第11話
フレアがハンス家の母屋に戻ってきたのは夜も更けてからのことだった。だが、ポンタスと使用人達は彼女の帰りをじっと待っていたようだ。玄関扉を開けるとすぐにポンタスが走り寄って来た。彼はフレアを戸口で捕まえるとそのまま使用人館へと連れて行った。
使用人館の廊下に集まった使用人達はオスカーの嫌疑が晴れることを期待していたようだが、フレアが話すことができたのは所謂よい知らせと悪い知らせだった。よい知らせはオスカーの犯行当時の居場所が判明したことだ。悪い知らせはエルグム隊長はその証言を全面的に信用をしていないことだ。当然のごとくクリスはフレアの言葉に反論し、さらに外に飛び出しそうになった。「わからず屋をとっちめてやるのだ」と。それを押しとどめるのに少々の時間が必要となった。
たとえ、オスカーとクリスの言葉が真実であれば、それは捜査が振り出しに戻ることを示している。凶器となった猟銃の入手経路もはっきりしておらず、凶器であったかさえ定かでなくなる。オスカーの嫌疑が晴れるとしてもまだ先のこととなる。
「もっと明確な答えを示すことが出来ればよかったのですが、わたしにはこれが限界のようです」フレアは静かに頭を下げた。
夜が明けても屋敷は暗く重苦しい空気に包まれていた。前日に引き続きエルグム隊長率いる警備隊が庭と屋敷の捜索を行っている。フレアは庭の中央に立ち指揮に当たっているエルグムを窓から眺めていた。
昼前になりフレアは部屋を出て二階へ降りた。目的の部屋を訪ねる。
「開いていますよ。おはいりなさい」
扉を軽く叩くと声が返ってきた。
「お邪魔します」
フレアの姿を目にするとパトリシアは椅子から立ち上がり、軽く会釈をし目の前の椅子を手で示した。服装が寝間着から部屋着に代わっているため幾分体調が持ち直しているように見える。
「ヨアヒムとオスカーのために動いていだたいているようですね。ありがとうございます」
「わたしはほんのお手伝いをしているだけです」
フレアは革張りの柔らかな椅子に深く腰掛けた。
「あなたがこうしてやって来たのはただの見舞いではないですね。単刀直入に参りましょう。御用は何ですか」フレアを見つめるパトリシアのまなざしは入室時と打って変わって強くなった。覚悟を決めた者の眼だ。
「助かります。大変不躾かと思いますが、ハンス家の経済状態はどのような具合でしょうか?」
「よくないですね。二年ほど前に東方の綿花や西の羊毛相場を見誤ったことから立ち直れず、そろそろ現状を維持することが厳しくなっています。ここを引き払い使用人達も暇を出す必要があるかもしれません」
「皆さんはそれを知っているのですか?」
「知らせてはいませんが気づいているかもしれません。ヨアヒムはこの祝祭が終われば皆に知らせるつもりでした。せめて最後の思い出にと、使用人の突飛な思い付きを、不躾とは重いながらあなたと過ごす企画を実行に移しました」
「そうでしたか」
「フレアさん、わたしはもうこれ以上悲しい思いはしたくはないですが、あなたがここに来られたのも何かの縁なのでしょう。最後までよろしくお願いします」
パトリシアはフレアに頭を下げた。
月明かりだけでも案外明るいものだ。男は通路を上り丘の上に出た。人影は見られない。菜園側に数歩進むと闇に沈んだ森の木立の中から人影が飛び出してきた。
「よく来てくれたね」ポンタスの声。月を背にして顔は闇に隠れているが微笑んでいるであろうことは声音でよくわかる。
「何の御用です」
「気づいたことがあるんだ。それを聞いてもらいたくて来てもらったんだよ」
「何でしょうか。何でもお話ください」
「ありがとう。父さんのこと、それに兄さんのことでもあるかな」
「はい」
「僕が昨日フレアと一緒に屋敷とその周りを訪ねてまわってたのは知ってるよね。最後は詰所のアンディッシュの所まで行ったんだけど、結局兄さんの置かれた状況を変えることが出来なくて僕とフレアは部屋に引き上げたんだ」
ポンタスはふっと息をつき夜空を見上げた。
「眠れなくて寝返りばかりうってると、ふっと考えが浮かんできたんだ。一日中動き回ってたおかげだろうね。考えがまとまって気づいたんだよ」
「何にですか」男の口調には少し苛立ちが含まれているように思われた。
「もちろん、父さんを殺すのに使った仕掛けだよ」ポンタスの眼差しが鋭く相手を見据える。「父さんは銃で撃たれたわけじゃない。魔法で殺されたんだよ」
「魔法で?どう考えても銃による殺害事件でしょう」
「そう思うよね。僕もフレア、警備隊までみんなしてその考えに振り回されて、その方向に押し付けられた。そこで兄さんが疑われた。村一番の射撃の名手だからね。でも、兄さんはその場にいなかった。兄さんしかできないはずなのにその兄さんが現場にいなかった」
ポンタスは大仰に両手を振り回す。
「不可能なはずなのに、父さんは殺された。堂々巡りが終わらないんだ。何がおかしいか気づくとすっと真相が浮かんできたよ。これは銃撃に偽装した殺人なんだよ。起こったのは発砲音がしたよりずっと前の時間、たぶん夕食が終わってみんなが部屋に引き上げて少しした頃だろうね。父さんは窓辺で何か音でも聞きつけて机から離れた。窓の閉め具合が中途半端になってるとでも思ったに違いない。窓の正面に立ったところで窓のすぐ外から魔法の矢で胸を撃ち抜かれた。矢は窓ガラスと父さんを貫いて扉に傷を付けて消えた。撃つのは何も丘の上に行くことはない。窓のすぐ外なら誰にでも当てることが出来る。ヨーハンの言っていた通り弾が当てられる距離まで近寄ればいいんだよ」
「犯人は窓の外にぶら下がっていたのですか」と男。
「浮かんでいればいいだけだよ。その時の音はフレアが耳にしたみたいなんだけど、すぐ後にランプが消えて、そっちに気を取られて忘れてたらしいよ。嫌な偶然ってあるんだね。
発砲音は勘尺玉だろうね。あの時は誰も銃を撃っていなかったんだ。だから銃声に慣れているヨーハンも兄さんも大事と思わなかったし、眼の良いフレアも何も見つけられなかった。後は父さんの部屋に飛び込むどさくさに紛れて潰れた弾丸を転がしておけば偽装完了だよ」
「面白い話ですが、なぜわたし一人に話すんですか?」
「それはそれが出来るのはショーン、あんたしかしないからさ」ポンタスはため息をついた。
「その話は少々乱暴すぎやしませんか」とショーン。
ポンタスに犯人であることを名指しされ苛立ちはしているがまだ十分に抑え込まれている。
「そうでもないんだよね。発砲音は罠に仕掛けられた勘尺玉であの日の仕掛けを担当したのはショーンだよね。フレアは罠の傍で火薬の匂いを感じた。実際にその付近で玉の破片が落ちていて、罠にかかった狸の毛皮に焦げが見つかった。罠まで使って音を立てたのは犯行時間を誤魔化し、部屋に押し入り偽装を完成させるため」
「大事なことを忘れてませんか。銃はどうなんです。オスカー様しか取り出せない銃をどうして持ち出すことが出来るんですか?」
「始めから収めてなければ、自由に扱えるよ。あの日兄さんは工房に戻るために急いでいた。そこで銃を受け取ったあんたに保管庫に戻しておいてくれと部屋の鍵と南京錠の鍵を渡した。もう何度か二人で入っている。信頼しているあんただからこそ兄さんは疑いもせずに鍵を渡した。兄さんが出て行った後も銃はしまわず鍵だけを返した。そんなところだよね」
「なるほど、ところでその考えはもう誰かに話していますか」
「まだだよ。フレアには話しておこうかと思ったけど、何回もおかしな説を話してるからね」パンタスはため息をついた。「また呆れられると嫌だから一人で確かめに来たんだ。ショーン、僕の言った説を認めるかい。認めるならなぜこんなことをしたのか教えてくれないか」
「その通りですよ。まったく、あなたがそれほど冴えた頭を持っていたとは驚きましたよ」
ショーンは右手をゆっくりと上げた。指を曲げ両手で銃の形を作りポンタスへ向ける。
「ですが、詰めは甘かったようだ。これ以上は黙っておいてもらいましょう。さようなら」
ショーンの指先付近の空間が僅かに揺れた。これから先は一瞬のことである。ポンタスの横にフレアが姿を現し彼を真横に弾き飛ばした。その先で警備隊士が二人現れ彼をしっかりと抱き止める。ショーンが放った魔法の矢はフレアの右手の左肩口に着弾し貫通した。派手に血飛沫が舞い散る。
「そこまでにしてもらおうか!」
男の声が丘の上に響いた。ショーンの周囲に大勢の警備隊士が姿を現した。声の主はエルグム隊長、ショーンも知っているアンディッシュの姿もある。
「これで彼の魔力が十分に殺傷能力を持っていることが立証できましたよね。隊長さん」声を発したのは黒仮面に黒い外套を纏った長身の女。「丈夫なお仕着せを貫き頑丈な狼人を負傷させる力を持っています」
「そのようですな。ローズさん」
隊士達がショーンに走り寄り取り押さえ跪かせる。一人が背中に護符を貼りつける。
「しかし、フレアさんの怪我の加減は心配はないのですか。捜査のためと協力いただいたのはありがたかったのですが」
フレアが解き明かした事件のあらましをエルグムは昨夜のうちにすべて耳にしていた。にわかには信じがたい内容だったが、翌朝からの捜索で裏を取ることが出来た。ローズの協力を伴っての凶器の確認であったが、危険な役をかって出たポンタスとフレアの事を考えると気が気ではなかった。
「いまは痛々しい状態ですが、朝までには治り傷跡も残らないでしょう」とローズ。
フレアが無言で頷く。痛みは人並みにあるが、誤魔化す方法は心得ている。
「ショーン!何であんなことをしたんだよ!まだ答えてないぞ!」ポンタスが叫ぶ。
抱えられた状態から立ち上がり、ショーンの元へ駆けよろうとしたが隊士達に止められる。
「あなたのお父様ヨアヒムさんは経済的な理由で使用人の皆さんを解雇しここを去るつもりでいた。もちろん立派な紹介状を持たせてです。あなたはそれをヨアヒムさんから事前に聞いていた。それで彼はそれを阻止しようとした」 とローズ。
「この歳で紹介状が何の役に立つ!わたしは先代から仕えてきたんだぞ。それを今になって放り出されて何ができるというんだ」ショーンがローズを睨みつける。
「それでヨアヒムさんを手に掛けたんですか。まったく意味がない。その行動力、魔力うまく使えば楽に再起できたでしょうに、百年も生きていなくせに甘えるんじゃありません」
「こちらはそろそろ引き上げます」エルグムが手振りで指示を出す。
ショーンが菜園の方角へ引っ立てられていく。
「お二方、今度会うなら事件が絡まない時にお願いしたいですね。では」エルグムは軽く頭を下げ去っていった。
「わたしもお暇しましょうか。フレア……」
「はい」
「今回はよくできました」
「ありがとうございます」
フレアが答えるとローズの姿が風に吹かれる霧のように消えていった。丘の上にはポンタスとフレアだけが残った。
「本当にその怪我は大丈夫なの?」
「まだ痛みはあるけど朝までには治ってるわ。帰りましょう」
祝祭の最終日、帝都へと帰るフレアを見送るため再び屋敷の前には使用人達が並んでいた。しかし、最初のような浮かれた雰囲気はない。
「悲しい事ばかりが起こりましたが、あなたが解決に力を尽くしてくださったおかげで気持ちは幾らか和らぎました」パトリシアが静かに話す。「我が家の将来についてはこれから改めて考えていきたいと思います」
「それについては差し出がましい事かとは感じますが、ローズ様がオスカーさんの工房に興味を持たれたようです。あの品質なら新市街の人達が欲しがるのではないかと、旧市街でも幾らか引き合いがあるでしょう」
「本当ですか」とオスカー。
周囲の使用人達も浮足立つ。
「ただし、品質と量、それと確実な納期が条件となります」
「そうですよね……当然」
「ローズ様の受け売りなのですが、村の方に相談してはどうでしょうか」
「相談ですか」
「ハンス家はブーヒュースでは一番の資産家なんですよね。そのお宅に出て行かれては村としての損害も大きいのではないかとローズ様はお考えです」
「はぁ……」
「その弱みとローズ様の名前を出して帝都での販売計画をうまく持ち掛ければ資金面の他人員でもお手伝いもしてもらえるんじゃないでしょうか」
「いいんですか」
「問題ないと思います。ほんの僅かな額でも正教会に回していただいたら、それで誰も文句を言えなくなりますし」
フレアは満面に笑顔を浮かべた。
それからも歓談はしばらく続いた。そして、フレアが馬車に乗り込んだ時にポンタスが口を開いた。
「また、会えるかな」
「旧市街にはよく行くことがあるから、会えるかもしれないですね。でも、ちゃんと勉強してないと学校にいられなくなるから注意してください。卒業したら会社を手伝うことにすればオスカーさんとハンス家支える両輪になる。そうすればお家も前にすすんでいけるわ」
「頑張るよ」
レヴィオが馬に鞭を入れ馬車が進みだした。忙しかったフレアの祝祭の終わりである。
フレアの祝祭ー吸血鬼の地味な日常 護道 綾女 @metatron320
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