変人魔術師に一目惚れされて結婚しました

ミダ ワタル

第1部 婚約と攻防

第1話 幸せ者のマリーベル

 ゆっくりと、一歩進むごとに――。

 「まったく幸運な」だとか、「まあ素敵」だとか、「あれが噂の……」だとか、ご参列の紳士淑女の皆様がひそひそと囁き合う声が聞こえてくる。


 ここは、王家の方々が代々その婚儀を執り行ってきた由緒正しき大聖堂。

 幾本もそびえ立つ白大理石の太い柱、天井やそれを支える梁に施された彫刻がその厳かな権威を示しているかのようだ。

 王国で最も古く、その礎は神々と精霊と人と魔物が、まだ棲む世界を分けていなかった頃に遡れるらしい神聖な場所でもある。


 それにしても、普段は人の気もなく静かな大聖堂を、ざわめきで満たしている高貴なる方々の言葉はどこまで本心なのかしら……と考えると、皆様が仰る“幸運な花嫁”にあるまじきため息を吐きたくなる。


 ええ、たしかに。幸運であることは認めます。

 行儀見習いで王宮に上がり、たまたま、ちょっとしたことをきっかけに王妃様に気に入られ、第一侍女なんて身に余る立場に抜擢されたのですから。


 素敵って。

 そりゃ、こんな豪奢な衣装を身にまとい、日頃は王族にお仕えの熟練の美容の技をお持ちの方々の手で全身お手入れ、お化粧をされれば誰だって。

 そう、誰だって、それなりに素敵には見えるでしょうとも。

 ありふれた栗色の髪に、これまたありふれた緑色の瞳。

 健康であること以外に取り立てて特徴もない小娘であっても。

 

 王妃様の第一侍女として、そろそろ縁談も本決まりなお年頃の王女様の婚儀の場にご一緒できるかも……なんて、考えたことはあっても。

 まさか自分が、祭壇に立つ司祭長様の前に向かう通路を、長く裾を引く花嫁衣装を身にまとい歩くことになるだなんて、考えたこともない。


 だって、わたしは領主の娘といってもですね。

 田舎の、小領地の、爵位無しの、領主の娘なのですもの。

 貴族のご令嬢でもなければ、大富豪の娘でもない。

 一応、領主の娘だから衣食住に不自由はなく、行儀作法や多少の教育を受ける機会はあったけれど平民です、平民。


 この歩くのも一苦労な衣装だって……。

 本来なら、明らかに分不相応。


「思った通りに、美しい」


 不意に聞こえた美声に、ひくりと眉の先が引き攣ったのが自分でもわかった。

 歩む足を止めることもなく、眉間に皺も寄せなかった自分を誉め称えたい。

 淑やかに俯いている頭は動かさず、この茶番の元凶へとわたしは目線を少しだけ持ち上げた。 

 まだ少し距離がある。祭壇の前で、斜め後を少し振り返るようにして、わたしを待つ人。

 

 歳は三十八。十九のわたしの丁度二倍。

 これまで妻も愛妾も、特定の恋人すら持たずにいたらしい。

 刹那的なお相手は複数いたようだけれど……年齢を考えたら、なにもないというのもちょっと不審だからそれはいい。

 ともかく、あまり人と深く付き合う人ではないようで、近づいてくる者に対し完璧な社交辞令かとりつくしまのない態度であしらい遠ざける。

 ここ何ヶ月かは王都に滞在しているけれど、いつもはご領地の森の奥深くにある屋敷に引きこもり、滅多なことでは公の場にも出てこない変わり者。

 それでいて、この国の高位貴族としては王族も含めて五指に入る。

 王族も含めってどういうことって思うけれど、とにかくそんなおかしな序列が認められている。

 王国東部の広大な領地を治める公爵にして、貴重な人材とされる魔術師。


「素晴らしい花嫁の姿を、この目に焼き付けておかねば……」


 しらじらしい言葉にため息を吐きそうになった。

 この身にまとう、美しい青と淡い黄色に染め分けられた絹の婚礼衣装は、王家御用達高級服飾職人の手によるもの。

 上品かつ可憐な雰囲気は保ちつつ、ドレス全体を惜しみなく飾る最高級レースや貴石のビーズも美しい。金糸や銀糸を贅沢に使用した刺繍はもはや芸術の域。

 一体、いくらかかったのかしらと考えるだけで、くらくら眩暈めまいがしてくる。

 こんな衣装、田舎の平民領主の娘が着ていいものじゃない。 

 どう考えても父には調えられるはずもない代物が、こうして調えられ、身につけて当然とばかりになっているのには理由がある。


 婚約期間も終了間近に、わたしは王妃様のご親戚、伯爵家の養女に迎え入れられた。名目上とはいえ、王妃を輩出した名門貴族の一族。

 王妃様の義従妹となったわたしは、花嫁の家や一族の社会的地位や経済力を示すため、こんな無駄に豪奢な衣装を身にまとっている。

 すべては、この、通路の先にいる婚約者の画策によって!

 あろうことかこの国を統べる国王陛下によって取り計らわれた処置。

 王命も同然、逃げられない。

 衣装の費用や莫大な結婚支度金も、表向きはすべて実父が出したことになってはいるけれど、そのお金は婚約者が王立法科院を修めた実父に法務顧問契約を持ちかけ、支払われた契約金。


 茶番もいいとこ。

 正直、もう好きにしろといった気分になる――。

 わたしの婚約者、結婚相手はそういった人だ。


「……」


 聞こえた声に応じることなく、儀礼通りに渋々ゆっくりと歩みを進める。

 近づくにつれ、その姿がより鮮明になっていく。

 地厚な白絹に金のラインを織り出す、式典仕様なローブが薄明かりの大聖堂の中では目に眩しい。

 荘厳な大聖堂を背景に、衣装の重みをまるで感じさせず泰然と佇む、すらりとしていながら堂々としたお姿。


 肩まで真っ直ぐ伸びる、月光を紡いだような銀色の髪。

 賢者然とした、底深く光を潜める青みがかった灰色の瞳。

 象牙色の滑らかな肌、頰から顎先にかけて差す淡い陰り。

 すっと通った鼻梁に、品よく締まった口元。

 公の場に滅多に出ないとなれば醜いと噂されるものだけれど、その逆。

 恐ろしいまでにその姿は美しく、完璧。

 ただ、性格は――かなり素敵にひねくれている。


 もっと貴方に相応しい、素敵で身分も釣り合う教養豊かな貴族のご令嬢は他にいますと申し上げたわたしに、この方がなんて答えたか。

 この場にお集まりの皆様に聞かせてあげたい。

 きっと絶句する。

 

『――身分? 贅沢とお喋り以外にする事もなさそうな、甘ったれた貴族の娘など一夜限りのねやの戯れならともかく、側において一体私にどんな益が?』 


『そもそも、地位も名誉も財力も持て余す程持っています。相手の家の力や富などと面倒なものは不要です』


『それに教養などと……はっ、森羅万象の理りに通じ魔術を操る私を前にそのようなこと。口に出来るご令嬢がこの世にいるというのなら、お目にかかってみたいものです』


『ああ、念の為申し上げておきますが、もはや滅びかけた一族の末裔として、後世に血を残す気もない。後継者など必要あれば、必要な資質を備えた者を迎えれば済む話です』


 ご本人が仰ったのをはっきりとこの耳で聞きました。

 ええ、それはもうはっきりと聞きましたとも!


 四十日の婚約期間に審議され、本当ならもっと大問題になるはずだった、身分差だとか、財産の有無だとか、家族の了承だとかいったことはもちろん。

 愛情の有無であるとか、子が成せるか成せないかだとか、諸々の……婚約破棄理由となりそうな事項についてことごとく。

 すべて問題ありませんと、魔王の如き笑みでせせら笑って――!


 カツン、と。

 小さな足音がして、大聖堂の中が一層どよめいた。

 花嫁が祭壇の前に立つまで、花婿となる者は動かずに待つのが儀礼であるのに、ほんのあと二、三歩の位置にまできているところを迎えるように、白いローブの裾が翻り動いたのだから当然だ。


「逃げ出されなくて、ほっとしました」

「……」


 うっとりするような甘い微笑みを浮かべていらっしゃいますけれど。

 本来、王家の者にしか許されていない大聖堂での婚姻の儀式に臨むにあたり、儀礼をいとも簡単に無視して、祭壇と司祭長様に背をむけるその態度。

 神も精霊も恐れぬ、不遜さでは?

 いくら領地の森に棲まう竜を従わせ、すべての精霊の加護を受けるとか受けないとかいった、最強と名高い伝説めいた魔術の使い手であっても。

 王国成立前から続く、大変に高貴な血筋の貴族で、王国広しといえど王家の縁者でもないのに公爵なのはこの人だけであっても!

 

「逃げられない状況に人を追い込んで、よく仰いますね」

「本気でそうする気になれば、状況もなにも関係ありません。貴女は様々な事柄を天秤にかけ、私と婚儀を行う事を選択した。そうでしょう?」


 周囲のざわめきにまぎれるほどの密やかな囁き声でわたしが言えば、同じくらい声を潜めて、底意地の悪そうな……いえ、切れ者な雰囲気を漂わせる秀麗なお顔に再び微笑みを浮かべる。

 まったくもって、警戒しかない。

 おそらく周囲から見れば。

 わずな距離にも我慢できない花婿に、優雅な所作で手を差し出された驚いて、呆然と歩みを止め花婿を見つめる花嫁に見えていることでしょう。

 こういった、周囲への印象操作はお手のもの。

 

「まあ、王が後ろ盾になってくれている婚儀など、すっぽかすには相当な思い切りが必要でしょうがね」


 ふっ、と。

 儀礼を無視した自分を恥じ、俯いて自嘲したように見えなくもない。

 しかし、間近にその顔を見上げる、わたしだけは見ることができる。

 銀髪の影に隠れたその表情。

 いまこの場でこっぴどく振ってやろうかしらと、頭に血が上りかけたのを必死に抑える。そんな事をすれば自分一人のことでは済まない。

 貴族と平民の身分差解消のため、養子縁組を取り計らったのは国王陛下。

 この国で一番偉い人。

 この結婚を反故にすれば、実父や故郷の領地はもちろん、名目上でもわたしを引き受けた王妃様のご一族も巻き込んで大変なご迷惑をかけることになる。

 

「貴女が身分差を気にして結婚を承知してくれないと、王に相談したのはやはり正解でした」

「この……悪徳魔術師っ!」

「事実でしょう。なんとでも。貴女に限りない祝福を」


 取られた手の甲に口付けられ、彼の側へと引き寄せられる。

 ほぅ……と、大勢の人のため息が漏れて聖堂の空気が鈍く揺れ、司祭長様が困ったように軽く咳払いをする。


「祭壇を前に、私としたことが。ようやくと抑えきれず」


 振り返って、司祭長様に詫びるように軽く目を伏せ、彼はわたしを祭壇前まで手を取ったまま連れていく。

 この場にいる皆様の目から見れば。

 長く独身を貫いていた孤高の公爵にして魔術師である彼が、自ら見染めた花嫁に対する思い溢れての振る舞い……にしかきっと見えない。


 あの日と同じ。

 王の誕生祭の日。

 設えられた玉座からも見える大廊下のど真ん中。

 王国中の有力者達が行き交う場に出ていた、王妃様の側に付くわたしの手を取って、いきなり求婚してきたあの日あの時と。


 ――ああ、幸せ者のマリーベル。


 この言葉を、同僚、友人、周囲の方々、父までも……一体、何度言われたことか。

 爵位なしの田舎領主の娘でありながら、王妃様の第一侍女に抜擢されただけでなく。

 高貴で見目麗しい公爵で魔術師の彼に一目惚れされ、皆の前で求婚。

 果ては国王陛下の後ろ盾も得て結婚なんて。

 お伽話でしかありえないようなお話しでしょうとも。

 当の伴侶となる魔術師が大変に腹黒く、わたしを断れない状況へとあっという間に追い込み、こうして婚姻の儀式で司祭長様がお祈りの言葉を唱え始めているというのに、顔に悪徳な忍び笑いを浮かべていることを除けば……。


「――ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォート!」


 司祭長様が声を張り上げ、わたしの隣に立つ魔術師の名を呼んだ。

 彼は悪徳な忍笑いをおさめ、緊張しているように見えないこともない神妙な面持ちで顔を上げ、祭壇に立つ司祭長様を仰ぎ見る。

 見た目だけなら、まるで巨匠の彫った像のように整ったその横顔。


「マリーベル・ド・トゥール・ユニ!」


 続いてわたしの名が呼ばれる。

 本当はマリーベル・ユニがわたしの名前だけれど、たった三日の顔合わせで、“ド・トゥール”なんて立派な貴族姓を頂いてしまうのだから恐れ多い。


『貴女が大いに問題にする身分差はこれで解決』


 まったくくだらないと肩をすくめた、すべてを馬鹿にし切った魔術師の顔が思い出されて胃が熱くなる。


「汝らの婚姻を認め、神々と精霊の祝福を!」


 結婚を寿ぐお祈りに声を張り上げた司祭長様へ、二人揃って儀礼に従い頭を下げる。


「これでもう、そう簡単には逃げられません――」


 人々の喝采に紛れて聞こえてきた言葉に、わたしは布地に皺がつく程ドレスのスカートを掴む手を握り締める。


 ――絶対、穏便に離婚する!


 別にこの人のことは好きでも嫌いでもないけれど、やり方が酷すぎる。

 あらゆる手を使って、婚姻に承諾せざるを得ない状況に追い込まれたのが悔しくて仕方がない。

 わたしに一目惚れしただなんて、言っているけど怪しいものだ。

 こうなったら。

 この結婚を覆す理由を必ず見つけ出してみせる!

 決意も新たに、わたしは大聖堂に集うとされる神々と精霊に誓った。

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