第2-8話 孤独の味見

 俺が弥月みつきに良いようにされた日の夕方。

 家に帰ると見たこともないでかい車が家の前に止まっていた。


「……なんだこれ」


 それを不審げに見ていると、中からひょこっとルナちゃんが顔をだした。


「あ、ハルさーん! こっちです! こっち」

「どうしたの? これ」


 俺がそう聞くと、ルナちゃんは得意げに答えてくれた。


「ハルさんを迎えに来たんですよ。私の家はちょっと遠いので! さぁ、乗ってください。私の隣に!」

「着替えがいるだろ?」

「もう載せてあります」

「……準備が良いね」

「一秒だって惜しいですから! せっかくハルさんがお泊りしに来てくれるんですよ?」


 お泊り、という表現が正しいのかはさておいて、俺がこれからルナちゃんの家に泊まるのはマジである。一応、記憶喪失になった俺の看病というか、身の回りのサポートをしてくれる……という体にはなっているのだが、俺は記憶喪失になっていないのでお泊りと言ってしまえばお泊りなのだ。


 というわけで、車に乗り込んだ俺の隣にルナちゃんがべったりくっつくと、車は発進。


「……なんか距離近くない?」

「そうですか? これが普通ですよ」


 普通って言いながらも、俺の身体はびたびたにルナちゃんとくっついている。

 というかこの子、なんだかこっちに寄ってきてない?


 そう思った俺はちょっとだけ扉側に移動。

 ルナちゃんとの距離を少しだけ取った瞬間に、ルナちゃんがその距離を詰めた。


「…………」

「どうかしたんですか? ハルさん」

「いや、何も……」


 あまりに距離を詰める速度が早すぎて俺は閉口。

 しかし、たまたまかも知れないので俺はもう一度ドア側に移動したのだが、彼女に再び詰められた。


 そして、完全に逃げ場を失った俺の肩にルナちゃんが頭をあずけてくる。


「ふふ」


 そして、俺の耳元で彼女が微笑んだ。


「どうしたの……?」

「ずっとこうするのが憧れだったんです」

「そ、そうなんだ……」


 人の頭は、重いのだという。

 話によると大体4〜6kg。ボーリングの玉なら10ポンドから15ポンド球ほどだ。そんなものが肩に預けられているのだから重くて当然……と、言いたいのだが、これが重くない。


 全く重たくない。


 いや、ルナちゃんが体重を預けていないというのではなくて……完全に俺の身体によりかかる形になっているが、それを俺は重たいとは思わない。心地良いと思ってしまうのだ。


「ハルさんは私より大きいですね」

「そう、かな。平均くらいだと思うけど」

「私より大きいんです」


 いま完全に会話が会話になっていなかったが、ルナちゃんに押し切られた。

 そんなやり取りをしつつ、見えてきたのは大きなタワマン。


「着きましたよ。ここです」


 去年、駅前に作られたそれを見るたびに、俺は一体誰が住んでいるんだろうと思っていたのだが、まさかこんな身近にいるとは。


「……すごい。良いとこだね」

「パパが買ったんです」

「そ、そうなんだ……」


 ルナちゃんとの会話の節々から、彼女の家がお金持ちだというのは伝わってきていたのだが……これは俺が想像したよりもずっとお金持ちなのかも知れん。


 俺が車から降りると、ルナちゃんは運転手に丁寧にお礼を告げて降りていた。


「そういえば、あの車を運転してたのって……?」

「専属の運転手さんです。普段はパパの送り迎えを担当しているんですけど、パパに婚約者が記憶喪失になったって言ったら、ハルさんの迎えに来てもらえることになって」

「婚約者?」

「はい。……あの、覚えてませんか? 私とハルさんが5年前にした約束」

「それは覚えてるけど……」


 はい。ここで俺の設定の甘さが出てしまう。

 俺が生み出した記憶喪失の設定は5年間の記憶がない、というものである。


 つまり、小学校卒業から丸々記憶がなくなったという設定になっているため弥月みつきのことを忘れており、芽依めいもルナちゃんも初見じゃ誰かわからない……という設定にしておいたのだ。


 これで一安心と思っていたのだが、よく考えたら俺とルナちゃんが約束を交わしたのは小学校の頃。これは記憶喪失じゃ抜けられん。終わった。


「はい。だから、パパにもその時の話はしてたんです。ずっと、ずっと……」

「ずっと……?」

「フランスに行った時も、そのまま進学したときも、そして日本に帰ってきてからもずっとです!」

「ルナちゃんのお父さんは、何も言わなかったの?」


 普通、娘が結婚するなんて言ったら父親は何かを考えそうだが、


「はい! すっごい喜んでもらえましたよ!」

「…………」


 ……どうすんのこれ?

 完全に親の承諾を得てるじゃん。


 いや、小学生の娘が「将来は〇〇くんと結婚する」なんて言い出したら可愛いもんだと思ってしまうだろうが、ルナちゃんは違う。


 ルナちゃんと話しているから分かるが、この子は俺との婚姻を『小学生の頃の思い出』だと思っていない。いや、普通ならそう考える。俺だってそう考える。『あのときはあんなこともあったね』と笑って昔を語るのが普通だろう。


 だが、ルナちゃんは違う。

 この子は俺と交わした約束を本気で捉えている。

 本気で俺と結婚するつもりなのである。


 だから、そのつもりで彼女の父親に話しているのだろうし、そもそもフランスに行ってからも日本に帰ってからもその話をしてるということは、彼女の父親は俺とルナちゃんが本気で結婚するもんだと思っているんじゃないだろうか……?


 マジでどうしよう……?


 俺が戦慄しているままに、ルナちゃんは俺を連れてエレベーターへ。


「そういえば、ハルさん。私、まだ言ってなかったんですけど」

「うん」

「今日、パパとママは帰ってこないんです」

「え、なんで?」

「会社の大切なお話があるそうなんです」

「そういえば、ルナちゃんのお父さんって何の仕事してるの?」

「パパは3年前に仕事をやめて、起業したんです。それで今は簡単な貿易業をしてるんです」

「……あ、なるほど」


 ルナちゃんは社長令嬢だったんだ……。

 と、俺はルナちゃんの家の金持ち具合に納得。


「それに、今日はお手伝いさんにも来てもらわないようにしてるんです」

「…………ん?」

「だから、二人っきりですね!」

「んん???」

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