力試し

 第二試験も終わり第三試験へと移るために巻き藁と土台の撤収が始まった。

 撤収の早さには流石に慣れてきたが、第三試験の準備が一向にされる気配が無い。

 第三試験は他と違い何も使わないという事か、それとも会場が違ったりするのか。

 どちらにしろ第二試験を受けなかった四人の説明があるはずなのだが、


「もうすぐ全員が第三試験を終える。それまで待て」


 デボットがこう言ってからというもの、本当に何も話さない。

 腕を組み、目を閉じて周りが解散していくのを待つばかり。

 最初は倣うように黙っていた新入生達も、流石に手持無沙汰になってきたのだろう。

 待てとは言われたが待ち方は言われていないということもあり、最初は小声から。特に注意される様子もないことから、今では談笑をしている姿が点々と見られる。

 トーゴも流石に手持無沙汰になってきたため、先程から感じていた取っ掛かりを解消するために行動した。


「凄い剣技でしたね、ロイドさん。あれはスキルですか?」

「——ああ」


 年上である可能性が高いため丁寧な言葉遣いを心がけて話しかけたのだが、何かを押し殺しながら紡いだ言葉からは明らかな敵意を感じた。

 だが会話を拒否している訳では無い。

 敵意に関しては漏れ出てしまった、と言った方が正しいだろう。


「よろしければどんなスキルを使ったのか教えていただけませんか?」

「教える義理はない。だが正解かどうかぐらいは言ってやろう」


 聞こえる声量だからか興味を駆られる内容だったからか、デボット含めて複数人が聞き耳を立てている。

 それにしても正解かどうかは教えると言われたが、ロイドの口調から察するにトーゴがある程度スキルの目星を付けていると分かっているような感じだ。

 実際トーゴはスキルについて目星を付けていた。

 確信を持っている訳では無い。

 トーゴも観察眼に長けているとはいえ、太刀筋をしっかりと視認できた訳では無かった。デボットが見えていたのにどういったスキルか分からないところも確信を持てない理由の一つとなっている。

 頭に浮かんだスキルがあまりに現実味に欠けているのもあるだろう。

 可能性はゼロに等しいそのスキル名は、しかしトーゴの知識のなかでは一番近いものと言えた。


一刀無極いっとうむごく———ですか?」

「ほぼ正解だ」


 スキル名を言われてピンと来る者は少なかった。

 それほどまでに馴染みが無いスキル———ではなく、そのスキルを認知できるレベルにまで到達している人が少ないことが原因だ。

 決してそのスキルが認知されていないわけではない。

 スキルそのものを見たことがある人が圧倒的に少ないのだ。


 この世界において剣の達人と呼ばれている人物が二人いる。

 一人がレイオス、もう一人が英雄イースだ。

 中でもイースは剣王、剣神等と呼ばれる程卓越した技術を持っており、単純な剣の技術では右に出るものはいないと評されている。

 そのイースが編み出したとされる彼の代名詞ともなっているスキル名が、一刀無極。

 一太刀で上級魔族を斬り刻んだ絶技と名高いスキルだからこそ、そのスキルを知る人は驚きを隠せない。


「ですが一刀無極は抜刀した状態で使うスキル、そもそも魔力を消費するスキルのはずですが……」

「その通りだな」


 だが不可解な点が二点ある。

 一つ目に、ロイドは一刀無極を納刀した状態から放った。

 一刀無極は抜刀状態で使うスキルであり、太刀筋は似ていても根本的なものがまず違う。

 そして二つ目に、魔力についてだ。

 剣のスキルは基本的に魔力を消費しない。

 しかし魔力を消費するスキルも若干存在しており、その中の一つが一刀無極だ。


 これを聞くと、疑問が一つ思い浮かぶだろう。

 今この場に集まっているのは魔力がない新入生だ。

 つまりロイドは魔力が無い。

 考えられる可能性は実は魔力を持っていたか、一刀無極と見間違える程に剣の技術が卓越しているか。


「まずはっきりさせたいのが、俺には魔力が無い。さっき使ったのは一刀無極を名乗るにはあまりにも恥ずかしい代物だ。ただの劣化版に過ぎないため、似たようなものとだけ答えよう」


 答えは後者。

 剣の技術、という面では既に他の追随を許さない境地に辿り着いているということだ。


「それでも凄いですよ。一刀無極は剣のスキルのなかでも最上級に位置づけられていて、使える人なんてイース様ぐらいなのですから」

「それはどうも。それにしても良く分かったな。教官も分からなかったのに」

「目は良い方なので」


 デボットの身体が揺れた。

 デボットにも面子というものがあるため、先程あそこまで激を飛ばしておいて新入生の使うスキル一つ見破れなかったというのは、落ち度はなくても居心地はあまり良くないだろう。

 デボットの実力を疑うよりは、素直にロイドの技量を褒めるべきだ。


 先程の絶技についてはこれで終わり。

 しかし聞きたい問題はもう一つあった。

 むしろこちらが本命と言える。


「ところで僕、ロイドさんに何かしました?」

「———別に」


 敵対心がないことは分かった。

 だが向けられている気配は変わらない。

 今の会話の流れから、ひしひしと伝わってくるこの嫌な気配の正体が嫌悪感だとトーゴは断定した。

 しかし何故これほどまでに嫌悪感を向けられているのか、トーゴには全く分からなかった。

 何かをしてしまったのならまだ納得できるが、何もしていないのにここまで嫌われているのに理由もない、というのは理不尽にも程があるだろう。


「別に、ですか。それって理由はないってことですよね」

「そうだ」

「そうですか。第一印象が良くなかった、とか言ってくれればまだ納得はできたんですけど」

「じゃあそういうことにしてくれ」

「———ッ!!」


 なんだコイツは。

 年上だとか関係ない。

 一発ぶん殴りたい気分だ。

 トーゴがそう思ってしまうのも仕方ないだろう。


「トーゴと言ったな。知りたいことがあるなら力づくで聞いてみろ——まあ、勝てるものならだがな」

「———それなら試しにやってみますか?」


 一触即発。

 嫌悪感に加えて挑発までしてきてそれを無視できるほどトーゴの人間は出来ていない。

 空気が緊張によって張り詰め、トーゴとロイドはお互いに間合いを見極めているその最中で、


「血気があるのは良いことだが、第三試験がもう始まる。その機会はまた別で設けてやるから今はやめておけ」


 ため息交じりにかけられた言葉に、トーゴは現実へと引き戻された。

 周りの状況を把握できていなかったのか周囲を見渡すトーゴは、中庭にデボットのグループと教官が数人いるだけになっていることに気が付いた。

 ふっ、と嘲笑うかのような鼻笑いが中庭に響く。

 嘲笑元はロイド。

 まるで気づいていなかったのか、と言わんばかりの表情と共に。


「煽るなロイド。試験が進まん」

「失礼しました」


 トーゴが何か言うよりも早く、デボットが制止を促した。

 ロイドもこれ以上は無用と判断して引き下がり、なし崩し的にトーゴも引き下がることになる。

 納得している訳では無い。

 試験が進まない、そしてその場を設けると言ったデボットの言葉を信じただけだ。


「では、第三試験を始める前に第二試験と行こうか」


 始まりの合図に合わせて、人数分の武器が準備された。

 短剣、刀剣、槍等その種類は多岐にわたり、デボットは中庭中央へ移動してストレッチを始める。

 まさか、と考えた者は少なくないだろう。


「もう気づいていると思うが、第二試験、そして第三試験では俺と戦ってもらう。俺は素手で、お前達はそこにある武器を自由に使って良い。本気で殺しに来い」


 デボットの視線がロイド、そしてトーゴへと巡った。

 その意味を理解するのは簡単。

 先程ロイドのスキルが分からなかったデボットが、殺しに来いと言ったのだ。

 単純に考えれば自殺行為だが、ロイドはそれに対して一切の反応を示さない。

 先程の自分との対応の差にトーゴは目を細めるが、デボットは再び鼻を鳴らして笑みを浮かべるに留めた。


「アイビス、ダイナ、ヘンダーソン、ルートルードと順番に第二試験を行った後、その流れで他の者の第三試験に移行する。第三試験は第二試験で剣を使った者、つまりウガイアからロイドまで行った後アイビスから順番にルートルードまでだ。少し面倒かもしれんがその順番で頼む」

「デボット教官。質問いいですか」

「どうした、アイビス」

「何故自分達だけ第二試験は別なのでしょうか。他のグループを見ていましたが、全員剣で統一して行っていました」


 アイビスの質問は当然だ。

 どのグループも第二試験は試し切りで統一されていたのだから。


「もっともな質問だ。そして当然理由もある。ここのグループは何度も言うが魔力を持たない者の集まりだ。学び舎——というよりは俺の考えだが、ある方向に特化している冒険者は中途半端な冒険者よりも使える場面が多い。魔力のない者は特化型になるしかない以上、早い段階から見極めが必要だと考えて俺自身が実験台になっている訳だ。勿論魔力のある者をないがしろにしている訳ではない。ただ公然の事実として魔力がある者とない者ではやはりハンデが存在している。そのハンデを少しでも埋めるための措置がこの試験だ」

「デボットさんは回りくどく言っていますが、要するに貴方達を応援しているんですよ。学び舎は辛いかも知れないけど、それでもやり遂げて欲しいって」


 いつの間にか背後に立っていた女性の声に全員が振り向いた。

 そこにいたのはおっとりとした声に合った優しそうな雰囲気を携えたボブカットの女性で、ローブを纏っていることから魔法が得意なことは一目瞭然だ。


「あ、私は冒険者兼教官をやっているホルンです。魔法を専門としているため皆さんと関わる機会は少ないですが、覚えて頂けると嬉しいです」

「ホルンには怪我した際の回復をしてもらうサポート役を頼んでいる———とは言っても、そんな余分なところまでサポートしなくていい」

「デボットさんは口下手ですからね」

「まあいい。第二試験を始める。評価方法は俺の見立てと周りにいる教官の評価を平均して出す。俺は反撃しないから殺すつもりで来い。アイビス」


 その合図と共にアイビスは用意された武器の中から二メートル程の槍を携え、デボットの前で構えた。

 アイビスはロイド程ではないがある程度成熟しており、頭に巻いている鉢巻きが特徴的な青年だ。

 二人の間に別のグループを担当していた教官が入った。


「ワドだ。今からの試験は俺が仕切らせてもらう。早速だが二人とも準備はいいな?」

「俺はいつでもいい」

「大丈夫です」

「そうか。では———始め!!」


 刹那、アイビスが猛スピードで突っ込んだ。

 槍の初級スキル、疾風突き。

 突撃において無類の破壊力を有する槍の中で最も相性が良いスキルでありながら使い勝手も良いスキルだ。

 デボットとの開始距離は五メートル程。

 ほんの数瞬で矛先はデボットを穿つ———はずだった。


「そこまでの疾風突きが使えるのは良いことだが、この距離では疾風突きの強味が生かせない」

「———ッ!!」

「背後への反応も良し。だがどこかぎこちない。咄嗟の対応はまだまだだな」


 アイビスは決して弱くない。

 むしろスキルを持っている時点で新入生の中では強い部類に含まれるだろう。

 だがそのアイビスですら赤子のように扱われている。

 次々と放たれる槍を助言しながらも最小限の動きで躱し続けるそれは、もうじき一分経過しようとしていた。


「そこまで!」

「詳しい評価は後だが中々に強いな。お疲れ様、アイビス。次はダイナだ」


 第二試験は休憩なしに四人一気に行われた。

 評価としてアイビスがB、ダイナがD、ヘンダーソンとルートルードがC。アイビスが強かった分倒せないと理解した後続の新入生は本気を出せたようだが、それでもデボットは汗一つかくことなく試験を終えてしまった。

 しかし四人の現状を見ると先程の順番にも納得だ。

 特にアイビスは通常の順番では先頭のため、他の者よりも明らかに不利になってしまう。

 その不利を可能な限り取り除こうという配慮だろう。


「さて、第二試験を終えたところでそのまま第三試験に移ろうと思う。第三試験も俺と戦うことは同じだが、先程とは違って俺も反撃する。勿論手加減はするが、それでも躱し方が下手だと骨の一本や二本は持って行かれるのは覚悟しろよ?」


 怪我をする。

 先程デボットの動きを見ていた彼等からしたら反撃だけでも恐ろしいのに、骨を折る宣言までされたのだ。いくら回復役のホルンがいるとはいえ、誰だって痛い思いをしたいとは思わない。


「ではウガイアから行くぞ。武器は何を使っても構わない。だが本気で来ないと痛いのは自分だからな」


 ウガイアと呼ばれたトーゴと同年代であろう少年は、足を震わせながらも剣を取り、デボットと対面する。

 外腿そとももをバシバシと数回叩いた後に覚悟を決めた表情で剣を握りしめたその姿はまさしく戦士の姿だが、


「始め!」

「ひっ!」


 合図と同時に出た情けない声で全てが台無しだ。

 足の震えは止まる気配が無く、震えは全身にまで伝わって剣先すらも震えている。

 伸ばしていた背筋も段々と丸みを帯びてきており、戦闘どころか立っていることすらままならないといった様子だ。

 流石に、デボットが「何か」をしたのだろうと全員が理解した。

 デボットはこの試験において反撃をするといっただけで攻撃をすると言ったわけではないことが唯一の救いだろうか。どちらにせよ攻撃する以前に試練があることは明白だった。

 その「何か」を攻略できた場合とできなかった場合が一先ず評価の分かれ目だろうか。

 だがその「何か」の攻略は相当難しいものらしい。

 傍らからは一切感じることができないが、開始の合図と共に全員が恐怖を隠そうともせずに震えて一分間を終わらせる。

 やりすぎではないのだろうか、とトーゴは思ってしまった。


「次、トーゴ」

「はい」


 しかしそれと同時に、尚更気合いを入れなければならないというのも理解した。

 デボットも同じように魔力はない。

 つまりスキルを使っているのは明白だが、魔力を使わずに相手を陥れるスキルは限られている。道具を使うことで魔力を持っていなくても使える魔法はあるが、デボットは素手だ。その線も無い。

 また魔眼を持っている訳でもないため、幻術という線も消える。

 デボットと一緒に戦ったことがある訳では無いため確実には分からないが、そこまでの状況証拠から考えられるスキルは片手で数えられる程度しかない。

 トーゴは用意されていた剣を手に取り、デボットと対面する。


「そういえばこうやって対峙するのは初めてだな」

「そうですね。よろしくお願いします」

「なんだ、デボットの知り合いか。やるのか?」

「ああ、結構やる」

「ほう……」


 同じ光景を見ていれば流石に飽きもあったのだろう。

 試験官という立場上表には出していないが、何処か退屈そうな雰囲気を出していたワドの眼に少しの期待が現れる。

 それにしても———とトーゴはデボットを睨みつけるように見つめた。

 こうやって対面するとデボットとの実力の差が嫌と言う程分かる。

 だがそれも当然。

 デボットの実力はミルキよりも上。アルスの実力ははっきりと対面した訳ではないため把握はできていないが、聞いた話から考えれば恐らく同等以上だろうか。

 ミルキに勝てない以上トーゴに勝ち目はない。


 一回大きく息を吸って、大きく吐く。

 本来はもっと集中力を高めるために瞑想を行うのだが、これは本番だ。

 そんな時間はない。

 別の集中力を高める方法をパパっと済ませて、剣先をデボットへと合わせる。


「では、始め!」


 ズンッ!

 トーゴはそんな音が身体の内部から響いた気がした。

 デボットの威圧感が増して、周囲の空気が薄くなっていく感覚がある。

 この現象を引き起こすスキルは、重圧。

 トーゴが予想していたスキルの一つだ。

 重圧の基本認識としては軽度の精神的重圧というものだが、扱えるスキルの幅が少ないデボットはその一つ一つの熟練度が高い。反撃されるという恐怖に加えた高レベルの精神的重圧、そこに物理的重圧が加わったのなら、先程の光景は納得できる。

 耐性の無い者にとってはこれだけで向かい合っているのがやっとだろう。


 それ程までに強烈な重圧の中を、トーゴは前へと進んだ。

 トーゴにとっての重圧は足枷に成り得ない。

 一切歩幅がブレない様子を見て、デボットもそれくらいは理解している。

 お互いの視線が交錯し、口を歪めた。


 それが戦闘の合図となった。

 トーゴが地面を強く踏み込み、五メートルという距離を一気に詰め寄る。

 迷うことなく首を狙った一撃は、しかし完全に間合いを見切っているデボットには届かない。剣先が目の前を通り過ぎたのを確認したデボットは反撃のために踏み込もうとするが、何かに感付き足を切り替えて二歩下がった。

 それと同時にデボットの目の前を通り過ぎた剣が刃先を下に変え、真下に叩き下ろされる。


 態勢を整えていたデボットは叩き下ろした剣を左足で踏み止めて、右拳をトーゴの顔めがけて放つ。同時にトーゴも握っていた剣を咄嗟に離した。その抑えられた剣の柄を無理やり足場として使いながら懐から短剣を持ち出し、背を地面に向けながらも繰り出された拳に合わせて短剣を突き立てる。

 その攻撃にたまらずデボットは拳を引っ込める———ことはなく、遠慮なしにその短剣を手の平に突き刺して短剣の持ち手を掴み、力任せに引っ張りながら回し蹴りを叩き込んだ。

 その強烈な一撃に肺の空気を全て吐き出したトーゴは数メートル吹き飛ばされ、結果的に二人の間に距離が生まれる。

 時間にして十秒にも満たないその間に行われた攻防は、まさしく一進一退。

 新入生は勿論、ホルンを含めた教官たちも驚嘆している。


「手加減しているとはいえ右手をやられるとは思っていなかった。今のもあばらを折るつもりで蹴ったんだが、流石に頑丈だな」

「でも……しっかり効いていますよ……まさか手を犠牲にするとは……」


 完全に右手を貫いた短剣を抜きながら面白そうに笑うデボットに、いててと脇腹をこすりながらもすぐに立ち上がったトーゴ。デボットは地面に刺さった剣を引き抜いて邪魔にならないところに投げ捨てた。


「剣が悪くなったな。新しい武器を取れ」

「そうさせていただきます」

「それにまだスキルも使ってないな。流石にスキルを使わないとは言わないだろう?」

「実は使わない予定でしたが、そうも言っていられないみたいですね」


 今まではスキルを使わない単純な身体能力での攻防。

 残りの時間は、スキルを使った実戦に近い攻防だ。

 武器を取って定位置に戻ったトーゴは、今度は腰を低くして構えた。

 トーゴは先程の攻防で心底安心している。

 見ただけで感じた実力よりも、撃ち合った後に感じた実力の方がより詳しく分かった。


 ———どれだけ本気を出してもデボットを殺すことはできない。


 だからトーゴは可能な限り本気を出すことに決めた。


「マジックボール」


 そう呟いた瞬間、トーゴの周辺に淡い光のようなものが集まり始めた。中庭全体から集められたその光はトーゴを包み始め、その幻想的な光景に全員が言葉を失う。

 淡い光がトーゴの周りをふわふわと漂い始め、規則正しく舞いを始める。

 その光の正体は、魔力だ。

 まさしく魔力の舞踏会マジックボールがそこには開かれていた。


「これは一体……中庭全体から魔力がトーゴ君の周りに集まっている? それに傷が……」

「———まさか!」


 その光を魔力だと理解した者は多いが、何をしようとしているのかを理解したのは唯一トーゴを知っているデボットのみ。

 しかしその驚愕も、ほんの一瞬だけ。

 あのレイオスが師匠ならこれくらいやるだろうと切り替えて、今まで突っ立っているだけだったデボットが構えた。


 声を出した訳ではない。

 だが二人が肉体活性という肉体の筋肉量を増幅させるスキルを使うタイミングは、全く同じだった。

 最初に動いたのはトーゴ。

 しかし周りから見たら全く同時に動いたように見える程のそんな速度で。

 片や剣を扱い、片や己が拳一つで。

 どうして、金属で打ち合っているような音が鳴り響くのだろうか。


 ぱっと見は全くの互角。

 二人が戦っているというのは理解できるが、新入生達には何をしているのかまでは分からない。唯一確実なのは、辺りに血飛沫が舞う程激しい撃ち合いが行われていること。

 しかし、それも続いたのはほんの数秒だ。

 突如としてデボットの姿がブレた。

 同時に鳴り響く強烈な打撃音と、骨が折れたような音の共鳴。

 中庭に張り巡らされた結界に叩き付けられたのはトーゴだ。

 パアンと周りに纏っていた淡い光がはじけ飛び、重力に従って地面に突っ伏す。


「そこまで!」


 試合終了の合図と共に、ホルンは駆け出した。

 明確に骨が折れた音が響き渡ったのだ。

 当然といえば当然だろう


「デボットさん! 彼を殺すつもりですか!」


 ホルンの叱責に、だがデボットは特に応える様子もなかった。

 デボットを知る者なら分かる。

 今の一撃はただの蹴りだったとはいえ、かなり本気に近い一撃だったと。

 そしてその一撃は、魔力を持たない新入生が耐えられるものではない一撃だと。


「そう怒るな。あれで死ぬような奴ではない」

「彼とどういう関係かは知りませんが確実に骨が折れています。一先ず回復を———」


 します、という言葉は続かなかった。

 それと同時に、足も止めた。

 驚愕の表情を携えて。

 今の一撃を喰らったトーゴが、腹部を抑えながらも立ち上がったのだ。


「トーゴ。さっきのはお前の師匠から教えてもらったのか?」

「そうです……ですが条件が限定的で……使える場面が限られています……」

「———ッ! 大丈夫ですか! 今回復しますね!」


 ハイキュア。

 そうホルンが呟くと、打撲による痛みや肉体活性により巻き起こる疲労感など全身から痛みや疲れが消えていくのをトーゴは感じた。

 だが回復を終えたホルンは、またしても驚愕の表情を浮かべている。


「骨が……折れていない? そんなはずは……」


 回復魔法に限らず魔法は初球中級上級に分かれており、ハイキュアは中級回復魔法だ。骨が数本折れていると判断していたホルンは初球回復魔法のキュアでは足りないという判断の元ハイキュアを使ったのだが、傷のレベルとしてはキュアで十分だった。

 傷が浅いことは良いことだが、それは明らかに異常だ。


「だから大丈夫と言っただろう。俺は試験の続きをしてくる」

「ダメです。デボットさんも回復します。次の相手は女の子なんですから、そんな傷だらけ血だらけの姿でやらないでください」


 女の子だからと言ってはいるが、重圧を攻略するのが評価の分かれ目になるというのにそんな姿では恐怖を助長するだけで平等性に欠ける、というのが本当の考えだろう。

 一応肉体活性を使ったことによる疲労もあるはずだが、身体が出来ておらず熟練度もあまり高くないトーゴと身体ができていて熟練度も高いデボットではそこに天地の差が生まれている。

 どちらにしろ次のネイランという少女は正直どちらの姿でも結果は変わらないというのがトーゴの見解だ。

 格上の重圧に対しては何度も受けて耐性を付けるか強い精神力で強引に突破するかの二択でしかない。特にデボットの場合は物理的重圧も加わるため、ある程度の身体能力も必要だ。


「キュア」


 あれだけ激しい戦闘を繰り広げていたのに一番の致命傷が最初の刺し傷だけというのはトーゴも思うところがあるが、それも仕方が無いだろう。

 デボットは魔力が使えない戦士の中で二番目に強いと言われており、バルカンの冒険者全体で見ても上位に位置する実力者だ。

 むしろあそこまでの蹴りを出すに値すると評価されたことを光栄に思うべきか。


「ブラッドボルテックス」

「おいお前それは!」


 だが何も知らずに見たら心臓が悪いことこの上ないのも事実だ。

 特に、回復役のホルンとしては思うところしかない。

 キュアの直後にデボットを包み込んだ大量の水は激しい渦を伴ってデボットを巻き上げ、全身の汚れを強制的に落とし始めた。


「回復するのは私なんですから、せめて私にぐらい話してくれてもいいじゃないですか」

「ボボボボボボボ!」


 なんとか絞り出した声もただの音として消えていく。

 凄い魔法制御だと、魔法に乏しい者が多いその場の全員が感じた。

 ブラッドボルテックスは対象を渦で巻きあげ生成された無数の刃で千切りにする中級水魔法で、刃に切り刻まれて水が真っ赤に染まることからその名前が付けられたが、今のブラッドボルテックスには刃の代わりに洗剤のようなものが混ざっていた。

 それにしても本当に凄い魔法であることには変わりないのだが、汚れと一緒にデボットの頸烈な印象を落としていくのはいかがなものなのか。

 周りの教官も微笑んでいるあたり、案外デボットはいじられキャラなのかもしれない。

 そう感じてしまったのはトーゴだけではなかった。

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