第19話 約束の果たし方

「……泣きながら?」

「そうね。きっかけは……些細な言い争いだった。たまたまね、帰るときに私の悪口が聞こえてきたの」

「まじかよ」


 言葉ではそういうが、俺はそこまで驚かない。

 

 芽依めいが悪口を言われるのは、高校生からってわけじゃない。小学校のときも、中学校のときも、彼女は何よりも目立つから……その対象になった。だが、当然というべきか彼女に面と向かってそれをいう人間はいない。

 

 また、言うのもほとんどが女の子だ。


 やれ服がダサいだの、小物がダサいだの。

 調子に乗ってるだの……そういうものが大半だ。


「私もそれを聞いて怒ったのよ。なんで仲良くもないあなた達にそんな風に言われないといけないのって」

芽依めいなら、そうするだろうな」


 芽依めいはそういう性格だ。


 言われっぱなしが性に合わないんだろう。

 そして、元々の冷たい口調も相まって……よく勘違いされる。


「そのことを言ったら、悪口を言った相手が泣いちゃったのよ。そしたら、その子の周りにいた子たちが私を攻め立てたの。性格が悪いとか、口が悪いとか」

「……そんなことは、無いだろ」

「そう言ってくれるのはハルだけよ」


 芽依めいはそういうと、握っていた俺の手を強く握りしめた。


「本当にハルだけ。それに、私も……気にしてしてるのよ。性格と口が、悪いこと」

「そうなのか?」

「うん。でも、ハルがこのままで良いって言ってくれたから……このままでいるの」


 それは、言った記憶がある。

 でも、随分と昔のことだ。


 芽依めいは、小学校のときに問題になったことがあるのだ。

 小学生のいじめなんて、単純で……故に、残酷で。


 芽依めいは可愛いからという理由で、そのターゲットになった。

 だが、芽依めいはやられたらやり返すという性格のため、黙っていられず次第にやり返すようになり……そして、それが度を越して問題になった。


 虐められていたから、虐め返しても良いのかという教師の言葉は……確かに正論だったが、小学生の芽依めいには、きっと裏切りの言葉だった。


 彼女は誰にも見られないところでよく泣いていた。

 

 ……俺は不思議と芽依めいの居場所が分かった。

 どこに隠れているのか。どこで泣いているのか。


 そして芽依めいを見つけると彼女の話をちゃんと聞いた。

 

 ……まだ、母さんが生きてたころの話だ。


「それで、トラブルになって……先生が仲介しに入ったの。で、私が悪いことになったの」

「え?」

「私が最初に泣かしたから私が悪いんだって。小学生みたいじゃない? 笑っちゃうわ」


 芽依めいは一笑に付そうとしたが、言葉が酷く震えていた。


「泣けば全部、泣かした方が悪いことになるの……ずるいわ」


 ぽつりと漏らしたその言葉は、きっと芽依めいの本音だ。


「それが終わって帰ってるときにね、何やってるんだろうって、ふと我に返ったの。そしたら、なんか凄いバカバカしいなって思ってきて……泣けてきたの」

「…………」

「なんで変な意地張るんだろうって思ったの。だって、悪口を無視すればこんなことにはならなかったわけじゃない? でも、そんな悪口を無視できない自分の性格が嫌になって……私が悪いことになるのが、嫌になったの。そしたらね、ハルが来てくれたのよ」

「俺が」


 なるほど、そんなタイミングで俺は登場したのか。

 凄いタイミングだな。


「でね、なんで泣いてるのってハルが言ったの。覚えてる?」

「……全く」

「ふふっ。でしょうね、ハルは昔からコーヒーが駄目だったから」


 芽依めいはくすぐったそうに笑うと、


「でね、私はその日にあったことを全部ハルに話したわ。すごく長くかかった……多分、1時間くらいね」

「そんなにか」

「うん。でも、ハルは嫌な顔せずに全部聞いてくれたの」

「凄いな」

「それで、私はなんにも悪くないって……そうやって言ってくれたのよ。覚えてる?」

「……いや」

「その話が全部終わったとき、すっごく懐かしい気持ちになったわ。なんだか小学生のときに戻ったみたいと思ったの」

「たしかにな」


 その時の記憶はないが、話を聞いている感じ確かに俺たちの小学生のときに似ている。でも、芽依めいも周りも……段々といさかいを起こさない方法を学び始め、俺は母親を亡くしたことで荒れて、俺と芽依めいは疎遠になった。


「それで……私がね、どうしてハルは来てくれたのって聞いたら『約束を守りに来たよ』って言ってくれたの。……あのときのハル、カッコよかったわ」


 誰もいない夜道でそう言われると、思わず照れてしまう。

 だが、照れると同時に気づいた。


 なるほど。

 確かに俺は……約束を守りに行ったんだ。


 だけど、それは結婚の約束とは違う約束を。


 こんな俺でも、覚えている約束を。


「その時、私はハルが16歳の誕生日になったら結婚するって約束をしたことを覚えてくれてたんだって思って……すっごく嬉しかったわ」

「違うよ、芽依めい


 感動的に語り続ける芽依めいの言葉を遮って、俺はそう言った。


 誤解だ。全てはその誤解から始まっていたのだ。

 なんてことはない。ただの『約束』の勘違い。


 俺と芽依めいの交わした約束が多すぎて、互いに別の約束を果たしたと思っていただけだったのだ。


「俺が芽依めいのところに行ったのは、結婚の約束があったからじゃない」

「…………え?」


 嘘……と、言いたげに芽依めいは目を丸くし、驚きすぎたのか……それとも呆れたのか、芽依めいは声も出さずに俺の手を痛いほどに握りしめて、立ち止まった。


「じゃあ、なんで……」

「覚えてない? 小学生のときにした約束」

「……たくさん、あるわよ」

「ああ。でも、俺が芽依めいのところに行ったのは……芽依めいが泣いてたからだ」

「……私が、泣いてたから?」

「まだ小学生のときに、泣いてる芽依めいと約束したんだよ。『芽依めいが泣いてたら、どんなときも側にいる』って」


 それは、まだ覚えている約束だ。

 小学校の体育館裏で、泣きじゃくる芽依めいと夕日の中で交わした約束だ。


「……した。その約束、したわ!」


 芽依めいの目が驚きに満ち満ちる。


「ハルはやっぱり約束を守りに来てくれたのね」

「ああ。だから……」


 誤解が解けたところで、その誤解から始まった婚約関係の話に入ろうとしたのだが……。


「ハルが約束を守ってくれたんだから、私も守らないとね」

「ん?」

「ハルと結婚するって約束」

「……ん??」


 風向きが、怪しい方向に流れ始めた。


「だって、ハルは私とした約束を覚えてくれてたのよ。しかも、私が忘れてた約束を」

「……そうだな」

「だから、私もハルと結婚するって約束をちゃんと守らないと」

「い、いや……。その約束は別にそこまでちゃんと守らなくても……」


 俺がそういった瞬間、ちょうど俺の家についた。

 仕方なく俺は話題を切り上げて、芽依めいに尋ねた。


「……上がっていくか? こんな時間だけど」

「ハル。実はね……」


 芽依めいが不意に笑って、


「今日はハルの家にお泊りするつもりだったの」


 そう、言った。

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