第4話 身分違いの恋
「王妃様ぁぁっ、助けてくださいっ!!」
“竜を従える最強の魔術師”こと、悪徳変人魔術師のルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォートの策略にまんまとはめられ、文字通り言質を取られてしまったわたしは誕生祭の翌朝、王妃様に泣きついた。
本当に、あまりにあんまりだ……あんな。
「まあ、マリーベル。あなた体はもういいの?」
「大丈夫です。昨日は申し訳ありません。あまりのことで軽く
昨日、バルコニーで卒倒したことを気遣ってくださる王妃様の言葉に、王の誕生祭にご心配をおかけした非礼をお詫びし、そしてお縋りする。
「王妃様……私……」
実はこれこれかくかくしかじかと事の経緯を話せば、あらあらまあまああの人も困った人ねえと王妃様は同情してくださったけれど……。
「それは無理ね」
真顔できっぱりと仰った。
そこをなんとかなりませんかと萎れながら食い下がってみたけれど。
そうは言ってもねぇ……と。
顔周りに残した波打つ艶やかな黒髪が、そこはかとない上品な色香を漂わせる美しい姿で微苦笑されただけだった。
「やはり、王妃様が取りなしてくださったとしても難しいですか」
「だって、あなた婚約に承諾してしまったのでしょう?」
「はい」
「しかも問題がなければ結婚すると」
「はい……」
「それもご丁寧に彼を名指しで」
「……はぃ」
王妃様の言葉への返事がだんだん小さくなっていくのと合わせて、わたし自身まで小さく縮こまっていくように錯覚しながら、しょんぼりと項垂れる。
「それではどうしようもないわ。ただでさえあなた、ルイの求婚を受けてはねのけなかったことは国中の有力者が証人となるところですもの」
「うぅ」
うわああぁっ――と、頭を抱えて叫び出しそうになったのをなんとか必死で抑えた。
王妃の第一侍女がそんな乱心めいた取り乱し方をするわけにはいかない。
そうだった!
あのまま何事もなく一夜明けてしまったらそりゃそうなってしまう。
しかも魔術的にも有効な契約といった形で婚約までしてしまったし。
あれ、でも契約?
「マリーベル?」
はたと気がついて、口元に拳をあて考え込んだわたしの様子にどうしたのと王妃様が呼びかける声は聞こえていたけれど、考えることに必死だった。
冷静になってみたら、これはれっきとした契約。
結婚に関する問題が四十日以内に解決できなかったら、それこそ仕方がないこととして婚約を解消し、すべてを穏便に反故に出来る。
「そうよ、反対に問題があるのなら結婚しなくてもいいってことでもある」
幸い、問題なら山積みだ。
まずなんといっても身分差がある。これはそう簡単には覆せない。
それに結婚の支度にかかる費用! これもかなり由々しき問題。
結婚となれば相手に見合ったそれ相応の嫁入り支度が必要になるもの。王の御盟友で誕生祭の出席者リストの筆頭に記されるような序列の家に嫁ぐ用意なんて、絶対にわたしの家では工面できない。
玉の輿といったって限度というものがある。
平民と誕生祭の出席者リスト筆頭になるような貴族が結婚なんて有り得ない。
父様だって流石に難色を示すに違いないわ。
大体、貴賤結婚なんて面倒の元だもの。
なのに。
それはどうかしら、と。
わたしが考え巡らせていたことを察した様子で王妃様は、わたしに心底気の毒そうな顔を向けてそう仰った。
「甘いわね、マリーベル」
「え?」
「ルイはこうと決めたらどんな手段を使ってでも、自分の思う通りにする人よ」
「どんな手段を使ってでも……」
「ええ、どんな手段を使ってでも」
あの、王妃様?
わたしを真正面から真っ直ぐに見詰めるお顔が、目が、真剣すぎて怖いです。
過去になにかおありなのでしょうか――。
朝のお茶をお入れしましょうか?
そう取り繕うようにわたしが申し上げれば、はっとしたように王妃様は、ええお願いと普段の王妃様に戻る。
テーブルの上で両手を組み王妃様はにっこりと笑むと、まあでも……と言い添えた。
「色々とアレな人ではあるけれど、本当に悪い人ではないのよ」
「色々とアレという時点で、それは問題ありなのでは?」
ティーポットに計った茶葉をいれながら訝しめば、そこはまあ当人同士の折り合いねと王妃様は穏やかに仰った。
「少なくとも、陛下や私にとっては良き友人ですもの。あなたもそうはなから突っぱねず考えてみたら? とっくに結婚していてもおかしくはない歳で、縁談としていいお話ではあるのだから」
「はあ」
なんだか。
結局、説得されてしまったような気がする。
おまけに何気なく気遣われたような気も……。
王宮の廊下を歩きながら、はあぁと情けないため息が漏れる。
「とっくに結婚していてもおかしくない歳って……まあそうだけど」
同じ時期に王宮に入った娘たちは、いつの間にかいい縁談を得て結婚なり婚約をしているけれど……そんなことを考えながら、でもだからといって、いまひとつそういった気にはとひとりごちる。
「十九歳でしたっけ?」
「ええ」
「決まった相手もなく、ご令嬢として世間的には行き遅れ寸前ってところですか。行儀見習いのご同僚なら後輩の数が多いでしょう?」
「たしかに」
「ここらで手を打つのに丁度よろしいのでは?」
「まあそうかもしれ……って、誰っ!?」
ぼんやり歩きながら後ろから話しかけくる声に答えかけて、はたと気がつき、立ち止まって振り返る。
誰とはまた婚約者に対し随分ですねと、目下最大のわたしの悩みの種である彼が飄々とした様子で立っていた。
昨日の式典用のものから、普段のお勤め用の地味なドレスに服を変えているわたしと違って、彼は今日も濃紺の絹地に銀の刺繍を施した宮廷用ローブでいる。
どうやらこれが普段の装いらしい。
また昨日同様、怪しいまでの見目麗しさでもある。
「どうしてここにいるの!?」
「どうして……私は王の友人です。王宮にいてなんの不思議が?」
「うっ、そうでした」
「それに折角久しぶりに王都まで出てきたことです。しばらくはいますよ」
「し、しばらくって?」
「もちろん、婚約期間の四十日くらいは」
にっこりきっぱり仰ったその言葉に、頭がくらくらしてわたしは額に手を当てて軽くよろめいた。
「おっと……」
ふらりと体が傾いだところを片腕に抱きとめられる。
すらりと細く見えるのに、濃紺のローブのたっぷりした袖に包まれている腕は意外にもがっしりと硬い。
「大丈夫ですか? 昨日も倒れたばかりですから」
ええ、あなたのおかげでね。
大広間近くの小部屋の
「少しよろけただけです」
「王妃の侍女が一体どちらへ?」
「魔術師様には関係ありません」
彼の腕を避けて再び廊下を歩き出す。
はなから突っぱねずに考えてみたらと言われても。
あんな求婚をされて、罠に嵌めるように言質を取られた後とあっては。
その見目麗しい姿も、物腰柔らかで丁寧な態度も。
すべてが胡散臭く見える。
「そのような他人行儀な呼び方、ルイでいいですよ」
「あなたのような身分の高い方、そういった訳には参りません」
すたすたと早足で歩けば、彼も歩く速度を早めてついてくる。
長い長い王宮の廊下をすれ違う人達に会釈する事も忘れて、果ては、ほとんど駆け足となっていた。
突き当たりの角を曲がって人がいないことを確認し、くるりと方向転換して魔術師に向き直る。
なんですかっ、と叫べば、貴女が逃げるからでしょうと涼しい顔で、彼は肩まで伸びた銀色の髪を後ろへ軽く払った。
「それはっ、あなたが追いかけてくるからっ」
「私はただこの広い王宮で婚約者のあなたの姿を見かけて、お話できないかと近づいただけです」
「仕事の邪魔です」
「そう思いましたが、王妃の侍女が王妃の側を離れて一人ぼんやりとした様子で歩いていましたので。ですから王妃の侍女が一体どちらへと尋ねたではないですか」
「……うっ」
憎たらしいほど筋が通っていて、これじゃあ本当にただわたしが無礼にこの人を邪険に扱っているだけだ。
「……
「昨日から身分身分と仰いますが、貴女は王妃の第一侍女でしょう? そんな方がわたしとそれほど開きがあるとは思えませんが?」
「え? あ、えっと……」
そういえば。
求婚してきた時、王妃の第一侍女に対し儀礼も手続きも踏まないこのような振る舞い、非礼極まりないことは承知していますがとかなんとか……。
本来なら、王妃様の第一侍女は相当な貴族の女性が選ばれるお役目。
「あの、もしかしてわたしが田舎領主の娘でありながら、王妃様に気に入られて異例の抜擢でこのお役目についていることをご存知ない?」
だったらこの噛み合わなさにも納得だ。
めったに表に出ることはない人らしいし、王妃様の侍女になって三年目とはいえ接点がなければわたしのことを知らなくて当然。
わたしが田舎領主の娘とわかったなら、さすがに考え直して――。
「おやそうでしたか。それで?」
「それで!?」
「誕生祭の場でお見かけしたところ、立派に務めていらっしゃるご様子でした。それなら立場相応に尊重されてしかるべきです」
「えーと、それはそうかもですけれど……結婚となれば当人だけのことではないわけで……」
「たしかに私は身分というなら大抵の貴族より上です。いいですか、大抵の貴族より上ということは、つまり貴女の家が貴族であろうがなかろうが身分差は生じます」
「はあ、そんな二度言わずともそうでしょうとも」
「わかっていませんね。貴女の仰る身分差とやらを気にしていたら、私の相手は誰もいません」
じり、じりと距離をつめてくる彼に後退れば、背中に廊下の壁がぶつかった。
また追い詰められている……。
「それは違うでしょうっ! その度合いというか開きが問題であって……」
「マリーベル」
とん、と耳元で壁に手をつく音がして、わたしの顔のすぐ横に濃紺の袖の幕が下りる。
だから、距離が、近いっ!
「家というのなら当主は私です。私が貴女を選び妻にしたいと望んでいる。どこに問題が?」
「しゅ、周囲の方が……黙っては」
「おや、田舎領主の娘でありながら、王妃の第一侍女をなさっている貴女がそれを仰いますか?」
答えに窮した。
ここまで正面切って問題にしないと言われるなんて。
おまけにわたしが王妃様の侍女であることまで逆手に取られてしまっては、大問題であるはずの身分の問題が彼の主張で押し切られてしまう。
反論できずに彼の眼差しから逃れるように顔をそむければ、頰に手を添えられ戻される。
この容赦のなさ……。
「なにか言いたいなら、きちんと私を見て言ってください」
「ん、う〜……もぉぉっ!」
限界だ。
苛立ちの唸り声を上げ、万歳するように両腕を勢いよく伸ばして彼を押しのける。
わたしがそんな態度に出るのは想定外だったのか、明らかに驚いている顔を見せて彼はわたしから離れた。
「わたしが問題だと思っているし、気にするんですっ!」
「マリーベル」
「だから無理ですっ!!」
そうだ。
たとえこの人が気にしなくても、自分は気にすると譲らなければいい。
この人と私の身分差は歴然とした事実だ。
わたしがそのこと憂慮し、頑なに彼の言葉を聞き入れなかったとしても非難されることはきっとない。
むしろ常識的で分をわきまえているとされるはず。
ぜえはあと肩で息を吐きながら彼を睨みつければ、驚き顔の口元に手を押し当て、くくっと彼は吹き出した。
「成程。そうきましたか」
「え?」
「身分違いの恋というやつですね? ご自身では王宮勤めにあたり内心歯痒く考えている身分のことを、私を退けるための盾にするとは存外堪え性のない……いいでしょう! わかりました」
えっと、これはなんだか、余計にまずいことになってしまったような。
却って、火をつけてしまったといった……。
「貴女がそのように身分のことをあくまで問題視して譲らないというのなら、なんとかしましょう」
「み、身分なんて生まれつきのものですっ。魔法でも使わない限りどうにもならないものですからっ」
「私は魔術の使い手です。魔法などとご都合主義なお話に出てくるようなもの使えません」
わたしを見据える彼の眼差しに、不遜な光が宿ってすっと細まる。
灰色の瞳の青みが増し、形のいい唇の端がこの世のすべてを嘲笑うかの如くつり上がった。
魔術師というより……まるで魔王。
どこが悪い人ではないんですか、王妃様っ!
「あの」
「ですがおそらく、魔術すらきっと使うまでもないことですよ」
それから約一ヶ月後に、王妃様のご一族の養女となることが決まったと王様からのお達しでその言葉が証明されることになるなんて。
その時のわたしは想像もしていなかった――。
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