第38話 王国と神と精霊
魔術はフォート家のご先祖様が編み出したもの。
なので、魔術大国だからというわけではないけれど、王国には神話やお伽話や言い伝えがたくさんある。
一番有名なのは建国のお話だ。
ある時、三賢者と呼ばれる指導者が現れて七つの小国を束ね、賢者の中で一番長生きした人が最初の王となったのがいまの王家のはじまり。
賢者というくらいだから賢い人達であるのは前提で、一人は武勇、一人は智略、一人は恩寵を分担していた。長生きしたのは恩寵の賢者だそうな。
この恩寵について解釈は様々。
フォート家の前身、七小国王の一人ヴァンサン王が使った神と精霊の力といった解釈もあれば、人々を魅了し従わせる資質であるだとか、人々を救済する慈愛であるとか……諸説あるものの、わたしが家庭教師の女性から初めて建国のお話しを聞かされた時、子供心に思ったものだ。
“三人の中で、一番、安全で気苦労なさそうだから長生きしたのじゃないの”、と。
そう思ったままを言えば家庭教師は絶句し、人前でそんなことを口にすれば愚かだと思われると叱られた。いまだに納得いかない。
「ふふっ、それは、くっ……なんとも貴女らしいというか……っ」
一度、可笑しいと思うとすんなり笑いがおさまらないルイの途切れがちな言葉に、そんな笑わなくてもとぼやく。
就寝前の身支度なども済ませた後なので、使用人はもう下がらせている。
シモンは彼の宿に、臨時雇いで通いできてもらっているマルテは孤児院に、宿付きのテレーズさんだけは宿の詰所にいるため用があれば呼ぶことは出来る。
ルイが用事に出している、オドレイさんはまだ戻らない。
実質、寝室に二人きりな状態は昨晩と同じ。
しかし昨晩とは違い、互いにすることがあってそちらに忙しいため、随分と気楽なものだった。
「その家庭教師の忠告に従うのが賢明かと思いますが、一番安全で気苦労がなさそうとは子供が抱く感想にしては妙に生々しい」
「弱小領地の娘の感覚としてはそうとしか……」
ルイは
公の場はもちろん、使用人がいる場でもまったく隙のない振る舞いや態度でいる彼だけど、私室にいる時などはそうでもないらしい。
だらしないくらい緩さで寛いでいる姿であるのに、なにやら退廃的な主題を持つ絵画のような様子に見えるのがまったくもって狡いと思う。
部屋には書物机もあるので、そちらでやったほうがいいのではと尋ねてみたけれど、娯楽に近いものなのでここでいいですといった返事だった。
一体、なにが研究でなにが娯楽なのかはよくわからない。
「ふむ、他領からの干渉の脅威を幼心に覚えていたと。幼女の頃から現実的なしっかり者だったんですねえ」
「そこまで明確なものでは。モンフォール家の当主様がお優しい人でよかったとは思っていましたけれど」
わたしは彼の向かい側の
王国にまつわる様々な伝説伝承をまとめた本で、もちろん建国のお話の記述もある。
そこからわたしの子供の頃の思い出話になった。
伝説伝承と王国の歴史。それに資質の有無に関係なく、魔術に関する基本知識は貴族にとっては十三歳までに叩き込まれる必須の教養らしい。
これらについてきちんと話ができなければ、上級貴族の間では社交もままならないそうで……。
十三歳は未成年とはいえ、王宮に上がれる年齢。
ルイ曰く、実際の修得度はまちまちというけれど、王宮でわたしと行儀見習いで一緒だったご令嬢達は皆そんな教育を受けていたということになる。
「そんなに必死にならずとも、王妃の側に付いていたのですから大丈夫かと思いますけどねえ」
「わたしは貴族の娘ではないんです」
「領主の娘として教育は受けているでしょう。お父上のジュリアン殿など王立法科院を修めているではないですか。教育機関としては最高峰にして最難関。勿論振る舞いもそれなりのものが要求される」
「父様はそうでも、わたしは読み書き計算や行儀作法など一通りくらいで、平民以上ご令嬢未満といった中途半端なものなんですっ」
「ご令嬢未満な中途半端で務まるほど、第一侍女の立場は甘くないはずです」
神様や精霊については母様から、歴史については父様から。
たまたま色んなお話を聞かされていたから、王妃様の側に控えて決まり文句のような言葉で挨拶や対応をしたり、王宮の催しや廊下でちょっと話しかけられて応じる程度の会話には困らなかったけれど。
公爵夫人として王家や軍部と魔術の上層の方々とも関わるかもしれないとなれば話は違ってくる。
「側仕えと、公爵家の女主人ではまるで違うわ!」
宿に、フォート家との通信用の“箱”があってよかった。
ひとまず付け焼き刃でもなんとかなりませんかっ、とフェリシアンさんに手紙で泣きついて資料を急ぎ届けてもらった。
いま読んでいる本は、巻末に簡単な王国史と各地の祭事や式典一覧もまとめられた親切仕様。
おまけに届いた資料には、リュシーからの“初々しくも聡明な奥様の魅力を印象付ける装い”の助言まで添えられていた。
ああ、出来る家令ってありがたい。素晴らしい!
フェリシアンさん大好きっ。
「フェリシアンでなく、私に聞けばいいものを」
「お忙しそうなので」
それにあなたは隠し事は大いにするだもの。
彼にとって都合の悪いことに繋がりそうな知識は教えてくれない気がする。
右側は目を通したもので、左側はこれから読むもの。まだ左側の資料の量が多い。
「それに、あなたの実戦演習課題と要求水準は厳しそうだもの」
「それに応えようと……貴女という人はよくわかりませんね」
「なにが。それより“箱”便利ですよね、王国全土にあればいいのに」
“箱”は、紙や手に持てる程度の荷物を送り合える箱型の魔術具だ。
ルイが開発した魔術具で、フォート家の屋敷と領地の各所に設置されている。
「なんの義理や理由があって、私がそんな一大国家事業のようなことをしなければいけないんです。絶対に嫌です」
ペン先を動かしながら本気で嫌そうに顔を顰めて、ルイは言った。
「そもそも“箱”を設置する際には場所をつなぐ魔術を施す必要です」
ルイが直接行ったことがある場所同士でないと繋げることは不可能であるらしい。それに魔術具自体は魔力を必要としないけれど作る時はそれなりに消費する。話ぶりから、“箱”を作れる魔術師はどうやらルイだけのようだ。
それなら仕方ない。
「そうですね……伝説伝承は重要なことを後世に伝える面もありますから、長い年月を経て定まった王の資質やあり方を象徴したものといった解釈ならありな気もしますけど」
「え?」
「建国の話です」
手元でペンを動かし会話もしながら、建国の話についても考えていたらしい。
会話の続きと呼ぶには無理がある間を置いてそう呟くように言ったルイに、わたしは読んでいた本から顔を上げて彼を見た。
「長い年月を経て定まった王の資質やあり方?」
「長生きというのはこの場合、必ずしも言葉通りとはいえないでしょう。恩寵の解釈はともかく……」
言いながらテーブルに横着な仕草で手を伸ばしルイはペンをインク壺につける。さっきから紙になにか書いているけれど手の動きから文字を書いているのではなさそうだった。
「勇ましく戦ったり、あれこれ画策したりは別に王でなくても出来ます。そのようなものではない、人を引きつけ救い畏怖を与えるというのであれば。実際、賢者といえる王は稀ですがね」
「はあ」
流石、表向きは王家に一歩下がっているようで、実質ほぼ対等とばかりに独自の立ち位置でいる公爵様。さらっと不敬なことを仰る。
「恩寵に関しては、魔術的にも“加護か祝福か”といった興味深い論争がありますよ」
「“加護か祝福か”の論争?」
図か絵でも描いているのか、上下左右に手首を動かしては時折手を止めて、紙に描いたもの全体を確認するように目を細めるルイの様子を眺め、なんとなく彼に加護の術を施されている自分の手を見る。
「あなたの加護の術は、“加護”に近いような強力な護りを再現したもので、
あんなに綺麗で緻密で、相当魔力も使いそうなものが紛い物?
そんな疑問を浮かべるわたしの胸の内を察したのか、そもそも神や精霊の力を借り同時に交渉するべく編み出されたのが魔術ですから、神や精霊そのものには敵いませんよとルイは苦笑した。
「加護というのは、神や精霊の愛し子のことです。加護を与えられた者は、加護を与えた神や精霊の力の支援を盟約や代償なしに無条件で受けられる」
「無条件……」
「祝福は、昨日話した通りに神や精霊から一方的に彼等がよかれと思うものを与えられる」
つまり両者はまったくの別物。
王は神や精霊から愛されているとする神話的な主張。
神や精霊の力を無条件といっても、そんなものを人の身で自由に行使するのは不可能だから祝福とする現実的な主張とに分かれているらしい。
「どちらにせよなにかしら与えられ、それが王たる根拠とされている。王は恩寵を持っている者。王の誕生祭というのは、正確には王の誕生日を祝うのではなく、その日を“恩寵を与えられた日”として讃える王家が行う祝いの神事です」
王国で、生まれたその日を祝うのは王様だけ。
それは建国のお話にちなみ王の誕生を祝うためと聞いていた。
国中の有力者が王宮に集まるあの気を遣う祝い事は、本来そんな意味を持つものだったのかと彼の話に感心しながら、それはそれとして彼自身は論争のどちらの側なのだろうと少し気になる。
彼は精霊や竜との盟約により、ほぼ無尽蔵の魔力を扱える人だ。
同時に、力を振るうには人の身では限界があることも、身をもって知っている。
やっぱり祝福派かしらと考えたけれど、返ってきたのは「どちらとも言えない」と少々意外に思える答えだった。
「自分の身に置き換えて考えれば、たしかに人の身には限界がある。とはいえ私の場合は盟約といった一種の契約です。愛し子がそれと同じかはわかりません」
そもそも人間に加護が与えられること自体が稀であり、記録に残るそれらしい例も数えるほどしかないらしい。
「それに恩寵といったものの属性もよくわかりませんしね」
「属性?」
「まあ仮に加護だとして、神であれば“命運の女神”。精霊であれば“輝きの精霊”に関わるものであろうとは考えられています。ああ、どちらも時や命運、光や闇を司っていて……ということくらいは流石に知っていますか、貴女も」
ルイの言葉に、頷く。
王国の伝説伝承の大半は、神や精霊のお話だ。
生活にも密接に関わっている身近な神々と精霊といえば、四季を司る女神と、水火風地を司る四大精霊。
聖堂で執り行われる年中の儀式や、王宮で行われる式典や儀式、もっと俗っぽいところではお守りや願掛けなど様々なところで目にし耳にもするし、魔術にも関わりが深いと聞いたことがある。
そしてもう一つ。
ルイが口にした、時や命運、光や闇を司る女神と精霊。
こちらも人の寿命や運命に関わるとして、結婚や葬儀で身近な神と精霊。
特に、輝きの精霊の“天上の紡ぎ糸”の話にちなむ“布贈り”の慣習なんかは、女の子なら一度は憧れを持つものだ。
「輝きの精霊クインテエーヌは命運の女神クラアに仕え、人の寿命や人生を決める“天上の紡ぎ糸”を紡ぎ、命運の女神に紡ぎ糸を巻き取った糸巻を捧げる、ですよね」
人は皆、それぞれ“天上の紡ぎ糸”を、命運の女神から授けられて持っているといったお話。
結婚が決まった際、男性はこの話にちなんで妻となる女性に綺麗な布を贈る。
これは夫婦が協力して人生を歩みその生涯を共にすることを、夫と妻のそれぞれが持っている“天上の紡ぎ糸”を使って布を織り上げると表現するからで、“布贈り”の慣習には末長く一緒にといった意味が込められている。
男性から「糸を捧げる」「糸を
まっ、わたしの周囲にそんな乙女心を理解するような御方は皆無でしたけれど。
この人といい、モンフォールの坊っちゃまといい。
「命運の女神や輝きの精霊って、人生や結婚に関する神様で精霊なのに光と闇を司るっていうの、ちょっと不思議なんですよね」
「逆ですよ。光と闇、世界の始まりと終わり、世界そのものを成立させ支配する。だから時間や命運に関わり、ひいては人の寿命も司るとされている」
「なるほど」
「人々の間では一般的に“天上の紡ぎ糸”の話が身近なようですが、どちらかといえば人の寿命の部分は解釈のおまけみたいなものです。一対となるものを象徴するため結婚とも結びついたのでしょうね」
聞かなくてもわかる。
この人の場合、“糸を捧げる”求婚の文句も、“布贈り”の慣習も「そんな当人同士で交わすだけの実効力に乏しいことに一体なんの意味が?」と思っていそうだ。
下手したら「王と国中の有力者の前で求婚以上に、明確な意志表示かつ愛情と覚悟を示し、周囲を黙らせる方法はないでしょう」なんて、魔王の如き微笑みを浮かべて言い出しかねない。
そうよ、大体っ!
人を口車に乗せ、古の慣習に基づく四十日の婚約期間とやらを了承させたり。
でもって、その婚約期間が終わる前から、財力で服飾職人のナタンさんを唆して勝手に婚礼衣装の手配をすすめたり。
貴族にだって、形式的でも“布贈り”はあるはずなのに!
結婚が確定したら、抵抗する間もなくご自分の邸宅に人を拘束して、ひたすら仮縫いやらなんやら、布というより布で作った品物をどさっとご用意しましたからさっさと支度に努めてくださいといった調子だったし。
乙女の結婚への憧れとか、花嫁仕度をしながらその日を指折り数えて楽しみにするとかいった手順をですね……ものの見事に踏みにじってくれて。
そもそも結婚に承諾した覚えもないのに、結婚しているし!
「どうしました、急に黙り込んで」
「いえ、少し“天上の紡ぎ糸”の話について考えていただけです」
「ああ、乙女の結婚の憧れとやらですか。そんな実効力のないものになんの意味があります?」
ペンを動かす手を止めて、呆れたようにこちらを見たルイの言葉に若干かちんとくる。
本当に、思った通りじゃない。
しかもわかってるじゃないっ!
「言い方っ」
「私は魔術師です。神話やお伽話や言い伝えの類については検証には値し、教養の一つとして口にもしますが、根拠も有効性もない迷信そのままを実生活に持ち込む気にはなれませんね」
とりつくしまがない、とはまさにこのこと。
そうですね、あなたはそういう人ですよね、と胸の内でぼやく。
開いていた本の上に顎先を乗せ、彼を睨みつければそんなに怒ることですかと彼は軽く肩をすくめた。
「別に、貴女とてそんなことを絶対と信じるお嬢さんでもなかったでしょうに」
「そうかもしれなかったかもですけど、多少はありますよ多少はっ」
「どうでしょうね。必要と思えませんでしたけれど?」
たしかに彼の言う通りではあるけれど、なによそれ。
必要ならいくらでもやってあげすますよ、必要ならねと言わんばかり。
まったくもって、心がない――まあこの人のきらきらしい胡散臭さで「貴女に私の糸を捧げます」とか布を贈られても寒気しかしないだろうけど。
「そうね。わたしも別にいいかも」
想像した途端、背筋がぞわぞわと薄ら寒くなったのに、思い浮かべたものを振り払おうと小さく首を振ったわたしを胡乱げに見て、この件についての議論は終わったと判断したらしい。
ルイはわたしから彼の手元の紙の上でペンを動かす作業に再び戻る。
「貴女のその口先だけの乙女心とやらはともかく、恩寵の話に戻りますが」
「口先だけ……!?」
「結局のところ、恩寵がどのようなものかある程度はっきりしないことにはすべて推測です。なんの確証もない。魔術的に言えることはなにもないですね」
「そんなものですか」
「そんなものです。さて」
しゅっと、切りがついたというようにペン先の音がして、彼の手元の本からひらりと紙が飛び出したのに、えっ、と紙を目で追って天井を仰ぎ見る。
「どうなるか」
本とペンをテーブルに置いてルイが呟いたと同時に、天井近くの空中に浮いている紙は薄青い炎となって瞬時に燃え尽きた。
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