第10話
再び沈黙が訪れた。ポンタスはまた書き物机に向かって項垂れている。難しいのはオスカーに都合よく考えると妄想になりかねない事だ。彼もさっきの破綻した推理でそれを実感したようで、軽く笑顔が湧いたかと思えば、顔をしかめる項垂れるのを繰り返している。フレアも同様だ。現在の状況ではオスカーに極めて不利な状況だ。今明らかになっている状況では、皮肉なことに力を持つオスカー以外にあの犯行は成し得ない。何かが間違っているのかもしれないが、フレアにはそれはわからない。
廊下で慌ただしい足音、それはポンタスの部屋の前で止まった。扉が叩かれ声が聞こえた。
「ポンタス様、クリスです。ここを開けてください。お話したいことがあります」
「クリス?何の用だい」
ポンタスが扉を開き切らないうちに彼女は部屋へ飛び込んできた。
「話をしたい事って何だい?」
「オスカー様はどうされたんですか?なぜまだ帰ってこられないのですか」
クリスはパトリシアを介抱し彼女の部屋へ連れて行ったため、あの後のアンディッシュとの会話は聞いていなかったようだ。最初はポンタスの話に呆然としていたが、次第に苛立ちを顕わにしていった。
「オスカー様が旦那様を手に掛けるなんて無理なんです。ありえません」とクリス。
「クリス、君が他のみんなもそう言ってくれるのは本当にうれしいけど……もうかなりひどく旗色が悪くなってるんだ」 答えるポンタスは今にも泣き出しそうだ。
「旗色だろうとなんだろうと、無理なものは無理なんです!」
「どうしてそこまで言えるんだい?」
朝ならポンタスもこの言葉に無条件で同調できたが、色々と知ってしまった今となってはこう言わざるを得ない。兄の無実を信じたいがそれには脆弱な仮説ではなく強固な証拠が必要となる。
「わたしの立場などかまってはいられません。銃声がした時、わたしはオスカー様と一緒に居たんです。厩舎の裏から少し離れた場所にいました。銃なんか撃てるわけがないんです」
「どういうことだい」ポンタスは戸惑いを隠せない。
「わたしはオスカー様とお付き合いをしています。昨夜も一緒でした」
クリスは今までオスカーとの付き合いと前夜の出来事を二人に話した。
「オスカーさんが昨夜のことを黙ったままなのは……」とフレア。
「おそらく、わたしの立場を気にかけてのことかと思われます。オスカー様はわたしの立場が危うくなることを恐れていました。わたしには黙っていてくれと告げられました。自分から皆に対し公表するのでそれまで待ってくれと……」
「あぁ……」フレアは片手で顔を押さえた。
オスカー、クリスともに相手のことを思ってのことだろうが、時と場合による。このままではオスカーは親殺しの罪を負い真犯人は逃げおうせることになるだろう。
「クリスさん、それは本当ですよね?」
「もちろんです」 睨みつけるような目つきに強い口調。
「マーブルさんやフミさんはあなたもいたと言っていましたが」とフレア。
「あぁ……それは勘違いだと思います。わたしが着いたのはみんな廊下に集まってしばらく経った頃です。ヘクターさんがいませんでしたが、後で聞いた話では母屋に使いに出ていたようです」
「そうですか」時系列的には問題ないようだ。これなら十分な証言になるだろう。
「それじゃクリスさん、今の話をアンディッシュさんに話してもらえませんか」
「そうだよ。それがいいよ」
「すぐに詰所に行きましょう」とフレア。
「はい」クリスは息を飲む。「それでオスカー様を助けられるんですよね」
「再度聴取が必要になるでしょう。オスカーさんがあの場にいなかったとなれば、ポンタスさんあなたの突飛な説も冗談でもなくなるかもしれません」
馬車を調達するために押しかけた厩舎にはレヴィオがいた。鼻歌を歌いながら馬にブラシをかけてやっている。戸口での騒ぎを聞きつけ手を止めて様子を見に来た。急用で馬車を出す依頼に使用人仲間がやって来ることは珍しくないが、ポンタスや来客までが姿を現すことはまずない。
「レヴィオさん、馬車の用意をお願いできますか」とフレア。
「どなたがお乗りになるんです」
「僕たち三人だよ」ポンタスが答える。
「で、どちらまで」
「警備隊の詰所、アンディッシュさんに会いに行きます」とクリス。
「詰所ですか」
「そうです、オスカー様に掛けられた疑いを晴らさなくてないけません」
「なるほど、それならのんびりしてられない。暗くならないうちに乗り込みましょう。準備を手伝ってください」
慌ただしい一日がようやく落ち着き、アンディッシュ・ヨハンセンは一服をいれるため渋い茶を入れた。横に甘い干し芋を置く。茶を一口すすったところで詰所前に馬車が止まるのが見えた。御者はハンス家の使用人レヴィオ、次男のポンタスそれに塔のメイドまでついて来ている。嵐の予感だ。
アンディッシュはポンタスが話す朝からの聞き込みの結果を黙って聞いた。一通りの話を聞きアンディッシュは前に並ぶ四人を眺め渡した。
アンディッシュはポンタスが話す朝からの聞き込みの結果を黙って聞いた。一通りの話を聞きアンディッシュは前に並ぶ四人を眺め渡した。
「そこまでやっていただいてありがとうございます。 こちらが把握している情報と変わりないようです。事件に対する見方も同様です。オスカーさんへの嫌疑の強さも変わらないのですが、確かにあの人が現場にいなかったとなれば話は大きく違ってきます」
「信じてください。わたしはオスカー様をまったく別の場所に居たんです!」クリスが身を乗り出す。
「疑っているわけじゃありません。証言が事実ならオスカーさんは何らかの手段を使って陥れられたことになります」
「彼女の言葉に嘘はないと思うよ」レヴィオが呟く。「厩舎にいて二人が連れ立った歩いていくのを何度か見たことがあるから」
クリスの頬が真っ赤になり、レヴィオを見つめる。
「知ってたけど黙ってた。俺もばらすほど野暮じゃないよ。昨夜も会ってたならそこにいたに違いないよ」
「レヴィオさん……」
「アンディッシュさん、オスカーさんはどこにいますか?」とフレア。
「地下の監房にいます」
「オスカーさんに会わせてもらえませんか。彼がクリスさんの事を隠す必要が無くなれば何か喋ってもらえるかもしれません」
「いいでしょう、ただし俺も同席します」
どこの地下牢も代り映えはしない。薄暗く不潔感がある石壁の部屋だ。フレアがアンディッシュと共に現れるとオスカーは寝転んでいた寝台から体を起こした。クリスから話を聞いたことを告げるとそれをあっさりと認め、黙っていたことを詫びた。理由はクリスと同様で相手を気遣ってのことだった。
昨夜は音を聞きつけ母屋へ戻ったオスカーはヨアヒムの書斎前でフレア達と合流した。怪しい音ではあったが最初は銃声とは思わなかった。以降は使用人達に指示を出し現場の掌握に務めた。
「ありがとうございます。オスカーさん」とアンディッシュ。「最後に何ですが、猟銃は本当に保管庫に収められたのですか。ヨーハンさんによるとあなたの銃は整備に出されていて戻ってきたのはあの日の昼だったとか」
「それに間違いはないよ。届いたのをショーンが受け取ってくれたんだ」
ほどなくオスカーへの聴取も終わり、二人で地上へ上がって来た。
「そういえば、ヨアヒムさんは今どこにおられるんですか」 とフレア。
「教会で預かってもらっているよ」
「見分はどうなっているんですか?」
「それがまだなんだよ」アンディッシュは頭を掻いた。「診療所の先生に依頼するつもりが今忙しくてね。それで帝都から専門家を呼ぶことになった。明日にならないと無理なんだ」
「死んでいる人より生きている人ですか」
「まぁ、仕方ないんだろうね。エルグム隊長も状況から見て銃撃に間違いなしと見ている」
「わたしに見せてもらえませんか。ご存じだとは思いますがわたしも多くの死体を目にしています。お役に立てると思います」
「俺も行きましょう。俺も猟をやるんで、銃の傷は何度も見ています」
「おねがいします」
他の三人は馬車で帰らせ教会へはアンディッシュとフレアの二人で向かった。アンディッシュのおかげで教会へは何の障害もなく入ることができた。彼が安置されていたのは葬儀前の待機所のような部屋だ。案内役の若い聖職者が部屋から去ると香が漂う部屋で二人が動き始めた。
上着を脱がせ胸の傷が顕わになる。次に横を向かせる。アンディッシュはヨアヒムの命を奪った傷を目にしても眉一つ動かさない。
「生まれはこの村だが帝都にもいたんだよ。彼よりひどい遺体も目にしたよ」
アンディッシュは胸と背中の傷を交互に見比べる。そうしているうちに彼の顔の困惑が広がり始めた。眉が複雑に上下する。
「これはどういうことだ」と小さく呟く。「使用されたのは大物用の猟銃ということになっている。外の木立の陰で見つかったからだ。射程距離の点からも頷けるんだがこの傷はどうにもおかしい」
「はい」フレアも同感だ。
「胸の傷がきれいな円形なのはわからないでもないが背中側が妙だ。同じくきれいな円形だ。大きさも変わらない。あの手の銃で使用されている弾は潰れやすいんだ。着弾と同時に潰れて、時にはばらばらになり対象の内部を引き裂きながら反対側に突き進む。その結果出口側はまるで中から爆発したかのような大きくひどい傷になる事が多い」
「えぇ」
フレアもそれは何度も目にしたことがある。多くの獣である時は人の体でも
「軌道が乱れず柔らかな部位のみを通り抜けることもないわけではないだろうが、それは詳しく見分が必要だろう。これじゃまるで巨大な串が貫通したように不自然だ」
「エルグム隊長にもお知らせお願いできますか」
「もちろんだよ。彼は近くの宿の部屋を取っている。すぐにでも会うことができるよ」
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