第3話

 玄関口での挨拶を終えるとフレアはヨアヒムから執事のショーンを紹介された。初老で白髪痩身の男だ。彼の案内で通されたのは三階中央付近の一室だった。この部屋が祝祭期間もフレアの部屋となる。ショーンが一通り説明を済ませ出て行くとフレアは改めて室内を眺めた。寝台はきれいに整えられ、その上に寝間着が置かれている。足元は柔らかな絨毯、書き物机と衣装棚、その中には下着やタオルなどが入っている。どれも自由に使ってい良いという。どれも良い品だ。洗面台にはまだ温かい湯が置かれていた。


 唯一残念なのは窓からの眺めか。前面に崖のように切り立つ丘があり、左側は森が迫っている。日暮れまでまだ間があるのに屋敷の影で庭は濃い影が差している。あの丘のために朝日が差すのも遅くなるだろう。丘のこちらから見て左側、ほぼ垂直の斜面には木製の昇降階段が設置してあり、おかげで上には難なく登れそうだ。あの上からなら屋敷全体が眺められるだろう。


 つかの間、丘や前面の森を眺めていたが洗面台の湯を思い出した。フレアは窓際から引き洗面所へ向かった。せっかくの湯が冷めてしまってはもったいない。タオルを手に洗面台へと向かった。やはり、柔らかな布の肌触りと湯の暖かさは格別だ。帝都にやって来てからは困らなくなったが、それ以前は冷たい水を使うことも多かった。それで体調を壊すような身体ではないが、冷たくては気持ちが上がらない。


 洗面所から出てきて間を置かず、部屋の扉が二度軽く叩かれた。


「どうぞ、開いてます」


 フレアが告げると扉がゆっくりと開き、その向こうにメイドが現れた。真っ赤な髪を後頭部でまとめシニヨンで包んでいる。歳はフレアの見た目より少し年上か。


「今いいですか?」


「かまいませんが」


「ありがとうございます」


 メイドは半分開いた扉からするりと体を滑り込ませ後ろ手で扉を閉めた。


「わたし、マキと言います。今回は変なことに巻き込んですみませんでした」マキは頭を下げた。


「どうしてあなたが謝るんですか?」とフレア。


「実は今回の件はわたしが言い出したんです。だから、早めに謝っておこうと思いまして。初めは休憩時間の冗談だったんですが、どこで旦那様に伝わったのか気が付いたら本気で話が進んでいました」


「あぁ、気にしないでください」フレアはマキに微笑みかけた。「まぁ、最初は戸惑いましたが、考えれば祝祭のお休みなんて本当の子供の頃に体験して以来です。この機会に楽しませてもらいます」


「そう言っていただけると助かります」


「それはそうと、こちらではいつもこんな感じで祝祭を過ごすんですか」


「そうですね以前は……わたしが小さな頃は派手な宴会をやってましたね。子供だったわたしは親に連れてきてもらってお菓子なんか貰ってました」


「あなたはこの家とどういう御関係ですか?」


「実家が近所にあるんです。といっても馬車でもしばらくかかる距離ですが」


「近くに住んでいる人まで招いていたんですね」


「まぁ、この辺りでは一番のお金持ちですから、でもここ二年ほどは派手なことはしないで簡単な食事会だけでしたね」


「それで二年ぶりにやって来たのがわたしですか」


「はい」


「わたしで本当に良かったんですか」


「それはもう帝都の有名人に会えるということでみんな大喜びです」


「そう言ってもらえると助かります」


 フレアは皆の期待の大きさに変な笑顔を浮かべてしまった。


 日が暮れてからフレアは通信が繋がるかを試すためローズに連絡を入れてみた。フレアが思った通りローズは全てを承知していた。ただ、現在の状況に関してはいかにローズであっても、予想外でイヤリング越しに彼女の大笑いが響いてきた。フレアとしては困惑しかない。狼人の力以外は普通の人と変わらない。ハンス家の人々に過度の期待を持たれては困るのだ。




 夕食を知らせる銅鑼がなりフレアは窓辺に置いた椅子から立ち上がった。知らされている一階食堂へと向かう。扉が解放された部屋にはハンス家の家人が既に全員席に着いていた。フレアは彼らの対面の席をショーンに案内された。部屋の中央に食卓として置かれている横長のテーブルは暗い茶色のニスの下に優美な木目が浮かび美しい。背もたれの高い椅子も同様だ。


 対面には向かって左から主人のヨアヒム、妻のパトリシア、長男オスカー、次男ポンタスと並んでいる。彼らは玄関口で対面した際にヨアヒムから紹介を受けている。パトリシアは茶色で軽く波打つ長い髪を骨細工の櫛でまとめている。父親似で黒い髪のオスカーは成人しているため落ち着いた様子だ。年下のポンタスの髪は母親と同じ茶色だ。彼は普段、帝都で寄宿生活をしている学生だ。見た目が同年代のフレアに興味津々といった様子だ。


 ほどなく料理を持ったメイドたちがやって来た。彼女たちがヨアヒムたちの前に置かれた皿に程よく焼けた骨付き肉を乗せ野菜を副えていく。フレアには鋼鉄製の盆に乗った生の鹿の脚だ。仕留められて時間はいくらも経っていない。解体なども処理も上手く肉に痛みがない。食事用に肉切りナイフと二股のフォーク添えられている。それらも鋼鉄製である。食器が銀ではないのは安心である。爪を使い切り裂いて食べたいところだが、今回はこれら使って食べた方がよいだろう。


「このお肉はどこで手に入れられたんですか?」この肉なら帝都でならかなりの値打ちものだ。


「これは今日のお昼にオスカーと庭番のヨーハンが近くの森で仕留めて参りました鹿です」パトリシアが隣に座っているオスカーを手で示す。「あなたが来るのに間に合ってよかったですわ」


「わざわざ森に入って鹿を仕留めてこられたんですか」


「我が家では特に珍しい事ではありませんので、お気楽に」パトリシアはフレアに頷きかけた。「さぁ、いただきましょう」


 パトロシアの短い祈りの言葉の後に食事が開始された。しばらくは静かに食事が進んでいたがポンタスが口を開いた。ここ数十年よく聞かれる質問の一つだ。人としてはどうしても気になるのだろう。自分が警戒されず受け入れられるのはよいのだが、少し面倒な時もある。


「フレア、肉って生で食べる方がおいしいの?」ポンタスが好奇心に満ちた瞳で見つめてくる。


「ポンタス!」パトリシアがたしなめる。


「だってさ、フレアがすごくおいしそうに食べてるからさ」


「奥様、気になさらないください」フレアはパトリシアに微笑みかけた。「このお肉がおいしいのは間違いないです。この鹿は苦しむことなく死んだのでしょう。それに森では健康に生活していたに違いありません。仕留めた後の扱いも適切でした。加えて新鮮です。おいしくないわけがありません」


 皆が食事の手を止めフレアの言葉に聞き入る。


「ですが、皆さんは確実に火を通して食べてください。大変危険です」


「何が危険なの?」とポンタス。


「わたしは体質的に問題ないのですが、皆さんだとお腹を壊すなどはまだ良い方でひどいと病気や体の中に虫が湧いて死ぬことすらあります」


 ポンタスは怯えた顔で目の前の皿に乗った骨だけになった肉を見つめる。


「なっ、やっぱりヨーハンのいうことは正しいんだよ」ヨアヒムが左側を向き諭すように呟く。


「庭番の方ですね。御自分でも獲物を捌くことがあるのでいろいろと見てらっしゃるんでしょう」


「確かにそうだね。腹を開けると内臓にできものがあったり、気味の悪い虫がいる時はあるからね」


 今まで黙っていたオスカーが口を開く。


「わたしたちはきれいにお肉になった時しか見ないものだから」とパトリシア。 


「わたしも生でなく皆さんのようにお料理を食べてみたいのですが体が受け付けないので仕方ありません」


「それってちょっと寂しいね。何か生でなくても食べられる物ないの?」とポンタス。本当にどこかさみしそうだ。


「干し肉とか肉だけの加工品なら食べることは出来ます」


「それならうちにもあるよ」彼の顔がぱっと明るくなる。「一回で全部は食べきれないから余った肉は燻製や塩漬けにするんだ。よく食事に出てくるよ」


「いいですね」  



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