第55話 夜を日に継いで

 目が覚めたのはおおよそ午後三時。窓から差し込む陽射しが東側の壁に移動していた。

 胸の上に感じる心地よい重さと、あたりに漂うコッピーの香り。疲れは嘘のようにすっきりと回復し、空腹感さえ爽快だった。


(回復が早い。遅れて出たようなダメージも感じない。肉体が若いと、こうも差が出るものか……)


 こちらに生まれて十八年。既にこの状態が当たり前になっているはずなのだが、前世の使い古した肉体の記憶も未だに消えていない。その上でこの鍛えられた俊敏で頑丈な体を使えるというのは、深い実感を伴うありがたみがあった。


「よし、起きるぞリン。コッピ―と何か軽いものを腹に入れて出発だ」


「ぁいぃ……」


 俺より二つ年下のリンだが、意外に寝起きに手間取った。まあ仕方あるまい。男勝りな性格で行動的な娘ではあるが、彼女は俺のように幼少から騎士として教育と訓練を受けた体ではないのだ。


 当番の兵士が湯の入った桶を運んでくる。顔を洗い口をすすいでさっぱりしたところで、トレーに載せたコッピ―とパンとベーコンエッグ、それにゆでた根菜ポテトがテーブルに並べられた。

 それらを丁寧に咀嚼して腹に落とし込み、サエモドの雑具箱には携行食糧のドライソーセージとナッツバー、それにレモン水の瓶を補充した。復路も難儀だろうが、これでなんとかやり抜くしかあるまい。

 


「ではまた行ってくる。諸君ご苦労だったな、ゆっくり休んでくれ」


「ロランド殿、サエモドでまたレクトンまで戻るのはお二人への負担が大きすぎませんか」


「我々に運搬車で送らせていただくのが良策かと……」


 兵士たちが俺たちを案じて口々にそんなことを言ってくる。だが、状況を考えると首を横に振らざるを得なかった。

 

「いや、今レクトンには文教大臣ロディ・エイミューが武装した近衛兵を連れて滞在しているのだ。ヴァスチフを向こうへ移動させるのはまずい。かといってこの状態で置いていくこともできん。皆にはすまんが、ここにいてくれ」


「……分かりました。ですが、道理とはいえ無念であります……!」

   

 せめても、と兵士たちはサエモドの周りに集まって俺たちを見送った。そんな彼らをかき分けて、ボゥルが機体に歩み寄る。

  

「どうぞお気をつけて――筆頭騎士殿、これを」


 彼はごわごわした紙袋に収めたかさばる包みを操縦席にいる俺の方へ手渡した。開けてみれば、裏地と首回りにボアのついた、冬季・寒冷地用の外套が二人分入っていた。


「これは……助かる」


「ここに駐在して五年になりますが、今からの季節は日が落ちると心底冷え込みますからね。どうしてもこういうものが必要でしょう」


「ありがたい。ハモンド閣下に私から口添えしておくぞ」


 なに、資金は潤沢にいただいていますから、とボゥルは微笑んだ。

 

          

 レクトンへ向けて二時間ほど走ると、やがて日没が近づいてきた。

 操縦席の右側、高めにセットした座席の上では、リンが機銃を前方に向けて、万が一の遭遇戦に備えている。     


「寒くないか?」


「いえ、大丈夫です! この外套すっごくあったかいですね」


 元気よく答えたリンは、やや置いて「それに……」と付け加えた。

 

「若様にたっぷり温めてもらいましたからね」


「それは人前では言うなよ。誤解を招く」


「えー。ホントなのに」


 不満そうな声で拗ねて見せるが、頬は緩んでいる。これはもしやしくじったか。

 

「それで、若様。どういう作戦なんです? ただ『エキュー・ノックス』にこの重力中和装置を仕込んで、公開試運転を乗り切るだけ、って訳じゃないんでしょう?」


 不意にリンが話題を変えた。探るような様子でこちらを見ている。

 然りだ。ロディ・エイミューの性格がハーランの言う通りなら、俺のプランはかなりの効果を見込めると思う。もっとも、その結果がどの程度のものになるかが未知数なところもあるのだが――

 リンを手招きして顔をこちらに近づけさせ、だいたいの筋書きを耳打ちしてやると、彼女は一瞬呆然とした後で呆けたように笑い出した。

 

         * * * 

         

          

 レクトンのゲートが見えたのは深夜二時――復路は積み荷のせいで少し余計に時間がかかっている。

 上空を見上げたリンが「あれ」と小さく声を上げた。そこにはただ、星空がある。

 

「ホリィ・ゴーダー……いませんね?」


「そのようだな」


 レクトンの上空にも、付近の草原にも、あの周囲を圧する巨艦の姿はなかった。エイミューの滞在中は上空でにらみを利かせるものかと思っていたが、これはどうしたことだろう? 

 

 アンカ級要塞艦は帝国にも四隻しかない、とハーランは言っていた。いくら権勢を誇る外戚一族でも、私用で何日も占有するわけにはいかないのかもしれない。

 それとも――ふと、ウナコルダ北東部でのギブソン軍の動きが思い出された。ジャズマンの資金を接収した彼らは、占領も早々に切り上げてトリコルダに戻ろうとしていたが。

 

(大陸の北東……ギブソン軍の支配領域と、中原に残った帝国領が接する辺りに、何かよほどキナ臭い動きがある、とでもいうのか?)


 TVシリーズのストーリーの中に何かヒントがありそうな気がする。だが、それを思い出す前に、ゲートの方から誰何の声が上がった。

 

 

 ――停まれ。その軽歩甲はなんだ、どこの所属か?

 

 レクトンのゲートにはにわか作りの検問所が設けられ、カラビン銃を手にした近衛兵が一人立っていた。誰何に応えて、俺は身分証を取り出した。

 

「工科大の聴講生、ロンド・ロランドです。設営のための資材を近隣から運んできました。このサエモドは私の私物で」


「私物? よく自治会が持ちこみを認めたな……確かに、この身分証は本物のようだが」


 俺は平静を装ったが、内心ではひどく緊張していた。まさか近衛兵が夜間にまでここを見張るとは。文教大臣はレクトンに対して、想像以上に大掛かりな干渉をするつもりなのか。

 

 積み荷をチェックされて重力中和装置を発見されれば間違いなく悶着が起きるが――

 

「雑具箱の後ろに括りつけてるのが、その『資材』か……何とも汚らしいな。使う前にきちんと洗えよ、大臣閣下は出し物を隅から隅まで全部ご覧になるおつもりだ。無作法があったらお前の首ごとき何回吹っ飛んでも足りんからな」


「は、それはもう肝に銘じて誠心誠意、塵を払い拭き清めて使います所存で……!」


「いいから早く行け」


 内心でガッツポーズ。仕事熱心でない見張りをこうも有り難く感じるとは。

 

 ――女連れで物見遊山のついでに大学に籍だけ置く、か。全く結構なご身分だ。

 

 聞えよがしな悪口が追いかけて来たが、俺はむしろ最高にスッキリした気分でパイスティ教授の館へ向かった。

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