挿話 君に愛してもらえるなんて夢みたいだ

「君に愛してもらえるなんて、夢みたいだ」

「いや、愛してないから! 全然違うから!」


 王都の、下町の入口となる人が行き交う広場のど真ん中で、わたしの手を取る軍衣を纏った薔薇色がかった淡い褐色の髪をした青年。

 その軍衣に刺繍されたモンフォール伯爵家の紋章。

 ああっ、この既視感。

 どうしてわたしはこのような目に合っているのでしょうか。


 *****


 それは遡ること半刻ほど前。

 今日はお休みの日だったので、わたしは市場に出かけることにした。

 いまのわたしは王妃の第一侍女として王宮住まいの身ではなく、あの大悪徳魔術師こと大貴族ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォート公爵様の邸宅住まい。

 朝食時から、「そういえば貴女今日はお休みでしたね」などと言って、うきうきした様子を見せる魔術師の相手を丸一日なんて、休みが休みにならない。

 だから、「散歩に行きます、一人で!」とフォート家の邸宅を出た。

 邸宅内でお世話になりっぱなしである、魔術師の従者のオドレイさんになにかお礼もしたいし。

 なにしろあの邸宅内でのわたしの立場は、“旦那様の婚約者であられるマリーベルお嬢様”だから、まったくなにも手伝わせてはもらえない。

 わたしだって王宮使用人の身分だと何度言っても、それならなおさらお務めを終えたのですからお休みになられるべきですと譲らない。


「オドレイさんはずっと働いてるのに……」


 彼女に若干冷淡な魔術師は、彼女の仕事を奪わないであげてくださいなどと言う。明らかに働かせすぎではとわたしが睨んでも、昼間は自由時間ですよと涼しい顔をしている。

 そういったわけで、市場でなにかオドレイさんが喜びそうなものはないかと物色していた時に“彼”とばったり出会ってしまったのだ。


「マリーベル!」

「はい?」


 聞き覚えのある声。

 魔術師ではない。

 あまり耳にうれしくない、若干暑苦しいような青年の声。

 ほとんど反射的に顔を顰めて声の方向を振り返れば、案の定、王国西部に広大な農地を領地とするモンフォール伯爵家の三男が立っていた。

 モンフォール伯爵家は、故郷の、いまは小さな一田舎領主として独立している私の実家のユニ家が高祖父の代まで仕えていた家だ。

 そして私の亡き母の生家、ドルー家の遠戚でもある。

 それはそうと、西方の騎士団に属しているはずの彼が何故ここに。


「親父から聞いてはいたが、本当に王都にいたんだな」

「――なにか御用でしょうか。坊っちゃま」

「ああ、いいねぇ。その冷めた眼差しと声。昔はお兄ちゃんお兄ちゃんって俺の後をついてくる可愛い妹分だったのに」


 その差がたまらん、などと言っている。どうかしている。

 ええ、昔はまあまあ仲が良かったですよ。

 五つ年上で面倒見のよいお兄ちゃんでしたから。

 けれど、わたしが七つを過ぎた頃には、わたしのお気に入りのお人形を誘拐したり、綺麗な缶をくれたと思って開ければ中に大小の虫がうじゃうじゃ……。

 これでも農地を治める領主の娘ですから、声を上げて泣き叫ぶような無様なことはしませんでしたけれど。とにかくそんな嫌がらせの数々が続いて――。


「騎士団の総会出席の為に王都に来てみれば、この広い街で、到着早々再会なんてこれは運命だ! 結婚してくれ、マリーベル!」


 魔術師とはまた違って、面倒臭い三男坊。

 どういったわけか、私をお気に入りの玩具のごとく気に入っている。


「訓練で頭でもぶつけました? それとも腐った芋でも食べたとか?」


 わたしが露骨に困るのが面白いのか、子供の頃の嫌がらせの延長で求婚めいたことを言ってくるのだ。

 故郷にいた頃から、何度か似たようなことは言われたけれど、あまりに軽いのでまともに取り合っていない。

 父様も幼馴染の間の冗談、悪ふざけと捉えていた。

 当たり前だ、三男とはいえ彼はれっきとした伯爵家の息子。

 おまけにとても信じられないけれど、西部の騎士団支部で大隊長などとそこそこ大層な立場にいたりする。

 

「坊っちゃまの冗談には、付き合っていられません」


 彼から離れようと、市場を歩くけれどいつまでもついてくる。

 魔術師並みにしつこい。

 

「そんな照れなくても」

「照れてないから」

「俺なら君を助けられるけど?」


 らしくもない妙に狡猾な声音に、見ようによっては凛々しいといえるかもしれない顔を見れば、フォート家と彼が言ったのに眉間に皺が寄るのが自分でもわかった。

 

「あんなすかした大貴族に君がなびくと思えない」

「魔術師のこと知ってるの?」

「逆に知らない奴がいるか?」


 たしかに。

 田舎の農夫も、最強の魔術師として彼のことを知っている。

 それに三男とはいえ伯爵家の息子だし、貴族のつながりで顔見知りか、顔は知らなくても共通の知人がいて間接的に知り合いというのは有り得る。


「……」


 一瞬、考えてしまった。

 故郷の幼馴染で、幼い頃からわたしを妻に望む人がいるといった断り文句を。

 そして完全に隙を突かれた。

 気がつけば、広場の真ん中で手を取られてしまっていたのである。


「とうとう俺の気持ちが伝わったということか! マリーベル」

「だから、違うっ」

「君に愛してもらえるなんて、夢みたいだ」

「いや、愛してないから! 全然違うから!」

「許嫁だろう」

「坊っちゃまが面白がって、勝手に言ってるだけでしょうっ」

「お兄ちゃんのお嫁さんになりたいって言ってたじゃないか!」

「ご、五歳の頃の話です!!」


 無理だ。

 言い訳なんかに使えるはずがない。

 この思い込みの激しい三男坊は話が通じないといった点で、ある意味魔術師よりも厄介で面倒くさい。

 まだ対話が成り立つ魔術師のがまし。

 どうしてこの人が騎士団で大隊長なんてやれているのか、さっぱりわからない。


「ちょっと……離して」

「嫌だ」


 痛くなるほど握られてはいないけれど、絶対振りほどけない力加減とわたしを真っ直ぐ見つめてくる、妙に熱っぽい濃い緑色の目が若干怖い。

 まったくどいつもこいつも……一目惚れだの、許嫁だのと。

 乙女の結婚をなんだと思ってるの!!


「よし、決めたいまから聖堂へ行くぞ、マリーベル」

「あ~もうっ! 一体、あなたの思考はどうなってるのっ!?」


 ――まったくですね。そこまでです。


 背後から、わたしを三男坊から引き離すように抱き寄せてきたローブの腕に振り返れば、銀髪の麗しいお顔があった。


 また面倒な人が……。


「困っているところを助けたというのに、なんですかそのまずい水薬でも飲まされたような顔は」

「言い得て妙です。嫌な熱から逃れられるけれど苦手なものは苦手といった意味で」

「まったく。それでも良薬ですからよく効きますよ、私は」


 手が震えています、と囁かれ頭をぽんと軽く撫でるように叩かれた。

 たしかに。

 別に……あなたに助けられなくても、と思ったけれど少しだけほっとしたのも事実だ。

 とはいえ、銀髪に一目で上等とわかるローブといったこの目立つ風体の人が現れた事で、ざわざわと周囲に人が集まってきて絶望的な気分になる。

 これって、とってもまずい状況だ。


「貴様がフォート家の……」

「ええ、マリーベルの婚約者です。三ヶ月後に彼女と結婚すれば、貴方とは“一応”大変に遠いご親戚ということにはなりますね」

「はは、伝説の大貴族様が親戚だと? 恐れ多すぎて笑えない冗談だな」

「冗談ではなく事実です」

 

 きっぱり冷静に言い放った魔術師の言葉に、びきびきと音を立てるように三男坊のこめかみの血管が浮き上がり、その目が獰猛な光を帯び始める。

 ちょっと、と。

 魔術師の袖を引っ張れば、事実でしょうと同じことを彼は私に囁いた。

 ご丁寧に、わたしの頭を引き寄せるようにして。


 なに。

 なにを。 

 なに相手を刺激してるの、この魔術師は――っ!


「決闘だ」

「は?」


 三男坊の言葉に、思わず口から声が漏れてしまった。


「呆れてますよ、彼女」

「そんなことはどうでもいい。勝った方がマリーベルを妻にする」

「ほう、どうでもいい……?」


 ぞくんと背筋が冷えるような、恐ろしく低く冷めた呟き。

 危ないですから、下がっていてくださいと魔術師の背後へと押しやられる。


「あの、お二人ともなにを勝手に……」


 そして周囲の人たち!!

 おれは魔術師様だな、いや決闘ならあの騎士様だろ、じゃないでしょうっ。

 そこの肉屋のおじさんも、なに石板に賭けの率を書いているの!


「どうやら私の方が人気があるようですね」

「気ぃ遣われてるだけだろう」

「これでも最強と謳われる魔術師なんですがね」

「戦争中の話だろう、何年前の昔だよ」


 一方は氷のようで、一方は炎のような。

 殺気の圧を、感じる。


「あの、二人とも……冗談は止し、て、ねっ?」

「冗談ではありませんよ」

「ああ、まったく本気だ」


 だから。

 どうして、そうなるの――!!


 だれかが、よし、じゃあこの銅貨が落ちた時が勝負だと二人の間に、天高く銅貨が投げられる。

 お金を粗末にしない!


「――まったく、荒事は苦手だというのに」


 陽を受けてやけにゆっくりと落ちてくる銅貨を目で追っていたら、それはそれはぞっと背筋が冷えるような声の呟きが聞こえた。


 とはいえ、言ってわからない相手なら仕方がない――と。


「ちょっと……っ!」


 魔術師ってたしか。

 一人で大軍を全滅させたとかいった話が。


 チャリンッ。

 金属が石畳の路に落ちる音と同時に、風を切るような音がした。

 見れば三男坊が魔術師に細身の剣を振り下ろそうとしていて。

 その時、魔術師の目がすっと意地の悪い笑みに細まったのをわたしは見た。


「だめぇええっ!!」


 いくら面倒臭い三男坊でも、こんなくだらないことで大怪我などしたら、さすがに故郷の伯爵様に申し訳が立たない。

 ほとんど考えなしに踏み出して二人の間に入り、なにか仕掛けようとしている魔術師に覆いかぶさるようにして彼を地面に押し倒す。

 耳元で、チャキっと音がして、寸止めされた剣の切っ先に触れた私の髪が、はらりと一筋頬をかすめて落ちた。


「おいっ! どけっ、マリーベル!!」

「だめです、どきませんっ!」


 だって、わたしが押さえておかなかったら。

 あなた絶対、この悪徳魔術師に殺され……いや、殺すのはつまらないとか言って、死なない程度に痛めつけられるに決まってるっ!

 

「おいっ! 決闘に女が出てくんな!」

「知るものですかそんなことっ! 大体、勝手にそんなことされても迷惑っ! 大迷惑ですっ!!」

「……そんなに、好きか?」

「好きとかどうとか以前に、一応、大事ですからっ!」


 三男とはいえ、ユニ家が仕える伯爵家の息子なんだから。

 それに幼馴染ではあることだし。


「はあっ!? なんだよ、それ」


 カチン。

 金属がぶつかった音に、振り返れば三男坊が剣を鞘に納め、何故かばつが悪そうな表情でわたしを見下ろしていた。

 

「なに?」

「わかった。俺の負けだ」

「は?」

「はっ、じゃないだろ……君みたいなくそ生意気で気が強いの、俺ぐらいじゃなきゃ無理だと思っていたんだけどな」

「なにそれ」


 なに、一人で好き勝手言って納得して頷いて悦に入ってるの、この人。

 

「俺ぐらいでは無理だと思いますよ。押し倒すのなら別の場所にしてもらいたいですね、マリーベル」

「なっ、なに言って……!」

「はいはい、貴女がその手のことに鈍いのはわかっていますから。そんなにしがみつかなくても大丈夫です」


 とんとんと背中を叩かれて、ひとまず身を起こして魔術師から身を離す。

 そのまま立ち上がろうとしたけれど、できなかった。

 私の背中を叩いた彼の手が、上半身を起こしてすぐ私を抱き寄せたからだ。


「彼女はこの通り、自分の考えで私も時折驚く様なことをする人ですから」

「ちょっとやそっとで泣くような女じゃないが、泣かすな」

「貴方に言われるまでもありませんね。さて、マリーベル」


 三男坊がわたし達に背を向けて人混みに紛れていったと思ったら、両手の先を魔術師に取られて、「へ?」と首を傾げれば、にっこりと彼は微笑んだ。

 大変に胡散臭い、麗しい微笑み。

 これは、嫌な予感が。


「まさかそこまで……貴女に愛してもらえていたなんて、夢みたいです」

「え?」


 幼馴染の剣から、身を挺して私をかばってくださるなんて。


「え、あの……ちょっと」

「貴女に限りない祝福を」


 取られた手の指先に、顔を伏せた魔術師の口元が軽く触れて、わあっ、と広場が喝采に包まれる。

 ひっと、喉から出たわたしの声は周囲の人々の声にかき消された。 

 これは……一体。

 どういうこと。


「まったく予想通りに、それ以上のことをしてくれる」

「まさか」

「ええ、たとえ毛嫌いしていようと幼馴染が傷つけられるのを黙って見過ごす人ではないですからね、あなたは」

「だって、伯爵家の坊っちゃまだもの」

「ええですね。ただ好きな子をいじめるだけだった彼もお気の毒に……」


 ま、どうでもいいなどと貴女の意志を無視する男に同情はしませんが。

 そんな魔術師の言葉など、またこの人に嵌められたっと気がついた私の耳に入るわけがなく。


「ところで五歳の頃の話とやらは詳しくお聞きしたいですね」


 それよりもにっこり微笑んだ綺麗な顔の、目の鋭さに先程とはまた異なる思いで血の気が引いた。


「子供の頃とはいえ、結婚したいとは聞き捨てならない。私と結婚しますとも言いましたよね? まさか誰にでもそんなことを?」

「言うわけないでしょっ!」


 嫁入り前の淑女に向かってなんて失礼なっと声を限りに怒鳴りつければ、何故か急にうれしそうに、魔術師はうんうんと頷く。

 なんとなく周囲からの視線を感じて首を巡らせれば、街の人々が妙ににこにこと微笑ましげに広場に座り込んでいるわたし達を見ている。

 そういえば、まだ魔術師に抱き寄せられたままでいる。


 もしかして、これって。

 事情を知らない人から見たらただのくだらない痴話喧嘩――はたと気がついて頬が一気に火照った。


「そうですね。王妃の侍女を務める貴女のような方が。婚約者である私を身を挺して守ろうとした貴女が」

「あ、悪徳魔術師――っ!」

 

 そう叫んだわたしに、誰が悪徳ですか帰りますよ。

 そう言って、彼は私の手を取ったまま立ち上がった。


 翌日、噂話に飢えた王宮の人達の間でこの日の出来事が尾ひれをつけて広まっていたことに、もうどうにでもなれと思ってしまいかけたのは、また別の話。

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