第6話 父来たる
「ぅん……まぶし……」
窓から差し込む朝日が眩しい。
今日はお休みの日。
世の中の人々は、安息日にお休みを取るものだけれど、わたし達王宮勤めの者は交代で休日を取る。
王宮に人のいない日はなく、王様や王妃様のお世話をお休みするわけにはいかない。
わたしはまだぼんやりする頭で、もう少しだけと、再び寝具の中に潜り込んだ。朝寝坊はお休みの日の醍醐味だ。
けれどこのもう少しが、思った以上の時間になってしまうことはあるもので。
目が覚めたら、朝というには少々遅い時間になっていた。
「……寝過ぎよ」
あの悪徳魔術師のせいで、最近疲れていたせいかしら……と、ため息を吐きながら服を着替える。
下賜された侍女のドレスではなく、明るい黄色の私服のドレスを王宮付の下女に手伝ってもらって着て、なにしようかしらと考える。
まずは近くの大聖堂へお祈りしに行って……それから
ああでも大聖堂から、久しぶりに街へ出るのもいいかもしれない。
そんな休日の予定を立てつつ自分で髪を結い上げていたら、扉と床の隙間にすっと封筒が差し込まれる。
「手紙?」
故郷の、遠い遠い母方の親戚である伯爵家の夫人が、時折、王都の品を送るよう頼み事をしてくる手紙か。それとも結婚した元同僚か。
髪を結い上げる時に一緒に編み込んだ、服と色を合わせた黄色のリボンを耳の後ろで結びながら、部屋の扉に近づいて封筒を取り上げて差出人を見る。
「ジュリアン……ユニ……って」
――父様っ!?
慌てて、封を切って手紙を開いた。
“愛しい
王の誕生祭にフォート家の当主から求婚されたとグレゴリーの便りで知った。
一体どういった事なのか詳しく説明しなさい。
公爵家なんて大貴族との縁談。そんな大切な事、何故、父に一言の相談も報告もないのか――”
そ、それは……結婚なんてこれっぽっちもするつもりないからです。
だから知らせずにいたのだけれど。
まさか、法務大臣様が知らせるなんて!
“これから王都へ向かう。
この手紙が届く頃には到着するだろう。
王妃殿下にはグレゴリーを通じ、親子の話し合いのため時間をいただけるよう話を通しておく。
フォート家の当主にもご挨拶させなさい。
父より――”
ちょっと待って、この手紙が届く頃って。
説明って。
それよりなにより、フォート家の当主って。
あの悪徳魔術師に会わせろと……。
「そんな……父様に会わせたら、どんなことに利用されるかわかったものじゃない」
あ、でも。
父様に事情を話して、断固結婚に反対してもらえば……婚約解消できる、かも?
「そうよ! 結婚には父親の許可が必要だもの。わたしが望んでいないのに首を縦に振る父様ではないはずっ!」
その時のわたしが、どれほど考えが甘かったか。
大聖堂のお祈りから帰ってすぐ、部屋に戻る前に法務大臣様の使いの方から、温室の
*****
「ああ、おかえりなさいマリーベル。大聖堂はいかがでしたか? 私服だとすっかり可愛らしいお嬢さんですね」
手を挙げて昼食の席へにこやかに迎えてくれたのは、法務大臣様でもなければその向かいに座る父様でもなく。
濃紺色の絹のローブに銀色の髪が特徴的な、魔術師の彼だった。
「貴女の席はこちらですよ」
法務大臣様と父の手前、邪険に扱うことも出来ず。
大人しく近づいたわたしの手を彼は取ると、父様の隣の席へと誘導する。
その手を払いのけることも、当然出来ない。
仕方なく、どうもとお礼を言って促された席についた。
久しぶりに会った父様の顔へとちらりと目を向けて、健康そのものな顔色をした少し角ばった横顔に元気そうだわと少しほっとした。
前に会ったのいつだったかしらと考えながら、法務大臣で王国北部貴族の名門伯爵家の当主でもある、グレゴリー・ド・サンシモン様へ季節の女神を讃える言葉を織り交ぜた型通りの貴族社会の挨拶をする。
父様はお友達なので、グレゴリー、ジュリアンと互いに名前呼びの気やすさなのだけれど、娘まで同じわけにはいかない。
「お招きありがとうございます。あの……サンシモン法務大臣閣下、どうして魔術師様まで父と一緒に?」
「なんだ、久しぶりに会った父にろくに挨拶もせず。どうしてもなにも、お前が公爵閣下に話をしてくれていたのだろう?」
「えっ」
「儂が王宮に着いてお前に取り次いでもらおうとしたら、儂のことならお前から話を聞いていると声を掛けてくださった。お前は休日のお祈りに出かけたからと、グレゴリーのところへ案内までしていただいて」
「知りません、そんなのっ」
なんで?
どうして、わたしが出かけたことも父様が王宮を訪ねてくることも知っているの!?
わたしが魔術師を睨みつけたことで父様も不審に思ったのだろう、だったらどうして……と呟く。
すると彼は、ああどうやら誤解させてしまったようですねと平然と答えた。
「私はたまたま通りかかっただけです。マリーベルの取次を王宮の使用人に頼んでいるのを耳にしたものですから、もしやと声を掛けました。マリーベルから王都に学問に出て法務大臣とご学友だった話は聞いていましたから」
「成程」
「どうして、わたしが聖堂にお祈りに出かけたことまで知っているのですか?」
「今日は姿を見かけないので、あなたのご同僚に尋ねたからですよ。そのすぐ後でお父上殿とお会いしたんです」
「う……」
いつもながら筋の通った返答だったけれど、なんとなく釈然としない。
だって人が常に行き交う王宮で、父様がわたしの取次を頼んでいるところへ都合よく出くわすなんてそんな話がある?
『あなたのそういった鋭いところ嫌いじゃないですよ、マリーベル』
「えっ!?」
突然聞こえた魔術師の声に思わず声を上げれば、どうしたと父様と法務大臣様から一斉に目を向けられる。
「ええっと……なんでもありません」
「まったくお前は。十九にもなって落ち着きのない」
これはもしかして。
二人には、魔術師の言葉が聞こえていない?
『ええその通り、聞こえていません。貴女と私の間だけです。先程、貴女の手を取った際に少しばかり細工しました。同じテーブルの席につくくらい近い距離でなければ効かないものですがね』
『どうして、そんな』
『おや、なかなか適応の早い。貴女、魔術の適性があるかもしれませんね』
『ありません。ちゃんと答えて!』
『私との会話に夢中になってくれるのは嬉しいですが、お父上殿や法務大臣を蔑ろにしてはいけません』
そうだった。
父様に目をやれば、不思議そうな顔をして今度はやけに大人しいなと呟いた。
「そりゃ、婚約者を父親に引き合わせる席なんて。いくらマリーベルでも緊張する」
「ふむ」
法務大臣様の言葉に、父は唸ってその四角い顎先を撫でる。
それにしても……と、法務大臣様はわたしと魔術師を交互に見た。
「王と国中の有力者が見ている場で求婚なんてしたかと思えば、四十日間の婚約期間などと古いしきたりを持ち出して……一体、なにがどうなっているのかと心配していたが、どうやら家族の話をするくらいには上手くいっているようで安心した」
「あ、いえ――」
「おかげさまで」
それは、違う――と言いかけたわたしの言葉を遮るようにしれっと彼が答える。なにがおかげさまなの、とわたしが胸の内で思っている間に昼食が運ばれてくる。
小麦粉のパンにウサギ肉のサラダ、鳩肉と野菜のスープ煮とひき肉のパイ、アーモンドと蜂蜜をまぜた焼菓子と葡萄の実をそれぞれ盛り付けた皿があっという間にテーブルに並べられた。
「取り分けましょう」
魔術師が腰を上げて、銘々の皿へ料理を分け、一番最初にわたしにどうぞと渡した。
こういった場合、男性が女性に取り分けるのが所作ではあるものの、相手はなんといっても悪徳魔術師なだけについ疑いの目で見てしまう。
『なんの細工もしていませんよ』
『当たり前ですっ』
『もういい加減、諦めたらいかがですか? 別に私が心底嫌いというわけでもないのでしょう?』
『あなたのやり方が納得いかないんですっ』
『納得いくならいいんですか?』
納得もなにもいまさら遅い、と思いながらふわふわと柔らかいパンを頬張る。
給仕係がワインを持ってきて勧めてきたのを断れば、なら果汁とハーブを加えた水でもお持ちしましょうかと提案されてお願いしますと頷く。
わたし以外は、ワインの杯を側に置いていた。
こういった場とはいえ、いつもは自分がなにかと気を回す側なので、なんとなくお尻がむずむずするような落ち着かなさを感じる。
「王宮中の方々が、我々を温かく見守ってくださっていますから。彼女と出会ってまだ日は浅いですが、彼女がこれまでいかに王宮で皆に愛されてきたのかが窺い知れます」
「ふむ、王宮でうまく務めているようならなによりだが……不甲斐ない話ですが、この娘は父親に殆ど便りを寄越さんのです」
婚約するにしたって、普通は相手の家族にお伺いは立てるものだ。
それを無断で、勝手に決めてしまうのは高位貴族の横暴といってもいいもので、そういったことを最も嫌う父様が普通に話しているところを見ると、どうやら“案内”の間に魔術師は、詫びるか弁明かして父様を話は通したらしい。
だとすると、この場で婚約破棄したいなんて言い出せない――!
「離れた地にいらっしゃる父親にいらぬ心配をかけさせないようにでしょう。まだ若いお嬢さんなのに誕生祭の時も立派に務めを果たしていましたよ」
「たしかにマリーベルはよくやっている。王妃殿下や他の侍女達だけでなく、出入りの職工に至るまで評判が良いと聞くし」
「恐縮です」
魔術師はともかく、突然、法務大臣様から誉められて頰に血が上ってしまう。
父が、よい人たちによくして貰っているようだなと言い、ええと微笑んだ。
たしかに王妃様は優しいし、最初の頃は色々あったけれど同僚との関係もいまは良好だ。父様にも安心してもらえてよかった、などとようやく寛いだ気分になりかけた時だった。
ひき肉のパイを飲みくだして魔術師が口を開き、その言葉に、寛いだ気分は一気に遠ざかった。
「そんな彼女に、惹きつけられたといいますか」
「え……」
「お父上殿を前にしてですが、年甲斐もない情熱で手続きも踏まず求婚などと、あのような暴挙に出た自分がいささか恥ずかしくも思えるこの頃で……」
いささか恥ずかしい!?
毎日毎日、人の外堀を埋めるような振る舞いばかりしておいて。
なにをいけしゃあしゃあとおぉぉっ。
「あら、わたしをあんな晒し者のようになさって、今更そのようなことを仰るんですか?」
「強引だったと、その程度の反省はしていますよ。私も」
「……」
「貴女が戸惑うのも無理もないと婚約期間を設けましたが、いまではそれでよかったと思っています」
「では、娘はあなたの求婚を受け入れたわけではないと? 失礼ながら貴方との縁談のことはグレゴリーから知らされたくらいで娘からはまだなにも」
「いえ、婚約期間中に私との間で懸念される様々な問題が解決できるのなら結婚していいと仰ってくれました」
「それはっ……」
「貴女の仰る通り、私達の間には色々と隔たりがあるのは事実ですからね、マリーベル。お父上殿に知らせずにいたのもそのためでしょう。憶測ながら、どう伝えていいものか迷っていたのでは?」
勝手に、わたしの心情をさもそれが真実かのように父様に伝えないでっ。
ああ、またこの人の胡散臭い話術のペースに。
『胡散臭いとは随分な、別に嘘は言ってはいませんよ』
戸惑う貴女に譲歩して、婚約期間を私が持ちかけたのは事実でしょう?
貴女ははっきりと、問題なければこの私と結婚すると仰った。
いますぐにでも記録に再現できますよ?
それにあなたの心情について、きちんと憶測だと断っているではないですか。
『う、うぅ……』
たしかに、なにからなにまでその通りだけれど、なにからなにまでそうじゃないっ!!
それにしても。
わたしと会話しながら、父と法務大臣様と会話し、食事も進めているのは器用だ。
『まあ魔術師ですからね、これくらいのことは』
もうテーブルのお料理はあらかた片付いている。
魔術師は見かけによらず、健啖家だ。
ワインももう三杯目だけれど、ちっとも酔いが回る気配も見せないし。
ここで私が仕事をしているのを眺めながらお茶をしている時も、結構な量のお菓子や軽食を食べている。
『魔術というのは研究するのも使うのも、なかなか消耗するものなんですよ』
『わたし特にそんな感じはしませんけれど』
いまこうして彼と話しているのって魔術なのよね?
『貴女の声を私に届けているのは、私がやっていることですから』
『ああそっか。そんな疲れるようなことなら別にこんなこと……』
『おや、心配してくださる?』
『そういったわけじゃ……』
『こうして父親を前に話している、あなたの本当のところも知りたいですから』
えっ……と、思わず声に出てしまった。
どうした、マリーベル? と隣で訝しむ父の声を聞きながら、わたしの目の前で黙ってワインの杯を口元に運んでいる彼の目元がふっと和らいだのを見る。
「情熱で手続きも踏まない暴挙とすらいえる求婚にはなりましたが、私は彼女に皆から祝福される幸せな花嫁であってほしいと思っているのです。勿論、彼女のお父上である貴方にも。ジュリアン殿とお呼びしても?」
ずるい――。
あなたのような大貴族から、そんな言葉と態度で親愛の情を示されて、それを正当な理由もなく拒否できるような父様じゃない。
*****
昼食会はデザートを食べて食後のお茶を飲み終えるまで滞りなく。
その後、わたしはその場から解放された。
法務大臣様はお仕事に、父様はもう少し彼と話がしたいと魔術師と一緒にどこかへ行ってしまった。
二人が話って……あの魔術師が父様を丸め込むのではないかと気が気じゃなかったけれど、とても自分も同席したいなどとは言い出せない父様と彼の雰囲気に諦めた。
ひとまず、自分の部屋に戻る。
「疲れた……」
お行儀悪く、寝台の上に倒れてごろりと転がれば、部屋の扉の隙間にカードが落ちているのに気がついた。
部屋に入る時は昼食時のことで頭がいっぱいで気がつかなかった。
「なんだろ」
寝台から降りて、床からカードを拾い上げる。
王妃様が手紙を書くときに使うような上等な紙を二つ折りにしたカード。
流麗な濃いブルーの文字が書かれている。
“貴女がお部屋に戻るのは昼食の後と見越して、こちらを残しておきます。
温室であなたが王宮勤めになった経緯をお聞きし、すぐ法務大臣と話しました。
貴女まだお父上殿に私のことを知らせていなかったんですね。
法務大臣から送った手紙の返事にそうあったと、心配されました。
ああ、近くこちらにいらっしゃるようですので、その際はご挨拶の場を設けて欲しいと法務大臣に頼みました。
勿論、手紙の仕分け係にもお父上殿から便りがあれば、それとなく知らせてくれるように頼みました。あとは王宮の出入りにそれとなく注意を向けていれば、対面するのは簡単なことです。
貴女は勘のいい方です。私も妻となる人にまるで悪巧みのような隠し事などはしたくはありませんから……”
「……お伝えしておきますぅ〜っ?!」
な、な……なんてことっ!!
そんな手を回されていただなんて、怒りで
思わずくしゃりとカードを握り締めそうになり、まだ続きがあることに気がつき慌てて紙を開いて目を走らせる。
正直、読みたくないけれど、あの悪徳魔術師の言葉なんて読まずに捨て置いたらどんなことになるかわかったものじゃない。
“さて、長い前置きとなりましたが、本題はここからです。
実は、王都の邸宅を本邸から従者を呼んで整えることにしました。
お父上殿は三日程滞在されるようなので、ぜひ貴女と共にお招きしたい。
お勤めに通える距離の場所で、王と王妃にはすでに話は通してありますからご心配なく。
あとでお迎えに伺いますからどうぞよろしく。
愛を込めて。ルイより”
な、なにが……。
「愛を込めてよっ、あの悪徳魔術師っ!」
誰が行くもんですかっ、と今度こそカードをぐしゃりと握り潰して悪態吐くも、王様や王妃様に話を通されおまけに父様まで人質に取られては――どう考えたってこれは人質だ――行くしかない。
仕方なく荷物を用意して、ふと、このカードの内容を証拠に彼になにもかも仕組まれているのを訴えられないかしらと気がついて一度握り潰したカードを開いて皺を伸ばしてみたら。
それはもうただの白い紙で……。
「文字が、消えてる……」
その後、迎えにきた魔術師に不承不承で荷物を預けながら尋ねれば、悪徳魔術師って言葉に反応するようにしておいたのですが、まさか本当に仰るとは……と、酷い方ですねと何故か傷ついたように言われ。
もうどうにでもしろっといった気分で、わたしは父と、彼が手配した馬車に乗り込んだ。
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