第2話 最強の魔術師
わたしと魔術師の出会いは、雪積もる年明けすぐの頃の婚儀の日から、数ヶ月前に遡る――。
王の誕生祭まであと三日を切ったところだった。
再三、催促してようやく届けられた、最終の出席者リストの筆頭に記されていた覚えのない名前を見て、わたしは首を傾げた。
「ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォート様?」
リストに記されている名前の順番は、そのままこの国における序列の順だ。
筆頭に記されているということは、もうそれだけでとんでもない賓客であることを意味しているけれど、昨年も一昨年前の誕生祭のリストにも見なかった名前だった。
王宮に上がってまだ三年目とはえ、それでも丸二年以上。
その間、まるで聞き覚えもない名前が筆頭に記されているなんて。
「まあ、ルイが来るの? なんて珍しい!」
口元に運んでいらしたカップを静かに置いて、華やいだ声を上げた主である王妃様をわたしは振り返った。
齢四十を超えてもなお若々しい優美なお姿と、年相応の落ち着きある淑やかさを兼ね備える王妃様が、こんな声を上げることは私室であっても珍しい。
「あの人、この手の集まりには滅多なことでは出てこないのに、一体どうしたのかしら?」
「あの。王妃様。失礼ながら、この御方は一体どういった方ですか?」
「あら、あなた知らなくて? とても有名よ。この国で彼を知らないのはちょっと考えにくいのだけれど」
不思議そうにわたしを見て、微苦笑を浮かべた王妃様にそんな有名な方なのと内心焦る。
そりゃあ、こんなリストの筆頭に記されるような方ならそうだろうけど。
これでも王妃様の第一侍女として恥ずかしいことがないようにと、王宮に出入りする貴族や有力者、出入りの商人から一流の腕を持つ職工達まで、その名前やお顔や特徴など頭に叩き込んでいるつもりだったのに。
やっぱり生まれも育ちも王都でないと情報に漏れがある。
田舎の爵位無し領主の娘であることはこういったところに現れてしまう。
もう三年目なのにと少し気落ちしながら、「無知が恥ずかしいのではなく、無知をそのままにするのが恥ずかしいのだ」と、小さい頃から父様に言い聞かせられてきた言葉に従って、わたしは王妃様に頭を下げた。
「無知で申し訳ございません。ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォート様なんてお名前は記憶になくて」
「ああ、なるほど」
ぱちっと両手の指先を合わせ得心がいった様子を見せた王妃様に、えっと顔を上げる。
細い指を合わせる美しい手が目に映り、続いて数種類のバラが生けられた花瓶を載せたテーブルの上にお菓子やジャムやミルクなどの食器が並んでいるのが見えた。
「そうね、たしかにあの人が名前で呼ばれることは少ないもの。私だってその長い名前を聞いたのは随分久しぶりだわ。そうねえ、二十年ほど前かしら」
「はあ」
それはまた、随分と昔の話だ。わたしは生まれてもいない。
「きっとこの呼び方なら耳にしたことがあるのじゃないかしら? “竜を従える最強の魔術師”」
「りゅうをしたがえる……さいきょう……え、ええっ!?」
思わず大声を上げてしまって、慌てて失礼しましたと頭を下げる。
たしかに。
それはそれは有名で、田舎の農夫の子供でもこの方の話を聞いたことがない人はきっといない。
なにせわたしが生まれる前、二十数年前に隣国との大きな戦争の際には敵国一千人の大隊をたった一人で殲滅なさったとか。
深い森に棲む竜が近くの集落を襲った際、竜の一族ごと平定し従属の証として彼等の領域である広大な森林地帯を明け渡されたとか。
お屋敷が誰もが恐れて近づかない森林地帯のすぐ側にあるのは、その土地一帯を治めるためであるとかないとか。
疫病が東方の都で流行った際に、たった七日でその猛威をお止めになったとか。
あらゆる精霊の加護を受けているとかいないとか。
古代の、この国が建国される前から続く高貴な御一族の血を引く方であるらしいだとか。
とにかく、存在自体が伝説めいた現実味のない御方で。
「実在していると聞いてはいますが、本当にいらっしゃる方だったんですね」
「あらっ、ふふふ……彼の話は半分くらいは尾ひれがついたものよ。たしかに陛下の古くからの盟友で、大変な魔術師には違いないけれど」
「はあ」
「それにしても本当に珍しいわ。公式行事や社交の場になんて本当にまったくと言っていいほど姿を見せない人なのに。でも、陛下の五十の区切りの誕生祭ですものね」
「王妃様は魔術師様とお知り合いなのですか?」
「ええ。少し気難しいところはあるけれど、恐ろしいようなお話の人物とは思えないくらい、とても見目麗しく誠実で優しい方よ」
「左様ですか。陛下もお喜びになるでしょうね」
「そうね。けれど、いらっしゃるとなると今年の誕生祭は騒がしくなりそうねぇ」
「どうしてですか?」
「独身なの。陛下とは十二歳違いだからもう三十八なのだけれど。ちょっと色々と事情もあって、彼を嫌厭する派閥もあるのだけれど、公爵ではあるし。娘を嫁がせようと張り切る者もきっと出てくるでしょうね」
うわぁ、それちょっと迷惑。
ただでさえ国中の有力者が集まって、その応対や細々としたことで気の張る誕生祭なのに。そんな厄介しか起こさなそうな人、正直来ないでほしい。
王宮の公式行事というのは、行事以上に権力者達の交流の場。
そして彼らの御子息ご息女達のお見合いの場でもある。
娘の幸せもさることながら、ついでに家の地位や立場を高める相手へ嫁がせたいのが貴族というもの。
奥方を娶るお年頃になった殿方達もまた、様々な思惑を持っている。
お年頃の王女様を狙う貴族達の、王妃様への御機嫌取りがうるさいこの頃だというのに。
出席者の筆頭に記される、王様の古くからの御盟友。
そんな方の争奪戦まで追加されたら、挨拶の時に誰の前で誰の話をしてはいけないだとか、王妃様がお声をかける順番だとか、お話しされたい方のお取り次ぎであるとか、ただでさえ頭が痛いことなのに面倒なことこの上ない。
王妃様の侍女とはいえ、王宮使用人の一人。
公式行事の滞りない進行に力を尽くすのが務めというもの。
「迷惑そうな顔をして……あなたのそういった率直でよく気が回るところ好きだけれど、あなたが気を揉むことじゃないわ、マリーベル」
「そう仰いましても」
「心配しなくても、お嬢さん方が気の毒になるほどその手の社交に関しては冷淡でとりつくしまがない人ですもの。私も陛下もあの人に関してはとっくに諦めているくらい」
「諦めている……?」
「孤高にして高潔、誇り高い魔術師と言えば聞こえはいいけれど、一言でいえば変人ね。彼を直に知る人達の間では巷に広がる伝説以上に有名よ。放っておけばいいのよ」
「はあ」
王妃様はそうかもしれないけれど。
第一侍女としてお仕えする側としてはそういったわけにも。
ひっそりため息を吐きながら、わたしはリストの名前を見詰めた。
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