第52話 ハーランの追憶

 ハーランのいいように、俺は不吉なものを感じた。

 

「……まさか、死んだ、などというわけではないだろうな?」


 ハーランは顔をわずかにひきつらせて笑うと、手を激しく振って否定した。

 

「いや、いや。それこそ『まさか』だ。違う違う。彼は、そう……レクトンを去って放浪の旅に出たんだよ」


「ならいいが――いや、良くないな。私は彼を父親のもとに連れて帰るよう頼まれているのだ。放浪の旅となると、これは長引きそうだ」


 参った。ハモンド閣下も流石にそこまでは予測していなかった。せいぜいが色恋沙汰にかまけて学業をサボり、母から仕送りを止められたとか、その程度の事だろうと考えていた様子だったのだ。

 だから俺がこの任務で預かってきた軍資金は、せいぜい往復の路銀と一週間分の滞在費、それにレスリーの身辺を整理するための費用といったところだ。 

 これが放浪となると話が違う。不確かな目撃情報を追いながら、土地勘のない場所をあちらからこちらへと移動することになる。一年で終れば短いほうだろう。


「……訊いてよければ、その。なぜそんなことに?」


「うん。まあ僕もあんまり詳しいことは知らないんだ。彼も前後のいきさつはあまり話してくれなかったから。ただまあ、分かっている事はこうだ――」



 ハーランの昔語りに、俺とリンは耳を傾けながら歩いた。

 

 いまから三年ほど前のことだという。ハーランは工科大に、レスリーは法学院に所属してそれぞれの学業に邁進していた。当時はまだそれら二大学舎の対立もそれほどではなく、大学自治会の元にそれぞれの代表が集まって、こまごました問題や共通の懸案に対して協力体制を取っていたのだと。

 

「僕がレスリーに出会ったのはそのころだ。所属は違ったがいいやつだった。会合が終わるとよく一緒に飯を食って、彼が母親の自慢をするのを聞いていたもんだ」


「母親の、自慢?」


「うん。代々学者の家柄で、本人も大変な才女だったみたいだ――会ったことはないけどね。レスリーの父親から密かに援助も受けながらだけど、彼を女手一つで育て上げたんだそうだ」


「それは……誇るに足る母親と思えるな」


「ありがとう――彼に代わって礼を言うよ。で、そのころ彼には同じ法学院で学ぶ、同期の女友達がいたんだ。会合でもよく顔を合わせたが、そのたびに二人は親しくなっていってるのが分かった……最後にはもう、恋人としか言いようがなかった。僕から見ても素晴らしい女性だったよ。あの母親自慢のレスリーが夢中になるのも無理はない、と思えるほどにね」


 ハーランは何かとても美しいものを思い出す表情で、そう語った。同時にどこか寂し気に。


「……あの、もしかしてハーランさんもその方に」


「リン……!」


 ぶしつけな問いに俺が制止の声を上げると、ハーランは首を左右に振って微笑んだ。

 

「良いんだよ、リン君。君の言うとおりだ、僕も彼女に夢中だったのさ。二人の間に割り込むには遅かったし、レスリーとの友情の方が僕には重かったわけだが」


「もしかして、その女性というのがさっき教授の口から名前の出た……?」


「ああ、そうだよ。エリス……エリス・デノン。彼女を失ったのが、レスリーがここを去った理由なんだ」


「失った? ……何があった」


「さっきも言った通り、詳しいことは僕も知らん。とにかく、エリスは学業半ばでレクトンから消えた。レスリーも。で、僕はと言えば、結局ずるずると大学に残って教授の助手に収まったわけさ」


 彼の口調には何やら手ひどい自嘲の響きがあった。


「残念ながら、ロマンスや感傷だけで動けるようには出来てなかったらしいね、僕という人間は」


「それはそれで良いのではないかな? 何かを為せるのは、そういう地に足のついた人間だけだ」


「……そう言ってくれると救われるよ。君もレスリー同様、いいやつなんだなぁ、騎士ロランド――さて、おしゃべりはこのくらいにしよう。着いたぞ、ここが学生課だ」


 日が落ちた街路に、赤レンガ壁のくたびれた建物が黒々とうずくまり、玄関ポーチに灯した黄色い電球がその入り口を浮かび上がらせていた。

 中にはもう少し明るい照明がともっていて、まだそこで業務が行われていると知らせている。俺は教授の申請書をカウンターに示し、十分ほど待って難なく聴講生の身分証を手に入れた。

 

「しかしこれを手に入れても、今さら任務の役には立たんわけだな……」


 俺は玄関まで戻ると、待たせていた二人に身分証を示しながら肩をすくめた。


「なに、持っておきたまえ。そいつには期限は記されてない、結構融通が利いて便利だよ。それに物のついでだ、君が教授を手伝ってくれて、大学祭での公開試運転を無事終わらせたら、僕が君の代わりにレスリーを探しに行ってもいい……どうだい? 勿論料金はいただくが」


「いや、さすがにそれは……私の一存では決められん。一度レスリーの父親に連絡をとって、了解を得なければ。それに、君は何のためにそんなことを?」


「まあ、うん。そうだな……けじめとでもいうかな。レスリーには――僕自身もう一度会って、気持ちを整理したいんだ。それに、どうも僕は最近、そういう人探しや身辺調査みたいなことに興味をひかれてて――」


 彼の言葉の末尾は、不意に上空から響く轟音にかき消された。

 

(なんだ!?)


 空を見上げる。そこには藍染めの布のような色に染まった夕空を背景に、黒々と浮かぶ巨大な物体があった。

 

 ぽつぽつと灯り始めた街の明かりや、街路に飾られた色とりどりの飾り電球の光を映して、それはぼんやりと底面を虹色に光らせている。

 そして、轟音に混ざって聞こえてくるのは、もうすっかり聞き慣れた甲高い持続音だった――重力中和装置ベクトラだ。

 

 それも大出力のものを、一度に十個ほど稼働させている。

 

要塞艦ルフトフォート!!」


 思わず叫んでいた。大陸でも数の限られた、現存する最大級の空中艦が上空にいるのだ。

 

「――エイミュー家の紋章旗が掲揚してある。それにあの座乗旗は、文教大臣ロディ・エイミューのものだ……大学祭の視察ごときに、なんて無駄な動員をする!」


 ハーランが山高帽を頭からむしり取るように脱いで巨艦を睨みつける。彼が小声でつぶやいた言葉が、俺の耳をかすめた。


 ――エリスをさらうだけじゃ、まだ飽き足らんのかよ?

 

 妙なことを言う、と引っかかりを覚えた。彼はさっき、レスリー失踪の経緯については詳しく知らないと言わなかっただろうか?

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