第7話 魔術師の邸宅

 王都は広い。

 王都の入口、街全体を囲む城壁の門をくぐり、親切な衛兵の方に方角を教えてもらっても、「あれが王宮?」と、目を凝らしてもわかるようなわからないような。高台に建つそれらしい一部が、なんとなく見える気がするくらいの大きな街だ。

 街は、王宮から見下ろされる形で、東西縦長に長方形を描く城壁に囲まれている。大きく八つの街道によって縦横の区画に分けられ、大雑把に中央広場から、王宮寄りの東側が貴族街、離れる西側が下町といった具合だった。

 東側に貴族街。

 王宮に近い区画ほど優雅で高級とされていて、大聖堂や上位貴族や高官のお屋敷、大商人の館が建ち並び、高級商店やその工房、王家の離宮や庭園なども点在している。

 西側には下町。

 城壁の門へと近づくほど庶民的な雰囲気となる。

 下町は露天商の集まる市場から王都に住まう市民の家、小さな水汲み場を兼ねる広場、小聖堂や初等教育を行う学校などがあり、静かで上品な貴族街と比べると活気があってちょっと荒っぽいところがある。

 中央部は、貴族街と下町の境だ。

 小さな森も有する中央広場があって貴族と平民共通の憩いと娯楽の場となっていて、広場を抜ければ下町の市場に出る。

 この中央部の広場周辺は、大学や劇場、文官武官の官舎、療養院等の公的な施設が多い。


「邸宅もお持ちだったのですね」

「一応は」


 魔術師だけど、公爵様でもあるものね。

 功績で叙爵された領地を持たない貴族や、王宮の一画に住むことを許されている人もいるから一概にとは言えないけれど、王宮に出入り出来るような上位の貴族の多くは領地に本邸、王都に別邸を持つ。

 ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォートだなんて、ご立派な長いお名前をお持ちの由緒正しき大貴族、悪徳……ならぬ最強と謳われる魔術師も王都に邸宅を持っていた。

 それも馬車なんて使うのが馬鹿馬鹿しいくらい、王宮の近く。

 王族や貴賓の方々が寛ぐための、庭園を愛でる離宮の敷地のお隣。

 まるで離宮に付属する建物であるかのような、三階建ての立派な邸宅だった。

 馬車を降り、魔術師の邸宅を見上げて、わたしは初めて王都の門をくぐった時のようにぽかんと呆けてしまった。

 アプローチの柱と外壁全部、艶々した白と薔薇色の大理石で出来ていて、大きい。これは――。

 

「掃除が、大変そう……」

「こら、なんて失礼なことをっ!」


 思わず口から出た第一印象の呟きを、すぐ斜め後ろに立つ父様にすかさず咎められる。

 肩をすくめれば、わたしに濃紺のローブの背を見せている魔術師がくすりと笑む気配がした。


「娘が大変失礼いたしました。お招きいただいて申し訳ない」

「いえ、まったくその通りなのでお気になさらず。第一声でなかなか鋭い指摘です。建物自体は管理していましたが、実は先々代からまるで使っていない屋敷なのです」

「え?」

「定期的に風は通してもらい、庭も手を入れてはもらっていますが、中は荒れ放題。恥ずかしながら使える部屋は限られます。本来ならとても婚約者とそのお父上殿をお招きする状態ではないのですが……下町の宿よりは寛げるかと」


 わたしと父様の先頭に立つ魔術師は、父を振り返るとそう言って微笑み、申し訳なさそうに軽く肩をすくめる。

 なんといっても大貴族。

 それも公爵家の当主様。

 彼の胡散臭さを知らない父は恐縮し、汗の浮いた額をハンカチで拭った。


「ですから失礼なのはこちらの側です」

「はあ……本当にご親切に、どうも」

「なにを仰います。彼女と結婚すれば貴方は私のお義父上ちちうえです。なんの遠慮も要りません」

 

 ほら、きた。

 さっきから黙って聞いていれば、婚約者だのお義父上だの……そんな言葉を散りばめて。

 絶対、意識的に話しているに決まっている。


『本当にあなたという人は疑ぐり深いですね、マリーベル』


 昼食の時と同じ、また直接彼の声が聞こえて驚く。

 

『貴女に施した魔術は日暮れまで有効です。私の近くであまり無防備でいると、なにを考えているか筒抜けですよ』


 え、ということは……馬車の中でも!?


『ええ、もちろん。離宮の庭園が見たいのならご一緒に参りましょう。王妃に頼めばなんのこともないでしょう』

『参りませんし。聞いていませんっ、そんなこと!』

『言っていませんからね』


「なっ……!」

「なんだ、急に妙な声を上げて。マリーベル」

「い、いえ……な、なんでも」


 お昼の後にすぐに別れたので、言い忘れましたと。

 見え透いた言い訳をわたしにしながら、涼しい顔で父様に荷物は従者に後で運ばせましょうなどと話している彼をわたしは睨みつける。


『でも、あなたの声なんてわたしには聞こえませんっ』

『私は魔術師です。自分でかけた魔術で相手に考えが筒抜けになるなどと間抜けなことしません』

『ずるいっ! そんなの!』

『嫌なら、心にかんぬきをかけることです。そうすれば読み取られませんよ』

『かっ、閂!?』

 

 閂って……あの門の左右の扉を閉じるようなあれ?

 そんなの、どうやって。


『魔術としては初歩中の初歩です。あなたのような人ならきっと教えるまでもない』


 心に閂……心に閂……そんな想像でもすればいいのかしら。

 いやでも、心なんてそんな形があるものではないし。


「ほう、なかなか筋のいい」

「え?」

 

 ぼそりとなにか彼が呟く声に、いつの間にか俯き加減になっていた顔を上げた時だった。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 出迎えの声。

 やや低く凛とした響きでよく通る、女性の。

 玄関扉の前に、深い灰色の従者の服を身につけたすらりとした立ち姿があった。

 この国では珍しい褐色の肌、真っ直ぐな黒髪は前髪を作らずに額を出して顎先の長さに切り揃え、切れ長の目の瞳も黒い。

 いつからそこにいたのかしら、魔術師のローブの影に隠れていて全然気がつかなかった。

 だけど。


「素敵……」

 

 男装の麗人。

 そんな言葉がぴったりだ。

 背が高く、男装していても艶やかでいて、それでいて媚びたところがまるでない冷ややかな美貌。なんとなく鋼を思わせる美女だった。

 

「オドレイ」

 

 いつも不審なほど甘く穏やかな彼とは異なる、あるじ然とした魔術師の声。

 使用人だから王宮で和やかに人と話すのとは、多少、違うかもしれないけれど。

 なんだか、ちょっと厳しいような冷たくさえ思えるような。

  

「北西のユニ領の領主・ジュリアン殿とそのお嬢さんで私の婚約者のマリーベル嬢です」


 魔術師が父様とわたしを紹介し、オドレイと呼ばれたその人は静かに頭を下げ――このお嬢様がと、何故か射抜くような目で真っ直ぐにわたしを見て口の中で呟いた。

 オドレイ――と、たしなめるように彼がまた彼女の名を呼ぶ。


「そんな不躾に見詰めては彼女に失礼です。君はただでさえ冷たい感じのする人なのですから」

「申し訳ありません」

「ああ、すみません。彼女は私の従者でオドレイです。こう見えて元傭兵だったためかどうも目つきが鋭くて……護衛としては優秀なのですけどね」

「はあ」

「失礼いたしました」

「い、いえ、気にしていませんし。お気になさらず」


 深々と頭を下げられ、慌てて両手を前で振ってそう言えば、静かに彼女は顔を上げた。

 冷たいなんて……たしかに少し近寄りがたい雰囲気ではあるけれど。

 あらためて見ると、やっぱりすごく綺麗な人だ。

 こんな人が元傭兵だなんて、しかも彼の従者?

 普通、男性には男性の使用人、女性には女性の使用人が仕えるものだけれど。

 

『私でなく、彼女の名誉のために言っておきますが、私と彼女の間によこしまなものはないですよ』

『……っ!』


 そうだった。

 ほんの一瞬、ちらりとはいえ、わたしなんてはしたなくも失礼なことをっ!

 魔術師はともかく、人を色眼鏡で見るようなことをしてしまうなんて恥ずかしい……。


『私はともかくって……それではまるで私が、変態の品性下劣な悪徳貴族のようではないですか』

『大体その通り……いえ、そのすみません』

『私は変人かもしれませんが変態ではありませんし、品性下劣な悪徳貴族になった覚えもありません』

『はあ、ですか』


 ご自分で仰っておいて、きっちりと訂正するあたり誇り高い。

 たしかに詐欺師で卑怯で悪徳だけど、品性下劣ではなさそうよね。


『まだ言いますか。それより、先程からジュリアン殿を放ったらかしです』


 そう言って、わたし達親子へ体ごと向き直ると家の中へ入りましょうと彼は言い、オドレイさんが扉を開ける。

 

「こんなところで、いつまでも立ち話していてもですから。オドレイ、馬車に客人の荷物があります。客間へ運んでおいてください」

「いや、そんなっ! こんな美しい女性にそんなことはさせられないっ」


 家の中へ入りざま、魔術師がオドレイさんに命じた言葉に父様が抵抗を示す。

 わたしも同感だ。

 大した荷物でもないし、自分で運べる。

 父様だって、ユニ領から王都まで自分で持ってきただろう。

 

「ジュリアン殿、貴方は私の客人でオドレイはフォート家の使用人です。それに並の男性よりずっと力も体力もありますからご心配なく」

「しかし……」

「ジュリアン様、お気遣いなく」


 どうぞ、と。

 とてもそれ以上抵抗などできない硬い声で彼女に促されて。

 なんとなく釈然としないような気が引けるような思いで、わたしと父様は屋敷の中へと足を進めた。



 *****



 正直。

 王妃様の側にお仕えしながら、大貴族というものがわたしはどんなものかよくわかっていなかった。

 

 天井が吹き抜けの玄関ホールは、ちょっとした内輪の夜会なら出来そうに広く――。

 その高い天井の中心に吊り下がっている、落ちてきたら確実に潰されて死ぬといった大きさの、無数の硝子が煌めくシャンデリア。あれに蝋燭か油を乗せ、明かりを灯すだけでもきっと一苦労だ。

 玄関の真正面に二階へ上がる赤い絨毯を敷いた階段があり、玄関ホールの奥で建物の左右へと廊下が続いている。

 柱や壁や手摺りなど、室内の至る所に植物文様も精緻な装飾が施され、金彩がさりげなく豪奢さを添える。

 なにか伝承をなぞらえている壁の継ぎ目に嵌め込まれたレリーフが、ただ豪華なだけではない由緒正しき古い家系の重厚さを加えていた。

 

 なに、この無駄な豪華さと広さ。

 こんな王宮の離れ並に立派なお屋敷を、まったく使わずに放置していた!?


「信じられない……」

「そう仰られましても。あまり王都に来る用もないもので」

「閣下に乞われてとはいえ……こんな立派な家の奥方など務まるのか?」


 無理、絶対無理。


 心配そうな父様の言葉にふるふると首を横に振れば、財産の管理も含め家の雑務はすべて使用人が取り仕切っていますからご心配なくと、魔術師が言った。


「主である私も、さっぱりわかりませんから」


 主である私もさっぱりって……。


「そんな、無責任なことっ」

「皆、信頼に足るフォート家に尽くしてくれる者達です。仮に少々不正をされたところで使い切れもしない財産ですから別に構いません。まあ、国でも建てて独立しようとでもされたら多少怪しいですが」

「仰ってる意味がさっぱりわかりませんっ」

「なにも気になさる必要はないということです」


 国……国って。

 一体、どんなお金持ちなのっ。

 あまりに非常識な話に、父様なんて言葉を失って放心している。


「古い屋敷です。玄関ホールなど、昔は客人を驚かせるような場所でしたからこのようなものですが、他の部屋は王宮の居室と大して変わりませんよ」


 こちらです、と彼は玄関ホールから左側の廊下へとわたし達を誘導する。

 それにしても、この人。

 王宮のすぐ近くにこんな邸宅を持ちながら、王宮にも部屋を持っているってどういうことなの。

 

「ひとまず応接間でお茶でも、落ち着いたら食事にしましょう」

 

 それはそれは見事な天井画に、たしかに少々古びてはいるものの薄紅色のしっかりした絹地が張られた長椅子ソファも素敵な、王妃様のお部屋に勝るとも劣らない応接間に通されて。

 わたし達親子はしばし無言となったのだった。

 

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