第5話 知らぬ間に人助けをしてました

「ハルさん、私です! 昨日、助けてもらって……覚えてますか!?」

「ひ、人違いじゃないですかね……?」


 『昨日』というワードがでた瞬間に、俺は全ての情報をシャットアウト。

 弥月みつき芽依めいのことですら手一杯なのに、これ以上大変なことになったら、どうしようもできない。


 だから、そういって乗り切ろうとしたのだが。


「そんなわけないです。だって、ほら。これ!」


 ルナと名乗った少女が、俺に見せてきたのは、


「これ、ハルさんですよね!」


 俺の、学生証だった。


「え、なんで俺の学生証を!?」

「昨日、ハルさんが落としていったんです。早く渡した方が良いとは思ったんですが、学校に届けたら……もう会えない気がして」


 酔った上に学生証を落としていくなんてうっかりにもほどがあるぞ、昨日の俺……っ!


「そ、それで……持っててくれたの?」

「はい! これはハルさんにお返しします」

「……どうも」


 受け取ったのは良いが、これで人違い路線を使って逃げ切れなくなった。

 

 詰んだ?


「本当に昨日はハルさんに助けていただいて嬉しかったです。久しぶりに日本に来て、道に迷ってた時に声をかけてもらったのが……ハルさんだったときは、運命を感じました」

「…………」


 昨日の俺はマジで何をしてるの?

 コーヒー1杯で人格変わりすぎじゃないの??

 

 てか、久しぶりに日本ってどういうこと?

 もともと、日本にいたの……?


 俺があまりの情報量に困惑し、彼女にどうリアクションを取るべきか迷っていると、


「あ、あの……ごめんなさい。急に喋りすぎちゃって……。私の日本語あってますか……?」

「あってるよ。あってるけどさ……」


 いや、待てよ?


 芽依めい弥月みつきも覚えてない状態で誤魔化そうとしたから、今大変なことになってるんじゃないのか?


 正直に記憶はないことを言えば、ダメージは広がらなくて済むんじゃないのか?


「……その、実は俺は昨日の記憶がないんだ」

えぇOh mon dieu!? だ、大丈夫ですか?」

「ああ、だから……」


 俺は視線を落とす。

 だが、言わなければならない。


 ちゃんと言わないと……。


「君のことも、覚えてないんだ」


 そういって、ゆっくり視線を上げると……そこには、両目に涙をいっぱいに貯めてこらえている少女の姿があった。彼女はしばらく、泣き出さないように我慢しているようだったが……震える口で、ゆっくりと呟いた。


「う、嘘です」

「いや……。本当で……」

「昨日の記憶が無くても、ハルさんは……私のことは覚えてるはずです」

「……ん?」

「覚えて、ないですか……?」


 今にも泣き出しそうなほどに涙を浮かばせてそういう少女の姿に、俺は見覚えがあった。


「……ルナ、ちゃん?」


 それは、小学生のときの転校生だ。

 もともと日本とフランスを行き来していた子で、小学3年生から5年生まで一緒だった。


 でも、6年生になる前に再び転校した子で……それから、彼女がどこに言ったのかは知らない。


「そうです! やっぱりハルさんは覚えててくれたんですね!」

「久しぶりだなぁ! 元気してたの!?」

「もちろんです。ずっと向こうフランスにいたんですが、つい先日こっちに来たんです」


 うわっ! まじで懐かしい。

 俺が母親を亡くしたころと同じくらいにルナちゃんは転校したきた。


 あの時は芽依めいや友人ととあまり遊ばず、クラスで浮いていたのだ。

 そして、転校を繰り返して友達ができないルナちゃんも、浮いていた。


 何をきっかけにしたか覚えていないが、クラスの中で浮いていた者同士……俺たちは仲良くなった。


「相変わらず、泣き虫なんだな」

「だって、ハルさんが私のこと忘れたなんて言うから」


 そう、ルナちゃんは泣き虫だった。

 ことあるごとに泣いていて、俺はとても困っていたのだ。


「完璧に思い出したよ。懐かしいな、10年ぶりとかか?」

「5年ぶりです」


 俺の適当な数字換算に、呆れたように微笑んでルナちゃんが応えてくれる。


 しかし、久しぶりに見たルナちゃんは小学生のときと色々と変わっていた。

 

 昔は俺と変わらないくらいの身長だったのに今では俺のほうが高いし、昔は可愛い系の顔だったのに、今は美人さんだ。


「日本には、留学?」

「親の仕事の関係です!」

「そっか。じゃあ、またすぐに転校を繰り返す感じになるの?」

「ノン! 親が仕事で移動しても、私はこっちで1人暮らしです!」

「そっか。それは……良かったね」

「はい!」


 いろいろな場所に転校し続けるルナちゃんは友達ができないこと、出来てもすぐに連絡が取れないことで悩んでいた。けれど、高校生にもなったら1人暮らしができるようになる。


 それなら、小学生のときみたいに友達ができないなんてことは無いだろう。


「でも、どうしてハルさんは昨日の記憶がないんですか?」

「いや、実は……」


 俺は昨日起きたことをかいつまんで、ルナちゃんに説明した。


 元々コーヒーに弱いこと。

 そして、コーヒーを飲んで酔っ払ってしまったこと。

 だから、記憶がないことなどだ。


 もし俺が友達からそんな話を聞かされたら「嘘ついてるだろ?」と言ってしまうような内容だったが、真剣に話した俺の態度が伝わったのかルナちゃんはすぐに納得してくれた。


「そうだったんですね……。私はハルさんが頭をぶつけたのかと思って心配しちゃいました!」

「まぁ、そっちの方が納得できるよな……」


 今度からコーヒーじゃなくて、頭をぶつけたって言おうかな。


「でも、良かったです。ちゃんと私のことを思い出してくれて」

「ごめん。すっかり変わってたからさ……」

「てっきり、まで忘れちゃったのかと思っちゃいました」

「……ん?」


 空気がぴりっと、変わった。


 不穏な単語だ。

 不穏すぎるぞ。


「私が転校する前日に、ハルさんと約束しましたよね。もう一度会えたら、運命だから」

「運命だから」


 オウムみたいに繰り返すしかできない俺。


「結婚しようって約束をしたんですよね」

「…………」


 俺はフリーズしたまま、記憶の奥底をたどっていく。


 ……したっけ?

 

 したような記憶もあれば……してないような記憶も……。


「なんか、したような……してないような……」

「し、しました! だって、ほら。これ!」


 そういって、泣きそうになりながらルナちゃんが見せてきたのはボロボロになったルーズリーフの端。それは、俺とルナちゃんの名前がそれぞれ書かれた手作りの婚姻届があった。


「……俺の字だ」

「思い出しましたか?」

「あっ」


 約束したわ。


「ですよね。やっぱり、ハルさんはちゃんと思い出してくれると思いました」


 これってコーヒーのせいになるかな?

 

 ……ならないよな。

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