱える者は国としては貴重な人材です」

「ルイの話を聞いていると、誰でもなれる可能性はあるって話が嘘に思える」

「才能と努力の掛け合わせですから、可能性だけの話なら間口は広くあながち嘘でもありませんよ」

「うーん……でも適性と資質と理解が揃わないと無理なんでしょ?」

「必要最低限の要件は、それほど高くはありませんから」


 優先順位として、第一は適性で、これは生まれつきのものだから如何ともし難いものの求められる要件はそれほど高くない。

 第二は魔力が扱えるかで、これは虚弱だと厳しいけれど体力があるなら訓練と資質次第。

 第三は勉強なので完全に努力領域、だそうだ。


 貴族の子弟や王宮に上がる人が魔術適性を見られるのは、少なくとも国の中枢や各領地での仕事に関わるから。

 貴重な人材がその中にいるかもしれない。

 その可能性を見るのは、国としては当然ということらしい。

 それに人の上に立つのなら、魔術師がどういうものか知っていないと活用できない。だから基本的な魔術の知識は貴族の教養として必須、なるほど。


「王宮に入る際に適性無しとされたわたしは、やっぱり魔術は無理ですね」

「私としては納得がいきませんがね。ところで、貴女が王宮に上がる際に受けた魔力適正の検査ですが」

「はい」

「仮に適性が有るとなれば、資質も見られます。一定の資質有りと判断されれば、貴族でなくても強制的に魔術院行きになったでしょうね」

「魔術院?」


 聞いたことがない所だ。

 ルイに聞き返せば、王宮深部にある魔術人材養成所みたいなところだという。

 王宮にしかなく、それに平民階級の者の魔術適性はなにか理由でもなければ見ないから必然的に貴族の子弟が送られることが多く、一般にはほとんど知られていないらしい。

 知られていないのにはもう一つ理由がある。

 魔術院は一定の資質だけ見て、魔術院の養成過程カリキュラムについていける能力のあるなしに関係なく強制的に入れられるため、半数以上の人が初歩の魔術訓練もものにはならず終了、退所となるらしい。

 体面や面子を大事にする貴族としては、魔術院行きとなったら人に称えられるような成果が出ない内は隠しておくのだそうだ。

 魔術適性の検査の対象を平民階級へ広げない理由も、どちらかといえばここにあるらしい。

 まあそうよね、どこそこの貴族の息子は能無しだったなんて平民から広まるようなこと、貴族は避けたいと思うだろう。

 

 うん、なんだかすごく近寄りたくない厄介なところの気配がする。


「国としてはただの人材養成機関の一つですが、魔術の上層や軍部も絡んで色々面倒な場所なんですよ」

「そういった事情はさらっとでいいです。貴族の子弟が多いってことは、ルイも?」

「ええまあ」


 大変気の無い返事の後、渋々行ったが十日程で終わらせたとぼやくように言ってルイは、指先でわたしの頬をくすぐるように撫でる。

 

「魔術の家系であるフォート家の者は、本来行く必要ありません。ですが家督を継いだのが十二の後見人が必要な年齢であったばっかりに、王家の承認を得るため仕方なく」


 なにか相当嫌な場所のようで、言葉の調子が珍しく刺々しい。

 これ以上は、触れないほうがよさそうだ。

 推測するに、魔術院には他家の子弟も集まっている。

 きっとまだ教育期間中の貴族の子供、貴族じゃない者ならそれなりに余裕のある家庭に育った人がたぶん多いに違いない。

 まだ子供の歳で両親を失い、フォート家や領地を背負わなければならなかったルイとは、おそらくまったく違ったはずだ。

 それに養成過程とやらは、“祝福”で生まれながらの魔術師なルイにとってそれこそ児戯にも等しいものだろう。


「本当に……朝から貴女を抱えて、どうしてこんな話をしているのだか」

「ルイ?」

「ご要望通り、とりとめもなく話しましたが面白いですか?」


 ルイの問いかけに、黙って首を縦に二回振る。 

 思いがけず王国と魔術師についてルイから教わる形になってしまったけれど、この話を聞けば宮廷魔術師が高待遇であることや、騎士団で汎用魔術が扱えるというだけで特別部隊に配属されるというのも理解できる。


「見聞きしていても、よくわかっていなかったことがわかったかも」

「なら、結構」


 結構だけれど、お願いだから囁くように話しかけないで。

 背筋がぞわぞわする。

 でもって魔術院の話あたりから、わたしの顔を顎の下から右手で包み、後ろにいる彼を仰ぐようにさせて、長い指でわたしの頬を撫で続けていらっしゃるのはなんなの。


「ま、魔術師って不思議で怪しい力を持つ人って印象しかなかったから……」

「実際、市井に怪しいのはいますから仕方ないでしょうね。自称魔術師も多い」

「へえ、そう……」

「宮廷魔術師以外では、魔術系統毎の認定資格持ちの魔術師もいますのでそういったのなら真っ当かと」

「あのっ」

「ん?」

「さっきからなんです、これ?」


 わたしの顎に触れるルイの手の、手首に指をかけて問えば「報酬です」の一言が返ってきた。


「だから、その体で払えみたいなのなんなのっ」

「貴女にしては不埒な発言ですね、マリーベル。そこまで要求した覚えはないですが払うというのなら頂戴するのはやぶさかではありません」


 真面目な顔して、さらに不埒なことを仰る上に撫でる手は止めてくれない。

 雇用主なら、労働環境の改善を要求して訴えられるのに……。

 残念ながらルイは夫だ。でもってこんな他所様から見れば単にじゃれあってるようにしか見えないこと訴えられない。


「そんなわけないでしょう」

「わかっていますよ」


 少しくらい新婚で新妻を愛でる気分を味わったっていいでしょう、と。

 淡々とした調子で囁かれて、ため息が出る。

 要するに、また人を揶揄からかって面白がっているのだ。

 悪徳好色魔術師……雑談がてらでこれじゃあ、本当にきちんと教えて貰うとなったらどんなことを要求したりされたりするかわからない。

 なにか手を打たないと!


「魔術師として様々な要請を受けますが、この仕事はなかなか悪くない」

「いや、おかしいでしょうっ。お礼ならもっと違うことで……」

「なんです?」

「それは、えっと」


 うー、すぐに思いつかない。

 金品……は、だめだ。

 ルイは国内でも指折りのお金持ちだもの「はっ、私に? 貴女が?」と鼻であしらわれるだけだ。

 食事かお菓子でも作る……も、だめだ。

 偉大なる食の芸術家のロザリーさんを差し置いて、無理。

 妻らしくなにか手仕事で……も、なにかそれはゲームに勝って勝負に負けるみたいな感じでわたしが嫌だ。そんな暇もないし。

 他になにか……ないだろうか。

 わたしが持っているもの出来ることでルイの興味をひきそうな……。


「しょっ、植物の育て方……とか?」


 ぽろっと口から飛び出した言葉に、ルイが不可解そうに目を細めわたしの顔をじっと見下ろす。


「それは薬草の育成方法とかそういった?」


 庭師がいるのにそんなもの知ってどうします、とでも続きそうな気配に声に出して提案してしまった手前どう応じるか考えていたら、不意にジャンお爺さんのことが頭に浮かんだ。

 興味深い、できれば本人と話したいって言っていたはず。


「ほ、ほらっジャンお爺さん! わたしの故郷の農夫の智恵の話です」

「っ、貴女にしてはいいところを突いてきましたね」


 ん、これはもしかしていけそう?

 そういえば、ルイの魔術研究に少し関わるとかなんとか。


「個別の植物の育て方というより、心構えとか手当てとか、状態の見方とかそういった話ですけれど、たとえば……」

「たとえば」


 なるべくこの人が興味を引くような、言葉や内容を選んで。

 ああ、そうだ丁度バラン一帯の土地の力が弱ってるそうだから。


「よい土の力を植物に……」

「ほう、土の力」

「ここから先は交換教授ということで」


 唇に人差し指を当て、彼を上目に見て微笑む。

 ルイはふむ、と唸るように言って再び目を細め、わたしの顔からは手を離さずもう一方の手の指を曲げて口元に添えてしばらく黙り込む。


「……いいでしょう。たしかにあなたの師の話は多少興味があります」

 

 な、なんとか。 

 悪徳好色魔術師のおもちゃになるのは回避できた?

 こういったやり取りは、寝る前だけで十分ですから。

 まして、この間の朝みたいなことへ流されそうなのは絶対勘弁してほしい。


「では次回からは順序立てて。今日の分はこれで」


 にっこりと微笑んだルイに、えっと思う間もなく視界が暗くなる。

 触れるだけじゃない、舌で口の中を探られるような口付けに息が上がる。

 いつの間にか斜めに体の向きを変えられていて、半ば向き合う形になっていた彼のシャツの袖をわたしは掴んだ。

 コンコンコン、と。

 扉を叩く音、外から起床の鐘の音が聞こえ、もうそんな時間と驚いてルイを突き放そうとすれば、軽く吸い上げるように離れかけた唇が角度を変えて重なる。

 また、コンコンコンと扉を叩く音と今度はテレーズさんの声がした。


「……っ、あ」


 失礼いたします――挨拶と朝の時間を知らせながら寝室に入ってきたテレーズさんに、何事もなかったような平然とした顔と調子でルイは彼女に挨拶を返した。わたしの口元を指でなぞりながら……。

 

「丁度、起きたところです」

「そのようですね」


 あらあら微笑ましいといった幻聴が聞こえるような、朗らかなテレーズさんの言葉に耳を塞いで寝具の中に潜り込みたくなる。

 ルイに背中から抱き寄せられている形で彼と向かい合っているし、おまけにさっきまで唇に触れていた指はわたしの髪を弄んでいる。

 テレーズさんには唇をなぞられていたあたりから見られて……というよりたぶんわざと見せるようにしたに違いないし、こんなの誰がどう見ても……。


「おや、ぼんやりして。まだ眠いですか? マリーベル」

「湯浴みのご用意は出来ておりますよ、奥様。支度なさいましょう」

「え、あ……ええ」

「マルテは支度部屋におりますから。大丈夫です、奥様」


 ルイの手から引き渡されて、椅子に掛けていたローブを手早く羽織らせられ、わたしは人形のようにぼんやりテレーズさんのなすがまま、さあさ参りましょうと促されて室内履きで部屋を歩く。


「あの……テレーズさん、大丈夫ってなにが?」

「そりゃあ、見習いの歳のお嬢さんには少々刺激が……本当に仲睦まじくいらっしゃいますね」


 違うっ、違うっ、違うんです。

 そんな不埒なこと朝からしていませんから。

 この国と魔術師という職業について話していたんですから――っ。

 

 湯浴みをして着替え、朝食のため食堂に赴いたわたしは、ルイへの憤りがかなり顔に出てしまっていたようで。


「おはようございま……ご機嫌麗しくなさそうっすね、奥様」


 さてはまた旦那様がなにかやらかしたかと、シモンから同情の眼差しで見られることになった。

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