第2-9話 児戯

「いや、2人きりって……」


 だって、ルナちゃんは家にお手伝いさんが来ると言っていたし、2人きりじゃないからという論理であの3人からOKをもぎ取っていたではないか。

 

「あ、ハルさん。ここです。ここに座っててください」

「ん? あ、ああ。分かったよ」


 そういって俺が座らされたのはめちゃくちゃ高そうな赤いソファ。

 座ると同時に飲み込まれたかと思うほど、俺の身体は深く吸い込まれた。なんかこれはこれで腰に悪そうだな……と、思ったがルナちゃんパパは多忙で家にほとんど帰ってこないと言うじゃないか。


 それだけ多忙で忙しい人間がちょっとの間に身体の疲労を取るならこれくらいの柔らかさが無いと駄目なのかも知れない。


「あ、そうだ。ハルさんが今日来るって聞いたので、チーズケーキを買ってきたんですよ。食べますか?」

「良いのか?」

「はい。ハルさんはチーズケーキが好きでしたもんね」


 どこ情報だ……?


 ちなみにだが、俺は別にチーズケーキが特別好きということは無いが嫌いということもない。出されたら喜んで食べるほどには好きである。


 ルナちゃんは俺がうなずくと何人用か分からないようなクソデカ冷蔵庫からケーキを取り出すとポッドでお湯を沸かして、紅茶のパックを取り出していた。


「あ、ごめん。俺、紅茶は……」


 コーヒーのカフェインだけではなく、紅茶のカフェインに対しても若干の恐怖心が残る俺はルナちゃんにそう伝えると彼女はにこやかに微笑んだ。


「大丈夫ですよ。これはカフェインレスですから」

「……助かるよ」

「いえ、良いんです。カフェインに対して過敏なのはハルさんだけじゃないんですよ」

「ありがとな」

「気にしないでください。このくらい。結婚したら、日常ですから」

「…………」


 なんとも返しづらい答えをくらって俺が黙り込んだが、そんなことなど気にした様子も見せずにルナちゃんは注いだ紅茶を俺の前に置いてくれた。


「どうぞ、ハルさん」


 そして、全く同じカップに入った紅茶を俺のカップの横に置いて、ルナちゃんは俺の隣に座ってきた。


「いただくよ」


 俺は彼女に一言入れると、紅茶を口に運ぶ。

 そして、嚥下した。


 ……大丈夫、みたいだ。


 最近はカフェインの影響で色々やらかすことが多くて警戒していたのだが、これは俺が気にしすぎだったのかも知れない。飲める紅茶が出てきたことに安心しながら、俺はルナちゃんに差し出してもらったチーズケーキを食べた。


「美味しい……」


 めちゃくちゃ美味い。

 口に運んだ瞬間、こんなに美味いチーズケーキがあるのかと思ってびっくりしたほどだ。俺は貪るようにそれをぺろりと平らげると、締めに紅茶を口に運んだ。


「お口にあったようで何よりです。ハルさん、記憶が無くなったと言っていたのでもしかして味覚も小学校の頃に戻っているかと思ったんですけど……あたってました?」

「いや、そんなことは無いけど……」

「それなら、ハルさんが好きなものは小学生のときから変わってないってことですね。可愛いです」

「可愛いって……」


 俺は男だぞ……と、言いたかったのに、ルナちゃんが俺の頭を撫でてきたことで俺は言葉を失った。


「可愛いですよ。ハルさんは」

「…………」


 俺が黙っていると、彼女はにこりと笑った。


「ずっとやりたかったことがあるんです」

「やりたかったこと?」

「私、ハルさんのお姉さんになりたかったんです」

「はい?」


 何いってんだこいつ。


「ハルさんと出会ったときのこと、覚えていますか?」

「……ああ。覚えてるよ」

「あのとき、あんなに落ち込んでいるハルさんを見て、私に出来ることはなんだろうとって思ったんです」

「……うん」

「それで、思ったんです。ああ、私がハルさんのお姉さんになればハルさんを助けられるんだなって」

「なんで?」

「そう思っているときに、ハルさんが記憶を無くすという大事件が起きました。でも、考えたんです。これは、チャンスじゃないのかなって」

「チャンス」

「だってですよ? 今のハルさんは小学生と変わらないってことじゃないですか」

「い、いや……。うん。それは、そうなんだけど。でも、記憶がないだけで、別に小学生ってことには……」

「なりますよね? だって、ハルさんは中学生のときの記憶と高校生のときの記憶を無くしているんだから」

「…………」


 なるのかな? 

 いや、なんかそこら辺のめんどくさい設定は細かく詰めてないから、どうにでもなるようにしてるのでこうして詰められると弱いのだ。


 俺がどう答えようか考えていると、ルナちゃんはそれを肯定と取ったのかにっこり笑った。


「だから、今日は私がハルさんのお姉さんです。さぁ、お姉ちゃんって呼んでください」

「…………」


 そういって、俺を抱きしめるように両手を広げたルナちゃん。


 ……いや、これ何が始まったの?


「どうしたんですか? 甘えて良いんですよ?」

「いや、その……」

「はい?」

「なに、これ……」

「何って、ハルさんを癒やしてさしあげようと」

「………………」


 つまりこれは、このまま俺はルナちゃんに抱きしめられろと?

 そして、そのままルナちゃんのことをお姉ちゃんと呼べと?


 ……やらないと行けないの?


「そ、その……これ私も恥ずかしいんですよ? もしハルさんに記憶があるなら、私だってこんなことできないですけど……。でも、ハルさんには記憶がないんですよね? だから、できるんです」

「…………」


 これ言外に『お前本当に記憶無いんだよな?』って詰められてない?

 気のせい?


 しかし、ここまで詰められたらやらないと行けない。

 やらねばならない。


 それが嘘を貫くということ……ッ!


「……お」


 い、言えるか?

 いや、言うしか無いんだ……!


「お姉ちゃん……」

「〜〜〜〜っ!」


 俺が絞り出すようにそういうと、ルナちゃんは顔を真っ赤にして俺のことを抱きしめてきた。ルナちゃんの日本人離れしたそのスタイルに良いようにやられてしまった俺は彼女に力強く抱きしめられながら思った。


 ……夜は長いぞ、と。

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