第17話 新妻の朝

 眩しい……。

 大きな窓から差し込む光に身じろぎしながら、手を額に、わずかに目を開く。


 ――お目覚めですか、奥様。


 まるで朝焼けのように鮮やかな黄色がかった赤い鉄錆色ルイユの眼差しがにっこりと微笑む。

 控えめに左右の一筋を取って結い上げ、後ろは下ろしている髪の色も同じ。

 天蓋布を両手で持って開いている使用人の少女。


 彼女はリュシー・ウゥ。

 フォート家の小間使いで、いまはわたし付の侍女。

 その珍しい瞳と髪の色は元々の彼女の色じゃない。

 元は両方共、栗色であったらしい。

 

「……おはよう、リュシー。その奥様というのは止めてほしいのだけど……」

「ええっ、でも奥様は奥様ですからぁっ!」


 少々舌足らずなあどけなさを残す声が、まだ眠気の残るぼんやりしたわたしの耳に響いて、うーんと目を閉じる。

  

「はぁ、奥様付き侍女……って、いい響きじゃないですかぁ。憧れだったんです、侍女」

 

 上半身を起こし、すぐ側で両手を組んで目をきらきらさせている、まだ十四歳の少女だ。冬生まれなので、まもなく十五歳になるらしい。


「奥様って呼ばなくても、奥様付侍女というのには変わりないから……」

「えっそうなんですか?! マリーベル様付き侍女になっちゃうのでは!?」


 ならないから、と苦笑して寝台ベッドを降りた。

 お湯をご用意しますね、とリュシーが浴室へと向かう。

 朝日を受けた髪が、まるでお守り石の炎色オパールのように輝いている。


「慌てなくていいから、リュシー」


 彼女は、“精霊と人間の入れ替え子”。

 可愛い美しいもの好きな精霊が、時に人間の子供と彼等の子供を入れ替える。

 そんなちょっと恐ろしいお伽話として語られる迷信を信じ、生まれたばかりの自分の子と同時期に生まれた使用人の子を、本来は自分の子の寝床に寝かせる貴族の家がたまにある。

 そして迷信ではなくリュシーは身代わりに攫われ、しばらくして目当ての赤子と違うと気が付いた精霊に彼等の居場所から放り出された。

 戻ってはきたけれど、一度、精霊に愛しまれたことで外見が変わってしまった娘を彼女の両親は受け入れることができなかった。

 さすがに気の毒に思った彼らの主である貴族が魔術師に相談し、リュシーはフォート家の使用人として引き取られた。

 あまりに小さい頃の話で、両親の記憶も朧げだからか本人はさほど気にしてないらしく、元気いっぱいな明るい子だ。


「支度できました」


 本来、お湯の準備は大変だけど、魔術師が作る、純度の高い固形燃料があるからすぐだ。太陽の光を集めて結晶化した魔術具は、薄い茜色の鉱石のようだけれど軽く衝撃を与えると発光発熱する。

 浴室は、大理石の浴槽を備える立派なもので、大量の水を人手をかけて運ばなくて済むように注水と排水のための管が屋敷をめぐって取り付けられている。

 その管の中に、固形燃料の結晶を入れる場所があり、その熱でお湯が出る仕組みになっていた。

 わたしの侍女を魔術師に任せられ、はりきっているらしいリュシーが王宮の行儀見習い入りたての頃の自分を見るようで少し微笑ましい。

 魔術師にはなにか考えるところがあるのだろう、そんな侍女には若過ぎるリュシーを任せられたのはたぶんわたしの側だ。


 魔術師……か。


 どうやら、今朝も屋敷に戻ってはいないらしい。

 最初の夜が明けた朝、どこかへ出掛けてしまったきり二晩が過ぎている。

 夫は、夫の部屋と寝室を持つけれど、通常は妻の寝室を主寝室として休む。

 魔術師の部屋は、この部屋と同じ廊下にある。

 戻ったなら、真っ先にリュシーがそのことを伝えてくれるはず。


「まあ、帰ってきたらきたで。どんな顔して会えばいいのか、わからないからいいけど」


 ぼそりと口の中でそう呟いて、窓の外を見ながらため息を吐く。

 いいお天気だ。外は冬の寒さだけれど陽がさせば室内は暖かい。

 ぼんやりと、わたしは使っている主寝室を眺める。

 部屋は広く、ほぼ真四角で、淡い青に明るい金色で統一されている。

 支柱の細工も見事な、広い箱型の寝台の天蓋や掛け布。

 浴室を仕切る衝立やカーテン、椅子に張られた布まで。

 淡い青に金の草花模様を織物で揃えられ、落ち着きのある華やかさだった。

 

「王宮で働いていなかったら物怖じしちゃったかも……」


 入口から進んだ場所に、象嵌細工で二色の正方形を交互にチェス盤のような模様を施した細く優美な雰囲気の華奢なテーブルと布張りの椅子。

 テーブルから数歩奥に窓のある壁に接して寝台、少し離れて浴室側との境に暖炉があり、大きな鏡を嵌め込んだマントルピースの上に水晶で作られた水盤に白いクリスマスローズの花が散らすよう活けられている。

 暖炉のそばに立てられた衝立の向こうは浴室で、そこから衣装部屋と続き間になっている。

 寝台がある側の左奥の角に嵌め込むように書棚があり、革張りの製本された本が隙間なく収まっていた。

 浴室とは反対側の部屋の境は、私の私室とつながっている。

 使っていない箇所は寂れるままに放置しているけれど、そこは公爵家。

 使っている場所は素晴らしく豪奢だけれど、全体的に落ち着いた淡い色合いに彩られた静かな佇まいに不思議と寛げた。

  

「やっぱりお寂しいのですねっ、奥様!」

「は?」


 突然、掛けられた言葉にわたしは首を傾げた。 


「朝から、外を眺めてため息を吐かれるなんて……」


 お湯の温度を加減する水差しを抱えて嘆いたリュシーに、そうじゃないと首を横に振ったけれど、「いいえ、リュシーにはわかりますっ」と声を上げた彼女に二度目のため息が出た。

 どうやら彼女の中でわたしは、魔術師との身分を越えた大恋愛の末、彼の為に王宮の華やかな生活を捨てて辺境の地にやってきた健気な奥様となっているようで――。


「初夜も明けた朝早くに花嫁を置いてどこかに行ってしまうなんて、旦那様ったらいくらお仕事だからって酷過ぎますっ!」

「あ、いや……それは別に」

「奥様、夫の躾は最初が肝心と言いますっ。やることやったらいいってもんじゃないっていうのに、まったくもうっ」

「なっ! そ、そういうこと淑女は言ってはだめっ」

「奥様ったら、なんて可愛らしい」


 なんだか少々耳年増なことを言っているけれど、まだ十四歳。

 その意味はわかっていなさそう。

 わたしだって……わかっていなかった。

 それにそもそも、大恋愛などしていないし。

 なのに……。

 

「……二度と、寝室に入れない。あの大悪徳好色魔術師」

「え?」

「なんでもないの。折角、用意してくれたお湯が冷めちゃうわね」


 言いながら浴室に向かう。

 魔術の話の時はいいのだけれど。

 それこそ王妃様のように彼と友人付き合いであったなら、それなりに好感も持てたのかもしれない。

 しかし残念ながら、彼は結婚相手。

 それもかなり強引に押し切られた結婚だ。

 平民領主の娘と公爵なんて組み合わせ自体、普通は有り得ない。

 それなのに諸々の障害となるもの排除され、こちらはそれに向き合っていくのがやっとでもがいているうちに、気が付いたら人妻になってしまっている始末。

 名実共に。

 そう、名実共にっ!

 甘くうっとりするような結婚を夢見る乙女心や憧れなんて、あの悪徳魔術師のおかげで綺麗さっぱり――ええもう、本当に綺麗さっぱり。 


『大丈夫、貴女の心は貴女のものです。なにも変わりはしません』


 不意に耳元に熱い吐息と共に囁かれた、魔術師の言葉が甦る。

 胸の奥がじんと甘く痺れるような、不可解な感覚に思わず柔らかな白くレースに飾られた薄い寝巻きの胸元をきゅっと掴んだ。

 たしかに……彼の言う通り。

 なにも変わらない。

 体に残された痛みや違和感ですらもう薄れつつある。

 それがなんだか心許ないように思えてしまうのは何故だろう。


「奥様……?」

 

 湯気の立つ浴槽を前にぼんやり立っているわたしをいぶかしんで声をかけてきたリュシーに、頭を振りながら寝巻きの前を閉じる紐の結び目が濡れて固くならないように緩める。

 フォート家で過ごした最初の夜は、あの人の意地の悪さと悪徳魔術師ぶりを再認識した夜になった。

 同時に四十手前の美中年の横暴なまでの艶めかしさ、無駄な色気の威力を思い知った夜でもある。

 顔がいいのも考えものだわ……と、胸の内でぼやきながらそっとわたしは片足の爪先をお湯の中に沈めた。

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