第22話 魔術師の加護

 魔術師は、言っていた――。


『嫌なら、心にかんぬきをかけることです。そうすれば読み取られません』

『魔術としては初歩中の初歩です。あなたなら教えるまでもありませんよ』


 心に閂……でも、心なんて形があるものではない。

 なんだろう閂って。

 門や戸が開かないように閉じるための……閉じる?


「そうよ、別にさっきみたいなら考えを読まれたっていい」


 読み取られてはいけないものだけはっきり頭に思い浮かべないように、考えの奥に戸を立てるようにしまってしまえば。

 意識していないと難しいけれど、王宮でお話しや指示を聞きながら同時に別の段取りを考えたり、考える意見を述べながら周囲の観察を同時にして気にかかることは心に留めたりしていたことに近い。

 深呼吸して、テーブルセットに腰掛けてどうやらわたしが来るのを待っているらしい蔓バラ姫に歩き出す。

 

「よく考えたら、喋らなくても会話が成り立つのだから便利だわ」


 座っている彼女の真正面に立って見下ろせば、蔓バラ姫はポットを取って自分のカップにお茶を注ぎながら、あらつまらないと呟いた。


「もう閂をかけることを覚えちゃったの?」

「魔術師に教えてもらっていたんです。解いてくれますね?」


 手の甲についた光る粉が風に吹かれてなくなるように消えていく。

 消えてから一度甲を撫でてありがとうと蔓バラ姫に言って彼女の正面にわたしは腰を下ろした。

 これでひとまず安心だ。


「お祝いってこのお茶?」

「ええ。だってお友達とはお茶会をするものでしょう?」

「それいまじゃなきゃだめ?」

「どういうこと?」

「わたしひとまず屋敷に戻りたいの。あなたから聞いたリュシーのこともあなたが弱らせた魔術師のことも気になる。それに黙ってここに来てしまったから屋敷の人たちに心配かけたくない」

「私は貴女ともう少しお喋りしたいわ。面白いもの」


 まあ想定の範囲内だけれど。

 やっぱりすんなり帰してはくれなさそう。


「ねえ、屋敷に戻って落ち着いたら、必ず蔓バラ姫をお茶会にお招きするから」

「それはいつ?」

「いつ……?」

「だって少し気をそらしているうちに、すぐいなくなってしまうじゃない。いまの“ヴァンサンの子”だって、少し前は赤子だったのにもうそろそろいなくなってしまう頃だし」


 時間の長さも違うのか。

 でも、そろそろいなくなるって。


「まだ、彼そんな歳じゃないわ」

「どうかしら……それよりお祝いをしたいのだけど」


 どうでもいいからそんなこと、と声を荒げそうになってぐっと抑えた。

 なんなの、そろそろって。

 でも精霊はどうやら時間の感覚も人間とは違うみたいだ。

 それにどうしてこんなにお祝いにこだわるのかしら。

 蔓バラ姫にお茶を差し出されて、受け取りながらいぶかしむ。

 この場所だって精霊と人間の世界の狭間らしいけれど、わたしからみたらどう考えても精霊の世界だ。

 リュシーも取り替えられた時にこんな場所を通ったのかしら。

 ほんの短い間らしいけれど、精霊の国で、精霊に育てられたリュシー。

 それで精霊の国の者になったから、人間の世界では長く生きられないなんて。

 人の側から考えたら、勝手にさらって間違えたからといって捨てたのに酷過ぎる。

 

「また悲しい顔をしているわ、マリーベル」

「あなたが帰らせてくれないからです。お祝いにそんなにこだわるのは何故?」

「だってお祝いしたいのだもの、あの子に完全に取られちゃわないうちに」

「は?」

「“ヴァンサンの子”の嫁なら盟約相手の私とも縁を持ったってことでしょう? 結婚で“縁がつながった”お祝いをしてお招きするわ」


 なにを……言っているの……?

 それって、わたしを――。


「折角、貴女たち人のものを真似て作ったのよ。お招きのためのお茶会」


 これを口にしてはだめだ!

 一度、持ち上げかけたカップを慌てて元に戻した。

 たぶん、きっと、それは彼女の“お招き”に同意したということになる。

 風もないのに周囲の蔓が、葉が、意志を持って動くようにざわざわと音を立て始めたのに、怖くて椅子に腰掛けている足が震える。


「あの子のことも好きだけど、あの子が好きな貴女とも仲良くしたいの、マリーベル」

「ちょっと待って、色々おかしいからそれっ」


 精霊と人間は違う。

 善悪とか常識とかそういった、ううん、もっと根本的ななにか。

 それはわかった、わかるけれどでもそれでもおかしい。


「魔術師のことが好きというのはわかる。好ましい魔術師が迎え入れたわたしもついでに好ましいというのもなんだか釈然としないけど、まあわかるわ。でも、何故そこでわたしを連れていくになるのっ!?」

「だってあの屋敷で、“ヴァンサンの子”の嫁はみんな悲しそうにするもの。なのに“ヴァンサンの子”は離さない。そうなる前になんとかしてあげたいって思っていたけれど、ちょっとの間ですぐそうなっちゃうのだもの。だから今度こそ忘れないようにって」


 なんだかもう、色々、わけがわからなさすぎる!!


「ご心配なくっ!!」

「え?」

「わたしあの人の妻だけど、そのうち妻じゃなくなる気満々ですからっ! あとその悲しそうって、あなたが勝手にそう思ってのことでしょう。そりゃ色々あるわよ短い間にあなた達精霊と比べたら」

「貴女の話していること、さっぱりわからない」


 その言葉そっくりお返ししたい。

 ああ、これはきっとこれ以上話してもお互い平行線だわ……。

 どうしよう。

 魔術師はどこかで弱っているみたいだし、わたしは魔術なんか知らないし、周囲の蔓はこちらに伸びてきているし。


「でももっとお話ししていたら、わかるようになるのかも」

「わ、わからないと思います……たぶん、きっと、永遠に」

「まあ、永遠なんて酷いことをいうのね、マリーベル」


 しゅるしゅると伸びてきた蔓がわたしを椅子に縛り付け、そして手首に巻きついた蔓がわたしの指とカップを固定し、腕を持ち上げて口元へカップを運ぼうとする。

 じわじわと伸びてくる蔓に、なんとなくそんな展開を予想はしていたけれど。

 こんな実力行使、冗談じゃない。


「こんなのお祝いじゃないわっ、離してっ……いやっ」

「どうして?」

「当たり前でしょう、こんな無理強い……んんっ」


 顎先にカップを押し付けるように手首を操られて、首を振って顔を背ける。

 冗談じゃない、本当にこんなの。

 本当に、なんなのよこれは、あの悪徳秘密主義魔術師!


「暴れないで頂戴」

「ちょっと、止めてよ……やっ、んっ……嫌ッ!!」


 やッ……ルイ――!


 唇を噛むようにぎゅっと口を閉じて、首を振りながら目を閉じた時だった。

 ビシッ、と。

 冬の乾燥した日にドアノブに触れた時のような、なにかに弾かれたような衝撃が手の先に走った。

 押し付けられていたカップが跳ねるように指から離れ、ガシャンと派手に割れた音を立てると同時に、閉じたまぶたの裏も真っ白に染めるような眩しい光を感じて、薄目を開ける。


「えっ!?」

「お前っ、それはっ……ヴァンサンの――ッ!?」

 

 驚きに満ちた蔓バラ姫の声を聞き、けれどすぐ目の前にいるはずの彼女の姿は光に遮られて見えない。

 銀色の光で描かれた、まるで時計の中身のような精緻な大小の歯車が重なり合う模様がカタカタと動く円が、わたしの持ち上がったままの手の指先を中心にして広がっている。

 

「な、に……?」


 指に絡んでいた蔓は崩れ散って跡形もない。 

 それどころか、光が、周囲の蔓や葉も退けている。

 

「信じられない! なんなのその緻密な加護の術は……っ」

「加護?」


 狼狽して叫んだ蔓バラ姫の言葉をわたしが繰り返したのとほぼ同時に、どこからともなく声が降ってきた


 ――なにしろ対精霊用ですから。仕込むのに半年近くかかりましたけどね。


「オドレイ」


 最初はなにかに遮られたようにくぐもった。

 次に聞こえた命じるような声は、明瞭かつ聞き覚えのある耳馴染みの良い低い声。

 同時にツバメのような素早さで目の前を横切った影が、テーブルごと蔓バラ姫のお祝いを吹っ飛ばした。

 なんて、荒っぽい……美しくも見事な飛び蹴り。

 そしてお祝いが吹っ飛ばされたと同時に、わたしの手から広がった銀色の光の円は消えた。


「ご無事ですか、奥様!」

「オドレイさん……っ!」

「禍々しい、竜の子っ」


 蔓バラ姫の声に、わたしを庇うように肩を支えたオドレイさんを見上げれば、彼女の目が赤い光を放っている。

 竜の虹彩。


「オドレイさんっ、目が!」

「大丈夫です。暴走してはおりません。腑抜けた旦那様を無理矢理起こし、奥様の探索に手間取りました。申し訳ありません」

「腑抜けって……」


 ざっと周囲の葉が巻き上がり、舞い散る葉の隙間に見慣れた紺色のローブが見えた。巻き上がった葉が渦を巻くようにやがてトンネルを作り、その向こうに遠く屋敷の庭が見える。

 そのトンネルを背に魔術師が姿を現す。

 何ヶ月も会っていなかったような、久しぶりにその姿を見た気分でオドレイさんに寄りかかったまま深く息を吐いてしまった。

 ゆっくりと進み出てきた魔術師はわたしとオドレイさんを後ろに、蔓バラ姫と向き合う位置に立った。

 弱っているとか腑抜けだとか聞いたけれど、特に普段と変わりない様子に見える。 


「“ヴァンサンの子”」

「ルイです。相変わらず代替わりの概念を覚えてくれない盟約相手ですねえ。守護精霊のくせに、蔓バラ姫」

「いちいち覚えちゃいられないわっ、会うたびに変わるのだもの」

「私の代で十数回くらいは会っているはずですよ。今日のところはお引き取りを。まだ彼女の加護は有効です。出会い頭から祝福と加護を模した術を織り上げて仕込んできた渾身の作ですからね」


 出会い頭から……仕込んできた?

 仕込む。

 自分の指先を見つめて、あっと声が漏れた。

 祝福といったらあの。


『あなたに限りない祝福を』


「あれっ!」

「はい?」

 

 振り向いた魔術師になんでもないと首を横に振れば、彼は再び蔓バラ姫に向き直る。

 蔓バラ姫は不服そうな表情で腕組みしていたけれど、まあどのみち今日は退散ねと肩をすくめた。

 

「てっきり倒れてると思ったのだけど」

「ええ、緊急措置で彼女の竜の血を使うくらいには、本気で眠り落ちそうになりましたよ」

「本当、忌々しいわね。守護精霊がいるのに魔物にも頼るなんて」

「盟約は複数と結んでいます。もちろん貴女は尊重すべき相手ですが、家の者に危害を加えるとなれば別です」

「別に危害なんて加えていないわ」

「なっ……!?」


 さっきのいままで思い切り加えようとしていたでしょうと言いかけて、再び振り返った魔術師に口元に人差し指を当てて黙るように指示され、ひとまず口をつぐむ。

 状況的に魔術師の指示は守ったほうが得策に決まっている。

 彼はこの手の専門家だ。


「勿論、そうでしょうとも。貴女は慈悲深い。私たちを休ませてくれることと信じますよ。それに私は……歴代当主と同じ轍は踏まないつもりです」

「これまで誰も出来なかったのに? 迎え入れた手順といい本気で覆すつもりなの?」

「ええ、私に限らず代々その為に研究してきたのですから」

「そう。お前がそれを望むのならがんばりなさい、“ヴァンサンの子”」


 蔓がざわめき再び葉が舞い上がる。

 華やかなドレスの後ろ姿を徐々に朧げに揺らめかせて、蔓バラ姫は姿を消した。

 やれやれと魔術師がため息を吐く。


「ルイだと……いいですけどね、精霊に名を覚えられても厄介なだけですから」

「えっと」

「私に言いたいことは色々とあるでしょうが、ものすごく疲れています。ひとまず帰りましょうマリーベル」


 こちらを振り返りもせず、フォート家の庭が見えるトンネルへと歩いていく魔術師の背中をしばらく見つめていたけれど、オドレイさんに「奥様」と、促されて歩き出す。

 言いたいこと。

 色々ありすぎて、なにからどう言うべきかもまとまらない。

 なんだか頭がぼんやりとして、全身がひどく気怠かった。

 もしかすると気が抜けたのかもしれない。

 トンネルを抜けて、ああフォート家の庭だわと思った途端、わたしは気を失った。

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