第37話 公爵様の奥方教育

『気になりますか?』


 耳で聞くのではないルイの声が聞こえて、以前にも経験したことのある感覚にはっとする。他の人には聞かせず会話をする、もっと言えば気をつけないと相手に考えたことが筒抜けになってしまう魔術。

 ちらりと付かず離れずな距離を保って歩くルイの横顔を軽く見上げて、『当たり前でしょう』と応え、後へと視線を送る。

 わたし達の後ろに控え、互いに居心地悪そうに歩いているシモンとマルテの二人にどう対応したものかしらと、柔らかな革の靴でも歩きやすい白っぽい灰色の真四角な敷石が綺麗に敷き詰められた地面に意識を傾けつつそっとため息を吐く。

 たぶんマルテは、シモンがスリだった頃に一緒にいた孤児の一人なんだろうけど……と、考えていたら、すぐ側からなにか困惑しているような気配が伝わった。


「なに?」

「……もしかして、“かんぬき”を?」

「蔓バラ姫にもかけられて」


 そんなことかと思いながら、彼の半歩後ろ隣を歩きながら答える。

 外出着ドレスの三枚重ねのスカートの裾がたっぷりしているため、真横に並ぶと彼に踏まれそうなのだ。


『守護精霊のくせに余計なことばかりする……』

『教えるまでもないとか言ってませんでしたっけ?』


 初歩中の初歩だと言っていたのこの人なのに。

 おそらくさっき道が交差した場所でこちらですよと、手を差し出され曲がり角をエスコートされた時だろう。


『たしかにそうですが一度や二度で覚えてしまうのは、いくらなんでも筋が良すぎます』


 散歩といって、宿から出たルイは中央広場から北東に伸びる道を進んでいる。

 円形の街は中央広場から放射状に伸びる八本の広い道とそれらと交差する街をぐるりと一回りできる道二本よって区切られている。

 一つの区画の中には細い道が走っているようだった。

 王都と同じく北から東側は貴族と富裕層の区画で、他に統括組織の庁舎、学術施設、高級商店などがあり、南から西側にかけてが下町だった。

 綺麗に整えられた地面は貴族側だけで、下町はもう少し荒くすり減った石畳らしい。

 元々下町側だけだった街を押し広げて区画整理しなおしたからで、言われてみれば地面同様、白っぽい灰色の石を多用した建物が整然と並んでいる。

 商店の軒の意匠なども揃えられていて王都よりも瀟洒な雰囲気だ。


「……まったく」


 本当に魔術適性を一度きちんと確認したいものです、と声の後を追って伝わってきたぼやきに少しこの人の意表を突いてやった気分にはなったけれど、彼がわたしの魔術適性を確認したところでたぶん徒労に終わるだけじゃないかなと思う。

 

『あなたは適性が高そうだと仰るけれど、たぶんないと思います』

『何故、そう思います?』

『王宮に上がる前、魔術適性を見る試験がありましたから』

『人材発掘兼侵入者対策ですか……しかしそれにしては』

『あなたの魔術だからでは? それに蔓バラ姫は精霊だから、魔術そのものに近い存在なのでしょう?』


 一般的な魔術師の魔術を知らないけれど、たぶんこんなにすんなりいかない気がする。

 わたしの言葉に、術の精度はあるでしょうけど……とルイは言ったけれど納得していない響きがあった。

 口元に指を当ててなにか考えている様子だったけれど、もちろんその考えはわたしには伝わってこない。


「そういえばどこに向かっているの?」

「通信局です。統括組織の庁舎の中にあるんですよ」


 そう行き先を説明するルイの言葉に、『当たり前でしょう、私をなんだと思っているんです』と二重に被さって聞こえて、一瞬、耳と頭が混乱する。


 え、やだなにこれ気持ち悪い。

 

 ルイを見れば、ふふんと意地の悪い細めた眼差しがわたしを見下ろしていて、『どうやらまだ簡単に崩れるようで安心しました』などと言う。


 お、大人気ない――!

 伝わるのは双方同じなはずなのに、彼の側は、彼が本当になにを考えているかはまるでなにも聞こえも伝わってもこないし、どんな頭の中してるの。


「貴女のお父上殿に手紙を出すのですが、なにか付け足しますか?」

「いいです。少し前に書いたばかりだし」


 今度はいかにも良き夫といった微笑みを見せたルイに、思わず軽く頬を膨らませてしまう。 

 本当、意地の悪い。


『そう怒らないでください。あまり器用になり過ぎても困ります』

『なにが困るの』

『本来は“密談”用の魔術です。妻を警戒対象にしたくはない。シモンとマルテですが、貴女が察している通りです。共に貧民街の小悪党に縛られていた孤児でして』


 やっぱりと思いながら。

 急に沈黙しては後ろの二人に不審に思われるから、表向きの会話も続ける。

 忙しない。


「それより、リュシーの喜びそうなものを扱うお店があれば帰り道に立ち寄りたいです」

「お土産ならご実家のがよいのでは?」

「来月は“冬生まれの祝い”で、それにリュシーは成人式でしょう?」


 誕生したその日を祝うのはこの国では王様だけだ。

 建国話にちなんでなのだけど、じゃあそれ以外の王国民はといえば、季節生まれごとでまとめてお祝いする。

 冬生まれは春に。

 春生まれは夏に。

 夏生まれは秋に。

 秋生まれは冬に。

 生まれた季節の女神の手から、次の季節の女神の手へと無事に渡りましたとして聖堂でお祝いして正式に歳を重ねるのだ。

 生まれてすぐの子供がそのまま無事に育っていくとは限らないからで、他にも七歳までは神様の子として扱って戸籍には入れない決まりなどもある。

 ひとまずそこまで育てば一安心、王国民としてなにか出来るということで。

 リュシーは十五歳になったばかり、この春の祝いでは合わせて成人式も行うことになる。


「彼女が聖堂へ行くのは難しそうだし」

「フォート家の屋敷は下手な小聖堂より守護がかかっています。それに年中行事の儀式程度なら司祭の真似事くらいできますよ。ああ、ということは貴女も……」

「とうとう、二十です」

「倍ではなくなりますね。結構。これで夏の社交で、自分の歳の半分しかない若妻娶ったと言われずに済みます」

「気にしていたの」

「多少は」


 表向き、暢気な話をしているけれど、同時進行でルイによって語られているシモンとマルテの話はなかなか歯痒い話だった。


『マルテは罪を犯していません。孤児達が稼がなければならないのをシモンが一手に引き受けて、まあ軽く相手の注意をそらす手伝い程度はあったようですが、深くは関わらせていない』

『つまり、弟妹分を守っていたということ?』

『そうです』


 それはそうと、この会話の同時進行はとても疲れる!

 ちょっと頭がじんと痺れるように重くなってきた。


『ふむ、私が施しているとはいえ、ちょっと頭が重いで済むなら及第点ですね』

『え?』

『受け身で蔓バラ姫と合わせて三度目ならそんなものでしょう。万一、招かれても粗相はせずに済むのじゃないですか、王宮の面倒なやりとりに慣れているだけに』


 本音と建前が交錯する王宮でのやりとりは面倒だ。

 それなのに、高位の貴族として王家や軍部、魔術関係の上層と関わるのなら、さらにこの“密談”魔術を使った同時進行会話は必須らしい。

 もちろん王様や王妃様や、軍部の偉い人たちは魔術師ではないから、宮廷魔術師が“密談”魔術を施す。

 ルイに魔術を施されている、いまのわたしと同じ状態だ。


 王妃様って……こんな疲れることもなさっていたの!?

 三年もお仕えしていたのに全然知らなかった。

 密談だから、侍女ごときが知ることができるはずもないけれど。

 それにしても。

 これが、“出来そうなことを、出来るだけ”の一環なら、ちょっと詰め込みが過ぎる。悪徳魔術師!

 

『誰が悪徳です。文句は構いませんが、通常の会話が疎かになりがちです』


「……うぅ」

「おや、どうかしましたか?」

「いいえ」

「宿の持ち主である道楽者の商会へ寄りましょうか。あそこならなにかしら提案があるでしょう」


 そんな会話をしている間にも容赦なく、ルイから一方的な情報提供がされる。

 悔しいけれど、会話しながら同時進行で滔々とうとうとシモンとマルテの経緯を聞かせてくるルイにこれ以上応じるのは無理だった。

 とてもじゃないけど処理が追いつかないと黙って聞くだけに徹する。

 聞くだけならまだなんとかなる。


 ルイは引き取った孤児達との手紙も面会も自由にしていいと許しているけれど、シモンは一切、子供達と接触しようとしないらしい。

 離れる時もあっさりしたもので、「自分はしくじって捕まったけど、お前らは助けてもらえるらしいから安心しろ」と子供達に話して、ルイに後を任せた。

 ルイが助けた当時、シモンは十二歳。

 マルテは九歳で、子供達の中ではシモンの次に年長だった。

 他の子供達は当時まだ五、六歳で、いまではほとんどシモンのことを覚えていない。

 シモン自身がそうなることを望んでいたようで、「犯罪者との関わりなんて覚えていたってろくなことにならない」と彼は一度ルイにそう話したのだそうな。

 けれど、シモンと三つ違いのマルテだけは彼のことを忘れず、彼をずっと心配している。

 ルイが孤児院に立ち寄れば彼がどうしているか尋ね、彼と同じ貴族の屋敷の使用人になるべく孤児院の院長の身の回りの手伝いをして。

 

『このまま放置していても、おそらくこじれるばかりと思いまして』


 それで、本人達には黙って会わせることにしたらしい。

 未成年の見習いのマルテを臨時雇いにしたのはそういった事情だった。

 一通り聞き終えれば、目の前に白っぽい灰色の石を使った横に細長い建物があった。

 深い青色の勾配のややきつい屋根、建物の正面は細長いアーチを取る回廊が上下二段になっていて、その一階部分は地面より高い位置に階段を登る形にある。

 建物を区切るように大きな柱が四本。

 柱には四季の女神の姿が刻まれ、柱から柱までの間のアーチを繋げる部分にはそれぞれの柱に刻まれた季節の女神の象徴を使った意匠に装飾されている。

 どことなく聖堂を思わせる厳かな佇まいの、壮麗で美しい建物だ。

 瞬きしたわたしの前を、深緑の上着を羽織った男性数人が慌ただしく通り過ぎようとして、はっと表情を変えて足を止める。

 慌てて頭を下げようとしたのを、ルイが手と頭を振って構わないとした。 

 

「えっと」

「統括組織の庁舎です。万年人手不足で皆忙しく、いちいち跪かれてもこちらも面倒ですからそういったのは無しとしているはずなんですけどね」

「はあ……そういったのって、軽んじられるとかで周囲が止めませんか?」

「多少軽んじられるくらいで丁度いい。色々と尾ひれのついた話が王国全土に広まっていることですし」

「なるほど」

「通信局はこちらです」

 

 彼に手を差し出されて建物の階段を登り、春の女神の柱の側を通る。

 通信局を訪れれば、突然の領主の来訪でお勤めの人は唖然とし、そんな彼らの様子にどこぞのお偉いさんでも来たのかとルイを見た人々が朝に中央広場であの派手な魔術を披露した本人だと気がついて、まるで波が引くようにわたし達から距離をとって下がった。

 そんな周囲をルイは鷹揚に見回して、わずかに微笑んで何事もなかったように足を進める。

 するとそんな彼に合わせたように、人々が元の通りの様子に戻る。

 シモンもマルテも当然のことのように控えているし、なにかの魔術を見せられたような気分でとにかく平然とした態度を保つことで精一杯になっているのはわたしだけらしい。

 ルイは奥に詰めていたらしい文官を呼んで手紙を預け、一言二言なにかを言いつけている。

 わたしは慌ただしく用意された椅子に腰掛けて、彼が用を済ませるのを待つ。

 

「お待たせしました」


 言葉と共に差し出された手をとれば、椅子から引き上げられる。

 肩に軽く手を添えられて通信局を後にする。


「馬車を頼みました。少し疲れたでしょうから」

「どうも」

「さて、商会に寄ってその後どうされますか?」


 商会に寄ってその後、宿に戻るに決まっている。

 そんなわかりきったことをこの人が尋ねるわけがない。

 おそらくは、“事情を一通り聞いて二人をどうするか”を聞いているのだろう。

 シモンも、マルテを気にかけていたはず。

 でなきゃ九歳から会っていない、身なりも孤児だった時とは変わっている女の子を、一目見てすぐ彼女だとわかるはずがないけど。

 シモンて、オドレイさんのこと慕ってなかった?

 マルテのシモンへのあの様子、どう考えたって恋する乙女のそれだ。

 上級使用人を目指しているのも、たぶんフォート家で働くシモンに近づきたいからだろうし。

 近づきたい、か。

 

「ねえ、マルテの生まれの季節はいつ?」

「え、あの……」

「屋敷の侍女が冬生まれで来月成人式なの。これから商会にお祝いの相談に行くのだけれど、ふとあなたの生まれの季節はいつかしらって思って。そうだ、歳が近いからあなたの意見も聞かせてちょうだい」

「えっと、すみません。私は春で」

「あら、なら次の季節の女神様の祝福をくださいな」


 わたしの突然の申し出に恐縮するマルテに微笑めば、はにかむように私でお役に立てるのでしたら……とマルテはリュシーのお祝い選びに参加してくれることを了承した。


「冬は、秋を携え春含む季節ですもの。よいものが選べそうね」

「ん」


 わたし達のやりとりを向かいの席で眺めるともなく眺めえていたルイが、不意にわずかにわたしに身を乗り出すように身動ぎした。


「なに?」

「冬は、秋を携え春含む季節と仰いました?」

「ええ」

「冬の女神にそんないわれはないでしょう?」


 ああそれは、女神様の話とは違うのでとわたしは答えた。

 きっと、神様や精霊は魔術に関わりがあるから反応したのだろう。

 

「作物の話で……ええと、故郷の村にジャンお爺さんって小さい頃から可愛がってくれる人がいて。色々な植物の育て方を教わったんです」

「ふむ、あなたの園芸の師というわけですか」

「師っていうようなのじゃ……その彼が、冬は、秋の実りの保存を助け、春に新しい芽をださせるための季節だって」

「成程、農夫の知恵」


 納得したように頷いて、私の早合点でしたとルイは座り直すように馬車の壁にもたれる。


「しかし早合点にしてもそのような知恵と重なるなら興味深い」


 ぶつぶつと呟き出したルイになんだろうと訝しむ。

 またなにか彼の魔術研究の関心に引っ掛かったのだろうか。


「そのジャンお爺さんといった方と一度話してみたいものです」

「え、ごく普通の村の農夫なお爺さんですよ。流石にそれは……」


 とてもじゃないけど会わせられない。

 東部の大領地を治める公爵様なんて向こうがびっくりする。


『少々、私が研究している事柄に関連しそうなんですよ』


 口からでる言葉ではない言葉が聞こえてどうしてわざわざと思ったら、ルイはちらりとマルテを一瞥し、魔術に絡むことはあまり不用意に人に聞かせたくないのでと説明した。

 

『んーでも、ちょっと偏屈者なところがあるから』

『偏屈者の扱いなら、貴女はお手の物でしょう』


 どうやらご自分のことを指しているらしい。

 そこまで食い下がるなんて。


『まあ……ユニ領に着いたら顔を見せに行こうかなと思ってはいましたから、一緒に行くくらいなら。話せるかどうかはわかりませんよ』

『いいでしょう。お礼に貴女の思う通りにしていいですよ』


 なにを、とは尋ねるまでもない。

 正面で、薄い笑みを浮かべている彼の顔を見る。


「……そういえば、あなたに言いたいことがあったわ」

「なんですか?」


 なにが、“街を楽しめ”よ。

 正直、王宮より疲れる。

 今日中に明日の午後のお茶の準備について決めて、宿に頼んでおかないといけないし。

 集まる統括官とお付きの人のことや、領地であるロタール全体の概要くらいはある程度教えてもらわないといけないし。

 東部特有の慣習はないかも確認しておかないとだし。

 庁舎の建物を見たところ四季の女神の信仰が深いみたいなのは、魔術発祥のお膝元だからなのか、もしそうなら神と精霊に関わる決まり文句はある程度押さえておくのが無難だ。

 あえて筒抜けに伝わるように今日わたしがすることをつらつらと考える。


「色々と詰め込み過ぎでは?」

「すでに一つは片付けたでしょう」

 

 魔術を施されて、“密談”と同時進行で会話することを指しているのだろう。

 かんぬきを掴んだことに驚いていたわりに、ぎりぎり合格な及第点なんて辛口評価だし。


「私は、“出来ることを、出来るだけ”としか考えていませんよ」


 この程度はこなせるでしょうと、青みの増した灰色の目が言っている。

 この人にしばらく付き合うとは決めたけど、決めた途端にこれってなんなの。

 本当に、もう。 

 ちらりとマルテを見る。

 きっと宿での会話の繰り返しだと彼女は思っているに違いない。

 そうじゃないの、この人も仕事を色々片付ける気でいるけれど。

 いままさに、それ以上の鬼の如きしごきを、わたしに……っ。


『誰が鬼ですか』

『いいです……あなたについては毒を飲んだなら器までと思うことにしましたから』

『なんです。その、物騒かつ人聞きの悪い言い回しは』

『悪徳魔術師だもの……どうせ死ぬのに変わりないならいっそ全部飲むつもりで、なにもかも付き合ってやろうかと』


 シモンとマルテの二人のことも。

 わたしの好きにしていいって言われたことだし。

 一度、それぞれと話をしないと。 

 そんなことを考えながらため息を吐きかけたら、ルイに先を越された。 

 まったく、貴女という人は……と、あからさまに呆れ返った響きが伝わる。 


『私は悪徳ではないし……それに毒なら致死量前に適切に処置すれば助かります』


 致死量前に適切に処置すれば助かる毒?

 わたしは彼を見た。


『あなたが、そんな毒仕込む?』

 

 問い掛ければ。

 いいえ、やるなら一滴で確実に仕留めるものを調合します、と答えが返ってきた。

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