第2-5話 巧者の細工

「なんで、海辺でキスなんて……。誰かに見られてるかも知れないのに」


 俺がそういうと、芽依めいは微笑んだ。

 

 今日が平日とはいえ、周囲に人通りが無いわけではない。

 俺たちみたいに見ただけで学生と分かるようなやつらが浜辺にいるというだけで目立つのだ。


 キスなんてしていたら周囲の目を引くどころではない。


「見せてもいいじゃない。それとも、ハルは見られて困るようなことでもあるの?」

「いや……。それは……」


 いまこの浜辺を通りかかった誰かに見られて困るということはない。

 見られて困るのは弥月みつきとルナちゃんと結菜ちゃんだ。こうして列挙して思ったが結構いるな。


 なんというか、浮気してるみたいだ。

 まだ誰とも付き合ってないのに。付き合ったことも無いのに。


「それにね、いつかハルと2人で海に来たかったの。誰もいない海に」

「まぁ、そりゃ。この時期なら誰もいないだろうけどさ」


 シーズンを外した海は釣りくらいしか来ることも無いだろう。

 だが、俺たちがいるのは砂浜なのでその釣りをやっている人間もいない。


 本当に、誰もいないのだ。


「ハルだって、誰もいないなら嫌な思いをすることもないでしょ?」

「そりゃそうだけどさ……」

「だから、これで夢が一つ叶ったわ」

「夢って……。大げさだな」

「でも、まだまだしたいことはたくさんあるわよ」


 俺は芽依めいの言葉を少しだけ鼻で笑おうとしたが、彼女はそんな俺のことなど意に介していないように振り返って、そう言った。


「ずっと、ずっと考えてたの。私とハルが付き合ったらやりたいこと。したいこと。これ、ほら」


 そういって芽依めいが見せてきたのは1冊のノート。

 それは表紙には「No3」としか書かれておらず、表題も名前も記されていない。ただの無骨な大学ノートだった。


「これね、私とハルがやりたいことを中学生のころからずっと書いてきたノートなの」

「へ、へぇ……」


 No3ってことは、当然1と2があるんだよな。

 ん? じゃあ、芽依めいは大学ノートをいっぱいに埋めてること? やりたいことで? 大学ノートってそんなに埋まりやすかったっけ?


 俺の頭の中が「?」で埋まっている間に、芽依めいはノートの一部分に丸を付けると、それを後生大事そうにカバンにしまい込んでいた。


「ハルは……私としたいことは無いの?」

芽依めいとしたいこと……? 難しいことを聞くな」

「何が難しいのよ」


 ちょっとだけ拗ねた様子を見せる芽依めい

 いや、難しいだろ。


「逆に芽依めいがやりたいことって何があるんだ?」

「そうね。ハルとは温泉に行きたいし、いちご狩りにも言ってみたい。最近できたカフェにも行ってみたいし、プレゼントの交換もしたい。お揃いのアクセサリーを付けたいし」

「わ、分かった。ありがと」


 ちょっと聞いただけでこんなにスラスラ出てくるとは思わなかった。

 そして、それだけ俺のことを思ってくれているのに、その気持ちに応えられない自分に嫌気が刺した。


 だから、何か1つでも芽依めいとしたいことを挙げられないかと思って考えていると、ふとお腹が鳴った。


「ご飯にしましょ」


 芽依めいは俺のお腹の声を聞くと、呆れたように笑った。

 俺たちは近くの喫茶店でランチを食べた。


 そんな経験は生まれて初めてだったが、芽依めいのやりたいことリストに入っていたようで彼女はノートに丸を書いていた。


「もしかしてそれ、今日中に全部やるつもりか?」

「ううん。今日だけじゃ無理よ」

「だよな」

「でも、良いの。これは一生かかってやることだから」

「一生?」

「ええ。だってハルと私は結婚するんだから」

「…………」


 今のは完全に俺が墓穴を掘ったので反省。


「結婚って……。俺たちはまだ高校生だし……」

「じゃあ、大学生になったら良いの?」

「……それは」

「いつなら、ハルは結婚してもいいと思うの?」

「…………」


 そんなこと、考えたことも無い。

 弥月みつきも、芽依めいにも、ルナちゃんにも、俺が酔っ払ったはずみで婚約をしたみたいだが、じゃあ実のところ俺は一体いくつになったら結婚したいと思っていたのだろう。


 そんなこと、考えてみたこともないのだ。


「私は、待ったわ」


 ランチの載っていたプレートを前にして、芽依めいがそう言う。じぃっと、俺の瞳を覗き込んで、真正面から俺と対峙する。


「私はもう数年待ったの」


 俺が頼んだオレンジジュースの入っているコップに芽依めいの顔が反射して、妖しく揺らめいた。


「私は海外にも行かなかった。中学生で急に近づいたりもしなかった。ずっと、ずっとハルのことを小学生のときから待ってたの。だから、駄目よ」

「……何が」

「私とハルは結婚するの」


 芽依めいはそう言うと、にっこり微笑んで今までのことなんて何も無かったかのようにフォークを俺に差し出した。


「食べましょう、ハル。冷めないうちに」

「……そうだな。そうしようか」


 俺は彼女の凄みというか、いつもの調子に圧倒されながらもランチに手を付けた。正直言って、生きた心地なんて一つもしなかった。




「美味しかったわね」

「ちょっと高かったけどな」

「そうね、また大人になったらもう一度来ましょ」

「その頃には安いって言いたいよ」

「ハルが稼いでくれるの?」

「どうだろうな」


 そんな他愛ないやり取りをしながら俺たちは電車で帰宅する。

 まるでさっきまでのやり取りが嘘だったかのように、夢だったかのようにあらゆる光景が後ろに流れて消えていく。


 ぼんやりとしていると、すぐにでも俺たちが降りるべき駅が近づいてきて、名残惜しさに後ろ髪を引かれながら俺たちは日常へと再び足を戻した。


 俺は記憶喪失の振りをしないと行けないから日常には戻れないんだけどな!


 でも、今日の俺担当(四人が勝手に話し合って決めた)は芽依めいなので、記憶喪失の振りはほとんどしなくても良い。家に結菜ちゃんがいるから気が抜けないけど。


「……なぁ、芽依めい

「どうしたの?」


 俺たちが駅についたのは学生の帰宅時間と重なってしまっており、電車からわっと降りてきた学生たちが俺たちの周囲を抜けていく。


「近づきすぎじゃね?」


 そんな中、芽依めいは俺の腕を抱きしめて離さない。

 ぎゅっと痛いくらいに両腕で俺の腕を握って、いや抱きしめている。


 そんな俺と芽依めいの姿に周囲の学生たちからの視線が集まる。


 芽依めいはその容姿から人の目を非常に集めてしまうのだ。


「別に良いじゃない」

「もし同じ学校のやつがいたら噂されるぞ」

「噂させたいの」

「……そうっすか」


 もしかして、彼女はここまで計算していたのだろうか?

 

 俺はもう何も考えたくなかった。

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