第13話 年貢の納め時

「これで支度金の問題も解決って、きっとそう思っていらっしゃるんでしょ」

「嫌な言い方しますね。本当に困っていたんですよ。最近は出入りの者達からも言われていて。近頃ではなんでもきっちりするようになってきましたから」

「だからって」


 父様を巻き込むなんて。

 ぶすっと文句を言いながら、枯れ色を見せはじめている庭の草を踏んで、歩いていく。

 なんとなく気詰まりな夕食を終えた後、昨晩の庭小屋へ、魔術師と二人して向かっていた。

 わたしが、魔術師の部屋の扉を叩いて誘った。

 いくら話がしたいからといって、夜、彼の部屋に一人で入るなんてはしたないことはできない。

 今夜はちゃんと毛織物のショールも羽織ってきた。

 また魔術師に抱き寄せられるなんてご免だから。


「フォート家の使用人は少々変わっていますから、広い心をお持ちの方でないと頼めない。男装で肌の色も珍しいオドレイを見て、ジュリアン殿はなにも変わりなく接したそれで十分です」

「そういった人を試すようなことに、オドレイさんを使うのもどうかと思います」

「たしかに。それは貴女が正しいですね、マリーベル」


 魔術師が柔らかな声音に、彼より二三歩早足に進み出る。

 本当に、今日という今日は腹を立てているのだと態度に示すように。

 そうよ、別に魔術師が嫌いなわけじゃない。

 でも結婚なんてまだ考えられない。

 けれど、あんな形で求婚されたらそんな理由では断れないじゃない。

 だからなんとか父様と魔術師の両方、それなりに体面の保てる、角が立たない理由でなんとか白紙に戻そうと……していたのに。

 こんなの二人から騙し討ちにあったも同然だ。


「解決もなにも蓄えていたそうですよ、一人娘のために。それに貴族の娘と比べても劣らないものは身につけさせているつもりであると。知識と礼節と正しさ、良いお父上殿だ」

「母が……伯爵家の遠戚の娘だから。わたしが苦労しないような家にお嫁に行かせたいって」

「成程。妙だと思ってはいたんですよ。賢い貴女が、身分や家のことを口にはするものの私への牽制程度。実際、公に自ら強く押し出すことはしなかった。モンフォール伯に伝わってはと考えていたのでしょう? 遠いとはいえ血縁関係がある上に、ジュリアン殿のような方なら信頼も厚いでしょう。名目上の養女など簡単だ」

 

 伯爵家、それも広大にして肥沃な領地を持つ西部筆頭貴族のモンフォール伯爵家の令嬢なら、表立って文句を言う人もいない。

 歩きながらそう言って、彼は背筋を伸ばすように手を組んで両腕を天に向かって突き上げた。


「私が手を回すこともなかったですね」 

「手を回す?」


 聞き捨てならない言葉に振り返れば、その芋虫でも見たようなしかめ面はやめてくれませんか、と魔術師はため息を吐く。


「なんとかしましょうって言ったはずです。それで? 話とは?」


 魔術師の問いかけと同時に、庭小屋の側まで来ていることに気がついた。

 自分から誘い出したものの、いざまともに話そうとするとなにから話していいものか言葉にならない。

 黙っていると、仕方のない人だと魔術師が肩をすくめて、立ち話もなんですからと庭小屋の中へと促される。

 昨晩とまったく同じに、わたしは火の消えた燃えさしの残る暖炉の側に座り、彼はわたしのすぐ隣に腰掛ける。

 話す糸口が掴めずに黙り込んでいるわたしに、魔術師はやれやれと首を軽く振った。

 今夜は雲が多く月の光は薄いけれど、彼の髪が代わりのように淡く銀色の光を散らした。綺麗だ。やっぱりどう考えても、こんな人の隣に寄り添う自分なんて想像できない。

 他の人でも想像できないけれど。


「なんて言えばいいのか。貴女がもっと小狡い人なら、いくらでも回避できる余地は残していたのに」

「え……?」

「例えば、私のことを嫌いだとでも言い張れば。簡単でしょう?」

「そんなこと。あなたに迷惑が……実際に嫌ってもないのにそこまでして。王妃様だってなにを言われるかわからないし」


 貴族にとって体面は大事だ。

 いくら魔術師が許してくれても、周囲はそれではすまない。

 あんな公の場で求婚しておいて、逃げられたなんていい笑い者だ。

 王宮は恐ろしい場所。

 彼に恥をかかせたわたしを第一侍女として側に置く、王妃様にだって飛び火するかもしれない。

 父様や、もしかするとモンフォールの伯爵様にも迷惑がかかるかもしれない。


「ですから、ジュリアン殿にそう言えばよかったのに」

「だってそれは……」


 同じことだ。

 わたしの代わりにお父様に、錚々そうそうたる人々に対して嘘を吐かせることになってしまう。

 父親の言葉とわたしの言葉では扱われ方も違うし、父様のことだからわたしのために穏便に処理してはくれるだろうけど、そんなことはとてもできない。


「わかってるの。きちんとあなたと話してお断りするべきだったって。でも、こんな理由にもならない理由では、あなたは許してくれなさそうに思えて」

「ええ、勿論」

「ほらっ! 大体っ、父様と一緒になってあんな形で言質を取るなんてひどいっ! これじゃもう後には引けないわっ。あなたはさぞ満足でしょうね、ご自分の思い通りになって!」

「満足? 本当にそう思っているんですか!?」

「だって、もう断る理由が……っ!?」


 パラリッ……と、耳元で、壁が振動して小さな欠片が零れ落ちる。

 目の前は暗く、頭のすぐ上に淡い光を散らす銀色の髪が揺れていた。

 立ち上がった魔術師が、わたしの左右の耳のすぐそばの壁に手をついて、わたしを囲っている。

 壁に接した彼の掌の端が、強い衝撃に赤く染まっているのが目の端に見えた。


「な、に……?」 

「ええそうです。断る理由などもう貴女にはない。そう仕向けたのは私です。当たり前でしょう、求婚したのですからみすみす逃す気はありません」

「どうしてあなたが怒るのっ!?」


 怒っているのはこちらで。


「どうして? 追い込んでいるはずが翻弄されて……私がどれほど努めて冷静に接しているか、貴女全然わかっていないっ」

「や、冷静じゃない……全然冷静じゃないでしょうっ! 怒りたいのはこちらなのに、どうしてあなたに凄まれなきゃならないのっ!」


 こちらを射抜くような目で、睨んでくる魔術師の胸元を押してみたけどびくともしない。

 怖い! 整った顔はもはや凶器だ。

 鋭い目がまるで刃を突きつけてくるようで、怖すぎて目を閉じてしまった。


「マリーベル!」

「全然っ、わかりませんっ!」

「お人好しにもこちらの体面にまで気を回して……今後一切、逃げ道など残しませんが」

「本当にっ、なん……」


 なんなの、と。

 彼に言うことが出来なかった。

 というより遮られた。

 口元をなにか柔らかい微かな温かみのあるもので塞がれて。

 長いようなほんの一瞬のような、奇妙に歪んだ時間の感覚の中で頭が真っ白になる。 

 

「嫌いだと言うのなら、まだ諦めもついた――」


 ぼそりと囁くような声に我に返れば、魔術師に抱き締められていた。

 いいえ、それよりも。

 さっきの、なに。

 

「あの……離っ」

「嫌です」

 

 離れてくれない子供がそうするように、ぎゅっと腕に力を込めてくる魔術師にため息が出る。

 嫌です、って……なに駄々をこねる子供みたいな。

 どうしてこんなことに。

 魔術師が頭を乗せている右肩が重い。

 銀色のさらさらした髪の擦れる頰がくすぐったい。

 おまけに彼が覆い被さるようにわたしを斜めに引き寄せているから、その支点になっている頭がごりごりと壁に擦られて若干痛い。


「重いし痛いです」

「突然唇を奪った男に言うことがそれですか?」

「……えっと、事故では?」

 

 暗かったし、近かったし、寄りかかっていたし、なにやら乱心のご様子だったし。わたしも離れて欲しくて彼を押し退けようとしていたし、睨んでくる顔が恐ろしくて目を閉じていたから、彼の顔の位置などわからなかったし。

 

「なにを現実逃避して、奪ったっと言ったでしょう。そのつもりでそうしたんですよ」

「――っ!!」

「言わないでって言いたげな顔してますけど、認めたくないならもう一度しましょうか?」


 わたしの肩の上で顔を傾けて、もう一度などと耳打ちしてくる意地の悪そうな横顔にふるふると首を横に振れば、まあ勘弁してあげますと言って魔術師はわたしの肩から頭を持ち上げた。

 その吐息が口元をかすめて、心臓が跳ねるようにどきりと音を立てる。

 どくどくと早まる脈に、少し胸苦しさを覚えた。

 

「どちらかといえば気は短い方なんです。とはいえ貴女の心は貴女のものだ……捻じ曲げても意味はない」

「どうして……わたし?」

「一目惚れって、何度言わせる気ですか?」


 この体勢は疲れますねと、彼が呟くと同時に体が浮いてわっと声を上げてしまう。くるっと位置を入れ替えられ、魔術師の膝の上に横に腰掛ける形で抱えるように両腕を回されていた。

 今度はわたしの頭が彼の肩に、後頭部に触れる彼の手に支えられている。

 

「あの……っ」

「こればかりは理屈では。自分でもそんなもの信じてはいませんでしたけれど」

「だけどあなたそういった人では」

「ええ、ですのでらしくもなくこういった無様なこともしているわけです」


 するりと頭から頰を撫でてきた手に、ぞわりと背筋が粟立つ。

 こんなの、恥ずかしくて居た堪れない。

 離してほしいのに、どきどきして動揺に抵抗らしい抵抗も出来ない。

 怖い。

 思わず両手を胸元に寄せて命乞いでもするようにわたしが縮こまれば、わざとらしいため息の声を魔術師は漏らした。


「その、無実の罪で首でも切られそうな怯え方やめてもらえませんか……解放しますから」


 回されていた腕が解ける。

 わたしは脱兎のごとく逃げ出し、魔術師の座っている壁の対面の壁まで離れた。座ったままじっと動かないでいる魔術師の影にほっと胸を撫で下ろす。


「貴女がある部分では恐ろしく幼く……でもないですね、鈍い人なのはよくわかりました。しかし状況はなに一つ変わっていません。それをよく理解できる方であることも知っています」


 たしかに状況はちっとも変わっていない、むしろもう確固たるものとなっている。どう考えても、わたしはこのまま目の前にいるこの人と――。


「結婚……」

「ええ。お父上殿も許してくれたことですしね」


 そして父様は三日後に領地へと戻り。

 さらに七日後。

 王妃様の元にいらっしゃった王様直々に、王妃様のご一族の養女に迎え入れる調整がついた父親も承知であると告げられて。

 さらにその十日後。

 婚礼衣装を仕立てるにあたり、王宮のわたしの部屋では手狭だと王妃様にぼやいたナタンさんの一言と、何故かその場にいた魔術師が「丁度契約も期限ですね」と実に悪人の笑みで恭しく王妃様に一礼し。

 あなたって本当に困った人ね、ルイ――と、心底わたしに同情を示した王妃様の言葉を了承の意として、わたしの部屋は王宮から魔術師の邸宅に移された。


 さらにその三ヶ月後。

 前夜に降った雪が朝日にきらきらと輝くよく晴れた冬の日――。


 再び領地から王都にやってきた父様から養父様の手へと、わたしは娘として預けられ。

 養父様に伴われて、わたしはナタンさん渾身の作である芸術品のような衣装に身を包み、大聖堂の通路に立った。

 幸せ者のマリーベルとして――。




第1部<完>

第2部「公爵家と新生活」に続きます。

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