1-5
奥山先輩と連絡先を交換してから一週間が経過したが、以来何の音沙汰もなく伊藤のバカとつるむ日々を過ごしていた。
しかし今日は伊藤が珍しく家の方で用事があるといって帰宅したので、俺もいつもにしては時間が早かったが自宅に歩を進めた。
夕暮れにもまだ早い帰り道で屋敷を囲む漆喰塀が見えてくると、正門に差し掛かる角に見慣れぬ制服のブレザーにキャラメル色のカーディガンを羽織った女子生徒が人待ち顔で立っていた。
少し歩調を緩めてカーディガンの女子生徒を観察しながら角に近づくと、むこうが俺に気が付いたらしく親し気に手を挙げて駆け寄ってくる。
近くで見ると髪色が金であることが認識でき、記憶の中から一人の女子の姿が浮かび上がってくる。
「よお、周平」
「中間さん。どうしてここに?」
先日会った時は和服姿だったので、近くで顔を見るまで自分の許嫁候補だとは気付けなかった。
中間さんは何やら楽し気な笑顔で口を開く。
「周平の帰りを待ってたんだ。予定聞きたくてよ」
「いつの予定?」
「今日の夜の八時ぐらいから時間空いてるか?」
「別に空いてるけど」
むしろ暇なぐらいだな。
俺が答えると、おおっと期待する顔になった。
「じゃあさ、その時間にまたここ来てくれねえか?」
「ここって、この塀の曲がり角の辺」
「そう。迎えに行くからさ」
迎えに行く、ということは、ここで待ち合わせて他の場所に移動するってことか。
移動して何をするんだ?
「ええと中間さん。夜に何かあるの?」
「集会がある。そこで皆に周平を紹介しようと思って」
集会。親族会議みたいなものだろうか。
親族会議となると、中間さんの許嫁となっている俺が出席を請われるのは必然のことか。まだ許嫁だと認めたわけじゃないけど、中間さんの親族の方ではもう話が通っているんだろう。
顔を出さないと中間さんが親族から謝らないといけなくなるよな。
「わかった。集会に出ればいいんだね」
「そういうこった。じゃあ八時ぐらいに迎えに行くからな」
要件だけ伝えると、中間さんは俺に背を向けて歩き出した。
と、思ったところで不意に振り向いた。
「そうだ周平」
「何?」
「私の呼び方、真由でいいぞ」
「は?」
「許嫁だからな」
ニヒヒと笑ってから、今度は足早に歩き出した。
結婚を約束された関係だからって「真由」なんて軽々しく呼べるわけないだろ。
許嫁の距離感の近さに、俺は付いていけない。
スマホの示す時刻が八時を表示した。
雲一つない夜空に半月が鈍く輝くいている。
自宅の屋敷を囲う漆喰塀の曲がり角で、俺は許嫁の迎えを待っている。
ぼっとして待つのも飽きてスマホゲームを起動させようとした時、右方から強い光が飛んできて目が眩んだ。
遮光代わりに片手を翳しながら光の方を見ると、あっすまんと聞き覚えのあるさばけた声が謝って、光は足元に下りた。
足元を照らす光の先で、夜闇でも目立つ金髪が見えた。
中間さんはラフすぎる青のジャージ姿だった。
「眩しかったよな。すまん周平」
「中間さん。こんばんは」
どういう挨拶をすればいいかわからず、とりあえず一般的な挨拶を口にする。
中間さんは気安い笑みを浮かべた。
「真由でいいつってんだろ。堅苦しい挨拶する仲じゃねーじゃん」
「じゃあ、真由さんなら?」
俺は折衷案を出した。
一瞬だけ真顔で検討するような間があってから、朗らかに口元を緩めた。
「いいぜ。いきなり名前だけは酷だったかもな」
「そうだよ。酷だよ」
「まあ、あたしの方は周平って呼ぶけどな。へへっ」
周平という呼び方が気に入っているのか、楽しそうに笑い声を立てた。
ひとしきり笑った後、真由さんは表情に少しだけ真面目さを戻して俺を指さした。
「周平。荷物多くないか」
「そうかな?」
俺の現在の持ち物は、平塚亭のみたらしのパックが入った紙袋とスマホだけである。服装は袴だと大仰すぎるので制服にしておいた。
訊き返すと、真由さんは荷物がないことを表すように両掌を上向けた。
「あたしなんて手ぶらだぞ。この身ひとつで充分だ」
「でも、真由さんの親族が集まってるんだよね。それならある程度の礼儀がないと」
「礼儀なんてあるかよ。周平のことを紹介するだけじゃねーか」
「そうはいっても」
「みんな今頃待ってるだろうから。早く行こうぜ」
「そうだね……」
真由さん本人は礼儀なんて気にしていない様子で、さっさと歩き出してしまった。
確かに俺を紹介するだけかもしれないけど、親族に悪い心証を与えないか不安だな。
俺の評価はそのまま父の耳にも入るわけで、胃が痛くなりそうだ。
悪評という懸念を抱えながら、真由さんの後についていくことにした。
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