第42話 ご挨拶と春の祝い

 王国東部の大領地ロタール公爵領は、五つの地域に分けられて統括組織に管理されている。

 共和国との国境に接した東の防衛地区バラン。

 このトゥルーズの都より北、王都へ向かう街道を含み東部他領と一部王領とも接するトロワ地区。

 バランの下敷きになるように南に細く伸びその先端が小領地と接するソニエ地区。

 王国南北を流れる運河に沿いトロワとソニエの間で細く縦に伸びる西のラングレ地区。

 これらの地区に囲まれた中央のフィルト地区。


「このトゥルーズまでようこそお越しいただきました、マリーベル様。バラン統括の任に就いておりますムルトと申します」

 

 五人の統括官はなんだろう……よく言えば個性的?

 とりあえず、誰がどこの地区の統括官かすぐ覚えられたのは助かるかも?

 そんな感想しか思い浮かばなかった。

 

 東のバランの統括官ムルト様は、焦茶色の髪と目の強面で体格のいい三十半ば位の男性で、元騎士団員。

 東部騎士団支部で後方任務の士長だったらしく、書類仕事が早いのと騎士団支部との折衝役に丁度よいとルイが引き抜いた、とても揉めたとフェリシアンさんの資料に説明書きがされていた。


「今回は議長のため、統括組織を代表しご挨拶申し上げます。他の管轄官をご紹介しましょう。こちらは北のトロア地区のクリスティーヌ、南のソニエ地区のクロード……」


 北のトロワ地区の統括官クリスティーヌ様は、きっちり結い上げた黒髪に深緑色の眼光鋭い王宮の女官長を思わせる規律正しい雰囲気の年配女性。

 資料によれば、わたしも知っている王宮勤めのそこそこ偉い貴族の庶子……だそうで、きっとそこは深く追求してはいけない。


 南のソニエ地区の統括官クロード様は、五人の中で一番年配と一目でわかる白髪。細目で瞳の色はよくわからない。

 なんだかもう見た目からして只者ではないおじ様な雰囲気を漂わせる、五十も半ばを過ぎたくらいの男性。

 前歴不明の謎紳士ってどういうことなのでしょうか、フェリシアンさん……。


「そして、西のラングレ地区のシャルル、中央のフィルト地区のティエリー……」


 西のラングレの統括官シャルル様は、どう見てもわたしより年下に見える金髪の巻き毛と空色の目をした美少年。

 フェリシアンさんの資料によると二十二歳らしいけど、下手するとシモンよりも年下に見える。そしてにこにこと愛想のいい微笑みに心洗われそうになる。

 しかし資料には一言、“性格:黒い”と記述があった。

 これは……あれだろうか、微笑みながら人を運河に突き落とす系統かしら。


 中央のフィルトの統括官ティエリー様は、中肉中背できっちりと淡い褐色の髪を撫でつけた、赤褐色の瞳をしたまったくなにを考えているのかわからないお面のような無表情の三十代男性だった。

 資料には下働きから統括官に登りつめた男、猫好きとあった。

 

 フェリシアンさん……この領地の資料ちょっと楽しんで作っていますよね?

 お会いする前から内容が色々気になって、頭に入るのはありがたいけれど……本人を目の前に平常心を保つのがちょっと苦しい。

 

「どうぞお見知りおきを」


 場所が宿の食堂で、わたしの前に一人ずつ進み出てといったことがやりにくいからだろう。

 お茶の時間になり、食堂に入ってテーブルの中央付近まで進み、彼等に向き直ったわたしにバランの統括官であるムルト様が代表して集まった人達をまとめて紹介してくれた。

 各地の統括官の間に序列はなさそうで、おそらくは集まった場所がトゥルーズだからムルト様が議長であり、代表しての挨拶なのだろう。

 東部式なのか、あるいは儀礼を廃しているらしい統括組織の礼なのか……紹介された順で統括官の人達は、わたしに右手で左の胸元を押さえ軽く頭を下げる礼をした。

 彼等は領主であるルイに仕える人達で、わたしはその領主の妻。

 統括官の人達をわたしは心の中では敬称を付けているけれど、実際に話しかける時には呼び捨てとなる。 

 立場上、敬称つきで呼ばれるのはこちらの側であるし、彼等の挨拶を受ける側でもある。つい最近まで王宮で人にお仕えする身であった側としては、とても……慣れない。


「マリーベルと申します。冬の女神の手から春の女神の手へと移る季節に、こうして皆様とご挨拶できる機会を持てたこと感謝いたします」


 挨拶の言葉を述べて、にっこりとわたしは微笑んだ。

 王宮での儀式の場における所作を意識しながら、わたしが統括官と挨拶している間、テーブル中央の席に一人座ってわたしに背を向けたままでいたルイの側へと近づく。

 四季の女神はそれぞれ守護する方角がある。

 冬の女神の方角は北、春の女神の方角は東。

 そして春の女神は芽生えや芽吹きを司る女神だ。

 言葉とルイに寄り添うまでがひと繋ぎだ――つまり。


『北の王都から、こうして東部にまいりました。右も左もわからない新参者を、ルイ共々皆様何卒よろしくお願いしますね』


 といったご挨拶……になっているはず、なっていて。

 どきどきしながら平静に平静にと心の中で唱え、ルイの促しで空席になっている彼の向かい側の席へゆっくりと回って座れば、統括官の人達もそれぞれの決められた場所に着席した。

 それにしても……なんだろう。

 この人達を倒さなければ、悪徳魔術師は倒せないといった……重臣感は。

 領主様が変り者だと、その下で働く幹部も変わり者になるのだろうか。

 いやいや、よく知らないうちに人を判断するのはよくない。

 一人ずつ秘書官連れで来ている皆様全員、只者ではないのは一目でわかりましたけれど。

 領地に関する会議は一通り終わった後のようで、挨拶が終わればなんとなくお疲れ会的な雰囲気にくだけたので少しほっとする。

 王宮で年若い第一侍女として値踏みされるみたいなことが度々あったから、そういった目を向けられたら嫌だなと心配したけれど杞憂だったようだ。

 でも油断はできない。

 テレーズさんがお茶や用意した菓子や軽食を出して説明した。


「交代した護衛の控る場所を設けていただき助かりました。でないと、食事もままならないため」


 ムルト様がそう言えば、次回もそうしてもらるとありがたいとティエリー様が頷いた。今回、統括官達が引き連れてくるだろう護衛が交代時に食事や休む場所がないのは困るだろうと、宿の応接間を控室にしてもらったのだ。

 しばらく和やかに当たり障りない会話がしばらく続いて、そういえば……と、クリスティーヌ様がふといま気がついたように呟いてわたしを見た。 

 本当は真っ先に言及したいところ、失礼にならない程度の間を十分空けましたって雰囲気だ。


「マリーベル様がお召しのドレス、あまり目にした覚えのない型ですけれど最近の王都の流行でしょうか」


 えっ、テレーズさんやマルテに続いてまたこの話?


 支度部屋でテレーズさんとマルテを相手にした会話がそのまま予行練習になったようなものだ。今度はすらりとリュシーの助言通りの説明を行う。

 ついでにテレーズさんの商人目線の見解も、ちょっと付け加えてみたり。


「――とはいえ試作ですので、まだこちらは王都にも出ておりません」


 言い終えた瞬間、統括官全員の目がキラーンと光った。

 気のせいではない証拠に食堂内の空気が一変している。

 ルイを見れば澄ました顔してお茶を飲んでいる。

  

「まあ、そうですか」

「ほう、成程」

「ふうん」

「……それは、また」


 あの……、本当になに?

 特にムルト様以外の方々。

 なんなのリュシー! このドレスはっ!


「本題はこちらですか?」


 元軍人らしい生真面目な口調でムルト様がルイに尋ねれば、彼はただ微笑して焼菓子を手に取る。


「我が家の侍女と出資先の服飾職人の工房が、彼女のために尽力はしたようですけどね」


 んん?

 なんですかそのお話し。

 わたし二人になにも言ってもさせてもいませんけれど?


「そうは仰っても、その首元。マリーベル様のレースと同じですよねえ」


 金髪巻き毛の腹黒美少年のシャルル様が、お茶のカップを傾けながら若干絡むような雰囲気でルイに言う。


「おや、私達はこれでも新婚ですよ」


 微笑みながら答えたルイは胸元に垂らしたレースを片手に掬い上げる様にして、うっとりとした眼差しで周囲を見回す。


「これくらいの惚気は許していただきたいですね。マリーベル?」


 わたしに見えない話を振らないで――っ!


 胸の内で叫んで、はっと気がついた。

 あのレース……もしかしてリンシャール産レースでは?

 わたしのと同じということはこのドレスに使われているレースも?

 まさか自分が身に纏う機会が来るなんて考えもしなかったから、いままでただ繊細なレースだと思っていたけれど、当たり前だ。

 王族御用達の高級レース地、それもわたしを養女として迎えた王妃様のご一族、南部大領地を治めるトゥール家の領内にその生産地がある。


 それに、ちょっと待って……トゥルーズは絹織物の産地でもある。

 このドレスに使われている絹地も、レースの下に重ねた薄絹の刺繍スカートも。


 お茶の杯を口元へ運びながらルイを見れば、それはそれはもう胡散臭い悪徳魔術師な微笑みを返ってきて確信した。

 間違いない。

 このドレスは彼の仕込みだ。

 だからこういうことはちゃんと言ってよって、何度もっ!

 あとで、あとで……覚えてなさいよと思いながら、にっこりとルイに微笑み返してわたしはお腹に力を込めてお茶の杯をテーブルに置いた。

  

「ええ、シャルル様。リンシャール産のレース地です。わたくしの養父様おとうさまの領地で生産されている、王族の方々も好んで使うレース地です。蜘蛛の糸と称される細い糸を幾本も絡めて編まれるものなのですよ」


 王妃様の侍女でその衣装の管理も仕事の内。

 ナタンさんの仮縫いも手伝って色々と教えてもらっているからいいものの。

 

「あら、でしたらそちらのドレスはまるでマリーベル様そのものですね」

「お披露目ですから、少々臆面がないようにも思いますけれど」


 流石は女官長……じゃなくて、貴族のご息女でもあるらしい統括官のクリスティーヌ様だ。

 トゥルーズは絹織物、服飾産業が生む利益が伸びている街だ。

 数年前まで良質な絹地は連合王国から入ってくるものが中心だったのを追い落とそうとしている。

 わたしは元々平民領主の娘でそれだけなら、統括官から見てルイの結婚相手としてはロタール領に益がないけれど、南部筆頭の貴族の一族の家が後ろ盾となっていてさらに服飾産業で手を結べるとなれば話は別だ。


「王都の社交に向けてよいものはできないかと」 


 ゆっくり、優雅にと唱えながら頬に手を当てて答える。

 このドレス……失敗したらきっと洒落にならない損失が出る――リュシーが当たり前のようにただ荷物の中に入れていたから、本当にまったく頓着していなかったけれど、高級なレース時は宝石同等の価値があるのだ。

 大体、ドレスのローブの絹地も薄絹のスカートだって特注に違いないし、施されている刺繍も、いまさら過ぎるけどナタンの新作ってだけでもう……。

 だめだ、普段着からなにからやたら良過ぎるものをルイから与えられて、金銭感覚が麻痺してきている。

 贅沢慣れしつつあるのが怖い。

 けれど流行を発信し、需要を作り、仕事と報酬を与えるといった意味で贅沢しないといけない立場ではあり悩ましい。

 昨日、これで街歩きしたのもその一環だ……。

 

「それに折角、皆さんとご挨拶できる機会でしたから、これから祝う春と夏をまといたいと考えまして」


 東部は四季の女神と精霊信仰が盛んと聞いた。

 四季の女神は、季節だけではなく方角も司っている。

 春の女神の方角は東。夏の女神の方角は南。

 トゥルーズは公爵領内にある東部の都。

 リンシャールは南部で最も有力なトゥール家の領内。

 東と南を結び、この春夏に向けて……需要と利益を生み出すもの。

 フォート家とトゥール家に縁のある地の素材を使ったドレスなんて、つい先日に養子縁組してルイと結婚したわたしだからこそ、作らせることができるのよと激しく主張しているのも同じ。


 臆面がないなんてものじゃないわ――。


 おまけにこのドレスは試作品で王都にはまだない。

 そんなのを着て、こうして集まった領内を運営する統括官の前でご挨拶するということはですよ。


『わたくし、これからこちらを王都の社交で流行らせようと思っています』


 なんて、

 めちゃくちゃ意欲的に提言しているのも同じ。

 折角、新参者として控えめにと思っていたのが、これでは真逆……ものすごく強気で、嫁いだ早々出しゃばってきた奥様じゃない。

 わたし……泣きたい。


「国産絹は王家の意向もあってのことだし、利があるなら乗ってもいいんじゃない?」

「では、北へは私がそれとなく噂の流れをつけましょう」

「なら、こちらは南との。運搬は同じ運河に乗せることになるのだから」

「絹糸の供給量は限りがある。品質維持を考えたら先に制限をかけておいた方がよいのでは」


 西の腹黒美少年は、商売っけもある性格のようだ。

 シャルル様の言葉に応じるように、北南中央の統括官が各々役割分担をはじめる。

 最後に、まったく……と諦めたようなため息を吐いて、東の、なんとなくルイに振り回されていそうな気がするムルト様が重々しく口を開いた。


「量産の心算をしておきましょう」


 えっと、なんだか……ごめんなさい。

 わたしがルイの企みにまんまと乗せられたばっかりに。

 統括官の皆さんのお仕事を増やしてますよね?

 でも、こんな下手したら婚礼衣装と同じくらい費用がかかっていそうなものを着れられては言い切るしかないじゃない。

 

 そう思いながら、自分を慰めるためにロザリーさんの焼菓子を手に取ろうとして、ふと自分の袖のきらきらした銀色に光る刺繍が目に入った。

 まるでルイの青味を増した瞳のような、少しくすんだ薄い青色に染められた絹地、細い縦線の地紋が入った……彼の髪と同じ銀糸の花刺繍。


「あ……」


 これ、春の祝いだ。

 春の女神は水の精霊を従える。花を象徴とする女神。

 生地全体に散らされた花、青と縦線の地紋で水を表現している。

 

 ――ああ、ということは貴女も……。

 ――とうとう、二十です。

 ――倍ではなくなりますね。結構。


 婚儀の支度に忙しくて、生まれ月だったことも忘れてたわと王都の邸宅でわたしがぼやいたことで、ルイとはお互い冬生まれだとわかったのだけど。

 出来ることを、出来るだけ。

 わたしの挨拶。

 わたしの貴族の奥方としての実地訓練。

 夏の社交を前にしての領主の、公爵の妻としての実績作り。

 そしてわたしの……冬生まれの、春の祝い。

 ひとつに色々、盛り込み過ぎる。

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