第5話 王妃の侍女

 王宮の温室オランジェリーは、当たり前だけどなかなか立派だ。

 元々は寒さに弱い柑橘類の木を越冬させるためのもの。

 小さな館というよりは、ほとんど小ぶりの一棟の建物といってよかった。

 レンガの壁は半ばほど。

 建物の南側は陽の光を取り込むため、大きな硝子窓が水晶細工のように嵌め込まれている。

 窓からの陽光だけでは冬の寒さはしのげないから、冬場は設えられている暖炉に火を入れ室内を暖める。


「ここ数日、眺めていましたが……。貴女、“緑の指”の持ち主なのですね」


 園芸趣味を持つ王妃様の鉢植えは、温室の南の一画にある。

 ハーブやバラの鉢が大半だけれど、少し珍しい種類の百合の花などもあった。


「別に、農地を治める領主の娘ですから。こうしたことに慣れているだけです」


 建物は広々としていて、特にこれからの季節ここはちょっとした社交場サロンになる。

 お茶を楽しむための白いテーブルセットや、休憩のための寝椅子カウチなどもあった。

 わたしが鉢植えの世話をする背後から話しかけてくる声の主は、王宮の使用人に軽食とお茶の用意をさせて、ただいま白いテーブルセットでお寛ぎの最中だ。

 もちろん、わたしは仕事中。

 王妃様の鉢植えのお世話は、わたしの仕事の中で王妃様がさすがねと誉めてくださることの一つでもある。

 故郷の屋敷の庭で薬草を育て、領内の畑仕事を手伝いながら教わった技能がまさか王宮のお勤めに役立つとは思ってもいなかったけれど。


「“緑の指”だなんて、そんな大層なものじゃ……」


 話しかけてくるのを無視し続ければ、余計に面倒なことになる。

 ここ数日でうんざりするほどそれを経験し、わたしは適当に応じることを覚えた。


「いや、なかなか大層なものですよ。お世辞じゃなく」


 例えばその右隅の鉢……と、濃紺色のローブの袖を垂らして彼は、一つのバラの鉢を指差す。


「咲かせる以前に育てること自体が難しい。寒さに弱くすぐ病や虫がつく。それほど綺麗に育っている苗は市場でもそうは見ません」


 仕事ぶりを誉められて悪い気はしない。

 それがたとえ悪徳魔術師であっても。


「温室はある程度、温度も保たれます。それにハーブと香辛料を浸した水を吹きかけているからかと。虫が嫌がって近づかなくなり病気になるのもいくらか抑えられます」

「成程。是非その配合お教えいただきたいものですね。私の屋敷にも薬草園がありますから」


 最強の魔術師の薬草園。

 それはちょっと見てみたい、きっと珍しい薬草もあるに違いない。


「興味ありますか?」


 思わず振り返ってしまったわたしを見て、彼はにっこり目を細めてお茶のカップを持ち上げる。

 慌てていいえと返事をし、土の弱った鉢に貝殻を砕いた粉を振りかける作業にわたしは戻った。


「遠慮なさらなくてもいいですよ。貴女ならいつでもお招きします」

「だからけっ……行きませんから」


 結構です、と言いかけたのをとっさに言い直す。

 なんといっても悪徳魔術師。

 どんな言葉をどう取り上げるかわかったものじゃない。

 

 結構です。

 そうですか、結構ならば行きましょう――などと。

 彼なら言い出しかねない!


「ふむ、貴女のそういった用心深いところ嫌いじゃありませんよ、マリーベル」

「……やっぱり」

「そんななんでもかんでも揚げ足とったりしませんから、少しは警戒を緩めてくれませんか」

「人を警戒させるようなことばかりなさる方に、それは無理な相談です。休憩ならここでなくてもいいでしょうっ」


 そうなのだ。

 王妃様の鉢植えの世話が毎日の仕事の一つと知られてからというもの。

 彼はわたしが仕事でここを訪れる時間に合わせてやってくる。

 お茶を嗜みながら寛いだり、寝椅子カウチに横になって本を読んだりしながら、こうしてなんとなく私と過ごしているかのように話しかけてくるのだ。

 おかげでわたしは仕事をしているだけだというのに、婚約中の二人がささやかな逢瀬を楽しみ……などといった噂が王宮中に広まってしまっている。

 悪徳魔術師曰く、王宮にいると舞い込んでくる用事を片付け、ひと息入れる時間がわたしが仕事でここを訪れる時間とたまたま重なるだけとのことだけれど、悪徳だもの怪しいものだ。

 世話する植物の観察記録もつけているから、時間を変えるわけにもいかない。

 そもそもこの人の為に、どうしてわたしの仕事が左右されなければならないのと頭が痛い。

 同僚には冷やかされるし、顔馴染みの貴族から揶揄やゆされるし……王宮関係者の方々からは、なんだか微笑ましい眼差しで見守られている雰囲気も感じられて。


 毎日が、つらい――。

 

「ここは日光浴も出来て緑も多く快適ですから。これからの季節は特に」

「日光浴って……」


 袖も裾も長くたっぷりした絹のローブに全身包んでいる人が、なにを仰っているのだか。人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

 本当に寛ぎにきているのかもしれないけれど、この人のことだもの。

 噂を立てて外堀を埋め、わたしがこの人の求婚をより断りにくくなるようにといった、策略も兼ねているような気がしてならない。


「それにしても、貴女のお父上殿は一体どういった方なのでしょう」

「はい?」

「田舎領主の娘などと貴女は仰いますが、誰でもかれでも王宮の行儀見習いとして上がれるわけではありません。王都に住まう貴族の御令嬢でも難しい。地方の方なら尚の事、普通はその地域で力のある貴族のお屋敷の世話になるものでしょう?」


 父様がどんな人かといったところで、また婚約結婚絡みでなにか企んで……と一瞬身構えたわたしだったけれど、彼の疑問を聞いて、なんだそんなことかと今日の鉢植えの世話を終えて立ち上がった。

 それはたしかにこの人が疑問に思っても不思議じゃない。

 実際、王妃様と出会った時も、「あらまあそんな遠いところから、お嬢さんがみえるのは珍しいわね」と言われたし。


「貴女は言葉も王都生まれのご令嬢のように綺麗ですからね。ご本人から聞かなければ、田舎領主の娘だと言われてもすぐには信じられません」


 なんだろう。

 今日は随分と誉め言葉が多い。

 なにを企んでいるのかしら。


「その、人を詐欺師を見るような目で見るのを止めてもらえませんか。仮にも私は貴女の婚約者ですよ」

「ほとんど詐欺同然で婚約を承諾させたのどこの誰です。たしかに父は田舎領主ですが、祖父の方針で若い頃に王都で学問に出してもらった人なんです。それで学生時代の伝手つてを頼って。法務大臣様が寄宿舎で同部屋だったとかで……」

「法務大臣、名門貴族のサンシモン伯とはまた、随分と強力な伝手つてだ」

「それで行儀見習いの選別枠に入れてくださったんです」

「成程。それで、どんなきっかけで行儀見習いから王妃の侍女に?」

「うっ……それは……」


 正直、あまり言いたくない。


「どうしました? 隠すようなことなのですか? まさか裏取引き……」

「馬鹿なこと言わないで! ああ、もうっ。あれは、王妃様がお庭でお茶会を開いた日で――」


 王宮にお戻りになった際、引き連れていらしたのは取り巻きのご夫人やご令嬢方の方々や、彼女達の侍女だけではなかったようで……。


「その、虫……ちょっと大振りな芋虫がですね、王妃様のドレスの裾に」

「はあ、芋虫」

「王妃様は園芸がご趣味なだけあって落ち着いたものでしたけれど、取り巻きの方々だけでなくその侍女や王妃様付きの女官まで大変に怖がって騒いで」

「ふむ」

「わたしは、たまたま廊下の花瓶のお花を入れ替えようと通りかかって。何事かと思えば、ただの芋虫でしょう? なんだと思って」

「ええ」

「刺されたら嫌だし一応ハンカチは使ったのですけれど、ちょっと摘んで手近な窓から逃がしてあげたら……それでまた、皆様大騒ぎしたものですから」

「ん?」


 ――王宮にいらっしゃるような方々が、揃いも揃って芋虫一匹にうろたえてなんですっ!


「――と、一喝してしまいまして……」


 ぶっ……くくくっと笑い声を立てるだけでなく、飲みかけていたお茶に盛大にせ、見目麗しいお顔を歪ませ苦しげに咳き込みながらも笑い声を滲ませる彼に、だから言いたくなかったのよとわたしはため息を吐く。


「笑い事じゃっ」

「え、ええ……申し訳ありません。マリーベル……想像していたよりずっと想定外な経緯だったもので、つい」


 まだ、おさまらないらしい。

 いくらなんでも笑い過ぎと彼に近づいて顔をしかめれば、失礼と口元に手をやって彼はわざとらしく咳払いした。


「あのですねえっ、王妃様がお気を悪くされず、その場にいた皆様をとりなしてくださらなかったら、危うく王宮を出て行くことになるところだったんですか……ぁ、ッ?!」

 

 らっ――と口を開けたところに、彼が三段の菓子皿から取った小さなパイを詰められて、んーっとわたしは呻く。


「大変だったでしょうね、まあそう怒らず」

「ぅんん、っんんーんぅんー……」

「なにを仰っているのかさっぱりわかりません」


 あなた、一体なにを〜っ、と。

 詰め込まれたパイをもぐもぐしながら抗議したつもりだったけれど、口を塞がれたも一緒で。

 ぅう〜っ、と口をもごもごと動かしながら、彼を睨みつけてもみたけれど効果なしだった。

 涼しい顔でいる彼を腹立たしく思いながら、無理やりパイを飲み込めば、今度は喉が詰まりかける。

 わたしの様子を見て、静かにお茶を新たに注ぎ入れたカップを彼が差し出し、わたしは指先に土や貝の粉がついているのも構わずカップをとって慌ててお茶を流し込む。

 はあっと、深呼吸をしてわたしはきっと彼を睨みつけて怒りに声を張り上げた。


「一体、なにしてくださるんですかっ!」

「ちょっと甘い物でも食べて気をしずめてもらおうかと」

「気を鎮めるどころか、息の根も静まるところでしたっ!」

「上手いこと言いますね」

「あなたねえっ」


 思わずテーブルに手をついて、彼とほぼ同じ目線の位置まで前のめりになれば頬を両手でぎゅっと挟まれる。


「ひぁっ!?」

「ですからそう怒らず。まあ怒っても貴女は可愛らしいですが」

 

 そういった歯の浮くような台詞、その顔でさらっと言わないでほしい。

 ぞわりと背筋に鳥肌が立つような怖気が走って、頬を挟まれたままふるふると頭を横に振る。 


「さて、そろそろ王のところに行かなければ。今日はなかなか楽しかったです」

「わたしはあまり楽しくないです」


 わたしの頬から手を離し立ち上がった彼にぼやけば、僅かに青みがかった灰色の目を細め、それにと静かな声音で囁くように彼は言った。

 

「貴女のことも少し知ることができた。ではまた明日、マリーベル」


 優しげな声音にぴったりなそれはそれは見目麗しい顔でそんな挨拶をし、彼は温室を去っていったけれど。


「また、明日!?」


 やっぱり思った通り。

 王宮に噂が流れて断りづらくなるように、わたしの仕事に合わせて来ていたのじゃないの。


 そう――わたしはまだ甘味の残る口の中でぼやきながら、土や貝の粉が指先についた手を握り締めふるふると震わせた。

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