第39話 魔術という技法
なに? 一体――。
天井近く、空中に浮いている紙が瞬時に薄青い炎となって燃え尽き、蝋燭の灯りの薄明かりの室内がまるで満ちた月の光に照らされるように明るくなる。
これって……。
大きさはルイの掌ほどの小さなもの。
紙が燃え尽きたそこに、これまで彼が大掛かりな魔術を見せた時に現れる、銀色の光の円が浮かび、中に描かれた緻密な紋様が歯車のように動いている。
「魔術の、陣?」
「今朝の補強作業で防御の魔術を写し取り、手を加えてみましたが……」
やはり駄目ですね――低く呟く声に、天井からルイへと視線を移す。
不快を露わに表情を歪めるなんてあまり見ないことだったので、そちらにも少し驚いた。
基本的にルイは、胡散臭いまでに貴族然とした優雅で穏やかな様子を崩さない。
崩したところでどこか人を食った様子か、冷ややかに深めた魔王の如き微笑むくらいで、実際、彼がなにを考えどう思っているかはいまひとつ読み取れない。
「これだから古い魔術は厄介な……」
たまに困惑や機嫌悪そうなこともあるけれど、それもどこか見せていい範囲まで見せているって感じなのよね。
貴族は高位になるほど他者に付け入る隙を与えないよう、概ね表面穏やかさを保ち、時に人の印象を自分に都合よく操作する振る舞いをするものだけれど。
ルイの場合、少し行き過ぎなところがある。
長年、側に付き従い彼を父親同然に慕っている従者兼護衛のオドレイさんが、魔物討伐の際に彼が怪我を負っていても気づくことができないほど平然と振る舞う話なんて、流石にそこまでいくとちょっとおかしい。
「厄介?」
わたしも、はっきりわかる感情をぶつけられたのって一度くらいだ。
父様に、ルイの求婚を受けなければわたしのような娘がまとまるような縁談は二度とないと言われて結婚が確定した憤りを彼にぶつけた時。
何故か、彼が怒って反対に詰め寄られた。
そんなルイだから、明らかに不快げに顔を歪めるなんて、おまけにそれが防御壁の魔術に対してのようだから不安しかない。
厄介って、なにか大変な問題でも?
国境を護る、防御の魔術に支障が生じればそれは国に関わる。
でも、今朝中央広場で彼が行った補強作業と仕上げはそんな様子には見えなかった。テレーズさんもこれほど光溢れるようなのは初めてって言っていたし。
「え……?」
魔術の陣の光が点滅するように弱まったのに、わたしはルイの言葉もあって、口元に指を添えなにか考えている様子の彼から再び天井へと視線を移した。
見れば歯車のように動いていた紋様が、噛み合わせが引っかかったように動きを止めている。
軋むような揺れに徐々に円は歪んで、そして銀色の光は砕け散って消えた。
「壊れた?」
「壊れましたね」
ルイの言葉に、壊れたって……あんな緻密な魔術が失敗って結構大変なことになるのじゃないのと。
天井とルイとを交互に見るわたしに、試しただけなのでなにも起きませんと、もういつもの平然とした様子に戻って彼はそう言った。
彼にしては若干荒っぽい手つきで、額にかかる銀髪を掴んで息を吐く。
この人がなにも起きないというのならそうなのだろう。
壊れた魔術は気掛かりだけど……それはそれとして。
なにかしら、この無駄に悩まし気なお姿は。
「なんですか? 見詰めるならもっと熱を帯びた目で見詰めて欲しいものですね。悪巧みの算段をするような目ではなく」
「悪巧みなんて、そんなことは」
ただちょっと、この憂いを帯びつつも寛いだ姿だけに妙に妖艶ないまの彼の姿を画家に描かせたら、貴婦人達の間で競り合いになって結構いい値で売れそうなと少しばかり考えただけで。
鑑賞に堪える容姿をお持ちだから、ついそんなことも思ってしまう。
「そ、それよりっ。防御の魔術を写し取ったものなのに、本当に大丈夫なの?」
「写しなので元のものに影響はしません。手を加えたものが機能するかどうか仮に動かして試してみただけです。上手くいきませんでしたが」
防御壁の魔術は術者の力だけで成り立っているわけではない。
魔術を施した地、バランの一帯の地の力も借りていてそれが年々弱まってきているとルイは言っていた。その分、補強のために必要な魔力が増えていると話していたから、その対策のための改変をして試したってことかしらと推察する。
でもそれって、ルイが組んだ魔術ってことでは。
「あなたや周囲に影響を及ぼすわけでもないのね?」
ルイが頭を預けている肘掛けの側で、彼と目線を合わせるように身を屈めた。
この人は、嘘は吐けない。でも隠し事は大いにする。
「ええ」
彼の返答に、ほっと胸を撫で下ろす。
あんな魔術の光が砕けちる様をみたらどうなるのかと思ってしまう。
「じゃあ、なにが厄介なの?」
「……この頃の魔術はまだ効率もよくなく手を加えにくい」
「え、ええと……?」
「ああ、それでは貴女への回答になりませんね」
魔術は本来、精霊や魔物等を直接従えることができなかったヴァンサン王の子が、彼らに呼びかけその力を借りるために編み出した技法に過ぎない。
そう言いながらルイは身を起こすと、
ちょっと聞いてみただけなのに、これは説明が長くなりそう?
ルイの様子から、本当にさっき壊れてしまった魔術は問題なさそうだ。
だったら、フェリシアンさんの送ってくれた資料に戻りたいけれど……。
「マリーベル?」
動かないわたしを再び促す呼びかけるルイは、魔術師として説明するのは当然って雰囲気だ。
「ああ……もうっ」
魔術の絡む話になると饒舌かつ懇切丁寧な解説をしてくれる人だ。
フェリシアンさんの資料に戻ったところで、きっと滔々と話して聞かせてくるに違いない。
尋ねたのはわたしだ、仕方がない。
「マリーベル?」
「どうぞ。防御壁の魔術が効率もよくなく手を加えにくいとはどういうこと?」
「神を法則、精霊を属性として人が実現したいと願うことを規定し、魔力を対価に命令し彼らの力を借りるのが魔術の基本です」
法則というのは命令の処理に対する方向性、属性というのは様々なものにどういった役割をもたせて実現したいことを実現させるか。
原則、神や精霊は、人が叶えたい願いに沿って規定した命令通りにしか力を貸してはくれない。
魔術師にとって言葉はあらゆる物事を規定するもの。
ルイが嘘を避けるのは、偽りの言葉は神や精霊を欺き怒りを買う行為であるから。盟約で彼らと共にあるなら尚更、用心してもし過ぎることはない。
それにしては詐欺師紛いに人を口車に乗せ、隠し事は大いにし、解釈を相手に委ねることが多くないかしらと思わないでもないけれど。
「魔術を組むにあたり、四季の女神と四大精霊が基本ですが……他の神々や四大精霊の眷属とされる精霊たちも含めないこともない。序列もある」
「序列?」
「わかりやすいところでは四大精霊は上位、その眷属の精霊は下位となりますね。上位の精霊が組み込まれていなければ、その眷属の精霊は組み込めず、また下位の精霊の役割が上位の精霊を凌駕することもない」
「んん?」
「人でたとえるなら、王の許可なしに家臣は勝手に動けず、王に雑用をさせる家臣もいないということです」
なるほど。
人の場合、ルイのような扱いにくい立場の人もいるけれど精霊ははっきりしている。そう思ったわたしの考えを読み取ったように彼は目を細めると、別格にあたるものなら命運の女神や輝きの精霊がそれにあたると言った。
世界や時に関わることもあり、特殊な魔術や高度な魔術にほぼ限られると。
「防御壁の魔術ですが、わかりやすく言えば、“冬の女神に従い、地の精霊他関連する精霊同士協力し外敵の攻撃を受けても耐える壁を維持し続けて欲しい、その分の魔力を術者は払う”、とでもいったところでしょうか」
実際はもっと込み入っているとルイは言ったけれど、説明されてもたぶんわからない。彼の説明で十分だった。
彼が手を加えたのは、大きくは“関連する精霊同士協力”と“その分の魔力を術者は払う”部分であるらしい。
「難しい命令や複雑な命令あるほど、それを動かすための対価となる魔力が必要になります。魔術において省力化は重要です。いまの魔術では当たり前となっているその考えが古い魔術にはない」
「だから効率が悪い?」
「ええ、文章にすれば詩的な表現とでもいえばいいのか」
わたしの質問にルイはうなずいた。
彼がいくら魔力を使い放題といっても、使う肉体には限界がある。
そもそも彼以外の人で、大掛かりな魔術を扱えるだけの魔力を有して操れる人はとても少ない。
「仮にいまの防御壁の魔術を、他の者が維持するなら一箇所につき選抜した宮廷魔術師が三ないし五人は必要になります」
「はっ?」
き、宮廷魔術師って。
ルイは除いて、魔術師としてこの国では最高峰の人達のはず。
「いまの魔術では、命令における主軸部分と枝葉の部分は分けて組み上げるのが主流です。その方が、組み込んだ神や精霊の力が互いに干渉する恐れが少なく問題や破綻が生じても原因を特定しやすい」
わたしから見れば、ただただ不思議でよくわからないすごい力といった魔術だけれど、技法というだけあって研鑽により進歩洗練されていくもののようだ。
「防御壁の魔術が組まれた頃は、まだなにもかも一緒くたに結果だけを求めるやり方だったのですよ」
「……たしかにそれは効率が悪そうですね」
「ん?」
神や精霊は、人が叶えたい願いに沿って規定した命令通りにしか力を貸してはくれない。つまり指示したことしかできない人を動かすようなもの。
なにかさせるにあたって、命令系統、優先順位、連携すべき部分、全体としてみた時に各々どう動くべきかが明確になっていないのなら、たしかに効率が悪い。
「つまりこうしろっていう最初の命令と人員だけで、望む成果のためにどうにでも動けって言われているのに近いわけですよね。しかもそこにいるのは言われたことしかできない人ばかり」
「マリーベル……なんの話を?」
ルイの顔を見上げれば、眉間に縦皺が深く一本刻まれていた。
そのまま残ってしまったら、折角の鑑賞に耐える美貌が台無しだ。
ああ、そうか。
「そういえば、魔術の話でしたね」
「はい?」
この人、公爵様だもの。
いくら悪徳魔術師で詐欺師紛いに人を丸め込むことや、根回しが上手くても、案外思慮深くて有能な領主様でも。
仕える者たちに、こうしてくれと言うだけの立場な人だもの。
一体どれほど人々が、そのためにあれこれと連携して働き命令を叶えているかなんてことは普段気にしていないに違いない。
「えっと、もしわたしが王妃様のために少し手のかかる仕事で人を動かすとしたら、こういった結果を出して欲しいこととその指示はもちろん、各々の得手不得手も見て仕事を采配します」
そう言えば、ますます不可解だといったように彼は眉を
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