第2-15話 双極

 上からはブラスバンド部の音楽が聞こえ、グラウンドからは運動部の元気な掛け声が聞こえてくる。俺は間に位置する教室の椅子に腰を下ろすと、教科書を開いていた。やっているのは数学。その中でも基礎の基礎に位置する問題だが、だからと言ってやらないわけにはいかない。

 

「……あの」

「どうした、弥月みつき

「いえ、別にハル先輩が部活動で何をしようとハル先輩の自由にすればいいと思うんです」

「うん」

「部活と言っても文学部特有って活動しているわけじゃないですからね? 本読んでるだけの部活なんで、ハル先輩が本を読もうと勉強しようと私は一緒に時間を過ごせるだけで満足なんです」

「ありがとう」

「なら、なんでこの女が一緒にいるんですか」


 そう言って弥月みつきが指差したのは、俺の隣にくっついて数学を教えてくれていた芽依めい。彼女は俺の右側に座っているのだが、ばっちりと俺の右腕と自分の左腕を絡めて勉強を教えてくれている。


 彼女の教え方はそこそこなのだが、いかんせん腕が組まれているため書きづらいし、解きづらい。だが、この体勢でないと彼女が勉強を教えないというので俺は彼女の付き従っているというわけだ。


「この女、とは失礼ね。私はハルの家庭教師なんだけど」

「どこの家庭教師がそんなに身体をくっつけて勉強を教えるんですか! さっさと離れてください! この部室では不純異性交遊は禁止です!」


 ……部室の鍵を閉めて、俺にキスを迫ったお前がそれを言うの?


「なら、この教室を出てからやりましょう、ハル。そうね、図書室あたりはどう? 他にも勉強しているカップルはいると思うけど」

「ちょっと! この部室をでたらやって良いってわけじゃないですよ! なんでハル先輩も腕を組んだままなんですか!」

「だって芽依めいがこの体勢じゃないと勉強教えてくれないって」

「ちょっと芽依めい先輩!」


 いやぁ、今日も弥月みつきは元気だなぁ。


「だって、ハルがその体勢じゃないと勉強を教わりたくないって言うんだもの」

「絶対にハル先輩はそんなこと言いません! 絶対にです!」

「そりゃあ、後輩のあなたには言わないだろうけど、幼馴染だから言うんじゃない?」

「いーえ! ハル先輩は後輩に甘えるんです。同世代なんて目もくれてないんです!」

「もう高校生なんだから年上に憧れる恋愛はやめたら?」

「小学生の恋愛を高校生にまで引っ張ってきているのは芽依めい先輩ですよね?」

「なんでお前らそんなにすぐ喧嘩すんの?」


 この子たち、仲が良いのか悪いのかさっぱり分かんねぇよ。

 いや、喧嘩してるんだから仲は悪いんだろうけどさ。


「あー! じゃあもう分かりました。私に良い案があります」

「良い案?」

「はい。まず、ハル先輩が立ち上がります」

「うい」


 俺は弥月みつきに言われるがままに立ち上がる。


「それで、こっちに来ます」


 そういって指さされたのはちょうど机を挟んだ芽依めいの目の前。


「そして、座ります」

「はい」

「これで完璧です」


 俺は芽依めいの目の前に移動させられ、その真横に弥月みつきが座った。


「ちょっと、それじゃあハルに細かいところが教えられないじゃない」

「教えられないのは芽依めい先輩の教える能力に問題があるからじゃないんですか?」

「はぁ……。これだから誰にも勉強を教えたことがないぼっちは……」

「だからなんですぐにそうやって喧嘩するの?」


 こいつら口を開けば互いの悪口しか言わねぇな。


「そもそも、そんなに私とハルが一緒にいるのが嫌ならあなたが部室から出ていけば良いじゃない」

「はぁー!? なんで文芸部じゃない芽依めい先輩にそんなこと言われないと行けないんですかー! この部活は私とハル先輩の2人だけのオアシスなんですよ? ハル先輩が今年の新入生を全然取らなかった理由が分かりますか? 私と2人きりになりたかったからです」


 ちげーよ。面倒で誰も勧誘しなかったら弥月みつきしか来なかったんだよ。


「へぇ、そうなの。学校でしか会えない後輩は大変ね」

「昔はそうでしたが今は違いますよ。私、ハル先輩の家の合鍵持ってますから」


 ……いや、まぁ確かに渡したけどさ。酔ってるときの俺が。

 でも流石に酔ってるときはノーカンじゃない?


「ふうん。合鍵がないと家に入れないのね。私はハルにラインすれば良いだけだから」

「それはハル先輩の面倒になりますよね」

「ならないわよ。それに、家の主に連絡も入れずに家に入るのは不法侵入よ」

「いい加減に勉強していいか?」


 俺がそう尋ねたが、彼女たちは全くそれを気にした様子は見せずにヒートアップ。

 いや、もう良いや。無視して復習しようっと。


「はぁ。恋人に合鍵を渡しておいて、勝手に入って不法侵入になるわけないじゃないですか。友達の人は分からないでしょうけど」

「分かってないのはあなたの方よ。親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らないの? それにあなたはハルの恋人じゃないでしょ」

「いえ? だってハル先輩が私に言ったんですよ。将来は結婚してくれって」


 言ってねぇよ。 


「顔も悪かったら耳も悪いのね。ハルがそれを言ったのは私なんだけど」


 いや、それも言ってねぇよ。


 放っておいたら好き勝手に発言が捏造されはじめた。怖い。

 しかし、その会話に入るほうが恐ろしいので無言を保って、俺は教科書の章末問題を解き始めた。


 いやぁ、これは難しいなぁ。


「そうですか。芽依めい先輩は性格は悪いですが嘘だけは付かないと思ってました。ハル先輩、嘘つきの女ってどう思います? やっぱり無しですよね。」

「私は嘘なんて付いたこと無いけど。勘違いは早めに解いておくのが吉よ。ねぇ、ハル。どう思う? 勘違いしたまま勝手に突っ走る女って迷惑だと思うんだけど」

「…………」


 う、うーん。これをこっちに代入して……。

 あ、あれ? 計算が合わない……。


「ちょっと、ハル先輩! 聞いてるんですか!」

「ねぇ、ハル。聞いてるの?」

「…………」


 これ無視できる?

 いや、できないよね。流石に。


 俺は渋々教科書から顔を上げると、できるだけ困った顔で言った。


「流石に勉強させてくんね……?」

「もちろんよ。でも、こうして離れるとハルに勉強を教えづらいの」

「いえ、問題ありません。机を挟んでも勉強は教えられるはずです」

「………なぁ、弥月みつきの反対に芽依めいが座るんじゃ駄目なの?」


 俺がそういうと、2人は互いに苦虫を噛み潰したような顔をしながら、


「「……まぁ、それなら」」


 と、言って納得した。

 なら最初からそうしてくれ……。


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