挿話 オドレイ(前編)

※直接的ではないさらっとした記述ではあるものの、性的なものも含む幼女虐待の箇所があります。こちらをお読みにならなくても本編の話が通らなくなることはありませんので苦手な方は回避ください。

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 私はオドレイ・ジュブワ。

 当主であるルイ様の従者を務めるフォート家の使用人。

 旦那様は最強と名高い魔術師で王国の大貴族。

 竜の棲家と人々が恐れる森林地帯近くの屋敷から滅多に外には出られない。


 彼と私の出会いは20年前、隣国との境にある丘陵帯にある平原だった。

 私は当時十三歳、隣国側の傭兵団の一員だった。

 母は別大陸から連れてこられた下女で、肌の色が周囲の人たちとは違い、どこか扇情的な艶いた雰囲気を持つ人だった。

 だからだろう。仕えていた先で下級使用人を取りまとめていた男に言い寄られその愛人となり私を産み落とした。

 父も母も、生まれた子供に興味がなかった。

 私は「おい」とか「お前」とかその時々で適当に呼ばれ、泣いたりなにか言えば折檻され、物心ついた頃にはほとんど喋らない子供になっていた。


 最初の兆候は、私が五歳になった時。

 夜、お前の目が赤く光って見えることが時々ある。悪魔の目だと母親が私を気味悪がるようになった。

 丁度、母に飽いてきた父が自分の仕える主の下女として母を紹介し、男の劣情を誘うような母の姿が主人の目に止まって、今度はそちらの愛人へといった頃。

 母としても父としても、私は邪魔な子供でしかなかったのだろう。

 主人の不興を買うから、お前のような不気味な子供は置いておけないと屋敷から離れた場所へ連れられて捨てられた。


 しばらくはかわいそうな捨て子として、近くの集落の大人が同情し、食べ物を分けてくれた。お礼に畑仕事を手伝ったりしていた。

 異国の血が混じっているからだろうか。

 私は他の子供より力が強くて、聡いし役に立つと結構重宝されて、いつしか家畜小屋の隅に寝起きさせてもらえていた。

 けれど、それも長くは続かなかった。

 たまたま軒下を借りていた家畜小屋の牛が夜中に産気づいて、難産で母子ともに死んだ。

 その時、私の目が赤く光っていて、家畜を呪い殺したと集落を追われた。

 以来、人を避けてまるで獣のように山の中の森に住み、夜、近くの集落へおりて作物や食料を盗み、追われれば別の場所に逃れてと過ごしていた。

 そうやって五年も過ごしているうちに、傭兵とは名ばかりなただの賊紛いの荒くれ者一味の首領おかしらに拾われた。

 

「異国人の子供か。肌の色はあれだがガキの癖に妙な色気がある」


 捉えた兎の耳でも掴むように私の髪を掴んで、首領は娼館にでも売り渡せば金になるかもなと下卑た声で言った。

 けれど彼等の夜は遅い。

 すぐに私の目に気がついて、こんな不気味なガキじゃ売り物にならねぇと私を地面に引き倒し、そしてふとなにか退屈しのぎでも思いついたように嫌な笑みを見せた。

 私が普通の少女より力が強いことにも気づいていて、格下の手下数人と力比べをさせ、ここで殺されるか、生きたければ自分に従うか好きな方を選べと言われた。

 死ぬのは嫌だった。それに少なくとも食べ物は世話してくれそうだったから従うことを選んだ。

 私は首領の玩具となった。

 首領は私に暗殺術と淫らな技を仕込み、飽きて自分の手下の玩具として投げ与えた。そして時折貴族や金持ちに貸し出した。

 暗殺術と淫らな技。

 どちらか一方を望まれる時もあれば、両方を望まれる時もある。

 いずれにしてもあまりいい思いはしなかったけれど、それでも飢えや寒さ、獣の群れの餌になることに怯えながら森の中で隠れ暮らすよりは、私にとってははるかにましなことだった。

 そもそも幼い頃から人に接していない。

 自分がなにをしているのかすら、あまり理解していなかった。

 あまりいいことではないのだろうとは思っていたが、少なくとも彼等の望み通りに動いていれば、食料と暖かな寝床を与えられる。

 仕事と彼らの相手のために湯も使わせてもらえた。それに淫らなことに応じる仕事は、何故か目の光が浮き出るのを抑えられた。


「ぐっ……ぐぁあああぁあああっっ、ああああ……っ!!」

「またか、押さえろっ!」

「鎖を持ってこいっ!」


 もうその頃には、ただ目が赤く光るだけではなくなっていた。

 ひと月かふた月に一、二度くらいの頻度で、頭の中にもやがかかったようにぼんやりとなり、やがて全身の血が沸騰するような熱さと苦痛に耐えきれず、狂った獣のように吠えて暴れるしかできなくなる。

 殺すか? と、首領は何度か言った。

 けれど、殺さなかった。

 何故かはわからない。

 私の稼ぎを惜しんだのかもしれない。

 また、その頃には荒くれ達の中に私にいくばくかの情を持つ者たちが現れて、時折こっそり菓子をくれたり、手酷いことをする者からかばってくれたりした。

 誰かが私が目を光らせながら朦朧とした様子でいることに気がつくと、男達は数人がかりで私の四肢を鎖で縛って地面に杭を打って拘束し、発作がおさまるまで放置した。

 一度暴れ始めれば、屈強な男が数人がかりで押さえつけるのが精一杯で手に負えなかったのである。やがて力尽き大人しくなれば、またいつもの日々だった。


 時折、貴族の屋敷で同じ年頃の少女を見かけたけれど、私と彼女達はあまりに違いすぎていて、同じ生き物であるとは到底思えなかった。

 私は人じゃない。

 人の形をしたなにか。

 首領もそう言ってた。

 夜、ごく気紛れに呼びつけられ、服を脱げと命じられる。曲線を描き始めた私の体を品物でも検分するように、彼は鋭い眼差しで全身くまなく眺め回す。

 おそらく普通は人に見せるような場所ではない箇所まで。

 暗殺術と淫らな技を一通り仕込んだ後は、彼はそうして私を点検するだけだった。それが終われば、「はぐれ者は、すぐ死ぬ奴とすぐ壊れる奴と生き延びる奴しかいない」と囁いて、私に服を着ろと命じる。

 

「たとえわけのわからない子供でも、普通ならとっくに狂って壊れてもおかしくないだろうな。舐めろ」


 服を着れば、首領は細く薄い刃のナイフを私に持たせ、彼の筋肉の盛り上がった鋼のような二の腕や胸に薄い線のような傷をつけさせ、すぐに止まる血を舐めさせる。

 その嫌な味と、その時のせせら嗤う首領のざらりとした妙に甘い声音が耳に絡みつく。

 

「飾れば異国の姫にでも見えるような顔して、俺ですら口にするのもおぞましいような要求や殺しに応じる。こうして人の体に傷をつけ血を啜ることなど呼吸同然にやってのける。お前は化け物だ……いや、こんな綺麗な化け物もいないな」


 俺の最高傑作だと、首領は言った。

 人を殺しても、人からなにをされてもなにも感じない。

 まるで魔物を宿した美しい人形のようだと。


「拾った時は、銀貨数十枚にもなれば儲け物くらいに思っていたが……オドレイ」

 

 首領は元は騎士階級だったのが落ちぶれたらしく学があり、私に字と数を教え、なんの気まぐれかオドレイと時折呼んだ。

 それが自分の呼び名らしいと、しばらくして理解した。


「売れば大損していた」


 貴族や金持ちの屋敷に入り込む時は大抵使用人見習いの少女として送りこまれる。その時になんとなく礼儀作法のようなものを見覚えた。

 上手く振る舞えたほうが仕事がやり易くなる。


「散々好きに嬲ってきてだが……近頃、気が引ける」

 

 その頃には、首領の手下の者達で私に相手をさせようとする者はいなくなっていた。

 発作が起きた時の扱いはそのまま。

 けれども与えられる衣服や食べ物の質が良くなり、皆なにか妙に余所余所しく気を回すような扱いをしてくる。

 それが畏怖によるものだと、ずいぶん後になって気づいた。

 戦争で孤児になった少年が育った者、理不尽な事で落ちぶれた者、捨てられた者――彼等は、首領の言うところのはぐれ者で、ただの人だった。

 

 *****


 王国との戦争は数年前に終決し取り決めも交わされていたが、緩衝地帯では時折小競り合いが起きていた。国境周辺の領主はその都度傭兵を雇った。

 戦場でも、私はそこそこ重宝された。

 十歳過ぎの少女が傭兵や暗殺者などと、普通、人は思わないらしい。

 たぶん王国は、こちらの国と比べて豊かで人がいい者が多いのだと思う。

 逃げてきた少女として保護され、保護してくれた者の首を何度か落とした。

 手をかけた相手はすべて首領の手柄となった。

 私はただ首領とその手下の世話をする下女として連れまわされ、暗殺者としての私の存在は一応は隠されていた。


 あの鬱蒼と広がる森が遠くに見える平原も、そんな小競り合いの戦場の一つだった。いつもの戦場とは違う妙に静かな雰囲気が漂う場所で、下卑た話か残虐な冗談でうるさい屈強な男達も妙に押し黙っていた。

 それは私が行動を共にしている男達が、いつの間にか私に向けるようになった余所余所しさの気配に少し似ていた。


「あの森には竜が棲むんだとよ」


 そう、首領は果てが見えない黒い影の塊のような森に横顔を向けて目を眇め、私が彼の目線をなぞるように森へ目を向けたのに気がつくと、狩れば一生遊び暮らせる大金になる生き物だと言った。


「だが狩ろうなんて命知らずな馬鹿のすることだ。一度だけ見た事がある。あれはヒトが手を出すものじゃない。それにあの一帯はちと厄介でな」

 

 数年前の戦争で、暴れまわった魔術師の領地なのだと教えられた。

 とはいえ、直接交戦したわけでも、会ったことがある相手でもないらしかった。


「俺は別地域の、落とした街の略奪に参加していたからな。詳しくは知らねぇ。聞いた話では、敵も味方もなく戦場一帯火の海にして皆殺しにする悪魔らしい」


 悪魔。


「でもってその悪魔は、王国の大貴族様だと。精霊がどうのと薄気味悪いことを言い、妙な技能を持つ魔術師なんてのがいる異教の国だからな。大方そんな奴だろう」


 悪魔……黙ったまま、黒い森を見つめていたら、あっちの王軍を率いるようなお貴族様だこんなしょうもない小競り合いには出てきやしねぇから安心しろと、背を軽く叩かれた。


「そんなことより、日が暮れてもお前は稼げる」


 戦場に女はいない。

 下女としてでも、いればそこにいる男達の興味を引いた。

 首領は傭兵の中では結構名の知られている人のようで、報復を恐れてか手を出す者はいなかった。けれど、首領に話を持ちかける者はいるらしい。

 また従軍貴族あたりと話をつけたのだろう。

 首領に腕を引かれるまま、野営地の奥に張られた正規軍のテント群へと向かう途中で、ふと、体の奥に疼くような違和感を覚えて足を止めた。


「ん? おいっ」


 私が目に触れていたので発作を思ったのだろう。

 首領が手をどけろと私の目を覗き込み、脅かすなと毒づいた。

 たしかに頭はぼうっとしてはいない。

 でもなにか。

 歩き出し、数歩進んでまた背筋がぞわりとするような違和感に思わず森を振り返る。

 なにもない。森は森だ。

 目も光ってはいないようだし、頭もはっきりしている。

 こんな戦場で、あんな騒ぎ狂うような発作を起こせば間違いなく黙らせるために殺せと誰かが言い出すだろう。

 傭兵付きの下女の命なんて、おそらく食料となる獣よりも安い。

 平気だ。

 大丈夫、あれじゃない。


 *****


 血の雨などというけれど、その日は本当に血の雨が降った。

 戦場は、ヒトよりはるかに大きな生き物に蹂躙され、半刻も経たないうちに敵味方関係なくほぼ全滅だった。

 青黒い鱗が光り、大の大人より大きく鋭い爪が簡単に屈強な男達の体を引き裂き、大岩のような足で踏み潰され蹴散らされた。


 竜だった。

 それも五体。


 暴れる一体の足の脛に跳ね飛ばされ、戦場から離れた場所の地面に私は腹から叩きつけられた。

 ごふっと空気と共に血を吐いた。

 たぶん内臓をやられたか、折れた肋骨でも刺さったか……どちらもかもしれない。全身ばらばらになったような痛みで動けない。

 視線だけを必死に動かし、遠く離れた戦場を見渡せばひどい有様で、赤と黒と肌色がぐちゃぐちゃに混じっている地面しか見えない。

 

 五体の竜が輪になって暴れている。

 何故かなんとなく彼らがひどく苛立っているように感じられた。

 離れているからか、動かないものに興味はないのか竜がこちらに気がつく気配はなかった。

 だんだん痛みの感覚が麻痺し、意識が朦朧としてくる。

 死ぬのかな……無意識にそう呟いた時だった。


 ――竜が、五体……どうしてまたこんな。


 空から、人の声?

 うっ……と、仰向けになろうと呻き、しかし満足に動けずかろうじて頭だけ横に向けて空を仰げば、雲ひとつない青空にぽつんと小さな薄い影の点が見えた。

 額でも切ったのか、流れてくる血に赤く染まった視界に目を凝らせば、小さな薄い影の点は、宙に浮いて灰色の裾の長い服をはためかせている男のようだった。


「血の匂いに誘われるような彼等ではないはずなのに……無傷でお帰り願いたいが興奮しきっている。ヒトの言葉など聞こえないだろう。あまり手をかけたくない盟約相手、大掛かりな魔術はそこそこ疲れるというのに迷惑な……」


 ――とはいえ、ヒトの領域に踏み込まれてもこちらが困る。


 低い言葉と同時に、ずんっと重い空気の塊に押し潰されるような気配を上空から感じ、全身が一気に冷たく硬直した。

 なに。

 この……あれは、あの……人?

 そもそも、あんな高い場所にいる男の声がなぜすぐ側にいる人の声のように鮮明に聞こえるのだろう。

 魔術と言った。

 なら、あれが……魔術師?

 心臓がばくばくと動く音が耳にうるさいほど聞こえる。

 魔術師――!

 必死で体を動かそうとして、指一本も思うように動かなかった。

 

 ――聞いた話によれば、敵も味方もなく戦場一帯火の海にして皆殺しにする悪魔らしい。


「あ、あ……ぁぁっ……」


 呻き声が出ていた。

 逃げなければ!

 竜と共に殺される。

 

 そして動けない体で、空を仰いだままの目にそれが見えた――。

 空に、銀色の光が弧を描いて伸びていく。

 竜の真上に、綺麗な円。

 複雑で美しい紋様が円の中に織り上げられ、そこから地に向かって縦に伸びる光が暴れている彼等を囲むのを。

 まるで光の檻。

 

 あれが……魔術……。


 あまりに綺麗で、痛みも忘れて惚けてしまった。

 上空から何語か聞き取れない美しい抑揚の低い声が、まるで天から降ってくるうたのように耳に流れ込んでくる。

 

 ――ウッ……ッ!


 ドクンと心臓が脈打ち、真っ赤に染まった目の奥に激痛が疼いた。

 ぐらりと目眩めまいに空が回る。


「あ、あっああァァ……ッ……!!」 


 かはっと血を吐きながら、喉が裂けるような叫び声を上げている自分に痛みの後に気がついた。

 体が熱い、これは。

 よりにもよって、どうしていま!?


「ヴァアアアア――ァッ!! グァ……ガアアッ……ゥ……ッ!!」  

  

 体の内側から引き千切られる痛みに耐えられず、動けないはずの身を捩って暴れる。気が狂った方がマシな痛みだけにすべての感覚が塗りつぶされる。

 それのに……あの魔術師の声だけが響いている。

 耳で聞いている音じゃない。

 勝手に内側に流れ込んでくるような聞こえ方、その声に、痛みや苦しみが引き出されている。


 やめ……やめて……っ!

 痛い、熱い、苦しい――!!


 竜を囲む光が強くなる。

 辺り一帯、影をも消しとばすほどの眩しさが離れている血に染まった目の奥までをも白銀に塗り替えて、人とも獣ともつかない叫び声を上げて、私は気を失った。

 気を失う直前。

 まさかこんな……と、驚く声を聞いた気がした。


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