第26話 恋に恋して

「私がいちばん先輩のことが好きですけどね」


 弥月みつきのそれは牽制けんせいだったのか、それとも冗談だったのか。

 俺には区別がつかなかった。


 ただ、先程までの安穏あんのんとした雰囲気は、その一言でぶち壊しになった。


 勘弁してよ。


「……は?」

「……はい?」


 弥月みつきとルナちゃんの声が2つ同時に奏でられる。


 余りにも全く同時にいうものだから、俺も息ぴったりやんかとエセ関西弁を話してしまう始末。いや、本当は喋ってるんじゃなくて心の中でそう思っただけなんだけど。


「ねぇ、ハル。あんたの後輩はどうなってるの? 何を思ったらこんな勘違いをするのよ」

「そうですよ、ハルさん。芽依めいさんの言う通りです。だって、ハルさんは弥月みつきさんの告白を断ってるんですよね?」


 ピシッ! と、音がなりそうなくらいの勢いで、2人の視線が俺に向けられる。


 やめて! 俺そんな目で見ないで!

 心臓が痛くなってくるから!


 ただでさえ、今の俺は胃と舌が機能を放棄している。

 ここで心臓君に裏切られたら俺はこれから誰に頼って生きれば良いんだよ。


「いや、断ったっていうか……。保留してるっていうか……」


 俺がそういうと、弥月みつきはにっこり笑った。


「そもそも、お二人は本当にハル先輩のことが好きなんですか?」

「お、おい、弥月みつき。そう2人を刺激するようなことはな……」


 猛獣の監視員にでもなったかのような気持ちで、俺は弥月みつきに『待った』をかける。ここは動物園か何か……?


 だが、弥月みつきは何故か俺を見た。


「いえ、ハル先輩。これはすごく大切な話です」

「た、大切……? なんで」

「お二人は好きを勘違いしているかも知れないからです」

「どういうこと?」


 好きを勘違いという言葉の意味がよく分からず、俺は弥月みつきにそう聞いた。


「良いですか、ハル先輩。芽依めい先輩は、幼馴染。ルナさんも小学生の頃にお会いされたんですよね?」


 弥月みつきは事実確認をする警察かのように、俺に1つ1つ確認してくる。それらは、先程俺が『真実』を伝えたときに、彼女も知った内容だ。俺はまるで刑事に証拠がばっちりあげられた犯人のように、首を激しく縦に振る。


 ちなみに、芽依めいが同じ学校にいると知ったときから弥月みつき芽依めいのことを先輩呼びしている。


「だとしたら、勘違いの可能性があります。だって、小学生の頃に好きになるのって……それは、恋に恋してるからですよ」

「恋に恋してるから?」


 なにそれ。


「ハル先輩、まず大前提として女の子は恋が大好きです」

「人によると思うけどなぁ」

「だから、恋に恋してるんです。自分も、漫画やドラマのような恋がしたいって。特に小学生の頃は憧れと好きの区別がつかないのです。なにしろ恋愛経験が少ないんですから」

「そんなわけないでしょ!」


 と、真っ先に反論したのは芽依めい


芽依めい先輩、ちゃんと聞いてください。良いですか。そんな恋に恋してるときに、もし近くにちょっとカッコいい男の子がいたら……その人のことを好きになったって錯覚するんです」

「え、そうなの?」


 と、言ったのは俺。


「大事なのは、あくまでもです。恋に恋してるから、自分が誰かを好きになっているという状況そのものに、恋してるんです。そして、そんな自分に陶酔とうすいしてるんです」


 陶酔とはまた、難しい言葉を……。


「良いですか、誰かを好きになっているんですよ」

「うーん、つまりそれってチョコミント派みたいなもんか?」

「はい?」

「チョコミント派はチョコミントが好きなんじゃなくて、チョコミントが好きな自分が好きってあれと同じだろ?」

「ハル先輩がチョコミント嫌いなのは分かりましたけど、大体そんな感じです」


 良かった。間違えたかと思ったけど、大体合ってたみたいだ。


「だから、お二人は小学生の頃にハル先輩のことを好きになったって勘違いしてる可能性があるんです。恋愛物が好きな女の子なら……特に」

「なるほどなぁ……」


 弥月みつきの言っていることに納得することはできなかったが、理解することはできた。つくづく、自分は女心が分からない人間だと思わされる。


 だが、名指しされた彼女たちは納得が言っていないのか、明らかに不服そうな顔を浮かべていた。


「そんなわけないでしょ。大体、恋に恋してたって……すぐに冷めるわよ」

「そういうもんなのか?」

「……って、聞いたことがあるだけよ。わ、私の初恋はハルだし」


 芽依めいが顔をわずかに赤くしてそういうのだから、俺も恥ずかしくなって黙り込む。モテてる男なら、ここからキザな言葉の1つでも返せるんだろうが……残念ながら、俺は今の今までモテたことがないのだ。


 いや、この状況はモテてるのか?

 俺が夢見ていたモテ男たちは毎日、こんな修羅場を乗り越えているのか?


「……あの、私も別に恋に恋してるわけじゃなくて、ハルさんのことが好きなんですけど……」


 芽依めいとは打って変わって、申し訳無さそうな表情を浮かべたままルナちゃんが弥月みつきに言った。


「あの、弥月みつきさんも……本当にハルさんのことが好きなんですか?」

「好きです」


 なんで、この人たちは恥ずかしげもなく人のことを好きって言えるんだろう……と、俺は他人事のように考えた。


「憧れ、とかじゃないんですか?」

「……憧れ、ですか?」

「だって、弥月みつきさんがハルさんと出会ったのは中学生の時、ですよね……?」

「はい。そのときに、ハル先輩と出会いましたけど」


 弥月みつきは、「それがどうしたんですか?」みたいな表情を浮かべてルナちゃんを見る。


「それが、どうかしたんですか?」


 そして、顔に浮かんでいる表情と全く同じことを言った。

 俺も何だかんだで弥月みつきとの付き合いが長いから、何を考えてるかくらいは当てれるらしい。


「だからその……ハルさんは弥月みつきさんからしたら、年上の男の方、ですよね?」

「先輩ですから」

「それは、恋じゃなくて憧れなんじゃないですか?」


 ルナちゃんはまるで、幼稚園児にでも言い聞かせるようにゆっくりと語りかける。


 これは今なんの話が始まったの……?


 頭が悪すぎて急な話の展開についていけない俺を置いて、ルナちゃんは続ける。


「小学生や、中学生のときに年上の男の方に憧れるなんて……別によくある話だと思うんです。だから、弥月みつきさんのそれは……ハルさんが好きなんじゃなくて、ちゃんとした『先輩』に憧れてるだけでは?」


 なるほど……?


 ゆっくりとだが、ルナちゃんの言いたいことを俺は理解した。あれだ。幼稚園のときに、幼稚園の先生のことを好きというようなものだ。それは恋なのではなく、憧れみたいなものだから……。


 つまり、ルナちゃんはこういうことが言いたいのでは?


 俺なりにルナちゃんの話を噛み砕いて、心の中でぽんと手を打った瞬間に弥月みつきは、首を横に振った。

 

「そんな、幼稚園児じゃないんですから……。それに」


 弥月みつきは続ける。


「憧れだとしても、それの何がいけないんですか?」


 俺はちらりと時計を見る。

 時刻は10:30。


 こんなに時間が経つのが遅いと思ったのは、生まれて初めての経験だった。

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