第40話 互いの違い

「わたしが王妃様のために少し手のかかる仕事で人を動かすとしたら、こういった結果を出して欲しい指示はもちろん、各々の得手不得手も見て仕事を采配します」


 それにと、わたしに不可解そうにしているルイを見ながら思う。

 そういった少し手のかかる仕事は、わたし一人では到底全部見られない。

 だから誰がどの仕事を取りまとめるか、誰が誰の指示の下で動くかあらかじめ決めておく。

 

「全体できちんと仕事が成されていればよし。ですが、上手くいっていないならどこに問題があるのか確認し対処しないといけないでしょう? 場合によっては人を変えることも……それに似たものかしらって」

「マリーベル、あなたは王妃の侍女だったはずでは?」


 上から降ってきた呆れを含んだ問いかけに、首を傾げれば今度はため息が降ってきた。


「違いました?」

「いえ……思いがけないものでしたが、方向性としては合っています。そんなことより、王妃の身の回りのことをするはずの貴女がどうしてそのようなたとえ話をするのかが気になります」

「丁度いい機会なので、一つ、お聞きしたいのですけど」


 この人の行動を見ていて、特に今回のこのユニ領に向かう間のこの道行の諸々でもしやと思ったことを。


「……王の誕生祭への出席をかなり直前になって返答したのでは?」

「たしかに返答期限後にロベール王に直接、それがなにか?」

「やっぱりっ!」

「なんです、いきなり脈絡もない。いまの話とどんな関係が……」


 大有りですっ、とわたしは彼のガウンの合わせ目を掴んで引っ張った。

 王様に直接? 

 そんなことをされたら招待客をとりまとめて準備する側は大迷惑だ。


「おかげでこちらが文官の方に再三催促しても、なかなか出席者リストが来なかったんだからっ!」

「っ!?」

「あなたみたいな無駄に家格が高い、しかも王様のご友人なんて人っ」


 賓客中の賓客。

 そんな人の飛び入り参加だなんて……下手をすれば、それまでの準備がひっくり返る。

 わたしとの連絡係だった文官の人、あの時は結構きついこと言ってごめんなさい。出席者も満足に整理できない無能なんて思って申し訳ない。

 あなた達ちっとも悪くない。

  

「その場に大きな影響を与えそうな方がいらしたら、王妃様の周囲でなにが起きても対応できるように準備しておく側がどれだけあたふたすると思うの!?」

「なにを興奮して怒っているんですか、貴女はっ!」


 彼のガウンの合わせ目を握った手で力任せに彼を揺さぶって詰め寄ったわたしに、きらきらと光を撒き散らすような銀髪を乱しながら、狼狽の声を上げてルイがわたしの二の腕を軽く掴む。

 

「そりゃ、あなた方が我儘仰ってもそれに対応するのがこちらの仕事ですけれど……」


 じっと彼の青みがかった灰色の瞳を覗き込めば、多くの者達の働きで成り立っていることくらいはわかっていますと彼は言った。


「本当に?」

「本当に」


 ならいいけど、とわたしは彼を揺さぶるのを止めた。

 わたしの二の腕を押さえたまま、まったくとルイはわたしの頭の上に額をつけるように項垂れる。


「ただ説明するだけのはずが、何故こんな話に……」


 わたしがルイのガウンの襟元を握って引き寄せ、ルイがわたしの二の腕を掴んでいるから、なんだか彼がわたしを抱き込んでいるような形になっていることに気がついてわたしは慌てて彼から手を離す。

 彼もわたしの二の腕をから手を離したけれど、少し開いてしまった襟元を直すこともせず項垂れた頭を持ち上げた。


「それにしても、まさか魔術の技法をそのように置き換えて考えるとは。フォート家の祝福で精霊について話をした時も独自の解釈をされていましたが、本当に、私にはない発想をする人ですね」


 言いながら、わたしの両手を取ってじっと見つめる。


「わたしは魔術のことなんて知りませんから、似たようなところを手掛かりに考えるしか……」

「たしかに、私と貴女は色々と違う環境や立場で生きていましたね」


 不意に部屋の明かりが揺れ、部屋のあちこちに置いてある燭台の蝋燭へ目を向ければ、その長さはずいぶんと短くなっていた。

 フェリシアンさんの資料、もう少し読み進めたかったのに。

 ルイが教えてくれた魔術の基本もいずれ覚えないといけないものだから、彼との話はまったくの無駄ではないけれど、優先順位で考えたら後でもいいことだ。


「それにしても、貴女は少々変わっています」

「解釈がですか? でもそれであなたに変わっていると言われたくは……」

「そうではなく。壊れた魔術の陣が私や周囲に影響しないか、真っ先に尋ねたでしょう」

「それがなにか?」

「真っ先に心配するなら、ご自分の身だと思いますが?」


 言われてみたらそうかもしれないけれどと、ルイは魔術師としてはこの国で最高の魔術師だろうし。

 悪徳魔術師ではあるけれど、すぐ側にいるわたしに危険が及ぶことをするとも思えない。及ぶにしてもなんとかしてくれそうだ。

 それにわたしよりこの人になにかある方が影響は大きい。一応は妻である立場的にも優先して考えるべきは、わたしよりもルイの身の安全である。 

 

「うーん、あなたが無事なら近くにいるわたしも大丈夫だろうし。そちらの方が重要だもの」

「そうですか……」


 ルイはわたしの手を離し、ふいっと目を逸らすように顔を正面へと戻した。

 ガウンの襟元を直す彼の横顔を、なんなのと思いながらわたしは見つめる。


「少し難しい魔術を組む際は、いきなり本当に実行するのはいくらなんでも危険ですから組んだものが破綻しないかああして仮に動かし検証します」

「ふうん」

「影響はないからといって、あのように破綻するところを人がいるところで……迂闊でした。怒りはするものの貴女があまりにいつも平然としているから、私としたことが忘れかけていた」

「ルイ?」


 緩く髪を結い上げたわたしの後頭部に彼の手が。

 頭や髪を撫でるのではなく、結ってある表面を指先で辿るような微妙な触り方になんだか虫が留まった時みたいに背筋がぞわぞわした。

 

「ちょっとなに?」

「防御壁の魔術の補強は、この地域で昔から行なっている年中行事のようなものと思っている人が大半です。祭と大差ない。ですが私を直接知る人にとって、私が魔術を使うのは多少なりとも身構えることですから」

「ルイ?」

「まさか、私が無事なら近くにいる自分も大丈夫だろうなんて……少々……驚いただけです」


 ルイの横顔を仰ぎ見るのは躊躇われた。

 昨日、彼から聞いたばかりの話が脳裏を過る。

 フォート家は魔術の家系。

 魔術の歴史そのものと言えば聞こえはいいけれど、実際は祝福の影響で代々の魔術の知識と力を生まれながらにして持って生まれる子供が引き起こす災いをいかに防ぎ、封じるかの積み重ね。

 そばで世話するものが一番災難を被りやすい。

 ある者は直接被害を受けて、ある者は犠牲になった使用人に心を痛めて、ある者は我が子に怯えて……いずれにしても心身のどちらかあるいは両方が傷つき疲弊していく――どうしてそんな平然と話せるのと彼に思ったけれど。

 その話をわたしはいまのいままで、ルイ自身ときちんと繋げて考えていなかった。彼自身のことというよりフォート家の悲劇のように捉えてしまっていて。

 

「もう、そろそろ寝ない?」


 頭の後ろへ手を回して彼の手を捕まえ、膝下へと移しながらわたしはそう言った。

 ルイのお母様は、彼が物心がついた頃には我が子であるルイに対する抑えられない恐れと、そう感じてしまう罪悪感で彼を見ることが出来なくなった。

 それでも手紙で母親としてのつながりを絶えさせることはなく、疎まれていたわけではないと手紙のことを懐かしい思い出のようにルイは話していたけれど……当時の彼自身は、どう受け止めていたんだろう。

 それにお父様のことは、お母様を溺愛していたというくらいでほとんどなにも話さなかった。

 生まれてすぐの彼が受け継ぐ魔術の知識と力への対応策は、いまはある程度確立されていると言っていたけれど警戒はされていたはずだ。

 同じ魔術師である父親に。

 

「平気そうにしてるけど、朝はそれこそ大掛かりな魔術をやっているし。それにお互い、日中結構忙しくしていたし……少し眠くなってきたし」


 もう片方の手も重ねて促せば、ルイの視線を感じた。

 目だけを動かして彼を見れば、わたしというよりわたしが捕まえている彼の手を見下ろしている。

 

「なに?」

「いえ……」


 わたしの問いかけに彼は一度顔をしかめ、次に、考えの読み取りにくい表情になって黙りこむ。

 立ち上がろうかどうしようか迷いながら、わたしも黙っていたら、しばらくして彼の閉じていた口元が僅かに動いた。


「それは、貴女からのお誘いと受け取っても?」

「違います。正真正銘、言葉通りにただ就寝を促しています」

「そんな真顔になって、全力で否定せずとも……」


 人を揶揄からかうようないつも調子でルイは残念がって見せたけれど、わたしの言葉に従う気のようで、わたしたちの後ろの暖炉の飾り棚の上にある燭台の蝋燭に灯る火が一つずつ消えていく。

 それ以外の、部屋のそこかしこを照らしていた蝋燭の灯も。

 薄明かりから段々と暗くなっていく中で、寝ましょうとわたしは彼にもう一度囁いた。

 もしも昔のことを思いだしてなにか思うところがあるのなら、こんな夜更けにあれこれ思い巡らせてもろくな気分にならないだろうし、きっとそれがいい。

 ルイの手を引くように立ち上がり、彼の手を離して背を向ければ暗くて危ないですからと抱え上げられる。


「だったら寝台に入ってから、明かりを落とせばよかったのに」

「それだとこうできないでしょう?」

「……なにそれ、姑息」


 苦笑する声を聞きながら寝台の上に横座りに降ろされる。

 髪を解いてガウンを足元に脱ぎ、寝具の中へと移動して落ち着けば、ガウンは脱いではいるもののまだ脇に腰掛けているルイの手が頬に触れた。


「ルイ?」

「本当に、貴女という人は……」

「なに」

「いいえ。そういえば貴女が明日なにをどう用意しているかについて、宿の支配人から報告を受けました。特に問題はなくむしろ行き届き過ぎなくらいです」

 

 お昼に宿に戻ってから、明日の午後の準備をテレーズさんと相談し、宿の料理人に用意するものを指示した内容について、この宿の支配人である宿に着いた際に部屋に案内してくれた男性を経由してルイに書面で連絡が届けられたのだろう。

 ルイは午後は書物机に向かって書類仕事らしきものをしていて、時折、支配人が部屋を訪ねてきては、ルイ宛の手紙や伝言を届けていた。

 

「日中同じ部屋にいたにもかかわらず、テレーズさんを経由して宿の支配人から書面であなたに明日のお茶の準備内容が届いて伝わるの……すごく王宮を思い出す」


 そういうものですから、と言って頬から手が離れて彼も寝具の中に入った。

 おやすみの挨拶を交わし、休息につく。

 やはり疲れていたのだろう、そう間も置かずにすぐ隣から規則的な呼吸の音が聞こえてきてわたしは体ごと、彼の方向へとそっと身動ぎした。

 暗闇の中でもほんのりと浮かぶ銀色の髪が散る、彼の寝顔を眺める。

 眠っていると、本当に彫像みたいだ。


「生まれながらの魔術師……か」


 魔術師としてしか生きられないフォート家の子供。

 十二歳で家督を継いだって言っていたし――よく考えたら、まだ王宮に上がれる歳ですらない。

 貴族の子弟の教育の期限より一年も早い内から、ルイはロタール公および防衛地区バラン辺境伯であるフォート家の当主となり、戦地と貴族社会に放り込まれている。


「きっと、いまのわたしなんかとは比べようもなかったはず」


 平民から貴族の奥方といったって、わたしは王宮勤めの経験も一応ある。

 いまの地位も名誉も財力も揺るぎないルイによるお膳立てだってある。

 けれど、後ろ盾もない子供の頃のルイにそんなのあったのかしら。

 独自の地位を貫く大領地を治める公爵家の若すぎる当主に、さまざまな思惑を持った者が群がったに違いない。

 きっと誰を信用していいのかわからない状況が待っていたはず。


「……でも所詮は想像でしかないもの」


 そっとため息を吐いて、ごろりと正面を向くように寝返りを打つ。

 本当に寝よう……これで寝不足になったら目も当てられないわ。

 目を閉じれば、彼の呼吸の音がより鮮明に聞こえて。

 いつしかその音に誘われるように、わたしも眠ってしまった。

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