第2-16話 甘美な囁き

「…………」

「顔色悪いな、ハル」

「いや、成績が……」


 俺は返ってきた成績表を前にして、死んだような顔色をしていた。

 というのも、芽依めいに勉強の教えを乞うこと一ヶ月。そろそろ共通テストまで一年を切ろうとしているときに、第一志望の判定はE。最悪である。


 受験物だったら、ここからの大逆転なんてありふれている話だが、現実というのがそう甘くないことを俺は知っている。知っているからこそ、全く成績の変わっていないE判定という数値に、俺は軽く絶望せざるを得なかった。


「そいや、ハルも進学するんだっけか」


 恭介がそういうので、俺は力なく拳をあげてそれに応える。

 

「だが、この成績じゃなぁ……」

「やり方を変えたらどうだ?」

「勉強の?」

「俺ァお前がどんな方法で勉強してんのか知らねぇけどよ。その方法で成績の結果が振るわないんじゃあ、やり方が間違ってんじゃねぇの? 知らんけど」

「めちゃくちゃ責任逃れするじゃん」

「俺は教師じゃねえしな。まぁ、長く続けたら結果が出るかも知れないけどよ」

「……うーん」


 恭介がそう言ったのだが、はっきり言って俺の努力不足である可能性は否めない。

 だが芽依めいに勉強を教えてもらうと決意したその時から、俺は1日たりとも勉強をサボったことは無いし、毎日欠かさず問題を解くようにしている。


 実際、前回の成績と比べて点数自体は上昇しているのだ。

 ただ、判定はそこに遠く及んでいないというだけで。


「成績が上がってるなら、それを良しとするのも良いんじゃないか?」

「……ん」


 恭介の生返事を返すと、俺は模試の成績表をクリアファイルにしまいこんだ。

 俺は何も言えなかった。


「……あー。くそ。どんな顔して会えば良いんだよ…………」


 その日は逃げるようにして、1人で帰宅した。

 いつもは芽依めい弥月みつきと一緒に帰っているのだが、今日ばかりは流石に彼女たちにあわせる顔が無かった。


「どうかしたんですか? ハルさん」

「いや、成績が振るわなくて……」

「そういえば進学することにしたんでしたっけ。この間の模試ですか?」

「そう。でも、いまいち結果が出なくて……って、ン?」


 あまりに自然に会話に入ってきたものだから、思わずスルーしかけていたが、そこにいたのはルナちゃんだった。


「ハルさん、どうですか? 記憶の方は?」

「……い、今はなんともないよ」


 ちょうど先週あたりに記憶喪失から治ったと言ったばかり。

 彼女は俺が嘘を付いているとは思っていなさそうだったが、その分余計に純粋な心配が心に刺さる。この嘘、いつか忘れてくれねぇかなぁ……。


 と、嘘をついた側が考えるにはあまりにも酷すぎることを考えながら、俺はルナちゃんに向き直った。


「どうして、ルナちゃんがここに?」

「ハルさんの顔を見たくなったんです。いけませんか?」

「いや、駄目なことはないけど……」


 駄目なことは無いのだが、俺は下校中ということで、つまりは居場所が正確には分からないはずだ。なんで帰ってる途中の俺の居場所が分かったの?


「本当はちゃんと真正面から声をかけるつもりだったんですよ? ただ、ハルさんの後ろ姿が可愛くて、思わずずっと見守っちゃってて」

「ん?」

「校門から出てから何度もため息をつかれるものだから、声をどのタイミングでかけるべきか見失ってしまい……」

「んん?」

「深刻そうな悩みを抱いていらっしゃるようでしたので、思わず声をかけさせていただいたということなんです」

「……あぁ、そうだったんだ」


 それにしては会話の節々になんか気になる所があったな。


「ハルさんの悩み、私に打ち明けてみませんか? もしかしたら、すぐ解決するかも知れませんよ?」

「そう、だな。そうかもな」

「はい。なんでもおっしゃってください」

「……いや、実はさ」


 俺はぽつり、ぽつりと今の状況についてルナちゃんに語った。

 大学に行きたいこと、そのためには成績を上げる必要があること、芽依めいに勉強を教えてもらっていたこと、しかし、その結果が振るわなかったこと。


 俺が芽依めいの話をするたびに、眉が少しだけ動くので話している途中で何度か話すのをやめようかと思ったのだが、ルナちゃんは最後まで黙って話を聞いてくれたのでなんとかやめずに済んだ。


 俺の周りにいる女の子たちは全員仲が悪いのだが、特に悪いのが芽依めいとルナちゃんなのだ。


 だから、このどちらかに、もう片方の話をする時は神経をすり減らす。

 こっちだって大変なのだ。


 そして、全てを聞き終えたルナちゃんは、


「そうだったんですね」


 そういって深く頷いた。


「確かにそれは芽依めいさんに顔を会わせづらいですよね」

「まぁな……。せっかく勉強を教えてもらってたのに、こんな調子じゃ……」

「だったら、私が芽依めいさんに隠れて勉強を教えてさしあげましょうか?」

「……ん?」

「つまり、私とハルさんが勉強していることは芽依めいさんには内緒にしておくんです。そして、次の模試でハルさんが良い結果を出せばハルさんは芽依めいさんの顔を立てることができますよね」

「あっ、なるほど! いや、でも……ルナちゃんに時間を取ってもらうのも悪いし……」

「何言ってるんですか。私は学校が違うから普段はハルさんとお話できないんですよ? 一緒に勉強できるとなったら、ハルさんとおしゃべりする一番のチャンスじゃないですか」

「そ、そういうもんなの?」

「そういうものなんです」


 ルナちゃんはそう言ってにこりと微笑むと、


「私は白女ですから、きっとハルさんのお役に立てることもあるはずです」


 と、その純白に輝く制服を見せつけるかのようにそう言った。


 確かにルナちゃんが通っている白女と言ったら、この地域では一番に近い進学校。

 入るのは相当な学力が必要だ。そこに女子校+お嬢様校というのが加わってブランド価値は凄まじい。


「ほら、2人で勉強して芽依めいさんをびっくり……じゃなくて、芽依めいさんを安心させてあげましょう!」

「……っ! 頼む!」


 成績の伸びない俺は、わらにもすがる思いで彼女に頭を下げた。

 なんだか墓穴を掘った気がしないでもないが、今はなりふり構っていられないのだ!

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