第21話 コーヒーを飲まなくても押しには弱いようです

「ハル、一緒に寝ましょ」


 芽依めいの言葉を俺は咀嚼して……意味がわからず静かに問い返した。


「な、なんで……?」

「結婚したら2人で寝るのよ? 今のうちから寝てても変わらないじゃない」

「そうなの?」

「そうよ」


 「そうなの?」というのは、結婚したから2人で寝るんであって、結婚してないんだったら別に2人で寝る必要は無いんじゃないかという疑問だったのだが、芽依めいはたった一言で俺を押し切ると、ベッドの近くにやってきた。


 い、いや……! 待て俺……ッ!

 今の今まで芽依めいに流されてきたからこそ、こんな状況になってるんだ……ッ!


 まだ、一緒に寝るというのは速いし……それに一線を超えたら、今までの努力が全て水の泡になる……ッ!

 ここは勇気を出して「1人で寝る」と言うんだ……っ!!


「ちょっと寄って」

「え? ああ、うん……」


 芽依めいに言われるがままに俺は少し身体を動かすと、芽依めいがそこに入ってきた。


 嘘……俺の意思……弱すぎ……?


「狭いわね」


 ベッドに入って、芽依めいは微笑んだ。


 俺のベッドは1人用。

 そこに無理やり2人入っているんだから、狭い。とにかく狭い。

 

 だから、芽依めいと俺は抱き合うようにして……お互いが寝やすいように姿勢を変えていく。芽依めいの身体は柔らかく、男の俺とは全く違う感触に目を見開く。


 ……流石にこれはライン超えだってッ!

 

 と、俺の理性が叫ぶが……残念。人間は理性に勝てない本能の動物であり、俺は目と鼻の先にある芽依めいの顔を見ていた。


 ……近くで見ても可愛いな。


 俺は彼女を見ながら、心の中でそう漏らした。

 

「……どうしたの?」


 そういった芽依めいの吐息が俺の肌をくすぐる。


「なんでも無いよ」

「嘘。いま、ハルが嘘ついた顔してた」

「……わかる?」

「多少はね」


 芽依めいはそういうと、俺の首元に顔をうずめた。


「ちょ、ちょっと! くすぐったいって!」


 だが、芽依めいは何も言わずに……しばらくそこで呼吸をしていた。


「ハルの匂いがする」

「……臭いだろ」

「ううん。良い匂いだわ」

「嘘」

「嘘じゃない」


 芽依めいはそういうと、俺の首を甘噛した。


「ちょっと? 芽依めいさん? 何してんの?」

「……難しいわね」

「何が?」

「キスマーク付けるの」

「え? キスマークって、口紅で付けるんじゃないの??」

「違うわよ。キスマークってのは、キスしたときにちょっとそこを吸うのよ」

「……詳しいな」

「本で読んで知ったの。ちゃんと、ハルに付けとかないって思って」

「何で俺に付けるんだよ」

「他の女に取られたくないから」

「……マーキング?」

「そう。ここに印を付けておくの。私のハルだって」


 愛おしそうに俺の首を撫でながら芽依めいが微笑む。

 まるで吸血鬼みたいだ。


「……俺の意思は?」

「ハルも私に付けていいわよ」

「…………はい?」

「ほら、ちゃんと。見えるところに」


 そういって、芽依めいが首筋を見せつけるように……俺に近づけてきた。真っ白な、何一つとして汚れを知らないほどに真っ白な芽依めいの首筋が、月光に照らされて煌めく。


「でも、まだ私がつけてないから……私の方が先につけるわね」


 芽依めいはそういうと俺の首筋に、そっと口づけをして……甘く吸った。

 ちくりとした痛みがわずかに走ると、芽依めいは満足そうに顔を離した。


「綺麗にできたわ」

「……そ、そうか。良かったな」


 いや良かったのか?

 これはよくないんじゃないのか?


 だが、芽依めいはそんな俺に考えさせるような時間を取らせなかった。


「ハルも、ちゃんと付けて」

「……良いのか? 付けても」

「付けてほしいの」


 そういって流されるがままに、俺は芽依めいの首筋に甘くキスをした。

 初めて付けたキスマークはいびつな形をしていて、本当にうまくできているのかが心配だった。


「どう? できた?」

「ああ……。なんか、変な形になったけど」

「それで良いの。スマホ、持ってくればよかった。写真撮りたいわ」

「こんなの、わざわざ写真に残すなくてもいいだろ」

「ダメよ。ハルが最初につけてくれたんだもの」


 そうは言うが、芽依めいは俺のベッドからは出ようとせずに……顔を近づけてきた。


「……芽依めい、それはダメ」


 それを俺は手で制す。

 今度は、ちゃんと言えた。


「どうして?」

「どうしても」

「……む」


 弥月みつきのときは、驚きのあまり何もできなかった。

 でも、今度は余裕を持って対処できた。


 芽依めいは少しだけ不機嫌そうに顔を歪めたが、仕方がない。

 これ以上俺たちの関係性が先に進んだら……もう、戻れなくなる。


 だから、駄目だ。


「もう、寝よう。芽依めい

「……うん」


 俺は芽依めいの返事を聞きながら、目をつむった。


 ちゃんと芽依めいに言えば良いのかも知れない。いま、3人から告白されていて俺は悩んでいるんだと。でも、それをわざわざ芽依めいに言う必要はあるのだろうか。それを言うと、芽依めいをいたずらに傷つけてしまうだけなんじゃないだろうか。


 芽依めいも眠ろうとしているのか、それから何も言わなかった。

 俺は芽依めいの暖かさと柔らかさを感じながら、ゆっくりと意識を手放そうとしているときに……そっと、唇に柔らかいものが触れた。


「おやすみ、ハル」


 9割眠りかけていた重たい目を開けて……ゆっくりと、芽依めいを見る。

 すると、まつげが触れてしまいそうなくらい近い場所に芽依めいの顔があって。


「ダメって言われたら、やりたくなるでしょ?」


 夢、だろうと俺はぼんやりする頭で思った。

 芽依めいとキスをしそうになったから、そういう夢を見ているのだと。


 彼女は微笑むと……再び、唇を重ねてきた。

 甘く、柔らかく……貪欲に、芽依めいは俺に唇を重ねた。

 

「おやすみなさい、ハル」


 俺はそれが夢なのか、現実なのか……それすら、分からないままに俺は眠気に身体を任せて意識を失った。





 朝、目を覚ますと……隣に、芽依めいの姿はなかった。


「……あれ?」


 もしかして、芽依めいが泊まりに来たってのが夢だったんだろうか。

 俺は身体を起こして、パジャマ姿のままリビングに向かった。


 すると、そこには2人の女の子が無言で向かい合っているではないか。

 

「……なんでアンタがハルの家に来るのよ」

「それはこっちのセリフです。どうして、あなたがハルさんの家にいるんですか」


 互いが互いをにらみ合うようにして、座っている。

 だが、その空気はあまりにも一触即発で、俺は寝起きの頭が一瞬にして全覚醒した。


「あ、ハル。起きたのね。おはよう」

「あ、ハルさん。おはようございます」


 2人が俺に向かってにこやかに挨拶したとき、俺はついに恐れていた時が来たのだと……悟った。

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