第2-6話 技巧の果てに

 芽依めいはその日は家に帰るまで特に大きな騒ぎは起こさなかった。ただ、周囲に見せつけるように俺の腕を抱きしめて歩いて帰っただけだった。その日の夜はウチに泊まっていったが、結菜ちゃんもいる手前一緒に寝るようなことはせず、ただただ大人しかった。


 だが、それが逆に怖かった。


 考えても見てほしい。彼女は俺が記憶喪失ではないことを知っていた。知っていたのにそれを周囲に隠して、学校をサボる口実にし、俺と一緒に海に行った。それだけならまだ遊びの範疇で済んでいたかも知れないが、問題はその帰りだ。


 ずぅっと黙って俺の手を掴んでいたのに、家に帰って結菜ちゃんに会うなりそんなことなどやっていないと言わんばかりに元の状態に戻ったのだ。そして、そのことをお首にも出さないのだ。


 怖い。シンプルに怖い。

 なんでそんなに綺麗に隠せるのかが分からないから怖い。


 怖いけど、芽依めいなら仕方ないと思ってしまうのだ。

 

 そんな芽依めいと一緒に登校した俺はクラスに入るやいなや、好機の視線が集められた。


「……ん?」

「おい、ハル」

「どうした? 恭介」

 

 好機の視線なぞ意に介さず、俺の数少ない友人の一人である恭介は平然とした顔で近づいてきた。


「お前、如月さんと付き合ってないんじゃなかったのかよ」

「付き合ってないけど」


 如月、というのは芽依めいの名字だ。


「お前これ」


 そう言って恭介が見せてきたのは鍵のかかったSNSのアカウントだった。

 そこには俺と芽依めいが腕を組んで駅から歩いて帰っている写真がバッチリと映っていた。しかも、その写真の最悪なところが真正面ちょっとズレたところから撮られているので顔がバッチリと映っていることである。言い訳不可能チェックメイトだ。


「これ盗撮だろ」

「盗撮っちゃ盗撮だけど、こんなの気にしてるやつなんていねぇよ。もう今はお前らの話題で持ち切りだぞ」

「だから、こんなに色んなやつから見られてるのか……」

「そりゃお前、あの如月さんが学校を休んだかと思えばお前と一緒に全然関係ない駅から降りてきたってなると噂にもなるだろ。何してたんだよ」

「……トラウマの克服?」

「はぁ? 何だそれ」

「俺にもよく分かってねーんだよ」


 そんなことを言いながら俺は荷物を置くと、深く椅子に腰掛けた。


「なぁ、ハル。お前ら付き合ってないんだよな?」

「……その質問、意味あるか?」

「ねぇな」


 俺は正直今にも天を仰ぎそうになるのをこらえながらため息をついた。

 

 そう、恭介の問いかけには何一つとして意味は無いのだ。

 例え俺がここで付き合ってないと言おうとも、この写真を見た奴らはそんなことなど信じないだろう。いや、むしろ芽依めいが俺にほとんど抱きつくような状態で歩いているのに付き合っていないという方が心象的には最悪だろう。


 恐らく、いや十中八九……彼女はこの状態を予想して俺を海に誘ったのだ。


 つまるところ、俺は彼女に再びしてやられたわけで、


「どうすんだ? ハル」

「どうしようもねぇだろ、これ」


 その鍵垢には鍵垢の癖に40件くらい「いいね」が付いていた。

 俺は目の前が真っ暗になりそうだった。


 しかし、噂の渦中にいる人間にはあまり話が飛んでこないのか、俺はそれから変わった扱いを受けたかというと特にそんなことは無かった。ただ、腫れ物に扱われるようにどこかよそよそしさを感じているだけである。辛い。


 そんな他人行儀に扱われる午前が終わって、昼休みに入ると弥月みつきが俺のクラスにやってきた。


「あの、ハル先輩いますか?」

「……どうしたの?」

「つ、着いてきてください。部室に案内します」


 今日の俺当番は弥月みつきである。

 ちなみにだが、昨日の内に芽依めいと話した中では絶対に記憶喪失じゃないことがバレないようにと彼女から念を押されているので思わず肩に力が入っている。


「部室? なんで昼休みなのに部室?」


 弥月みつきの前では記憶が無くなっているという体の俺がそう聞くと、弥月みつきは、


「は、ハル先輩は覚えてないかも知れないですけど、記憶が無くなる前はずっと一緒に部室でお昼ごはんを食べてたんですよ?」


 なんてさらっと嘘を付いてきた。


 おい、一緒に食べたの数日だけだろ。

 と、ツッコみたいが記憶が無いのでツッコめない。

 なので、「へ、へぇ。そうなんだ」くらいにしか濁せない。辛い。


「ここが部室です」

「キレイな部屋だな」

「そ、そうですか? 本とかあって少し散らかってますけど……。どうぞ先輩、先に中に入ってください」


 そんなことを言いながら彼女は俺を文芸部の部室の中に連れ込むと扉を締めた拍子に……カチャ、と小さくバレないように扉に鍵をかけたのが聞こえてきた。一体何をするつもりなんですか、弥月みつきさんよ。


「そういえば、まだ自己紹介をしてなかったですね。私はハル先輩と同じ部活の後輩の弥月みつきです。水瀬弥月です。先輩は私のことをずっと弥月みつきって呼んでました」


 ほらまたさらっと嘘を付く。


弥月みつき……か。いい名前だね」

「ありがとうございます」


 俺がそう言って褒めると、照れたようにはにかむ弥月みつき

 こんな彼女を騙していることに罪悪感を覚えつつ、俺は弁当を机の上に置いた。


 すると弥月みつきはすぐにその横に自前のお弁当を置くと俺の隣に座ってくる。


「近くないか」

「そうですか? いつもこうでしたよ?」

「そうなの? だって普通は対面で……」

「いつも隣でした」


 俺は彼女から少しでも距離を置こうとしたのだが、有無を言わせぬ彼女の態度によって黙らされた。


 なので俺はそれには触れず黙って弁当を開く。

 ちなみに今日の弁当は芽依めいが作ってくれたお弁当だ。俺の大好物のハンバーグが入っている。というか、芽依めいは俺がハンバーグを好きという情報しか知らないのかハンバーグしか作らない。でも作ってもらったものに文句なんて絶対に言わないので俺はありがたく受け取っている。でも正直言うと別のものが食いたい。


「それで、ハル先輩が覚えているかどうか分からないんですけど」


 俺が頭の中でハンバーグの味変の方法について考えていると、弥月みつきが俺に可愛らしいフォークを向けてきた。


「私とハル先輩はお昼ごはんを食べる時に、いつも食べさせあいをしてたんですよ」


 そして、そんなことを言った。

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