第33話、そして主役を迎え、つづきの物語が始まる
当たり前のことであるかのように。
あっさりと本の世界での終わりについて答える柾美。
晃には、その言葉が信じられなかった。
あの、現実と変わらない感覚のあった世界。
そこでの死を、まさしく舞台の上であるかのように、捉えている柾美のことが。
「……じゃあ、ここに並んでる終わった本も?」
「うぇっ? え、えーと。たぶんそーかな。実はね、その瞬間ってあんまり覚えてないんだよ。ぶつってテレビが消える感じ?」
また、予想だにしていなかった、と言う表情。
その、柾美の言葉からは、死に関しての怖さのようなものは感じられない。
あくまでも実際のものとは違う、言うなればゲームみたいなもの、と言いたいのかもしれないが……。
「辛くないか、それ?」
「う~ん。辛いっていうか、今は悔しい気持ちのほうが大きいかな。何でこの物語をつくったかみさまは悲しい結末でしか話を終わらすことしかできなかったんだろう、って」
それは、恐怖するしない以前の、超然的な答えだった。
まるで、その神様と同じ位置にいるかのような、そんな感覚。
だが、それでようやく晃は理解した。
それが、とても現実として受け入れられるものではないからこその台本なのだと。
台本と割り切らなければ、やっていけないくらいに、怒りや悲しみに慣れてしまったのだと。
「やめたいと思ったこと、ないのか?」
どうしてそこまでして、『旅』に出る必要があるのか。
この『旅』は、現実からの逃げ場所であって、現実の辛さを忘れるための場所なのに、どうしてそこに辛さを重ねようとするのか。
「……ないよ。だって、楽しい冒険には危険がつきものでしょ? それでほんとに死んじゃうわけじゃないしね」
「そうか」
それは、明らかな嘘だと分かるのに、ひどく現実めいた言葉で。
それを言われてしまったら、晃は頷くしかなかった。
逆に、やり直しのきかない現実と違う世界だからこそ、辛いなんて考える必要はないし、楽しいと思える。
きっと、その通りなのだろう。
柾美がそれを自分自身に言い聞かせるように言っていなければ、晃もそういうものかと、素直に頷けたのかもしれないけれど。
「ん? ちょっと待て。それじゃあ俺は、この本の世界で死んだのか?」
それは、今の今まで失念していたこと。
あの時は、ページがなくなったから現実世界へと帰ってきたものと思っていたが、今の柾美の話をまとめると、つまりはそういうことになるわけで。
晃は、テーブルの上にあったその本を開き、最後のページ、最後の一文をもう一度確認してみる。
見た感じ、そういう風にはとれそうもなかったが……。
「待って。あ、ほらここ! ラキラの懐中時計、上になってるよ?」
同じように反対側から身を乗り出していた柾美が、タイトルのあるページを覗き込みながらそう言う。
「いつの間に?」
「こっちに帰ってきて、光ったりしなかった? この本。きっとその時だよ。過去に数冊あったけど、近くに下巻があれば反応するはずだから」
「言われてみれば、確かに光ってはいたな」
光った時に、どこか変わったところがあるかどうか、確認したはずなのだが、どうやら見落としていたらしい。
と、なると。
「いきなりレアものだね、晃くん。きっとすぐ近くに、続きの本が……って、もしかして、家の土蔵にあるやつかなっ」
柾美の言う通り土蔵にあるという本が、その続きなのかもしれない。
「その、土蔵にある本、タイトルは見たのか?」
「ううん。まだ見てないよ。見たらその世界に飛んでっちゃうし!」
言いながらも、興奮した様子の柾美。
「そ、それじゃあ、早速」
当然それは晃も同じで。
「待って! わたしにも復習させて、お願い!」
「あ、ああ」
つまり、続く下巻の準備として、上巻を読んでおきたい、ということなのだろう。
晃は、自分の日記を目の前で読まれているかのような複雑な気分に陥りつつも、そう頷く。
そして、すぐに内容に集中し始めたのか、部屋には無音が広がって。
手持ち無沙汰な晃は、しばらく本に視線落とした、つくりもののように長い柾美の睫を眺めていたけれど。
すぐにはっと我に返って、淹れてもらった紅茶をすすりながら、自分なりに本と、『旅』の世界のことをまとめてみることにする。
こうして柾美に話を聞いて、色々分かったような、未だ何もかも分かっていないような奇妙な気分になったが。
その中にしてひとつ、晃は気にかかることがあった。
それは、時間の経過についてだ。
晃が、上巻の世界を旅した時間はそう長くなく、2、3日ほどだったはずだが。
帰ってきてから、現実の世界ではほとんど時間が過ぎていないように思えた。
経っていたとしても数分だろう。
一見、『旅』の世界で過ごした時は、現実の世界の経過は反映されない、ということで問題がなさそうなのだが。
もし仮に、柾美の両親がその旅から本当にまだ帰ってきていないのなら、逆に時間の経過が現実に反映されている、ということになってしまうのだ。
となると、晃たちは下手すれば何日も帰ってこれなくなる可能性だったあるわけで。
「よっし、読んだよ! それじゃあいざ出発~っ、だよ晃くんっ」
そこまで考えて、聞こえてくる柾美の声。
晃が顔を上げると、すでに立ち上がっていた柾美に、手を引っ張られる。
相当やる気らしい。
そのまま立ち上がった晃は、手を繋がれたままで柾美の部屋を出る。
妙な誤解をされたら困るなと思ってはいたが、その道中に英理の姿は見当たらず。
やがて辿りついたのは、大きな屋敷の裏手……随分と年季の入った、土蔵と呼ぶに相応しい大きな建物のある場所だった。
「待ってて、今開けるから」
そこでようやく柾美は手を離し、実はとっくの間に準備万端だったらしく、腰につけていたポシェットから古い真鍮の鍵を取り出した。
「ほんとに続きだといいね」
そして、わくわくを抑えられない様子でそう呟きつつ、手馴れた手つきで土蔵の鍵を開けた。
閂のようになっているそれをスライドさせ、観音開きになっている木製の大扉を外側に勢いよく開け放つ。
鼻をくすぐるのは、古い紙の匂い。
だが思ったよりも埃くさくなく、陰湿な雰囲気もなかった。
屋根の高い部屋。
そこにはまるで書架のようにたくさんの本が並べられ、あるいは積み上げられていた。
入り口付近には、古紙の束や、玉ねぎジャガイモと言ったような畑の野菜の入ったダンボール、そして柾美の言っていた業務用に近い大きさの冷蔵庫があり……その上に、薄闇の中煌々と光放つ本が浮かんでいるのが分かった。
「随分と本ばかりあるんだな」
それは、何気ない晃の呟き。
「うん、すごいよね。これ全部『旅』の本なんだよ。わたしなんかまだまだだね」
しかし、返ってきたのは思わず声失う、そんな言葉だった。
そこには数えるのも億劫なほどに、大量の本がある。
それが全て『旅』の本だとは、到底信じられるはすもなく。
「って、目の前に宮沢賢治童話短編集ってタイトルが見えるんだが」
他にも、見知ったタイトルと作者名がちらほら目に入る。
流石にそんなことはなかったかと、晃は半ば呆れてそう呟いたが。
「あ、うん。実際にある……っていうか、有名な本の世界に行くことも結構あるんだよ?」
そんな事はあるらしい。
おそらく、柾美なりのジョーク、なんだろうけど。
「そ、そうか。それはまた凄いな」
なんとも夢のある話と言うか、何でもありな『旅』の世界らしい。
それならば是非行ってみたい本の世界がいくつもあるぞ、なんて考えかけた晃だったが。
それを考え始めるとキリがなくなりそうだったので、晃は話を戻す意味も込めて、先程思っていたことを口にした。
「ま、それはいいとしてだ。出発前に聞いておきたいことがあるんだが」
「うん、何かな?」
「現実の世界と本の世界の、時間経過の相互性についてだ。本の世界にいる間はこちらでは時間は経過しないってわけじゃないんだろう?」
振り返る柾美に、晃はそう問いかけながら。
今更ながらに気付かされるのは、英理の言う事故で両親を失ったという現実ではなく、柾美の言う『旅』に出たまま帰ってきていない、といった柾美にとっての現実を受け入れている自分に対してだった。
そもそも、『旅』の世界から何日も帰って来れないとなるとちょっと厄介だな、なんて考えはその柾美の言葉を前提にしているわけで。
もしかしたら、それは辻褄の合わないことなのかもしれない。
言い終わってから、訊いてよかったのかと、後悔し始める晃だったけど。
「うん、もちろん。わたしも気になって計ってみたことあるんだけど、向こうの一日がこっちでの1分くらいだったよ」
「成る程」
本当にそうなのか、そう都合よく思い込んでいるだけなのか、晃には判断がつかなかったけれど。
それなら確かに晃が旅した際の時間の経過としては辻褄が合っているような気がした。
仮に両親が事故の時から年単位で帰ってきていないとすると、三桁を超える年数を、『旅』の世界で過ごしていることになる……なんて事を真剣に考えなければ、だが。
「大丈夫だいじょぶ。きっと夕方くらいには帰ってこれるよ」
晃がそんな事を考えていることなどおかまいなしに、柾美はそう楽観的に笑う。
「あまり深く考える必要もない、か」
時間の経過なんて気にしているようでは、冒険だ旅だなんて言ってられないだろうし、帰ってこれないかもしれないことを心配していると思われるのも、何だかちょっと情けなかった。
だから晃は、益体もないことを切り捨て、そう自分に言い聞かせて柾美とともに光る本の前へと立った。
「いい、開くよ? うぅ~、二人で旅するのって初めてだからなんかドキドキする~」
言いながら、やっぱり嬉しそうな柾美。
「……そうだな」
すぐに、それに晃も頷き返した。
それは、本当にこういうことが好きなんだなと思い、晃も何だか嬉しくなったせいもあるだろう。
向こう世界に行っても、同じ気分のままでいられればいいなと願いつつ。
柾美の手によって開かれた一ページ目を、特に打ち合わせすることもなく、同時に覗き込んだ。
そこには、『ラキラの懐中時計』の文字。
一度見た、見覚えのあるタイトル。
そして。
晃がそれを心中で反芻したその瞬間。
晃の意識は、そのまま深い深い水面へダイブするみたいに。
本の中へと吸い込まれていく……。
(第34話につづく)
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