第15話 森の中の屋敷

 馬車という、動く密室での長時間移動は心配していたほど気詰まりなものではなかった。

 移動中のほとんどの時間、魔術師は眠っていたから。

 窓に頬杖をついて魔術師はまたうたた寝している。

 いくら徹夜で疲れてるからってそんなに眠れるものかしらと、彼を眺めているうちにわたしも眠ってしまったらしい。

 ふと気が付いて目を覚ませば、もう陽は沈みかけ、周囲は鬱蒼うっそうとした森の中だった。

 森の中にしては不思議と馬車の揺れが少ない。

 わたしの正面に腰掛けている魔術師はまだ夢の中のようで、そのことに少しほっと安堵しつつ狭い馬車のなかで彼の体にぶつからないよう気を付けながら、うんっと上に腕を伸ばし首を左右に動かす。

 眠り足りなさは解消され、風景をただ眺めるばかりでぼんやりしていた頭も随分すっきりしていた。

 それにしても魔術師は本当によく寝ている。ほとんど丸一日だ。


「こんなに眠って、夜きちんと寝られるのかしら?」

「ん……まあそれなりに眠れるのではないですか」


 わたしの疑問に答えた魔術師に少しばかり驚いてしまった。

 眠っているとばかり思っていた。

 起きていたの、とわたしが姿勢を直せば、寝たり起きたりうとうとと……と気怠げな声で彼は答えた。

 わたしとまったく同じに腕を伸ばし首を動かしたものだから、なんだか妙な気まずさを一人覚える。


「途中、貴女の可愛らしい寝顔を眺めたりも」

「……」

「貴女だって人の顔をまじまじと眺めていたでしょう、おあいこです」

「……」


 黙っていればそれはそれは麗しいお姿が真正面にあって、見るなというのが無理だ。

 認めるのは癪だけれど、落ち着いて眺めればたしかに魔術師は観賞に堪える美貌の主だ。今更ながら、王宮で一部の女性達が密かにはなやいでいたのもわかる気がする。

 

「若干、腹立つような気もするのだけど……」

「ん?」


 四十手前の男性なのに、どうしてそんなきめ細かなすべすべの色白肌で睫毛も長くて、髪もさらさらのつやつやで綺麗なのかと思うと……魔術師だから若返りの術でも使っているのかしら?


「なにを睨んでいるのですか」

「別に。それより、日暮れには着くとか言っていませんでしたか?」


 ちらりと外へ目を向けて、平然と「着いていますよ」と答えた魔術師に思わず眉根を寄せてしまう。

 窓の外はうたた寝する前よりも鬱蒼とした暗い森の中だ。


「寝ぼけてます?」

「いいえ。“竜の棲む森”なんて呼ばれていますが、この森は屋敷の敷地の一部です」

「は?」

「モンフォール伯の屋敷の庭だって広かったでしょう?」

「え……その、まあ……それはそうですけど……」


 わたしが目を覚ました時にはもう森の中だった。

 それにもう結構、日が傾いてますよね?

 時間と馬車の速度で距離を考えたら、庭というには広すぎるのでは?


「その証拠にあまり揺れないでしょう? 敷地内は道を整えてますから。彼等にも我々との区切りが示せる」

「彼等?」

「竜です。森を抜ければ屋敷です」

「竜……」


 あれ?

 たしか、“竜を従える魔術師”の竜は。


「竜は……オドレイさんって」

「ええ、従えているのは。従えていない竜もいるというだけです」


 従えていない竜って、あの竜よね……たぶん。

 人間ではなく。

 この、森に?

 

 凝った首をほぐすように首の後ろに手を回しながら説明した魔術師を、わたしは見る。

 暢気な様子で肩を後ろに上下させたり動かしている。

 あれだけ眠り続けていたら全身あちこち凝ってもいそうで、動かしたくなるのもわかるけれど――従えていない竜がいる森の中にいて、この緊張感のなさはなに!?

 そう思ったのが顔に出ていたのだろう、魔術師はわたしを見て言葉足らずでしたと肩や腕を動かすのを止めて落ち着いたように息を吐いた。


「道にはきません。彼らはフォート家の盟約相手です」

「盟約相手?」

「あらゆる精霊の加護を受けているとかいないとか……なんて私の話を聞いたことは?」

「あります」


 魔術師にまつわる噂の一つ。

 ふっと、暗さの濃さが変化する。

 日暮れの薄紫を青黒くかげらせていた木々の影が途絶えて、淡い薄明かりに移り変わる。

 森を抜け、広々とした野に出る。


「正確には私ではなくフォート家です。そして加護ではなくて盟約」

「盟約……」

「人と人ではないもの達がいまよりもっと近しく、そして人ではないもの達が追いやられつつある時代。フォート家の先祖は彼らの領域を預かり護るかわりに、彼らの存在を魔術の道具として借り受ける取り決めを交わした」

「借りる?」

「魔術というのものはタダではできない。そうでないものをそうであるようにするための代償が必要です」

「代償」

「なんでもいいんです。釣り合いが取れるものであれば。買物と同じですよ。欲しい商品があればそれに見合う分の金品と引き換えるでしょう」


 買物と言われて、ひとまずうんと頷く。


「しかし魔術における買物は見合う物を用意するのはなかなか難しい。大抵の場合は自然の理を捻じ曲げることが多いですからね」


 何故か、突然の魔術講義のようになってしまっているけれど、魔術自体はなんとなく興味を引かれるものではあるので魔術師の話に耳を傾ける。

 この人の話を黙って大人しく聞くのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 

「手っ取り早くて万能なのは、それに見合うだけの力」

「力……、魔力?」

「ええ。人はそう呼びますね。その元は生命活動を行うための力といいますか、根を詰めて考え事をしたり、運動したりといったものと同じもの。過ぎれば心身が疲れる」

「それで、消耗するとかなんとか」

「そうです。なかなか理解が早い。私の貴女への気持ちもこれくらい、さっくり理解してもらえると嬉しいのですが」


 難易度や展開規模にもよるけれど、魔術はそこそこ大きな代償を必要とする。まともに払っていたら術者は命がいくつあっても足りない、そもそもそんな魔力は人には動かせない。

 そこで編み出された技術が、媒介という魔術の道具。


「その盟約と、媒介っていう魔術の道具がどう関わるの?」

「いい質問ですね、マリーベル」


 まるで教師のように魔術師が言うから、いよいよ馬車の中は魔術教室じみてくる。

 それに、常日頃研究している魔術のことを人に話すのはうれしいのか、いつもの胡散臭い話術とはまた違った魔術師の饒舌さだ。

 王宮で顔合わせれば絡んでくる魔術師だ、その家にいたらさぞ面倒に違いないと王都の彼の邸宅に居候すことになって気鬱だったけれど、移ってみれば予想に反して顔を合わせるのは食事時と朝出かける時くらいのもので拍子抜けした。

 魔術師は邸宅にいる間、ほぼ自室に篭っていた。

 オドレイさんに尋ねれば家にいる時は大抵部屋か図書室にいて魔術研究に勤しんでいるという。


「絵などで見たことありませんか? 神聖とされる木の枝で作った杖だとか、水晶だとか、なにかしら道具を持つ魔術師の姿を」


 わたしは頷いた。

 そういえば。遠目にしか見たことないけれど、王宮所属の魔術師の方も小さな杖とか鎖を通した水晶のようなものを持っていた気がする。


「人により持つものは様々ですが、ほんの少しの力を大幅に増幅させて大きな力に変換するといった点で機能は同じです」

「あれって、そういったものだったのですね」

「ええ。媒介が編み出される前の時代は、本人がどれほどの魔力を動かせるかだったため、大掛かりな魔術は不可能でした」

「大掛かりな魔術?」

「魔術の理論に基づいて自ら組み上げるような魔術です。定式化された汎用魔術とは異なり、複雑で難しくなり代償はその分、大きくなる」

「そういえば……魔術は技能、誰もができないこともないっていいますよね?」

「ええ」

 

 その巧拙を問題にしなければ、剣技や工芸などと同じ。

 向き不向きの資質や才能の差に大きく左右はされるけれど、魔力を扱う方法、魔術の理論と操作を修得できれば、誰もができないこともない。 

 ただし自在に扱えるまで修得するのは、ものすごく難しい。

 それに魔術を成立させるに足る魔力が動かせない、魔術適性がないとされる人もごく稀にいる。


「まあそれも媒介がある、いまの時代の魔術だからなのですけどね。媒介の性能、魔力を増幅する変換効率の向上でそれが可能になった。そのため扱える魔力によって、汎用魔術・中級魔術・高等魔術と魔術が段階付けされるようになったわけです」

「なるほど。あれ? でもあなたって」


 この人がそんな道具を持っているところなんて見たことがない。

 王領を出てすぐこの馬車ごと東部に瞬時に移ったのもたぶん魔術だろうけど、気怠そうにただ馬車に乗っていただけだったし。

 わたしの言葉に、はいと魔術師は微笑んだ。


「フォート家の魔術師が使う媒介は、人外である盟約相手の存在そのもの。存在自体が魔術に近しくその性能たるや絶大」

「人外である盟約相手の存在そのもの……」

「フォート家の魔術師だけが使える、概念上の魔術の道具ともいえますね。生身の限界さえなければ、魔力使い放題も同然」

「はあ」

「なにもなければ盟約相手の彼らは我々を傷つけることはしない、我々もなにもなければ彼らを傷つけないことになってはいます」


 ですからご安心を、などと言われたけれど。

 なにもなければとか。

 傷つけないことになってはいますとか。


 どこか、曖昧な余地を残す言葉だ。

 流石にもう理解し始めていた。

 この人にとって、言葉はあらゆる物事を規定するもの。

 嘘は吐かないけれど隠し事は大いにするし、詐欺師の如く言葉巧みに人を丸め込む。彼からそんな言葉を聞かされても……。


「それ、本当に安心なの……?」

「相変わらず疑り深くも勘がいいですねえ、マリーベル」


 やっぱり。


「この盟約はフォート家直系当主が結んだものです。彼らの寿命は長い。盟約は代替わりした者に引き継がれ、現在、直系の当主は私です」

「ですね」

「私以外は保証できかねます。いくら敷地の一部といっても森の中に貴女一人で入らない方がいいですね」


 にこにこと、麗しい微笑みで仰ってくださいますけれどつまりそれって。

 外を勝手に出歩くなとってこと!?

 

「実質的な軟禁では?」

「別に外出は制限しませんよ、行かせたくない時は全力で止めるというだけで」


 だからそれを軟禁というのでは?


「妻への不当かつ非人道的な扱いって、離婚要件じゃないかしら」

「単に妻の身を案じてのことですからねぇ、微妙な線では? 広い敷地ですから果たして軟禁に当たるのかどうか」

「……囚われの身」

「おや、囚われてくださるんですか?」


 無駄に世の女性をうっとりさせそうな顔で、すかさずそういったことを言うのが本当に胡散臭い。人外の存在と契約を結ぶような家に、何故わたしをと考えるとますます怪しい。

 そんなわけないでしょっと、思い切り口を横一文字にいーっと顔を顰めて見せれば、くっくっくっと軽く握った手を口元に当てて魔術師は苦笑した。

 彼の笑いの感性に触れたらしく、前のめりにしつこく笑っている。


「け、結婚してしまったからには離婚するまでは奥方としての務めは果たします。けど、好きとかどうとかは別ですから」

「呆れるほどに真面目ですねぇ」


 なんといっても公爵家。

 いくら使用人を抱えていようと家の仕事が相当ありそうだから、当面慣れるまで外に出るどころではないとは思うけれど。

 こんな有り得ない広さの敷地だし。


「――敷地、だけじゃなかった」


 王都の邸宅も無駄に広くて使い切れていなかったけれど。

 魔術講座が終わって間もなく、鉄製の門をくぐって窓から見えたフォート家の屋敷は。


「うん、門から建物までが遠い。そして遥か遠くにあるのに大きい」


 遠目に見える焦茶色の屋根に生成色の壁。

 長方形の建物の外から見える、柱と窓の数を数えようとして途中で断念した。


「一体、いくつ部屋が?」

「言い伝えでは一千四百余り。開かずの間も多いですけどね」

「いっせん……よんひゃく……」


 王宮じゃあるまいし。


「建てたのは私ではないですから、文句があれば先祖に言ってください」

「一千、四百……」

「王妃の元侍女がなに怖気付いてるんです、降りますよ」

「おじけ……っ!?」


 屋敷のアプローチに到着し、オドレイさんの手で馬車の扉が開く。

 

「王国成立以前の七小国の内一国の元王城です。一見立派そうですが主が魔術研究以外に興味のない不精者ですのであちこちガタもきています、王宮暮らしの長い奥様にはおそらく……」


 有り得ない状態かと――。


「有り得ない?」

「オドレイ……」


 先に降り、額を押さえながら片手を差し出す魔術師に、有り得ないって……と馬車の中から尋ねれば、まあ手が回っていないことは事実ですといった返事にため息を吐く。

 一体どんな屋敷なのよ、と馬車からつま先を出すと同時にふわりと足が宙に浮いた。


「ちょっとっ!?」


 どうして膝の裏に腕をっ。

 それに。


「……顔が近い」

「新妻がなにを言っているのか行きますよ」


 にっこりと実に意地の悪そうな笑みに、やっぱり離婚すると口の中でぼやく。

 魔術師に横抱きに持ち上げられ運ばれながら、建物へと続く石段の上を見上げた。

 紋章……かしら?

 正面の開口部の頂きに掲げるように施された、絡んだ蔓薔薇を切り裂くように交差させた剣の彫刻。

 

「フォート家にようこそ、マリーベル」

 

 耳を打った声に彼の顔へ注意を戻せば、青みがかった灰色の瞳と目が合った。

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