第7話

 フレアが外の様子を見に行くか決めかねていた時に部屋の扉を叩く音が聞こえた。控えめに二度ややあってまた二度。


「フレア起きてる」


 ポンタスの声だが大きさは控えめだ。


 フレアは扉を少し開けその隙間から廊下へ滑り出た。扉は後ろ手で閉める。彼女の現れ方にポンタスは多少面喰った様子だが、目つきは真剣だ。昼間のように浮かれた雰囲気はない。


「フレアも聞いた?さっきの銃声みたいな音」


「聞いたけど、よくある事なの?」


「ないよ、銃が使える猟場は厳しく制限されてるんだ。誰だってただでは済まないよ」


「それでも使っているとしたらかなり危険な奴ね」


「何かあったか、見に行った方がいいかな」とポンタス。


「それはわたしが行くわ。あなたはヨアヒムさんにこのことを知らせて屋敷内の安全を確認するようにしなさい」


「ここへ来る前に父さんと兄さん、二人の部屋に行ったんだけどどちらも出て来てくれなくってさ困ったよ」


「それでわたしの部屋へ……」


「この中で他に頼りになりそうなのはフレアぐらいだし」 


 ここに来たのは彼なりに判断してのことらしい。


「わかったわ。あなたはもう一度ヨアヒムさんの部屋に行きなさい。用足しに行ってとしてももう戻ってるから」


「うん」


 二人で階下へ降りるとヨアヒムの部屋の前に立つ人影があった。足元に置いたランプにより薄闇の中に影が浮かび上がっている。


「ショーン!」ポンタスが人影に目を停めて声を掛けた。


「ポンタス様、それにフレアさんも……どうされましたか」ショーンが向き直り答える。


「さっき銃声のような音が聞こえただろ。それで父さんに知らせに来たんだよ」


「それならわたしも聞きました。対応を考えないといけませんのでやってまいりました」


「お父さんは何て言ってた?」


「それが……まったくお答えがありません」


 ポンタスとフレアは目を見合わせた。


「僕がさっき来た時もそうだった。何かあったのかな」


 二人は黙り込む。やがてポンタスが口を開いた。


「中を覗いてみようか」


 ポンタスが扉の大きな鍵穴に近づいた。手の込んだ鍵ではないため覗き穴のように部屋の中を見ることができる。


「わたしがやりましょう」ショーンが遮り前に出た。


 階段から騒々しい音が聞こえて来た。一時扉の向こうについては中断となり、皆そちらに目をやった。階段から廊下に飛び出してきたのは雑役夫のヘクターだった。少し太めの小男で所謂何でも屋だ。まだ若いが器用で狩りから料理に家具の修理まで何でもこなすとフレアは聞いている。たぶん自分と同様で何でも押し付けられるというのが正しいとフレアは見ているが、それは口に出す気はない。


「ショーンさん、旦那様にお知らせしたいことが……」とヘクター。


 居合わせたフレアやポンタスにも軽く頭を下げる。


「さっきの音のことか。そちらでは何かあったのか」とショーン。


「今のところ被害はありませんが、銃声に近いものですから旦那様にお知らせした方がいいかと思いましてやってきました」


「ありがとう、旦那様なんだが中でどうされているのか。声を掛けても反応がないんだ」


 ショーンはヨアヒムの部屋の扉の前で鍵穴の中を覗きこんだ。顔を押し付け凝視し、弾けるように顔を離した。


「あぁぁ、旦那様、旦那様が中で倒れている!」


 ショーンは叫びを上げながら扉に体当たりを始めた。


「ヘクター手伝ってくれ!ポンタス様もお願いします」


 三人がかりで体当たりを繰り返すが扉は頑丈にできているようで開くことはない


「フレア、手伝って」ポンタスが叫ぶ。


「はい」フレアは一歩前に出た。「皆さん扉から離れてください」


 三人が後ろに退きフレアが代わりに扉の前に行く。足を踏ん張り鍵に手を副え力を込める。みしみしと木が裂ける音の果てに壁側の受け座が壊れ、扉が内側に開いた。ショーンはフレアが扉の前から退くのを待たず部屋に飛び込んだ。


「旦那様!」


 開け放たれた扉の向こう側にはヨアヒムが仰向けに倒れていた。胸の中央に血の染みが広がっている。脈を取ることなく死亡しているのはわかった。


 旦那様と呼びかけ続けるショーンと呆然と立ち尽くすポンタスとヘクター。そこに新しい気配が現れた。


「あなた達何事だというの!」寝間着姿のパトリシアだった。彼女には室内を見せるべきではなかった。パトリシアは現在の状況を瞬時に理解すると、叫び声を上げることもできずにその場に昏倒した。




 ヨアヒム・ハンスは書斎の床に仰向けに倒れていた。致命傷は胸の中央から背中に抜ける傷である。窓ガラスには円形の穴とひびが入り、扉の室内側中央にはえぐれた傷、そしてヘクターの通報により駆けつけた警備隊士により床から変形した弾丸が発見された。ヨアヒム・ハンス氏は外からの狙撃により殺害された。これが現在のおける警備隊の見方だ。


 最初はアンディッシュと呼ばれた地元詰所の中年警備隊士だけだったが、夜が明けた今はステファン・エルグムと名乗る上級隊士の指揮の元で十人以上の隊士が庭や丘を駆け回っている。


 祝祭は終わりとなってしまったが、フレアには事情聴取のための滞在が求められている。アンディッシュ及びエルグムに素性を明かしたところ嫌疑は問題なく晴れたようだが、事件の第一発見者であるため身柄の解放はまだ時間が掛かるようだ。


 フレアは衣装を整え外へ出た。パトリシアや使用人達の様子が心配だ。パトリシアは倒れれたまま寝室へ運ばれ、ヨアヒムの死を知った使用人達は動揺に包まれていた。ローズなら喪失の痛みを和らげることもできただろうが、自分にはその自信はない。だが、部屋でじっとしている気にはなれない。パトリシアには掛ける声が見つからないため、とりあえず階下に降りてみることにした。何か手伝うことはあるかもしれない。


 まだ、朝早い時間だが昨日と同様にフミとマーブルがいた。離れた場所にはヘクターが不安そうな表情を浮かべ立っている。


「おはようございます。大変な夜でしたね。フレアさん」


 二人とも憔悴した目つきをしているが睡眠不足だけではないだろう。


「おはようございます。皆さんお身体の方は大丈夫ですか?」とフレア。


「本当は部屋で座っていたいところですが、何か食べないといけません。それが用意できるのはわたし達だけです」


「何があろうと、食べることはやめられませんからね」


 食べることはやめられない。やめれば狂気が訪れる。


「フレアさん、よかったらヘクターの手伝いをしてやってくれませんか」


 フミの声を聴いたヘクターは笑顔を浮かべた。


「昨夜仕掛けた罠を放っておくわけにはいきませんから」


「はい、任せてください」


 


「ありがとうございます」ヘクターは裏口から出るなりフレアに軽く頭を下げた。「みんな旦那様を狙った奴がまだ森にいるんじゃないかって怖がって出てこないんですよ。それで俺に仕事が回って来て……手伝ってもらえて助かります」


 やはり、ヘクターはフレアが予想していた通りの立場らしい。


「いいんですよ、わたしでよければ」


 とはいっても飛んでくるのが銃弾となればフレアであっても守り切れるとは言い切れない。できるのはせいぜい動くお守り程度だろう。


 裏口から森に入り、人影を目にしてヘクターは小さな悲鳴を上げた。見れば制服の警備隊士だ。屋敷の周辺一帯に捜索に入っているようだ。そのせいでもないだろうが、罠は四つ目まで収穫はなかった。作動はしているが、どれも餌だけ取られて獲物の姿はない。三番目は茶色い毛が残っていたがその主はうまく逃げ延びたらしい。


「こんな日もありますよ」ヘクターは呟いた。  


 最後の丘の下では薄い火薬の匂いが漂っていた。銃に使われた火薬か。立ち止まり屋敷の方を眺めるとヨアヒムの部屋の窓が見えた。ここからヨアヒムを狙ってのか。しかし、ここからだとヨアヒム自身が窓から身を乗り出さない限り撃つことは出来ない。


「狸が掛かってますよ」右側の木の影からヘクターの声が聞こえた。


 ヘクターの傍に行くと彼は罠を解除している最中だった。罠には首を挟まれ息絶えた狸が横たわっている。その周りに細かな青い紙が散らばっている。


「その紙はなんですか?」


「あぁ……こいつ母屋か使用人館に忍び込んだのかもしれませんね。その時に何かに手を付けた」舌打ちの音が聞こえた。「置いてある食料を点検した方がいいですね。まったくくそ狸め」


 ヘクターは狸の足を掴み背中の籠に投げ込んだ。


「見ぃつかりましたぁ!」


 丘の上から大声が聞こえた。


 ヘクターとフレアは顔を見合わせ森から飛び出した。


「銃です。猟銃です」声は丘の上から聞こえる。


「よし!すぐ行く。そこで待ってろ!」


 小太りの男が三人の男女を引き連れフレアの前を走っていった。小太りの男はステファン・エルグムで今回の責任者だ。頭にかぶったベレー帽が落ちないように押さえながら丘の上に向かう階段へ駆けてゆく。フレア達もどさくさに紛れて駆け登ろうとしたが、入り口にいた隊士に穏やかな手振りで止められた。手振りこそ穏やかだったが目つきは厳しかった。

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