入舎式

 バルカンの学び舎は首都ミクニヤの学び舎と同列視されている程の権威ある施設だ。攻めることを重視したバルカンの学び舎と守ることを重視したミクニヤの学び舎は、そのまま攻めのバルカン、守りのミクニヤと街の名称として扱われるほどにまで知名度が高く、全学び舎の中でも最高峰の双璧を成している。

 建屋はバルカンの街並みに沿うように黒を基調とした木造建築で作られており、運河沿いの本堂は4階建てで本堂以外は2階建て、中央にはあの宿屋が二つは入りそうなほど巨大な中庭が整備されている回廊のような構成となっている。

 本堂は図書室や実験室、職員室など基本的には共同で使う教室が割り振られており、2階で構成されている部分の1階は通用口が主となっている。2階は生徒達が座学を学ぶ教室、中庭は集会や演習等様々な用途で使用されており、演習対策として強固かつ状況に合わせて天気や温度、湿度の変化ができる複雑な結界が施されている。

 その中庭には現在大勢の新入生が集まっており、結界によって日差しの制限や温度等快適に過ごせるように調整されている。


 新入生はこれから始まる学び舎での生活に希望や不安を抱き、指定された木造りの椅子に座って初対面の同級生と緊張した面持ちで得意分野や出身地などの自己紹介をして交友を深めている。その中で一人、明らかに雰囲気が違う———気持ち的な意味で———生徒がいた。

 小柄ながらも大人びた顔つきで14歳とは思えない屈強な身体をしているのだが、その表面的要素とは裏腹になんとも言えない表情をしている少年、つまりはトーゴだ。

 トーゴがこのような表情をしているのには当然理由がある。

 これから衣食住を共にする同居人の事だ。


(マーサさんは「元気な子でトーゴ君ならきっと上手く馴染めるわよ」と言っていたけど……)


 あれから指定された部屋へと向かったトーゴだが、玄関を開けて広がったそのに目を疑った。

 まず部屋についてだが、キッチン、リビング、トイレ、寝室にはベッド二つと居住という面では非常に充実した設備が整っている。

 だがその床。

 本来はさぞかし広いだろうと想像できたその姿は、何故か足の踏み場が無い程にまで物が散乱していた。

 玄関だけならまだしも、見渡す限り色々なものが散乱している。服等の日用品は勿論(?)、食べ残しや土足で上がったのか枯れ葉や土、そして挙句の果てには、先に郵送していたはずのトーゴの荷物まで。

 しかも開封済み。


 はっきり言って、トーゴは頭痛を感じて思わず頭を抱えた。

 百歩譲って部屋が汚くなっているのは歳を考えても仕方ないのかもしれない。だが人の荷物を勝手に開封し床に放っておく人がただの元気がいい人で済むのであれば、この世界に罪人は存在しないだろう。

 これから約四年間を一緒に過ごす人の第一印象があまりにも悪いため、トーゴはなんとも言えない表情をしているのだ。


(人の荷物荒らす人と仲良くというのもなあ。まだ喋ったこともないからあまり悪くは言えないけどさ)


 会う前から人の悪口を言いたくはないが、着いて早々自分の荷物を片付けさせられたトーゴとしては愚痴の一つや二つ言いたくなる。小走りで学び舎へと向かった程度には時間がなかったのだ。

 そういう成り行きがあったからだろう。


「あの、すみません」

「———はい?」


 突然かけられた声に、トーゴは思わず高圧的に聞き返してしまった。まだ声変わりが始まっていない緊張気味の声は背丈が同じ隣の男子生徒からかけられたものだが、いくら反射的とはいえ気持ちの良い返事ではない。事実声をかけた男子生徒は若干身体を硬直させてしまっており、トーゴは慌てて謝罪を述べた。


「すみません、突然声をかけられたので高圧的になってしまいました。それでなんでしょうか」


 今度は物腰柔らかに、先程のことは頭から外してなるべく高圧的にならないように意識しながら聞き返す。

 その心遣いと謝罪を正確に受け取ったのだろう。

 男子生徒は幾分かリラックスして固めていた表情に綻びを見せた。


「あ、僕はラインです。歳は14です」

「僕はトーゴ。同じ14歳だから呼び捨てで構わないよ」


 学び舎において、自己紹介の際に歳を名乗るのは常識に近い。学び舎は14歳から入れるとは言っても全員が全員14歳で入る訳では無く、既に冒険者として活躍している者でも卒業していないのであれば入舎することができる。故に新入生だからといって歳も同じとは限らないのだ。

 実際に周りを見渡すと一回り大きい新入生も少なくはない。

 だがラインはそんなこと気にしていないのかはたまた気が付いていないのか、大変驚いた様子だ。


「え、年上だと思っていたよ! なんというか凄く落ち着いているから」

「そういうことか。僕は落ち着いているというより大人ぶっているだけだよ」


 トーゴはむしろ年上だと思われていることに驚いた。

 ラインの目線で行くと、年上で気難しい表情をしていた人に声をかけたということになる。そう考えればおとなしそうな顔に似合わず意外と肝が据わっているのかもしれない。

 学び舎で初めての友達誕生の可能性、ということもあり会話を続けたいところだが、その場の空気がそれ以上は許してくれなさそうだ。

 前席から波紋のように静寂が広がる。

 その原因は、設立された舞台にいつの間にか登壇していた男性。大柄というよりは引き締まった身体と表現した方が良い身体つきで、腕を組みながら目を閉じて立っている。

 端正な顔つきと体格により非常に様になっているが、同時に得も言えぬ雰囲気を醸し出しており、その存在感は一言も喋ることなく新入生全員の視線を集めてしまう程にまで大きかった。


「時間だ。今から入舎式を始める」


 入舎式開始の合図が出される。男性の一挙手一投足に視線が向けられる中、男性は一人一人の目を見ているかのようにゆっくりと全体を見渡し———降壇していった。

 ———え?

 間の抜けた声が静寂の中に木霊する。あまり大きい声ではなかったがよく響いた声は注目を集めることになり、全員の視線がトーゴの隣、つまりラインへと集まった。ラインの顔は羞恥により一気に赤色へ染まっていく。


「ただいまより、入舎式を始めます」


 だがその視線は一瞬。

 開式の言葉とともにすっと無くなった。

 トーゴとしてもあまり気味の良いものでは無かったので非常に有難い。


「まず舎長より挨拶を頂きます。舎長、よろしくお願いします」


 舎長、という言葉に全員が反応した。

 歴代最強の舎長と言われるだけあってその注目度は高いが……。

 司会の女性が壇上に手を向ける仕草をすると、それに合わせて視線という視線が壇上へと向けられる。


 ざわっ。


 会場に少なくない動揺が走った。

 降壇していたはずの男性が、いつの間にか先ほどと全く同じ場所に立っていたのだ。

 二百人近い新入生に発動を気づかせず、ほぼ全員を欺いた幻惑魔法。いや厳密には幻惑魔法ですらない。幻影を作り出して自身は気配を消していただけだ。


「挨拶の前に一つ。変なことに付き合わせてしまって申し訳ない。去年やった時に皆の表情が面白かったから今年もついやってしまった。俺が現舎長を務めているアルスだ。学び舎は今年で三年目になる。」


 その表情は壇上で沈黙を貫いていた時とは違い、不敵な笑みを浮かべていた。立ち振る舞いからして教師だと言われても違和感がなかったが、意外と無邪気なところは年相応なのかもしれない。新入生はアルスが急に現れたように見えているため転移魔法の類いか、などと考察を飛ばしているが、そこまで深く議論できる場でも無いため段々と落ち着きを取り戻している。


「今年の新入生は百九十二人と聞いている。前年が百八十六人で俺の代は百五十三人、最高学年が百七十人と考えると優秀な方だろう。だが学び舎はこれから始まる。この学び舎に入ったらまず、例年三割近く脱落するこの半年間を乗り越えるのが最初の試験になるだろう」


 三割が離脱。

 昨年や一昨年ではなく例年と称していることから、例外なく三割は学び舎を去っているということだ。

 今代では約六十人が半年でやめることになる。

 それを多いと取るか少ないと取るかは個人の裁量だろう。


「皆自分の実力に負い目を感じた者達だ。身体的にではなく、精神的に参ってしまった者達だ。また事前に知っているとは思うが、演習中に骨折等の怪我は起こるし、課外授業でクエストを受ける際には魔物によって命を落とすことも少なくない。実際に去年も何人か命を落としている。俺達が目指す冒険者というのは、そういう世界だ」


 経験と共に語られる残酷な現実。学び舎では可能な限りの安全は保障されているとはいえ、それでも課外授業中の死亡例は出ている。トーゴもミルキから何回も聞かされた内容だ。


「先程見せたものは幻惑魔法だが、厳密には幻影を作るだけで俺自身はただ気配を消していただけ。皆が勝手に魔法にかかったと錯覚しているだけに過ぎない。だがこの魔法を実際に使って惑わしてくる魔物もいる。つまり今皆がその魔物に相対していた場合、その魔物に為す術無くやられていた者が大多数ということだ」


 だが実際にその現実を突きつけられると心に来るものがある。トーゴが見渡してみると先程までの不安と希望に満ちた表情から希望が消えているように感じる。逆に何人かは得意げにしているのを見ると、その人達はタネを見破っていたのだろう。

 確かにこの魔法を使う魔物は存在しているが、それをこの大人数相手にあっさりとやって見せただけでも舎長の実力の高さが垣間見える。そして何よりアルスは魔法がであることは何度も対戦したことがあるミルキから良く聞かされていた。


「———とここまで脅してきておいて言うのもなんだが、そこまで怯える必要は無い」


 挨拶というよりは、演説に近い感じになってきている。だが説得力を感じるその言葉に全員が耳を傾けていた。


「今言った幻惑を使う魔物は学び舎で受けるクエストにはいない。ただそういう魔物も冒険者になったら戦わなくてはいけないというだけだ。皆にはそれらと戦えるだけの最低限の実力をここで身に付けてもらいたい。後程のちほど話があるが、学び舎対抗戦も控えている。メンバーは実力で選ばれるため、君たちの中からメンバーが選ばれることを期待しているぞ。以上だ」


 パラパラと散文的に拍手が聞こえる。そこからだんだんと波が広がっていき、最終的には纏まりのある大きな拍手となってその挨拶を締め括った。

 今度は魔法ではなくしっかりと降壇していったアルスは、そのまま建物内へと消えていく。続くように視線は司会の女性へと移った。


「ありがとうございました。次に学び舎対抗戦について、副舎長お願いします」


 学び舎は実力主義だ。強いものが役職を持ち、その役職を持つものは冒険者に依頼を斡旋するギルドからも高い評価を得られる。学び舎とギルドは深い関係を持っており、学び舎での実績は冒険者になってからも反映される。そして舎長が頂点であるアルスという事は、当然ながら副舎長は次点のミルキだ。


「副舎長を務めているミルキです。私からはおよそ二か月間にわたり行われる学び舎対抗戦について話をさせていただきます」


 アルス、ミルキ共にバルカンに留まらず、お隣のフェンナン大陸でもかなりの知名度を誇る。入舎して間もなく当時の舎長に圧勝したアルスと、入舎してから対アルスを除く全ての試合に勝利し、魔法戦ならアルスの上を行くと言われるミルキ。同じ学び舎に入る者なら大抵はこの二人を知っている。


「学び舎対抗戦、略称対抗戦は二か月後から始まる皆さんにとっては最初の行事となります。私たちにとっては学び舎で鍛錬してきた成果を、新入生の皆さんにとっては自分の実力を示す初めての場、そして自分の実力が学び舎内でどの位置にあるかを知る場となっています」


 対抗戦は未来ある冒険者の卵を早期発見できることもあり、注目度は非常に高い。ミルキもアルスもこの学び舎対抗戦の予選本選共に全勝したことで名前を広めている。


「新入生の方は明日さっそく個人戦を三回戦ってもらい、その成績によって暫定的な評価が行われます。この評価に基づいてクラスを分け、そのクラスで日々の学問や行事をこなしていただきます」


 明日から個人戦が行われることについての反応は綺麗に分かれた。学び舎に通っている身内か知り合いがいない限り知る由はないことが大きい。

 事前に知っていいたため冷静でいられた大多数はここで理解した。


 ———個人戦こそが離脱者の多い原因であり、事実上の振るい落としであると。


「また個人戦で成績が良かった者には対抗戦の予選、つまり本戦メンバーの選出戦に対しての優先参加資格が与えられます。資格といっても他人から干渉されて参加が無くなるという訳では無く、あくまでも本人に参加の意思があるかどうかを尊重したもので、参加しなくても悪影響が出ることはありません」


 成績などが関係するから出たくないけど出よう、という考えは気にしなくても大丈夫という配慮なのだろう。

 だが基本学び舎の生徒の大多数はこの予選に参加することをトーゴはミルキから聞いている。


「本選は個人戦と団体戦がありますが、予選で行われるのは個人戦のメンバー選出のみ。個人戦は代表五名、団体戦は代表三十名。個人戦団体戦両方出場することも可能で基本的に個人戦に出る方には団体戦にも出て頂きますが、いくら強くても協調性が無い、自身の使う魔法やスキルなどが味方にも被害を出してしまい、それを抑える術が無いなど不利益を被る可能性がある場合は団体戦に選ばれない可能性もありますのでご注意ください」


 対抗戦は個人戦、団体戦共に観戦目的で各地から人が集まるお祭りの側面と、情報が無い状態でどのように対応していくのか、また知った後にどう対応していくのかという実戦の側面がある。味方の範囲攻撃で味方が被害を被っては実戦で使い物になるはずがないし、味方側もそれを防ぐ手立てがないというのはまた問題だ。


「そして皆さんもご存じだとは思いますが、私達は個人戦団体戦共に三連覇。歴史的に見ても他の追随を許さない成績を残しています」


 ミルキの言う歴史とは主に魔族との戦争が始まった後、現在の対抗戦の形を持ったものが始まりとなっている。

 対抗戦の歴史はとても長く、そのルーツは魔族との戦争が始まるよりも前から存在していたと言われている。当時はただ己の力を示すために小規模で切磋琢磨していき、その成果を数年に一度各大陸の実力者達が一つの場所に集って競い合う場、というのが始まりだ。出場者としては己が鍛えてきた集大成を見せる場、観戦者としては数少ない娯楽の場として重宝されており、団体戦ではなく個人戦のみ、扱う武器は剣のみだったとされている。


「しかしこれはあくまで結果であり、魔族との戦争に勝つために培ってきた技術をその通りに行った結果、付属してきたものに過ぎません。勝つ意識は勿論大切です。しかしその結果が後々にまで響くような問題を起こしてしまっては意味がありません。勝ちに執拗に拘ることは決してしない。これは参加する上での絶対条件です」


 これは何もバルカンの学び舎だけに言われていることではない。対抗戦でも多少の無理をすることは大切だが、それが原因で今後歩けない身体になってしまったという生徒も過去には存在している。対抗戦に出られる実力がありながらそれを棒に振ってしまうのは人類にとって損失でしかない。


「また個人戦は苦手だけど集団戦には出たい、という方もいると思います。集団戦の場合、教官の方からの推薦で出場できる可能性もあります。詳細なことは生徒の身である私にも分かりませんが、個人戦よりも評価項目が多いとのことなので個人戦、または普段の講義でも自分の力を存分に発揮すればチャンスはあるかもしれません。私からは以上です」


 ミルキは一礼して降壇していく。

 そして司会の女性がこれからの予定について淡々と語った。

 講義、クラス分けについてや、その他禁則次項、明日新入生のみの個人戦が行われること、そしてこの後すぐその個人戦を行うにあたりある程度の実力を測るための試験を行う旨が伝えられた。


「入舎試験の時に近距離主体、遠距離主体で分かれて試験を行ったと思いますが、その際と同じように分かれて試験を受けて頂きます。詳しい話はその場を受け持つ教官からありますので、皆様から見て右側に近距離主体の方、左側に遠距離主体の方でお集まりください。以上で入舎式を終わります」


 閉式の言葉と共に、新入生は一斉に二手へと分かれた。

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