変人魔術師に一目惚れされて結婚しました

第10話 恋敵

　一夜明けて、いつもより早めに身支度を済ませて客間から居間に出る。

　朝食はそちらでと告げられていたからで、居間に来てみればやっぱりオドレイさんの姿しかなく、彼女は朝食の用意をしていた。

　白いクロスをかけたテーブルにお皿や銀器を並べる、男装の麗人の姿は思わず見惚れてしまうほど素敵だ。

　雑念なく仕事に集中する凛々しく秀麗な横顔、さらりと癖のない黒髪が揺れる様に思わずため息が零れかけ、彼女と目が合った。

「おはようございます」

「お、おはよう……ございますっ」

　まるで昨晩のことなのなにもなかったかのような。

　冷静で抑揚のない少年のような声の挨拶に、慌ててしどろもどろな挨拶を返すわたしを困惑したように見る黒い瞳。

　苦しんでいた様子も、赤く十字に光るような瞳も、わたしの夢だったのではないかとすら思える。

　彼女から見れば主人の客が会釈程度とはいえ頭を下げたからなのか、オドレイさんは怪訝そうに眉を僅かに寄せたものの黙ったまま、かちゃりと取り分けたお料理を載せるためのお皿を置いた。

「えっと、あの……お一人、ですか？」

「はい」

　それがなにか？　

　そう言いたげな彼女の様子に、「昨日の夕食もオドレイさん一人でお給仕なさっていたなぁ……」って、言いながら両手の指先を胸元で組み合わせて話せば、更に怪訝そうに彼女は目を僅かに細めた。

「えっと、その……」

「お嬢様」

「は、はい。え、お嬢様？」

「旦那様のお客様のお嬢様では。ですから、そのような丁寧な言葉でお話になる必要はありません」

「お客様……ああそうか。そうだけど……いえ、そうじゃなくてっ！」

　静かで美しい佇まい。

　綺麗な所作と無駄のない動きでてきぱきと一人で仕事をしている彼女の様子を見ていたら、昨日の彼女に冷淡な魔術師の様子が次々と思い出されて段々と腹が立ってきた。

　こんなに素敵で、一目で優秀な使用人だとわかるオドレイさんに対して、なんなのあの悪徳魔術師はっ！

「昨晩あんなで様子で体は大丈夫なの！？　そもそもこんな広い家の世話を一人でなんて無茶よ。働き過ぎだわっ」

　――彼女は私が好きです。

　昨晩、彼から聞いた言葉が脳裏に甦る。

　明らかに魔術師を慕っているオドレイさんに、彼女に応えることはできないなんて誠実ぶって、ちゃっかりその好意につけ込んでいるじゃないの。

　あんなに苦しそうな様子でいた彼女をこんな朝早くから働かせて。

　それなのに。

「昨晩のことでしたら旦那様が処置くださったので問題ありません。あのようなところをお見せしてしまい大変失礼いたしました。邸については一時のことで使う部屋も限られていますから一人で事足ります」

　なんてこと。

　事足りるわけないでしょう。

　王宮の、王妃様のお部屋だって手入れは数人がかりなのに。

「駄目よ、そんなのっ！」

　スープが入っているらしい大きな銀の器を配膳用ワゴンから運ぼうと、体の向きを変えた彼女を止めるようにその手を取れば、反射的に彼女はわたしから身を引こうとした。

　少々強引とは思ったけれど、そうはさせじとを彼女の手を離す事なく引き寄せれば、驚いたのだろうオドレイさんが大きく目を見開く。

　わたしはその目を覗き込むようにして、彼女に語りかける。

「あなたの体のこと聞きました。いくら彼がそれをなんとかできてあなたが彼を慕っているからといって、そんないいように扱き使われては駄目っ！」

「は？」

「オドレイさんが大人しく従っているからって……あの悪徳魔術師っ」

「悪徳？」

「雇い主、それも好意を持っている主のことを悪く言いたくない気持ちはわかるわ。でもね、自分の身は大切にしなければ駄目」

　彼等の個人的な関係はともかく、この主従のあり方、搾取するような仕事のさせ方はよくない。

　そういえば彼女のことを拾い物だなんて言っていたし。

　いくら竜の血を引く子孫だからって、そんな人間扱いもしないなんてひどすぎる。　

　自分と一緒にいなければ彼女は五年と保たないなんて言っていたし、きっと言葉巧みに言うことを聞かなければ命に関わると脅して、彼女に従順でいるよう刷り込んだんだわ……なんてひどい！

　あの人のことだもの甘い言葉も使って、さらに彼女が逆らわないよう自分に好意を持たせたりしかねない。

　でなきゃ元傭兵なオドレイさんがこんな仕打ちに疑問も抱かず、黙って仕えているなんて有り得ない。

「劣悪な条件で働かせてはいけない法律だってある。大貴族相手でもきちんと手続きを踏めば裁きにだってきっとかけられます。ご先祖様の力のことは問題だけれど……魔術師はあの人だけじゃないもの。それに彼が抑える方法を知っているならなんとかして聞き出せばいいのよっ！」

「はあ……あのっ」

　困惑し切っている様子の彼女に、そうよねいきなり慕っている主人について突然言われても混乱しますよね。

　しかも婚約者だなんて紹介されているし、でも違うのわたしはあの悪徳魔術師なんかとこれっぽっちも結婚する気はないの、と思いながら彼女を抱き締める。

「とにかく、わたしはあなたの味方ですからっ！」　　

「みかた……」

「ええ、それに彼と結婚する気なんてこれっぽっちもないから安心して」

「それは困りますっ！」

　――ええ、それは困りますよ。マリーベル。

　何故か突然声を上げ、元傭兵らしい力強さでわたしを引き剥がしたオドレイさんに瞬きすれば、背後からそれはそれは耳に心地よい滑らかな声が若干の不機嫌さを伴って聞こえて振り返る。

「悪徳魔術師っ」

「……朝から酷い呼ばれようですね。しかも私という者がありながら何故オドレイに抱きついているのです」

「旦那様っ、違います」

「君がそう仕向けたと思っていませんよ、オドレイ。それにマリーベル、私は使用人に適正な労働条件を提示して雇っていますよ」

　彼の言葉と、それに同意するように深く頷いたオドレイさんに、わたしは彼女と彼の顔を交互に見た。

　オドレイさんの様子は彼を庇っているようには見えない。

「そう、なの……？」

「疑うなら書面をお見せしましょうか？　それに、ここの最低限の手入れは私が自分でしました」

「嘘」

「本当に貴女は……私という人間をまったく信用していませんね。私は魔術師です、埃を一箇所に集めて払うとか部屋全体清めるとかその程度のこと、人手をかけるまでもなく一瞬で……」

「できるの！？」

「できます」

「便利」

　便利だ。

　てっきり人の言葉を勝手に記録して言質を取るとか、こそこそ会話するのだとか、噂のように雷を落とすとか大火を地に降らせるとか竜巻を起こすとかそういったものなのかと。

「まあ、あまりそういったことには使いませんけれど」

「どうして？」

「魔術を使うのはそこそこ疲れますから、前に言ったでしょう？」

「ああ、そういえば……」

「お嬢様、この邸宅に私が一人なのは、旦那様が領地屋敷の使用人をあまりこちらに移動させては我々が困るからと、食事などは領地屋敷から瞬時に運べる魔術を施したからで」

「そうなの？」

「はい。調理も私が出来ればよいのですが」

「そういった期待は君には持っていません。そもそも従者兼護衛です。整えた後の維持と細々としたことをやってくれるだけで十分助かります」

「はい」

「そうなの！？」

　＊＊＊＊＊

　王宮まで歩ける距離なので歩いて行きますと、馬車は固辞した。

　まだ朝早くで歩く人の姿も少ない。邸宅や緑の多い貴族街は静かだ。

　朝の清々しさの中でまったくそれならそうと……と、魔術師の邸宅を出る前の問答や出来事を思い出し、納得いかない苛立ちをわたしの後ろをついてくる人物に若干ぶつけるようにぼやきながら石畳の道を歩く。

「まだ怒っているんですか？」

「当たり前です」

　なんなの本当に、紛らわしい。

　朝食後、彼が自室にいる間に王宮のお勤めに出ようとしたわたしは玄関ホールでオドレイさんに阻まれた。

　間も無く魔術師も王宮に向かうから馬車で一緒にと勧められ、そうだと思ったから先に出るのと断って邸宅を出ようとしたら、腕を掴まれたのにびっくりしてしまった。

『お嬢様は、旦那様がお嫌いなのですか？』

　ほとんど無表情ではあるものの、ひどく心配そうな声音で尋ねてきたオドレイさんに思わず言葉を濁す……どうしてそんなことを尋ねてくるのか意味がわからない。

　だって魔術師のこと好きなのよね、彼女。

『嫌いというわけではないですけれど』

　というより、積極的に嫌いになるほどの関心もない人なのですけれど。

　それなのに成り行きで婚約者に、それも順調に関係を育んでいるらしき間柄と周囲に思われているらしいのに心底困っているのですけど。

　それもこれもあの悪徳魔術師にそう皆が思うように仕向けられて――オドレイさんには悪いけれど、彼のどこに、彼女から見れば恋敵であるはずのわたしに彼を思って心配そうに尋ねるほどの慕う要素があるのか、さっぱりわからない。

　だからついこちらも尋ね返してしまった。

『あの、身分だとか主従だとかそういったこと言いたいわけではないのよ』

『はい？』

『その、オドレイさんは、悪と……彼のことが好きですよね？』

　わたしが彼を好きだったら困るはずだ。

　それにわたしが婚約者であることも快くは思っていないはず。

　初めて対面した時、睨むようにわたしを見ていたわけだし。

　そう、困るはず……だったら彼女とわたしの利害は一致する。

　従者である立場からわたしとのことを断固反対してもらうように頼んでみるのは、どう？

　いい考えかも。

　そんなわたしの思いつきは、彼女の言葉で一瞬で崩れ去った。

『私の事はオドレイと。ええ勿論です。旦那様は私が野垂れ死ぬところを拾って面倒を見てくださった恩人で、王国での後見人でもある父同然の方ですから』

『父？』

『はい』

『父って……お父様……？』

『はい』

『え、で、でもっ、最初に邸の入口で会った時にちょっと睨んでましたよね？　わたしのことっ』

『そんなことは……ああ、でも竜の血の影響であの日は目の調子が悪くて、申し訳ございません』

　首でも刎ねられる失態をしたような勢いで謝罪してきたオドレイさんに慌てて、いいの、いいんです気にしないで気にしてないですからっと言ったけれど、しかしやはりと表情だけは平然としたまま目だけは据わっている彼女の様子に並ならぬ悲壮感が伝わって、いいからっとわたしは強く念押しした。

　褐色の肌の色もあり鋼を思わせる美しい彼女の姿を眺めながら、はあっと思わずため息が出る。

　――彼女は私が好きです。しかし応えることはできない。

　身分や血筋に関係なくって……そういうこと！？

　わたしより四つ五つ年上に見える彼女は、彼の娘にしては大きすぎるだろうけど。紛らわしい言い方を――！

『お嬢様？』

『あの、わたしもそのお嬢様ではなく名前で』

『マリーベル様？』

『できれば“様”もなしのが……彼に招かれてはいるけれど貴族でもないし、それにわたしも王宮の使用人だから』

　そんなやりとりをしているうちに、「おや、待っていてくれたんですか。ジュリアン殿は今日は街を見て回るようですよ」、などと暢気そうな様子で現れた魔術師に再びわたしはため息を吐いてしまった。

「どうせ、わたしの反応見て楽しんでたに決まってる……」

「少しくらいは、心揺らいでくださるかと淡い期待を抱いたまでですよ」

「心揺らぐ？」

「私の側に付き従う美女、突如として現れる恋敵役としてはなかなかでしょう？　オドレイは」

「恋敵？　誰の」

「貴女のですよ」

　くるりと、わたしは振り返ると、わたしの歩みに合わせて立ち止まった魔術師を見上げてにっこりと微笑む。

「どうしました？」

「自惚れもそこまでくるとご立派なものですわ、魔術師様」

　ふん、とそっぽを向く勢いのまま彼に再び背を向けて、すたすたと歩き出す。

　そんなに怒らなくてもと繰り返し呟く彼に、知りませんと胸の中で返答する。

「せっかくの清々しい朝の散歩ではないですか」

「わたしはお勤めに行くんです。そもそもどうしてあなたまでこんなに朝早くから王宮に？」

「色々あるのですよ、私も」

　そういえば、邸宅があるのになんだかんだと毎日のように王宮にいる。

　結構、忙しくしているような時もあるし、王様のところに頻繁に出入りもしている。

　相手はこの王国を統べる王だ。

　いくらご友人とはいえ、そんな気軽にほいほい会いに行けるような方ではない。

　まして側近でもないのに頻繁に呼ばれるのも……王様の相談事？

　隣国との争いで活躍した最強の魔術師、その領地も東の国境に近い。

「もしかして、隣国となにか？」

「おや、どうしてそんなことを」

「たしか……あなたの領地お屋敷のある森林地帯って国境近くだったなと」

　わたしが生まれる前の大きな戦争。

　争った隣国とは、終戦後、講和に至っていなかったはず。

　睨み合ったまま、お互い我関せずな状態でもう二十年以上なにも起きてはいないけれど。

「貴女が心配するようなことはないですよ」

　ひらりと隣で紺色の袖が揺れたのを目で追えば、こちらに手を差し出している魔術師の微笑む顔が見えた。

「なんですか？」

「手を」

「どうして」

　そう返して、足を早めて彼の一歩前を歩く。

　当たり前だ、もう王宮はすぐ目の前なのに。

　どうせわたしが父様と一緒に魔術師の邸宅に招かれたことは王宮中に伝わっているはず、そんなところへ仲良く手をつないでのこのこと顔を出せばどんな噂が尾ひれをつけて流れるかわかったものじゃない。

「……つれない」

「当然です」

「そういえば、貴女一体、どうやってオドレイを手懐けたんです？」

「手懐け？」

「幼少期からフォート家に来るまで過酷な目に遭っていましたから。そのせいで無愛想な様子通りに他人と距離を置く人ですよ、彼女。朝食後、部屋にお茶を運んできて貴女と進展していないらしいのをどういうことかと問い質されました」

「はあ……それはまたどうして」

　なんだか、とっても嫌な予感がする。

「さあ。彼女の考えは私もよくわかりません。ですがオドレイがあなたを認めるというのなら、フォート家の使用人全員に認められたも同然ですから喜ばしいことです」

　私にとっては悩ましい問題でしたが、解決してなにより。

　これはもう幸運を通り越して、神の思し召しかもかもしれません。

　恐ろしいことを朗らかに言う魔術師に、慌ててわたしは声を上げた。

「な、なにを言って！」

「――神など、信じてはおりませんが」

　大貴族で善良なる王国臣民としては大問題な言葉が聞こえたけれど、それどころではない。

　彼にとって悩ましい問題だったですって！？

　解決してなにより？

「なんで……どうして……」

「絶対に逃してはなりませんと言われました。彼女を従える主としては失敗（しくじ）るわけにはいきません。あらためてどうぞよろしくマリーベル」

「どうして……」

　――お嬢様は、旦那様がお嫌いなのですか？

　どうしてそうなるの――！！

　王宮の衛兵を前に頭を抱えて不審がられながら、わたしは彼女のやけに心配そうな声音の問いかけに、どうしてきっぱり嫌いだと答えなかったのかしらと後悔した。