第4話



 ポンタスはいいですねと言ったフレアの言葉を受けて、食事の後に彼女の手を引き厨房へ連れて行った。調理器具や食器の片付け途中の調理人にせがみ自家製の加工品の一部を持ってこさせた。脚丸ごとの生ハム、様々な食感のハム、ソーセージ、内臓や血をたっぷり使用した物まであり品ぞろいは専門店並みだ。味は強すぎずフレアとしても食べやすかった。 調理人のフミには悪かったが、思えばよい暇つぶしになった。


 賑やかなポンタスも去って今は部屋に一人きりとなり、することが無く暇を持て余している。普段は主人であるローズが目覚めこれからという時間なのだ。窓辺で一人外を眺める、そのような夜が来るとは思わなかった。


 寝台の上に目をやる。上掛けに置かれたままになっていた寝間着を広げてみる。薄っすら緑に染められた木綿だが、子供の頃に着ていた寝間着よりは遥かに柔らかい。上着は頭から被るたっぷりと余裕を持たせたワンピースで下は膝までありそうなぶかぶかのキュロットだ。


 横になるつもりはないが、着替えてみることにした。洗面台の鏡に映してみると悪くないがその軽さが頼りない。まるで何も着ずに裸でいるようだ。しかし、見かけに関わらず鎧のように重いいつものお仕着せと違い解放感は抜群だ。


 音を立てないように動いてみる。床で跳ねたり回ってみても軽く裾が舞い上がる程度で、勢いで体が持っていかれそうになることはない。それが普通なのだろうがフレアとしては新鮮でいい。


 いつまでも踊って過ごす気にもならない。また椅子に座り外を眺める。やはり暇が過ぎるためこっそり屋敷内を探索してみることにした。部屋の外に出て廊下を歩くぐらいならかまわないだろう。


 外の廊下にはランプなどの灯りはなく、階段の吹き抜けと右端の窓から月明かりが差し込むだけだがフレアとしてはこれだけで十分だ。さっそく階段を音を立てないように一階まで下り探索を始める。右側はポンタスに連れられ訪ねたために構造は知れている。突き当りを左へと曲がれば奥に厨房、貯蔵庫、肉の処理施設がある。


 見ていないのは食堂から左側か。奥へと向かい廊下を歩く。扉の中から漂い出てくる匂いに燃油や薪、木炭などの刺激が感じられた。人の匂いが乏しいところから季節品の倉庫と言ったところか。左端の部屋は他と様子が違っていた。部屋の鍵の他に頑丈な南京錠が追加されている。この部屋も漂う匂いで察しがついた。火薬に獣の匂いと血の匂いだ。おそらく、狩りのための銃火器とその備品の倉庫だ。鍵の追加も当然だ。 ふと人の気配を感じた。人影は近くにはない。明らかに生活臭だ。対面の扉の下からは薄っすらと光が漏れている。この部屋は誰かの居室となっているようだ。無用な騒ぎを起こさないために速やかに立ち去ることにする。


 左端は屋敷の裏と向かう廊下はなく、突き当りに外へと向かう扉が付いている。静かに開けてみるとすぐに庭に出ることができた。正面の丘へ登る階段と背面の森へと続く道が見える。ここからなら屋敷の前を通らず外に出ることができるということか。


 一階はこれぐらいでいいだろう。フレアは扉に鍵を掛けなおし階段へと戻った。階段を登り二階に入る。ここは家人たちの私室が並んでいる。そのためか扉の下からまだ明かりが漏れている部屋がいくつもある。近づくにつれ話し声が漏れ聞こえてきた。


「……話はついたはずだろう」これはヨアヒムの声だ。「そんな夢のような話に金は出せん」


「しかし、……」こちらはオスカーの声少し感情的な響きを含んでいる。


「しかしも何もない。うちがそんな状況ではないとお前もわかっているだろう」


「だからこそ……」


 中の良さそうな親子に見えたがやはり別個人で意見の相違はあるようだ。フレアはそれ以上聞かないようにして廊下を階段まで下がった。三階への階段を上っていると下から小さな悲鳴が聞こえた。手摺から下をのぞき込むと二階への踏み段でランプを手にしたメイドが体を強張らせていた。


「どうかしましたか」


 何事かとフレアは彼女の元へ駆けつける。昼に部屋に訪ねてきたきたマキだ。マキは突然現れたフレアの姿に目を丸くしたが、ややあって安堵のため息をついた。


「フレアさんだったんですね。安心しました」とマキ。


「誰かと間違えたんですか」


「このお屋敷出るそうなんですよ。昔住んでた……女の子の……」


「幽霊ですか」


「えぇ、寝間着姿で金色の髪の女の子が出るそうなんです」


「寝間着姿ですか……」姿は 今のフレアそのものと言える。


「わたし、そういうの苦手なもので……」


「すみません」とフレア。


「いいえ、謝らないください。眠れないなら何かお持ちしましょうか」


「いいんですか?」


「はい、わたしたちは旦那様方がお休みになるまで起きてますから大丈夫です」


 しばらくしてマキは鎮静効果があるという暖かなハーブティーを持ってフレアの部屋にやって来た。ヨアヒムの用を聞いていたため少し遅れたことを詫びていったが、フレアとしてはかまわなかった。長居させては気の毒なのでフレアは礼を言うだけで留めておいた。


 暖かなハーブティーを手にフレアは再び窓の外の監視を再開した。そう、監視と思えば多少は退屈が紛れる。雨露しのげる屋根の下でお茶付きで監視などない事だ。


 


 退屈な夜が明け空が白み始めた。目前の丘に阻まれ、まだ陽光は差し込まない薄闇の中だが、使用人達は動き出している。フレアも我慢しきれず寝間着からいつものお仕着せに着替えて部屋を出た。まだ朝も早いため音を立てないように一階まで降りてみる。厨房に顔を出すとフミと他に二人の使用人が材料の仕込みとパンの準備を始めている。夜を経て発酵が完了した生地をちぎって丸めて鉄板に並べている。


「おはようございます。フレアさん。何か御用ですか」フミが声を掛けた来た。


 彼女は顔色も体格も良く背も高い。頭に巻いたバンダナからはつやのある黒い髪が覗いている。


「おはようございます。あまりに暇なもので何か手伝うことはないかと思いまして」


 使用人達は軽く笑い声を上げたがフレアとしては切実だ。人気のない庭を行く小動物ばかり眺めてはいられない。


「そうですか。どうしましょうか」フミは周囲を見回す。少し離れた場所にいる女性に目をやった。「そうだ、クリス」


「はい」


 呼ばれた女性が答える。細身で茶色い髪をフミと同じくバンダナで包み込んでいる。背はフレアより少し高いか。手には分厚い皮手袋をはめている。背には大きな籐籠を担いでいる。


「フレアさんも連れて行ってあげて」


「はい」


 フレアがクリスに近づくとこの場に似つかわしくない血と獣の匂いが漂ってきた。


「どこへ行くんですか?」


「お屋敷の近くに仕掛けた罠にかかった動物を集めに行きます」とクリス。


「それでその手袋ですか」


 匂いの謎が解けた。仕留めた獲物の匂いが籠にしみついているのだ。


「えぇ、罠を外さないといけないので、掛かってる動物に噛まれても危険ですから。ヨーハンさんが作ってくれたんです。見た目はごつごつしてますが柔らかで使いやすいですよ」


 クリスと共にフレアは屋敷の裏口から外へ出た。森の中へ一歩二歩と入りながら辺りを見回す。罠の探し方は心得ているらしく、クリスは迷わず罠に近づき獲物の有無を確認した。小さな悪態が漏れてきた。一カ所目は餌だけが取られていた。


「頭のいい奴がいるんですよ」クリスは罠を拾い上げ籠に入れた。


 籠を担ぎ上げ次の罠へ向かう。森の中を縫って辿り着いた先では体格の良いウサギが頸を潰され罠の中で転がっていた。それをフレアが籠の中に入れた。三カ所目は作動していなかったためクリスが慎重に解除して回収した。


「設置から回収まであなた方がやるんですか」


「設置はショーンさんを含めた男の使用人が担当して、回収は女がやるようになってます」


「分担があるんですね」


「はい」


 二人は立ち上がり歩き出す。屋敷の裏手から正面の丘の傍まで五カ所を見て回って得られたのフレアが回収したウサギを含めて二体のみ、それでも上出来だろう。フレアも昔使ったことはあるが、罠はあくまで補助であり主戦力には物足りない。


 罠と獲物を回収した二人は森の中を通り母屋へと戻った。


 

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