第3話 誕生祭の求婚

 出席者リストの筆頭に記される王様の御盟友。

 いつ見ても眩しいくらいにお美しい王妃様が見目麗しいと評される。

 同時になにやら一筋縄ではいかない偏屈さ、厄介事の気配も感じる。

 独身で、数々の伝説に彩られている最強の魔術師――。


 そんな御方が。

 一体、どういったわけで王様の誕生祭も真っ最中に、皆の耳目が集中する大廊下のど真ん中、大広間を高みから見下ろす王様の席に続く場所で。

 わたしの手をとり、ひざまずいているのでしょうか?


「まさかこの私に、このような日が来ようとは……」

「はい?」

「王妃の第一侍女に対し、儀礼も手続きも踏まないこのような振る舞い。非礼極まりないことは承知していますが、私の妻になってくださいませんか?」


 あらまあ、とすぐ側にいらっしゃる王妃様の声がざわめく大廊下にやけにくっきりと際立って聞こえた。

 繊細な宝石細工も美しい扇で隠している口元から発せられたそのお声は、らしくなく少し上ずった響きで、本当に驚いたらしい。

 王妃様の声に連動して、ざわっと会場全体が大きく人の声で揺れる。

 その後、水を打ったようにしんと静まり返った。


「……妻?」

「はい」

「誰が、誰の?」

「貴女が、私の」


 次の言葉がとっさに浮かばなくて、わたしも沈黙してしまった。

 静寂に満ちたこの場で、招待客並びに関係各位の耳目がわたしと魔術師に集中し、事の成り行きがどうなるかと固唾を飲んで見守っているのは明らか。

 その張り詰めた空気と、迫り来るような人々の期待の圧迫感に押しつぶされそうだった。

 目線を下にすれば、わたしの手を取る人の銀色の頭が見える。


 たしかに、見目麗しい。

 華やかな衣装に身を包む人が多い中、濃紺地に銀糸の縁取り刺繍を施したローブは地味でいかにもな出で立ちではあるけれど、この人の持つ美しさを損ねずむしろ引き立てている。


 いや、えっと。

 そんなことは、いまはどうでもよい事で。


 これはどう対処したものか。

 あまりの状況に、頭の働きがついていかない。

 とにかくこの場をなんとかしなければいけない。

 それは恐らく、私の返事如何にかかっているだろうけれど。

 

「あの……恐れながら……わたし、魔術師様のことよく知りません」


 皆の視線を受けている緊張で、喉がからからに干上がりかけていたけれど、なんとか声に出せた。 

 大抵のことに物怖じしないことが取り柄な自分でも、信じられないほど掠れたか細い声だったけれど。

 すると、「なんと誠実で可憐な方だ」と、耳に心地よい滑らかな低さの声が聞こえた。見目麗しい方は声まで美しいのね、と妙な感心をしてしまう。

 いや、そんな暢気なこと考えている場合では……。

 どうやら緊張が過ぎて、日頃の常識的な感覚が少々狂ってしまっている。


「私も貴女のことをよく知っているとは言い難い。しかし一目でもう決めてしまったのです。貴女を是が非でも妻にしたい。ああっ、しかし。貴女に無理強いしたくはない。どうぞ気に染まぬならきっぱりこの場でお断りください」


 ちょっと待って。

 きっぱりこの場で断れって……!

 そっと、わたしは目だけを動かして周囲をぐるりと見渡した。


 彼の古い盟友だという国王陛下が、玉座の上から興味深そうな面持ちでこちらを見下ろしている。

 そればかりではなく、大臣や高官達、王宮出入りだけでなく地方からも訪れた貴族や有力者達が一堂に会し、わたしと魔術師を見守っている。

 いま、この場で!?

 出席者リストの筆頭に記されるあなたに、赤っ恥をかかせるような真似をわたしにしろと?


 いや、無理でしょう。

 いまこの状況できっぱりとお断りは。

 だって王様の古くからのお友達でしょう!?

 

 そんな人が、あろうことか公の場に跪いての求婚。

 この場で突っぱねようものなら、身分差もわきまえずなんと思い上がった娘だと大問題になる。

 わたしを第一侍女に抜擢した王妃様も、どんな陰口を叩かれるかわからない。

 いつだって王宮は、誰かが誰かの足を引っ張ろう、蹴落とそうとしているような場所なのだ。


「えっと、いま……でなくてはだめなのでしょうか?」


 とにかく、穏便に。

 穏便になんとかこの場を切り抜け、あとでそれとなくやんわりとお断りの意を伝える方向へもっていかなければ!


「あまりのことでわたし……動転してしまって……」

「では」


 きらり、と。

 わたしを見上げた男の、その綺麗な青みがかった灰色の瞳になにやら狡猾な光が走ったのを、わたしは見逃さなかった。

 直感が、告げる。

 この人は、まずい。


「いますぐ私をお切り捨てになるだけの理由はない、ということですね?」


 ふわりと、周囲一帯魅了するような微笑みを浮かべていらっしゃるけれど。

 違う! そうじゃない!

 

「ちがっ……」

「ああ、私のような偏屈にただ歳を重ねてきた男に、突然言い寄られて貴女はさぞご迷惑に違いないと。内心びくびくしておりましたが、私は幸運な男です」


 貴女に限りない祝福を――。


 手の甲に軽く口付けられた感触に、ひっと上げかけた悲鳴をかろうじて飲み込む。ちょっと待って、勝手に幸運な男にならないで!

 

 シャラン、と竪琴の音がして。

 華やいだ歓びの曲が楽師達によって奏でられる。

 それは国王陛下の誕生をお祝いするための曲のはず。 

 なに幸せな二人のためのこの小粋な演出、みたいな得意満面な顔してらっしゃるんですか楽師長!

 周囲! 周囲の貴族の方々も! 

 どうしてほっとした面持ちで寛いだご歓談に戻っているの。

 そんなあなた方ではないでしょう? 

 もっと意地悪く、ねちねちと、横槍を入れたり悪意の囁きのざわめきを立てるのがあなた達でしょう!?


「まあ、マリーベルっ!」

「お、王妃様ぁ」

「今日はなんてめでたい日だこと」

「めでたくなんて、ありません……」

「え、あら、まあどうして泣くの? マリーベル?」


 違うんです……わたし、承諾したわけじゃ……。


 こうなったらもう王妃様におすがりするしかない。

 無礼は承知の上。

 泣きつこうとしたわたしを、王妃様が受け止めようと伸ばしかけた腕を濃紺色のローブの袖が止めた。


「失礼、我が友の王妃エレオノール。貴女の侍女を驚かせてしまった。先程のようなことはお若いお嬢さんには耐え難かったはずです」

「本当よ、ルイ。あのような形で迫っては。いくら気丈なマリーベルでも……私だってまだ驚いているのですもの」

「ええ、ですから彼女に謝りたいのです。どうか彼女を私にお預けくださいませんか」

「でもねえ、ルイ。あなた」

「……大丈夫です。王妃様、わたしなんて失礼を」

「大丈夫? マリーベル」

「はい」

 

 王妃様から離れ、わたしのすぐ後に立つ男を振り返った。

 これは、またとないお断りの機会。

 いまなら本人に直接、先程のような状況ではきっぱりお断りすることが難しかったことを、失礼にならないよう説明した上で伝えられる。


 少し、外の空気を吸いたいからバルコニーでもいいですかと尋ねれば、すんなりと了承してもらえた。

 これで周囲で何食わぬ顔で聞き耳を立てている、噂好きな貴族達も遠ざけることができる。

 まるで本当に婚約中の貴族の御令嬢のように、彼に支えられ、人々の間を歩いていくのはなんとも居た堪れない気分ではあったものの。

 とにかくわたしは魔術師と連れ立って、わたし達の他に誰もいないバルコニーへ出ることに成功した。

 彼がそこへ誘い込んだとも知らずに。


「やれやれ。貴女が思った以上に気丈な方で助かりましたよ、マリーベル」

「は?」


 バルコニーの縁に背を預け、うんっと反り返って背筋から腰を伸ばした魔術師に、えっなにこの態度の変わりようはと戸惑った。

 

「普通のお嬢さんがあんな状況に立たされたら、無様に狼狽しきって話にならないか、卒倒するかのどちらかでしょうしね」

「え、えっ!?」

「おまけに馬鹿じゃない。あの状況で返事をすることがどういったことを意味するか。私の立場、周囲への影響を理解していた。ええとか、はいとか、相槌も含め返答になりえそうな言葉は一言も発しなかった」

「……」

「どうやって穏便にやり過ごすか、を第一に考えていましたね?」


 魔術師と斜に向き合って絶句しているわたしに、そんな警戒丸出しの表情しないでくださいと苦笑し、彼は肩をすくめた。

 不意に、さわさわと涼やかな秋の風が頬を撫で、結い上げているわたしの髪のほつれを揺らす。

 首筋をくすぐる襟足の髪の毛の筋を結い上げている髪に撫で付けてわたしは、わたしを眺めるように見ている魔術師を見て眉根を寄せる。


「念のために申し上げておきますが、一目惚れしたのも本当なら妻に迎えたいのも本当です」

「何故?」

「何度も言わせたいですか? 一目惚れしたからです」

「嘘」

「何故、嘘だと?」

「だって」


 有り得ないでしょう。どう考えても。

 わたしは人目を引くような美人ではないし、名の知れたご令嬢でもない。

 

「王妃様はあなたは孤高にして高潔、誇り高い魔術師と仰っていました」

「こうも言っていたでしょう? 救い難い変人とも」

「たしかに変人とは仰っていましたが、そこまでは……とにかくそんな方が一目惚れするとも、そんな方に一目惚れされるような自分であるとも思えません」

「ふむ。人の発言を嘘と決めつける根拠としては随分弱い。しかし貴女がなかなか正直で取り繕いのない方であるのはわかりましたよ」

「え……あっ!」


 つい、変人だと言ってしまった。

 それも王妃様がそう言っていたと告げ口するように。 


「ふふ、構いません。王や王妃からは、それこそ面と向かって言われています。なにより私自身がまあそうだろうと思ってもいる」

「はあ」

「領地の森林地帯にある屋敷に引き篭もり、滅多に表には現れない。私のような立場なら、遅くとも二十半ばには結婚して身を固め子を成すところです。それが、四十間近になっても妻も恋人もなければ愛妾も持たない男ですから」

「別に、それほどおかしなことだとは思いませんけど」

「おや、そうですか?」

「家や一族のことを考えれば、それが貴族の務めかもしれませんけれど。気のない相手を娶るのは億劫なものでしょうし、特にあなたのような身分の高い方では色々事情もおありでしょうし」


 あれ? 

 わたしはなにを言って。

 いやでも、わたしもいずれどなたかに嫁ぐことにはなる。

 そう思いつつも、旦那様になる方の立場だとか財力だとかに頼り切って、人生丸投げしてしまうのもなんだかなあと思っていて。

 殿方の側もそれでいいのかしらなんて。


 結婚に憧れる気持ちがないわけではないけれど。

 丸二年の王宮勤めの間で、貴族の方々のあれやこれやを眺めて、ちょっとうんざりしてしまった。

 勿論、王様や王妃様のように仲睦まじい方々も知っているから幻滅とまではいかないけれど。

 下手に興味のない相手に嫁ぐくらいなら、王宮勤めの実績を積み上げて、身を立てていくのも有りかもなんて少しばかり考えてもみたり。


「思っていた以上に面白い」

「え、なにか?」

「いえ、独り言です。ところで私は貴女を見初めたわけでして、貴女は私が気を向ける相手です。その理屈で言えば、貴女を妻にすることは大いに結構となりますね」

「なっ、それは違う! 違いますっ! そもそも、釣り合い! そうっ、あなたとわたしでは釣り合いが取れません! 一目惚れだかなんだか知りませんけれど、きっと数日もすれば気の迷いだとお思いになります」


 そうよ、気の迷い!

 たとえいまの言葉に嘘はなくとも、こんな現実味の薄い伝説上の人物みたいな人が、そういつまでもわたしに興味を持ったままでいるはずがない。

 そんな勢いで妻なんて決めちゃ後悔しますよ、あなた。

 うん。


「では、気の迷いでなければいいですか?」

「え?」

「他にはなにか?」

「う、その……い、色々あるでしょうっ。婚姻となりますとっ! 当人同士の問題では済まないことです。父の許しとか身分差とか、他にも色々審議することがっ!」


 もっと穏便にお断りしたかったけれど、もう破れかぶれだ。

 流石にここまで言えば、わたしが承諾するつもりではないのは伝わるはず。

 伝われ! 


「わかりました」


 やけにきっぱりとした返答に、つ、伝わった? と彼の顔を見た。

 三十八、わたしの歳の二倍。

 見目麗しいけれど、若作りというわけではなかった。

 目の周りの影や、薄く刻まれた皺、頬骨にそってやや肉の薄い輪郭などは年齢相応だ。


「……はっ?!」


 神妙な面持ちでわたしを見ている麗しいお顔が、何故か徐々に近づいてくるのに思わず後ずさる。

 じりじりと、彼が背を預けていたバルコニーの縁とは反対側の端へと追い詰められる。

 鼻先が触れるほど近づいた彼の、灰色の瞳の奥を覗き込んでしまった。

 さっきも思ったけれど、綺麗な瞳だ。

 青みがかった深い色をしている。

 

「マリーベル・ユニ」

 

 しっとりと深みのある囁き声と吐息が耳元に。

 まるで恋人が愛を囁くかの如く。

 ここまで男性に接近されたことはない。

 その距離の近さに頰が熱くなる。


「ならば、古いしきたりに従って四十日間の審議の為の婚約期間を設けましょう。それで婚姻に支障があると認められることがあるのなら、潔く貴女を諦めます」


 いかがですか?


 直接、耳の奥に注ぎ込むような囁きに耐えられず、ぶんぶんと頭を縦に振って了承する。

 婚約期間、四十日、それだけあればきっとなんとでもなる。

 そもそも身分の違いだけでも大問題なはず。


「了承いただけますね?」


 近い、離れて……わかったから。


 そんな思いを込めてぶんぶんとまた頭を縦に振って了承の意を示せば、きちんと言葉にして言ってください、とやけに熱っぽい調子でまた囁かれた。


「わ、わかりましたっ! わかりましたから! こ、婚約期間、四十日、この間で結婚に問題ないとはっきりしたら結婚しますっ! これでいい!?」

「誰と?」

「あなたと!」

「マリーベル、あなたなんて誰ともはっきりしない曖昧な言葉で言い逃れはなしですよ」

「言い逃れもなにもっ、あなた以外に誰がいるんですっ、ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォート!」


 目を閉じて、わたしは促されるまま叫ぶように了承の言葉を口にする。 

 その顔で、その声で、そんな迫らないで。

 居た堪れないことこの上ない。


「よろしい、言いましたね」


 すっと離れた気配と調子を変えた声音に、えっと目を開ければ、にんまりといった形容そのままな不敵な笑みを浮かべて、彼がわたしを見下ろしていた。


「あ、ちょっと待って……いまのなしっ」

「待てませんし、一度発した言葉は元には戻りません」


 言いながら軽く上げた彼の左手の先が、ぽぅと白く光って、キラキラと透き通る薄青い結晶が現れる。

 それを手に、形の良い口元に押し当てて彼は言った。


「貴女と私の言葉はこの通り、この結晶に記録しました。四十日間どうぞよろしく、マリーベル」

「や、や……」


 やられた――!! 

 

「まさか私の正式な名前を仰ってくださるとは。これは魔術的にも立派な契約ですよ、マリーベル」

「あ、悪徳……悪徳魔術師!」

 

 魔術的にも立派な契約。

 魔術の禁を破ったら、それはそれは恐ろしいことが身に降りかかるとかなんとか。

 目の前が暗くなる。

 あまりのことにわたしはその場で眩暈を起こして卒倒してしまった。 

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