第41話 マルテとの対話

「これはよくできていますねぇ……うちの人が生きていたらとびついたかもしれません」

「え?」


 女性用の支度部屋で、午後の衣装に着替えの最中。

 ローブを着るのをマルテに手伝ってもらっていたわたしをしげしげと眺め、感心したように呟いたテレーズさんに私は首を傾げた。

 ローブといってもルイが王宮で着ていた全身すっぽり覆う、いかにも魔術師や聖職者を思わせるものではない。

 女性の服でローブといったら一番上に重ねるスカートと繋がった上着のようなものだ。前身頃は開いてリボンや紐で閉じ合せるもの、中に着けた装飾的な胸当てにピンで留めるものなど型は様々ある。

 いま、わたしが着ているものは、見たことがない型のもので少し変わっている。

 前身頃は開かず上半身を覆って、背中の中央で首から腰の近くまで小さなボタンで留める。ワンピースに近いけれど、スカートの前正面は腰から開いていて、二重に重ねている薄物のスカートを見せて、後ろは少し長めに裾を引くものだった。

 少しくすんだ薄い青色に染められた絹地には細い縦線の地紋が入っていて、銀糸で花の刺繍が全体に施してあり、色は地味なのに光の加減できらきらと光の粉を散らすようで、胸元は幅広の生成色のリボンで飾られていた。

 

「あ、やっぱりテレーズさんもそう思いますか? 私もそう思っていました」

「なにが?」


 可愛らしい声を上げたマルテへと首を回しながら尋ねれば、このお召し物ですと彼女は答えて、テレーズさんも大きく頷く。

 

「奥様が細身でいらっしゃることもありますけれど。コルセットがなくても二重になかに重ねている薄絹とレース地をたっぷり使ったスカートがとても綺麗にドレスのスカート部分を膨らませて、胴回りをほっそりと見せますし」

「この上にお召しになっているローブ、後ろ姿も寄せた襞と長めな裾でとても豪華に見えますね。小さなボタンも貴石と刺繍で飾った凝ったもので」

「なにより、このなかに重ねている薄地のスカートですよ! 昨日は刺繍を施した薄絹の下にレースでしたけれど、今日は上下を入れ替えて雰囲気が違って見えます。一番上にお召しになるローブを違うものにすれば、全く別のドレスにも見えますよね。遠出で一揃えをいくつもご用意しなくても済みます」


 二人がわたしのドレスについて力説するのに驚けば、旅の荷物を少なくし優雅な装いと動きやすさどちらも捨てずにすむドレスだなんて、王都ではいまこんなドレスが流行りですかとテレーズさんから尋ねられる。

 とっさに答えられずフェリシアンさんからの資料に添えられていたリュシーからの助言のメモを思い返す。「ドレスのことを尋ねられたらナタン工房へ頼んで用意したドレスですって答えてくださいね」と書いてあった。


「えっと……ええ、春夏の社交向けのもので」


 たしかこれって、この春夏向けのナタンさんの新作。

 たぶんルイが工房に出資しているからだろうけど、まずはわたしにお試しくださいって届いたもので、そうであれば王都にはまだ出ていないはずだ。

 わたしも昨年の春夏にこういった型のものは王宮で見た覚えがない。


「王都のナタン工房に頼んで、用意したものなの」

「えっ、ナタン工房ってあのナタン工房ですか?」

「王都一の高級服飾職人じゃありませんかっ。それも新作っ!」

「え、ええ……そうなりますね」

「どうりで、トゥルーズの絹ゴーゼに刺繍するだけでこんな繊細なスカートになるなんてって、昨日から思っていたんですよ」


 え、なに。

 たしかに繊細で綺麗だけれど、そんな二人して興奮するようなドレスなの?


 特にテレーズさん。

 死別した旦那様は大店の店員だったって聞いてるけれど、目が完全に商人の目になっているのだけど。

 もしかして将来は夫婦で独立みたいなこと考えていたとか。


「襞飾りに加工するか高級な寝巻きや下着に多く使われる素材としか思っていませんでした。軽くてたっぷり使えば透け具合も上品で絹だから艶もありますし、染めでなく細かな刺繍を施せばだとまるでレース地のようにも見えてまったく印象が違います。やっぱり王都一というだけありますね」

「昨日の旦那様と外に出られていた時も、行き交う方が奥様のドレスに目を向けていましたもの」

「あれは……わたしじゃなくルイでは……」

「たしかに旦那様も人目を引くお方ですけれど、そればかりではないと思いますよ」


 全部のボタンを留めて、髪を結い直しますと椅子に掛けるようマルテに促され座り、テレーズさんに目配せして寝室の資料を持ってきて欲しいとお願いする。

 わたしの目配せが通じたようで、テレーズさんは微笑むように目を細めると一礼して支度部屋を出て行った。

 わたしの髪を解いて櫛を入れるマルテの様子を窺って、目線を一度上に運び、どうしようかなと少し迷って、下手に遠回しに聞かないほうがいいかとシモンのことなんだけどと単刀直入に彼女に切り出す。

 ぴくりと、わたしの髪を梳くマルテの手が止まる。


「ルイから聞いたの、孤児院に入る前は一緒にいたのですって?」

「……あ、その」

「それにしては二人とも、なんだか余所余所しいから少し気になって。シモンがフォート家の従僕になる以前のことなら知っているわ。彼はフォート家の使用人だから、特別な間柄のあなたとの間でなにか困りごとがあるなら力になりたいの」


 そんな……と、特別な間柄んて……そんなのじゃ……。

 か細く呟く声が聞こえて、わたしは振り返って彼女に微笑む。


「あら、悪い大人からあなたや他の子供たちを守っていたのでしょう? シモンは。それってとっても特別だと思うのだけど」

「……奥様」

「それに会っていないのに、一目でお互いが誰かわかっていたし」


 マルテの白い頬から耳にかけてうっすらと赤みが差して、けれど沈んだ顔をして彼女は俯くと、でも嫌われてますと呟き唇をきゅっと引き込むように閉じた。

 そんなマルテをわたしは黙ってただ眺めて待つ。

 ここでどうしてそう思うのとか、そんなことはないわとか、言葉を掛けるのは簡単だ。

 けれど、そんな言葉に沿った返答を聞いたところできっとなんの意味もない。

 大事なのは、彼女の奥底にある言葉にしていない気持ちや、これから彼女がどうしたいかといったこと。

 そうでなければ、なんの解決策も妥協点も見つけられない。

 

「……ずっと、心配だったんです」


 一人だけ捕まって。

 でも、私達は保護されるから大丈夫だって。

 シモンの言う通りに、なんだか立派なところへ私達みんな連れていかれて……お風呂とか着替えとかご飯とか、いつもお腹ぺこぺこだったから小さい子達はすごく喜んで。

 でもシモンにいつまでたっても会えないのが寂しくて、どうしたんだろうって不安だったんです。

 私はきっと牢屋に入れられたと思っていて……そしたらしばらくして私達を孤児院に連れてきてくれた旦那様が来て私に言ったんです。

 私達が大人になって大丈夫になるまで孤児院で面倒を見てくれるって、シモンは牢屋に入らないけど罪を償う必要はあるから旦那様のところで働くって。

 でも私達と会うのは自由だってだからって、最初は喜んだけど……。


「シモンは一度も、会いにきてくれなくて」


 一年経って、二年経って、だんだん小さい子達はシモンのこと忘れていまではほとんど覚えてなくて……私はシモンと三つしか違わないから忘れてなくてそれで……。


「ずっと会いたくて」


 泣いてはいないけれど泣いているみたいな、壊れそうな小さな声だった。

 ずっと心配、ずっと会いたかったは、たぶんマルテのなかでは同じに違いない。

 

「……だけど、シモンが会いに来ないのは会いたくないからなのかもって考えて、だってずっとシモンは私たちの分まで悪いことしてお金稼いで、いっぱい殴られたり酷い目にあってたんです。なのにシモンを助けなかった私達のこと本当は嫌いで、本当は一人でどこかへ行きたかったのかなって……でも、私……」

「もしかして、貴族のお屋敷で働きたいって、シモンがフォート家で働いてるから?」


 わたしが尋ねるとこくんとマルテは頷いた。

 助けられたらいいなって……と、怖がるように呟く。


「それはフォート家で働きたいということ? シモンはフォート家で働かないといけないの。それが彼が牢屋に入らずに罪を許されて、そしてあなた達をあのフォート家が出資する孤児院で面倒を見る条件だから」

「え……?」

「労役刑のようなものだから、あと五年は絶対にフォート家で勤めるけれどそのあとは彼の自由よ」


 マルテがびっくりしたように目を丸く見開いたのに、やっぱり知らなかったのねとわたしは息を吐いた。


「ルイから聞いてない?」

「いいえ」

「まあ、あなた達を気遣ってシモンが口止めしたのかもしれないけれど……」


 うーん、でも口止めされていなかったとしても正直微妙なところだわ。

 ルイは魔術以外のことについては、なにかと説明を省きがちだ。

 年端もいかない子供たちを前に「あなた達はここで正式に面倒をみることになりました。衣食住は保証され教育も受けられます」とかなんとか。

 彼等の境遇についての条件だけを一方的に伝え、あの胡散臭くも麗しい微笑みで終わらせてそうな様子が……目に浮かぶ。


「どうしてあなた達を避けているのかは本人に聞いてみないとわからないけれど、少なくとも破ったら身の危険がある契約魔術を結んでまで、ルイにあなた達のこと頼んでいるから嫌ってるって線はないと思うの」

「あの、奥様……」

「なあに」

「どうしてそんな、私のことを気にかけてくださるのですか?」


 臨時雇いなのに……と言ったマルテに、気になるからと答えてわたしは前を向いてくとマルテに髪を結うように促す。

 髪に櫛が入るのを感じて、でもあなたじゃないわと続ける。


「え?」

「シモンはフォート家の使用人だもの。彼がなにか抱えているのならきちんと把握しておかないと。だからねマルテあらためて聞くけれど」

「はい」

「あなたは、貴族のお屋敷の上級使用人になりたいの? それともフォート家で働きたい? そうではなくただ昔みたいにシモンと一緒にいたい?」

「……それは」

「いずれにしても、あなたもシモンも二人が一緒にいた頃とは随分違っているし、だから昔と同じにはおそらくならないと思うの。もちろん他の考えだってあると思うけれど」

「はい……」

「いま、わたしがあなたに伝えられることは、もしもフォート家で働きたいならフォート家の使用人として毅然と仕事をする人を求めますってことだけ」


 黙って手を止めてしまったマルテにわたしはくすりと笑んで、別にいま答えなくってもいいのよと伝える。

 どうやら考えが追いつかないらしい、マルテは目をぱちぱちと瞬かせた。


「あなたも知っての通り、わたし達は明後日の朝に立つわ。だけどその後もいくらでも来られるし、フォート家が出資している孤児院だもの連絡手段もいくらでもある。それにあなただって、まだ未成年だもの」

「はあ」

「きちんとよく考えてみてから、教えて」


 ねっ、とマルテに念押しすれば、はいと小さな返事が聞こえてわたしは微笑んだ。

 マルテが髪を結い終えて、手鏡で確認しながらその出来を褒めているとテレーズさんが資料を持ってきてくれた。

 ありがとうございますとお礼を言えば、お安い御用ですとテレーズさんは応える。受け取ったフェリシアンさんが領地についてまとめてくれた資料をめくり、その文字を追いながらふと思いつく。

 

「テレーズさん」

「一階のご準備ならお部屋を出たついでに確認して参りましたよ。問題ございません。皆様、食堂にお集まりになられますから、昼食は寝室がよろしいかと思いまして旦那様にお伺いしましたらそのようにと仰いました。戻る途中で意向をこの宿の者に伝えていたのですが、少しお待たせしてしまいましたか?」

「いいえ、問題ありません」


 うん、やっぱり。

 マルテと話をするだけの時間の幅を持たせる間で、お願いしようと思っていたことで全部やってくれている。

 昨日、お茶会の準備について相談をしていた時も思ったけれど、テレーズさんはかなり出来る。


「マルテ、紙とペンを。あと封筒も用意してくれるかしら」

「はい」


 マルテが持ってきた紙とペンを受け取って、手早く用件だけの手紙を書くと封筒に入れて急ぎの印をつけて封をし、彼女に渡す。


「これから昼食だから、これをこの宿の“箱”でフォート家へ出しておいてもらえないかしら」

「はい」


 お願いねとわたしはマルテに頼み、部屋付きの小間使いとしてお給仕をしてくれるテレーズさんを伴って寝室へと戻る。


「おや、綺麗にしてきましたね」


 戻ってすぐさま、わたしがフェリシアンさんから届けてもらった伝説伝承の本から顔を上げてルイが声をかけてきた。

 そりゃ午後はお客様がいらっしゃいますものと答えて、長椅子ソファに座っている彼の側へ近づけば、彼が右端に寄って場所を空けたそこに座る。

 わたしが座った場所に昨晩積んでいた資料はいまはルイの右側にまとめて積まれている。

 明け方に起きて、なんとか残り全部に目を通した。

 本当に付け焼き刃だ。

 部屋の入口から寝台までの間、広く空いた場所に着替える前にはなかったやや小振りなテーブルと椅子が運び込まれていて、急拵えの食卓の準備がされていた。


「昨晩と明け方に貴女があまりに熱心に読んでいたので、少しお借りしました」

「いいけど、あなたなら知っている話ばかりでは?」

「知っていますが、頭で覚えている知識を思い浮かべるのとそれを文字であらためて読むのはまた違うものですよ」

「そう」

 

 そんなものかしらと思っていたら、右手を取られて手の甲と指の境に軽く口付けられる。

 まあ……その。

 支度して戻ってきた妻への挨拶みたいなもの。

 フォート家の使用人ではないテレーズさんもいる手前、されるがままに受け流したけれど、書き物机の側に控えているシモンが隙あらばですねとでも言いたげな顔でルイを見ている。わたしも同感だ。

 

「積んである本が邪魔じゃない?」

「構いませんよ、私室と大してかわりません」

「ああ……」

 

 一時的にでもシモンに頼んで書き物机に移動させようかとも思ったけれど、納得の答えにそのままにすることにした。

 それにしても。

 朝から公爵領の領主様仕様でいるルイを横目に見る。

 明るい空色の絹地全体に白と濃紺の糸で草花文様の刺繍を施した上着を羽織り、幅広の金糸を絡ませたモールで縁取った上着の下は紺無地の中着、首元に回した豪奢なレースを胸元まで垂らし、白の脚衣をつけていた。

 金の縁取り以外は色彩的にいたって地味であるはずなのに、この蝶でも寄ってきそうな艶やかさはなんなのだろう。


 昼食は――黄金色に澄んだスープに鹿肉の煮込み汁を煮詰めた濃厚スープ。細かく切ったふかし芋に春告げる白い穂先を混ぜ、塩と香草和えて焼いた山ウズラに添えたもの。白いソースで煮込まれた鶏に野菜の煮込み。鳩肉のパイ。干果物のタルトと小菓子が供された。 

 結婚してから美味しいものに事欠かないけれど……胴回りや腕まわりが由々しき事態になる程に育ってしまいそうで。

 近頃ちょっと悩ましい。

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