第21話 蔓バラ姫

 リュシーはわたしの後を追ったらしい。

 蔓バラのトンネルを抜けて、少し歩いた庭木の影になった場所に茎を切ったばかりの花が束になって落ちていて、わたしの姿はどこにも見えなかったそうだ――。


*****


 見間違いや勘違いではなかった。

 蔓バラのトンネルを出てすぐの植木の影に、鮮やかな紅色のドレスを着た令嬢が佇んでいた。

 結わずに下ろした波打つ金髪の優雅な後ろ姿。


「あの……」

「結婚したって聞いたからお祝いしたいだけと言っているのに、何度言ってもなかなか会わせてくれないのだもの」

「何度も……?」


 声をかけたわたしに、挨拶もなくそう言った彼女の言葉を聞いて眉根が寄るのが自分でもわかった。

 結婚してから、何度もって……もしかして頻繁に外出していた間に?


「そう、何度も。結局こうして出向くのにひと月を越えちゃったわ。私は“蔓バラ姫”。はじめまして、お嬢さん」

 

 ――やっぱり、あいじ……。


 脳裏でそう呟きかけた言葉は振り向いた彼女と顔を合わせて、途中で消えてしまった。

 真珠色の肌。

 バラ色の頬。

 夢見るような微笑みに細められる、暁色を湛えた瞳のない目――!

 この人。

 人じゃ、ない?

 呆然と言葉を返すことも出来ないでいるわたしに、くすりと彼女は笑んだ。

 時折吹く風が、冬枯れの庭に残る葉や常緑樹の枝を揺らし、ざわりと音を立てる。

 風の音の中に、クスクスクス……と。

 少し高慢な響きの、茶化すような笑い声が混じる。


「それにしても、随分と可愛らしいのを選んだのね」


 “蔓バラ姫”と名乗った彼女は、わたしのつま先から頭のてっぺんまで眺めるように前屈みに上半身を動かした。

 瞳がないから、いまひとつその焦点はわからないけれど。


「ま、どうでもよいことだけれど。歓迎するわ、“ヴァンサンの子”の嫁」 


 そして彼女は、不躾な視線を感じる間もどう対応したものか迷っていたわたしの右手を取ると、意味不明な言葉を高飛車な調子で言い放って歩き始めた。

 リュシーから受け取った花の束が、腕から滑り落ちてぱさりと地面に落ちる。


「え、あの……ちょっとっ!?」


 わたしの手を引いて歩き始めた彼女への困惑し、狼狽ろうばいの声を上げた途端、突然変わった周囲の色彩にえっとわたしは目を見開いた。


「なに、これ……」


 幾本もの絡まる蔓、濃い緑の葉が周囲にぐるりと茂り、きらきらと虹色の光を放っている。

 慌てて振り返れば、フォート家の庭も屋敷も跡形もなく、どこまでも果てしなく同じ景色だけが続いているばかり。


 なに。

 なんなの、どこなのここ……屋敷、庭は?!


「こっちよ」

「やっ、こっちよじゃなくて……ちょっと待ってっ!」


 ずんずんとわたしの手を引いて進んでいく金髪に隠れた背に叫ぶように言って、わたしは足止めると緑の葉が敷き詰められた地面に踏ん張った。

 それでもまだ引きずられそうになる。

 蔓バラ姫なんて名前や優雅な姿に似合わず、意外に力強い。


「なによ」

「なにって、ここは一体どこ!? そもそもあなた一体何者!? わたしをどうするつもり!?」

「いやだ、あなた。本当になにも聞いていないの?」

「え?」

「ふうん。でもまあ嫁は、嫁のようだけれど」


 暁の空を切って嵌め込んだような目を細める彼女の物言いは、一方的で、なんだか人の気に障る言い方だった。

 大体、嫁は嫁ってどういうことよ。

 なにがなにやら、さっぱり事情がわからない。

 けれど彼女の言葉から察するに、魔術師は事情を知っているようだ。

 やっぱりなにか隠していることがあるのねと、それぞれへの苛立ちを抱えながら、蔓バラ姫の手をやや強引に振り払う。

 しばらくわたしを眺めるような様子を見せて、彼女は肩をすくめた。


「神々と精霊の祝福の下に婚姻の契約」

「はい?」

「祝いの夜を無事に越えた次の夜。所縁ゆかりの地で夫婦の契り。最初の夜から随分日が経つのに、やけにあの子の気配が濃いわねえ」


 あのぉ……と。

 わたしは、首を傾げる蔓バラ姫に声をかけた。

 仰っていることが、まったくもって意味不明なのですけれど?


「あなた相当色々された?」

「なっ……っ!!」

「あら、耳まで真っ赤になってどうしたの?」


 どうしたの、じゃない。

 最初の夜って、あれよね。

 相当色々されたってどういうこと!?

 あれって、ああいったのが普通じゃないの?


「怖い顔」


 熱くなった頬を両手で挟み、あわあわと口元をただ動かすことしかできずにいたら、くすくすと完全に揶揄からかっているとわかる笑い声に、つい彼女を睨みつけてしまった。 


「まあいいわ。そんなことより、私、あなたのお祝いに来たのよ。ほら」


 蔓バラ姫がわたしを引っ張っていた方向。

 彼女が腕を伸ばして示すのを目で追えば、色とりどりのバラが咲き乱れる小さな庭のようになった場所にテーブルセットとお茶の用意がされていた。


「あなたは“ヴァンサンの子”のお嫁さんだもの、仲良くしたいわ」


 キラキラと輝くような白いお皿も、濃淡の薔薇色を重ねたテーブルクロスも、緑の蔓を編んで作られたような葉っぱのモチーフがあしらわれた華奢なテーブルや椅子も素敵だけれど……。

 

「はあ。その、ヴァンサンの子って……」

「なあに?」


 聞き返そうとして、気がついた。

 魔術師の名前に含まれている名だ。


 ルイ・メナージュ・“ヴァンサン”・ラ・フォート。


 彼は、王国以前から続く古い貴族の生まれだ。

 大体こういった間に入っている名前は、お祖父様とか祖先所縁の氏族の名前で、その子っていうからにはその血筋ということだろうけど。

 

『あらゆる精霊の加護を受けているとかいないとか……なんて私の話を聞いたことは?』


 不意に、彼の言葉が脳裏に甦った。


『正確には私ではなくフォート家です。そして加護ではなくて盟約』


 最強の魔術師――フォート家の先祖が人外の存在そのものを魔術の道具とする取り決めを交わし、肉体の限界さえなければほぼ無限に魔力を使えることで成り立っている。

 わたしはそろりと二、三歩後ずさった。


「あら、どうしたの?」


 これって、もしかしなくてもなにかに……巻き込まれかけている? 

 なにかあるなら言っておいてよ、愛人よりも対処に困る。

 相手は人じゃない。

 たぶん、精霊だ。

 確証はないけれど、直感的にそう思った。

 大抵それは赤子や幼子だけれど、精霊が人を攫う時は彼らの使う道へ誘うという。


「ええっと、確認したいことが……」

 

 ここって、わたしひとりで帰れる場所なの?

 お祝いなんて言っているけれど、お伽話や言い伝えでも精霊のお祝いが人にとってのお祝いになることなんてごくわずか。

 どちらかといえば、いばらの森の中に運命の王がやってくるまで眠りにつくとか半分呪いみたいなものの話が多い。

 彼らに悪気はないけれど、人とはあまりに違いすぎる。


「なあに?」

「ここはどこですか?」

「どこ?」

「はい」

「どこ……そうねえ」


 どこ……ねえ、と顎に指を立てて悩みだした蔓バラ姫になんなのと顔をしかめてしまう。

 

「もしかして……わからない?」

「そ、そんなわけないでしょうっ! 精霊の国と人間の国の狭間だけれど、どこって聞かれたら名前もないし場所も定まらないから答えようがないってだけよっ。貴女の尋ね方が悪いのよ、“ヴァンサンの子”の嫁!」

「なっ、それって言い掛かりじゃ。大体さっきから“ヴァンサンの子”の嫁、“ヴァンサンの子”の嫁ってわたしは――」


 名乗りかけて、ちょっと待ってと頭の中で自分自身の制止が入る。

 たしか、名前は結構重要だったはず。


『まさかフルネームで私の名前を仰ってくださるとは。これは魔術的にも立派な契約ですよ、マリーベル』


「わたしは、なに?」

「わた~しは……えっと」

「そういえば、あなたの名前聞いていなかったわ」


 にっこり、と。

 それこそ花が咲くような蔓バラ姫の微笑みに、ものすごく嫌な既視感を覚える。

 この華やかで人畜無害そうな微笑みはまさしく。

 悪徳魔術師の微笑みと同じ――!

 

「えっと、マリーベルとお呼びください」


 ドレスのスカートをつまんで腰を落とし、王宮の王族の方に向けるようなお辞儀をすれば、蔓バラ姫が呆気に取られた気配を感じた。

 よしっ、とわたしは姿勢を正す。


「恐れながら、精霊とお見受けしました」

「ええ、そうよ」


 こうなったら。

 とっても高位な方に絡まれた際に時折使っていた、相手に恭しく接しつつも「わたくしめのような下々の者のことなど、お気になさらないでください」対応で乗り切るしかない!


「お目にかかれて光栄です」


 もっと魔術師に色々聞いておけばよかった。

 夫婦の会話大事って、結婚後に夜会の場で再会した行儀見習いの同期のご令嬢が言っていたのはこういったことなのかしら……会話もなにも、あの人、家に全然いないけれど。


「なにも知らないものですから驚いてしまって、失礼な態度を蔓バラ姫様」


 とにかく。

 このフォート家といわくありげな精霊のご機嫌を損ねずに、穏便にここから屋敷に帰してもらうなり、帰る手立てを聞き出すなりしないと。


「あら、いいのよ別にそんなの。それに蔓バラ姫でいいわ、マリーベル」


 よし、名前のことはひとまず済んだみたいとほっと胸を撫で下ろす。

 マリーベルなんて名前、他の人もいる。

 書類と同じできっと正式な名前が問題になるのに違いない。

 魔術師はいま留守だ。

 リュシーか誰か、わたしが屋敷からいなくなっている異変に気がついてくれているといいけれど。

 広い屋敷だからわたしがどこか見に行ったと思いませんように。

 すぐに気が付いてくれても、フェリシアンさんから魔術師に知らせが伝わるには時間がかかる。


「はい、恐れ入ります。蔓バラ姫」 


 だけど魔術師に知らせが届いたとして探せるの?

 ここは精霊と人間の世界の間で、場所は定まらない。

 精霊の取り替え子にあった子供は、まず探せないって聞いたこともある。

 だとしたら、自力でなんとかするしか。

 なんとか……できるのかしら?

 だって、こう言っちゃなんだけど魔術師だって相当油断ならない人なのに。

 精霊、なんて。

 

「でも、リュシーみたいな子だっているわけだし……」

「リュシー?」

「あ、いえ、わたしの侍女で……黙ってここにきてしまったから心配してるのじゃないかしらって」

「それって、もしかしてあなたと一緒にいたあの取り替え子? よく精霊の国を逃げ出して人間の国なんかで生きていられるわよねえ」

「生きて? それってどういうこと?」

「ああ、あなたなにも知らないのよね。一度、精霊の国の者になった人間が元に戻れるわけがないじゃない」


 クスクスとおかしそうに笑う蔓バラ姫の姿に、一瞬ぞくりと背筋が寒くなるようなふるえを覚えた。

 それは人ではないものとの隔たり、違和感。

 フォート家の使用人は人外に縁の者が多いけれど、そんなものは感じなかった。

 魔術師がいう通り、やはり彼らは人の側だ。


「当たり前じゃない、彼等は人だもの」

「え!?」


 あらやだ、と蔓バラ姫は肩をすくめた。

 まるで悪戯がばれた子供のような様子に、ふと思い当たって彼女に掴まれた手の甲を見れば、なにかちらちらと光る粉のようなものがついている。

 もう一方の手で払っても取れない。

 これって。

 

「人間は油断ならないもの。丁寧な挨拶をしながら、私の機嫌を取って帰ろうなんて考えていたりするし」


 考えを、読まれてる。


「それにしてもあなた、そんなものまで見えるの?」

「え?」

「ふうん、今度の嫁は面白い子のようね」


 なんなの。

 ううん、そんなことよりリュシーが元には戻れないってどういう意味?


「普通ならそのうち弱って死んじゃうわ。だって一度精霊に育てられた精霊じゃない精霊の子よ。人間の世界でまともに育つはずないじゃない。まああの屋敷にいるから元気なんでしょうけど」

「それって、つまり」

「あの子はあの屋敷でなければ長くは生きられない。あら、どうしてそんな驚いた悲しい顔をするのマリーベル?」

「どうしてって」

「外に出たらすぐ死んじゃうわけでもないし、あの屋敷に暮らしていれば生きられる。あの子はあそこを嫌がっている? それにちょっとなにかが違うってだけで同族を酷い目に遭わせる外の人間の世界で幸せになんて暮らせるの?」

「それは……」


 人は条件さえ揃えば、まるでそうすることが正しい行いであるかのように人に対し残酷なことが出来るものだと言っていた、魔術師の言葉を思い出す。

 たしかに。

 詳しくは知らないけれど、フォート家の使用人の人達はあの家に来る前は辛い思いをしていたことが多いとは聞いている。

 

「そう。人間は油断ならない。けれどあの屋敷は人間の世界も精霊の世界からも干渉が出来ないよう何重にも鍵がかかっている箱みたいなものだもの」


 何重にも鍵のかかった箱。

 そういえば、屋敷が一番安全だって魔術師も――。

 

「大変なのよ。特に入口の鍵はあの子の術が織り込んであって、その外に出されるとあの子を弱らせて鍵を破らないことには入れないし。盟約を結んだ守護精霊を追い出すなんて酷いでしょう」

「いま……なんて……」


 弱らせるって、魔術師を?

 蔓バラ姫が屋敷にいたということは、いま魔術師は……。


「いやね、人間ってすぐ野蛮なこと考えて。だから少し弱らせただけよ」

「弱らせるってどうやって、どういうこと!?」

「人間は、私達ほど力を振るい続けることはできない。あの子は人の子の魔術師だもの、だから皆に言ってあちこちでお祝いしてあげただけ」


 お祝いって、まさかここ最近領内で色々な事が起きていたのは。

 ちょっとしたお祭りみたいなもの、そろそろ静まると魔術師は言っていたけれど。

 

「だって祝い事にも盟約相手を近寄らせないって腹立つじゃない?」

「そんなことで……」

 

 家を壊された人や、土地を荒らされ、水が使えなくなったり、危なくて外に出られなくなった人たちがたくさんいる。

 怪我をした人だって。

 魔術師が魔術で対処しているけれど、魔術はタダでは出来ない。

 連日方々へ出向いて、たまに顔を合わせれば疲労の影がその顔に出ていた。

 休んでいるとは言っていたし、あの人は嘘は吐けないけれど……。


「そうなのよ。あの子ったらなかなか倒れないのよね。飽きてきてもうどうでもいいわって思ったら、入口の鍵が緩んだものだから来たの。あの子は私達を避けようとするけれど、私はあの子が好きだもの」


 好き? どこが……?

 なんて迷惑な。


「あら、随分じゃない。私達はいつだって親しい善き隣人のつもりでいるのに」

「そういえば、考えを読まれてたんだった」


 つい普通に会話していた気でいたけれど。

 魔術師にも一度やられたことがある。

 あの時は、父様もいる席で話すわたしの本当のところも知りたいから……って、こうして考えているのも蔓バラ姫には筒抜けなわけよね。 

 ふふっと軽く笑いながらくるりとわたしに背を向けて、テーブルセットに向かって歩き始めた蔓バラ姫に思わずため息が出る。

 リュシーのことも、彼女のことを知っているに違いない魔術師がいまどうなっているのかも気がかりだけど、とにかくいまはこの状況をなんとかすることが先。


「それに、なんだかちょっとわかってきたわ」


 魔術師はなにも話していないわけではない。

 最低限のことは折にふれて、わたしに伝えてくれていた。

 少なくとも、万一の時に、わたしだけでもなんとか対処ができるくらいのことは。


「わかりにくいのよ。あの悪徳……捻くれ魔術師」

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