第24話 問いかけ
王妃様、王宮の皆様ご機嫌いかがでしょうか。
フォート家や魔術師のことを知り、大変な家に嫁いだ自分の貴族社会の立ち位置に目眩いがしそうになったと思ったら、精霊に攫われかけてそんなことは吹き飛んだりと。
なんだか目まぐるしくも色々なことがあった日から、早くも一週間が過ぎました。
魔術師曰く、丸三日眠っていたらしいわたしはその後更に三日は絶対安静と言い付けられて――。
「暇っ……暇すぎて気が狂いそうっ!!」
「ああっ、だめですっ! 大人しくお休みくださいっ、奥様ぁっ!」
がばりと掛布をはねのけて、寝台から起き上がろうとしたところをリュシーに上からのしかかるように止められる。
彼女のせいではないと何度も伝えたけれど、わたしが蔓バラ姫に攫われかけたのは自分がきちんと屋敷の護りのことを話していなかったためと思っているリュシーは、魔術師の言い付けを守ってわたしをしっかり見張っている。
起き上がるのはお風呂や食事の時くらい。
食事は部屋に運ばれ、一歩も室外に出ていない。
完全に療養中の病人同様の扱いで、私室に軟禁状態だった。
その間、魔術師はといえばほとんど彼の部屋で魔術研究に勤しんでいるとのことで、夜も自分の部屋に備え付けてある寝台で休んでいる。
けれど夜眠っている間、時折彼が様子を見にきているようにも思えた。
それがただの気のせいではないとはっきりしたのは昨日の夜。
『ん……、な……に……?』
閉じた瞼にぼんやりと感じた光に、うっすらと目を開ければわたしを覗き込んでいる魔術師の姿があった。
寝台の中が淡い銀色の光に満ちていて、わたしが目を覚ましたのに気がついた彼は微笑み、眠っていてくださいと額を優しい手つきで撫でた。
途端に眠くなって、待ってと思う。
『待っ……』
『あなたのその勘のいいところ嫌いじゃありませんが、いまはひとまず』
『ル……ぃ……』
あなた、まだわたしに沢山隠し事してる。
わたし知っているのよ、あなたの家系は……。
『フォート家って、少子短命で有名だから。先代も先々代も四十位で亡くなっていて』
王宮のナタンさんの言葉が頭の中に蘇る。
それに、あの蔓バラ姫と魔術師とのやりとり。
『ところで迎え入れた手順といいあなた本気で覆すつもり』
『ええ、私に限らず代々その為に研究してきたのですから』
「……」
「奥様?」
のしかかったリュシーを引き剥がして身を起こし、ベッドの上でわたしが黙り込んでいたからだろう。
怪訝そうにわたしの顔を伺い、首を傾げている彼女に気がついて口元に当てていた拳を外し勢いよく両腕を上げた。
「わっ!?」
「もう我慢できない! このままだと本当に病人になっちゃうっ!」
「奥様ぁっ!」
三日は経ったんだから着替えるわとベッドから降りれば、いけませんと声をかけてきたリュシーに、わたしは彼女の顔を真っ直ぐに見た。
リュシーがわたしのことを心配してくれているのはわかる。
けれど。
「リュシー、あなたは誰の侍女なの?」
「え、それはもちろん奥様です」
「だったら、ルイではなくわたしを優先して」
「でも……」
「わたしはこのとおりぴんぴんしているし、それでもルイの言いつけを守らなければならないとあなたが考えているのならその根拠を説明して」
リュシーはたしかにフォート家の使用人であるけれど、わたしの侍女なのだ。
そうであるなら彼女は彼女の判断で、わたしに仕えるのが彼女の務めである。
「だって旦那様が、奥様のお体はまだ心配だからって……」
「何故心配なの? その理由は彼に確認したの? その上でのあなたの判断なの?」
「それは……」
いいことリュシー、とわたしは彼女を諭す。
魔術師は悪い人じゃないけれど、世のすべての男性がそうであるわけではない。
それに妻を不当に扱う男性はいくらでもいる。
侍女は女主人に仕えるもの、そして――。
「わたしは王妃様にお仕えしていたけれど、もしも王様が王妃様を部屋に閉じ込めるというのならその理由を必ずお聞きするし、それが王様の身勝手で納得できないものであるのなら絶対に退ける」
「でもそれって……」
おずおずとそう呟いたリュシーにわたしは微笑む。
そう。それはもちろん場合によっては王様に逆らうことにもなる。
「それが王妃様の第一侍女の務めでもあるの。幸いにして王様はお優しいお方だったけれどね」
「だ、旦那様もお優しいお方です……っ」
「ええ、知ってるわ」
あの、お風呂ご用意しますと浴室へ早足に進んだリュシーにお願いねと言って、わたしは長椅子にかけてあったガウンを羽織った。
*****
もうそろそろリュシーでは難しいと思っていました――と、魔術師の部屋を訪れたわたしに彼はわたしに顔も向けず、彼の書物机の上の書物に目を落としたままそう言った。
「あなたは働き者ですからねぇ。まあいいですよ、屋敷の居住範囲から出ないのであれば」
「理由を聞かせて」
彼の部屋のドアを閉めて背を預け、尋ねる。
わたしが来ることがわかっていたような彼の態度だった。
「それはリュシーに言った通りです」
魔術師の返答に軽く息を吐いて、これまで薬草の束を運び入れる以外にはあまりまともに入ったことのない魔術師の部屋を見回す。
入ってすぐ、まるで食堂に置くテーブルのように広い台。その上には乾燥させた薬草や鉱石の粉などを入れた無数の瓶が置いてある。
ランプや丸く磨いた水晶や、金属で作った輪を組み合わせたようななにかの道具、レンズを嵌めた器具など用途がよくわからないもの。
なにかを書き記した無数の紙や古い書物が乱雑に置かれていて、背もたれのある椅子三脚と丸椅子二つが台を無造作に囲っている。
丸椅子は踏み台も兼ねているのだろう。
部屋の壁のほとんどは、天井まで届きそうに書棚か瓶や獣の皮や骨などを並べる整理棚で埋まっている。
透かし彫りの
魔術師がいる書物机は、寝台に寝そべって足がくる側に。
机に向かう魔術師が寝台に背を向ける形で備え付けてある。
「魔術というものは――」
黙って立っているわたしにようやく体ごと向き直って、魔術師は椅子の背もたれに左腕をかけた。
寝起きしてそのまま魔術研究をしていたのだろう、わたしが目が覚ました時に着ていたような室内着に、銀鼠色の艶のある毛織物のガウンを羽織った彼の姿だった。
相変わらず……無駄に綺麗な上にどこか悩ましい艶っぽさがあるけれど、いい加減、そんな姿も見慣れてきつつある。
“器量の悪い女も三晩過ごせば慣れる”なんて、女性に失礼な言葉が殿方の間にあるけれど、わたしに言わせれば美貌の貴人も近くにいれば慣れる、だ。
「正しい手順で使わなけれは大変危険です。私が貴女に施した対精霊用の魔術ですが、術そのものは仕込みは終えていたものの、発動機序を設定し終えていませんでした」
そもそもああいった大きな魔術を魔術師でもない人の中に本人に黙って仕込むのは大変に骨が折れる、その人の中で施した魔術が安定する時間もかかると言って彼は、わたしに台の周りにある椅子に座るよう手で促す。
魔術師の促しにしたがって、彼と斜向かいになる一番近くの椅子に腰掛けた。
ほとんど押し入ったも同然だったけれど、彼にわたしを追い出す気はなさそうだ。
「精霊の道での発動は本来のものではなく、暴走に近い。実際、貴女が眠っている間に確かめれば部分的に破綻していました。それは施された人に大変な負担を強います」
魔術師の言葉に、昨晩のあれかと思った。
寝台の中を淡く照らしていた銀色の光。
「そんな物騒なもの勝手に仕込まないで頂戴。それも中途半端に。このポンコツ魔術師!」
「ポンコツ……」
「やるならちゃんと仕込めっていうのよ。それにこの通りわたしは元気一杯健康そのものですっ」
唖然としたような表情を浮かべた魔術師にそう言い放って両手を広げ自分の状態を誇示するように胸を張る。
そのようなんですよねえと、魔術師は額から垂れ下がる髪を掴むように掻き上げてうなだれてから、椅子から立ち上がった。
「そんなことは普通ありえない。他でもない私の魔術であれば絶対に」
ゆっくりとした歩みでわたしの前まで来た彼はわたしを見下ろすと、何ヶ月も目が覚めないことになっても不思議ではないのですが……などと口にして、首を傾げた。
まったく――。
「本当に、なんて物騒なもの勝手に仕込んだのよっ! しかもちょっとご自分の探究心の方に傾いてるでしょ、その言い方っ!」
「蔓バラ姫が手を出すにしても、直接貴女を精霊の世界へ拐かそうとするなどと。それに蔓バラ姫にはああ言いましたが、あれが私の手を離れたあんな形で発動するとは完全に想定外だったんですよっ!」
思いがけず彼から強い反論の言葉に、少しだけ驚いた。
この常に計算づくで落ち着き払っているような人が……本当に想定外だったんだわと彼の顔を上目遣いに見詰めれば、眉間に皺を寄せて困惑に顔を歪めている。
「貴女一体、なんなのですか?」
「え?」
「施した魔術も、なんの素養もない人には有り得ないほど、短期間で精度の高い安定を……生身を器にしているというのに」
そう言って少しの間黙り込み、彼はわたしの顎先に指をかけて持ち上げる。
そうしてわたしの目の奥を覗き込みながら口を開いた。
「貴女、魔術に触れたことは? 私以外に」
「ないですけど?」
「よく考えてください。宮廷魔術師に密かにいたずらされたとかありません?」
「あるわけないでしょっ!」
まったく、なんて失礼なと彼の手を跳ね除ける。
そもそもわたしは行儀見習いで王宮に入っている。
貴族のお嬢様方と同じ王宮付女官だ。
王宮は広く、自由に行き来できる場所は身分や役目によって分けられている。
わたしがいた場所は、王族の方々がお過ごしになられる区画に近い。
「軍部の方との接点なんて、近衛騎士の方以外にはありません」
「ふむ。彼らの中にも魔術を扱う者はいますが、所詮は汎用魔術程度です」
宮廷魔術師は軍部に属する。
軍部の中でも、特殊な扱いをされている人たちだ。
彼らはとても高度な魔術を扱い、邪心があれば遠隔で危ない仕掛けも可能だから王宮内の行動やその運用には厳しい制限がある。
近づくどころか、大きな式典でも遠目に見かける以外にない。
「高度な魔術を扱える方と話したことなんて、あなたくらいしかないんですから」
「ですよねえ。まあ初夜の際にも確認済みですし」
「え?」
「万が一にもなにか施されているようなことがあれば許し難いですから、それはもう隅々まで調べ……ぐっ!?」
なにを言い出したかと思えばこの好色魔術師と、手ならぬ足を上げてしまった。
脇腹に触れている絹の室内履きの踵を戻しながらふんと腕を組む。
「暴力は止してください、マリーベル」
「知りません。大体そんな大げさに手で押さえるほどじゃないでしょう」
彼は見た目と違って結構鍛えられている。
それが証拠に蹴った足には固く締まった筋肉にぶつかった程度の感触しかなかった。全然効いていないはずだ。
「妻を心配する夫に対して冷たい」
「どう考えても心配より、あなたがわたしに施した魔術の具合や、こうしてわたしが普段通りでいることへの興味が強いようにお見受けしますが?」
「たしかに完全否定は出来ません」
出来ないの!?
「自分でそうと言っておいて、なにちょっと傷ついたみたいな顔をしているんです? 冗談ですよ」
「うっ」
「本来、素養のない人に高度な魔術の仕掛けに触れさせるのは避けるべきですがあなたは納得しないでしょうし。修復も発動機序も組み込んだのでまあいいでしょう」
こちらへと手を取られて部屋の奥、彼の寝台へと連れられて横になるよう指示される。
ドレスのスカートに皺がなるべく出来ないように仰向けに寝そべって胸元で手を組めば、大きな手に目を塞がれた。
「――……」
意味を理解できない、古語らしい言葉。
その低く静かで厳かな声音の響きに思わず耳を傾けてしまう。
まるでなにか遠い異国の美しい
耳に心地よく、うっとりと微睡みを誘うような魔術師の声に意識が遠きかけて、ぽうっと
いつの間にか閉じていた目を薄く開けば、目元を塞ぐ魔術師の手は外されていて、胸元で組み合わせた手の上に銀色の光で描かれた円が浮かんでいる。
「これは……?」
あの時、あの蔓バラに囲まれた通路で見たのと同じ。
まるで大小の歯車や部品が重なり合っている時計の中身のように、様々な緻密な文様が重なり合ってかたかたと動いている。
「貴女に危害を与えるあらゆるものを無効化し、危害を加えようとした相手に跳ね返す」
「無効……跳ね返す……」
蔓バラ姫に襲われた時を思い出す。
あの時、わたしに絡んだ蔓は崩れ散って、周囲の蔓や葉も退いた。
あれは消えたり退いたのじゃなく、蔓が伸びる前に跳ね返ったのかと考えながら銀の光を見つめる。
ものすごく綺麗で円の中になにか凝縮された秩序のようなものが詰まっているように感じられる……これが魔術?
「先日、蔓バラ姫が退いた通り古精霊にも有効なほど強力なものです」
「これを、わたしに……?」
仕込んだのかといった疑問に、魔術師は頷いた。
「あまり長い時間は貴女にも負担がかかるため持続しません。一定の強度を保てなくなったら終了し、消えるよう設定している。回数も……危害の程度によりますが二度防ぐのが限度でしょうね」
説明して魔術師は、問題なさそうだと呟くと組み合わせたわたしの手に彼の手を重ねる。
光は瞬時に消えた。
「私が側にいなくても差し迫った危機は一旦は回避できるはずです。発動されればすぐに私に伝わるし、魔力をたぐって居場所も追えます」
「ああ、だから……」
「どこにいようと、駆けつけます」
重ねられた手がわたしの手を握り、もう一方の手がわたしの頬に触れる。
気がつけば、寝台に身を乗り出している魔術師に半ば覆い被さられているのも同然になっていた。
わたしを見つめている彼との、距離が近い。
慌ててわたしは、彼に話しかける。
「と、とりあえずっ、もう物騒なものではなくなったってことで、い、いいのかしらっ」
「ええ」
「で、その……これはなに?」
「なに、とは?」
「も、もう説明いただいたので起き上がりたいのですが」
「そう言わず昼寝でも。先程は私の手で動かしましたが、多少、ほんのちょっぴりはあなたも消耗したでしょうし」
「いいえ。全然、全然平気ですっ!」
近い……。
この人の無駄に悩ましい容貌には慣れたけど、この隙あらば穏やかに迫りくる感じには慣れていない。
「ま、まだお昼間だし」
「そりゃ、昼寝ですからね」
ちょっと端に寄ってもらえませんかと頼まれて、あれっと内心思いながら彼に言われるまま場所を空ければそこにごろりと魔術師も横になった。
「昨晩はほぼ寝ていなくて……貴女を見ていたらなんだか眠くなってきました」
「はあ……ですか。でしたら、わたしは起きますからごゆっくり……って!」
横抱きに抱き寄せられて、抗えば貴女もご一緒にと奇妙なお誘いを受ける。
ご一緒にって……。
「わたし眠りすぎるほど寝てますけど。あなたがリュシーに言い付けたおかげで」
「それなら一刻程度増えたところで大して変わりないでしょう」
それとも眠りたくなるようなことをしてもと、首の後ろに触れた囁きに反射的に首を振る。
大体、眠いんじゃないのあなたは。
「ね、眠いのでしょっ!」
「ええまあ。残念ながら」
マリーベル。
促されるように呼ばれて背後の彼に少しだけ首を回せば、再び頬を彼の手に包まれて真上から見下ろされた。端に寄った意味がない。
そして同時に、尋ねるならいまだと思った。
「ルイ」
「はい」
わたし、知っているのよあなたの家系を。
少子短命のフォート家。
そして。
「歴代当主の妻が、夫より早く亡くなっているのはどうして?」
魔術師の、青みがかった灰色の眼差しが僅かに細くなる。
まるで、いつ尋ねてくるか待っていたともいうように。
彼の手がわたしの頬を撫ぜ、彼の唇が動く。
「それは――」
次に続く言葉を、わたしは黙って待った。
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