第94話 対華京学院高校

 予選さいごの試合は、三試合同時におこなわれている。ここで敗北すればこの時点で敗退が決定、来週の本選にはおろかベスト16という半端な功績で終了である。

 もちろん、初戦敗退が続いていたここ数年と比べればベスト16入りも快挙ではあろうが、桜爛チームにとっては不要な称号だ。ともあれここで勝てば先がある。ただそれだけである。

「ゲーム! ゲームカウント2-0、桜爛リード」

 一番コートのS1試合から主審コールが轟く。

 三番コートでは、S2試合がチェンジコート中。

 さらに注目のD1試合は二番コート。雅久のサービスゲームからはじまった試合は、サーブ精度の高さゆえ苦もなく桜爛が先制リードを決めている。


「ケンゴ!」

 と。

 桜爛陣営からすこし離れた観客席で、微動だにせず試合を見つめていた大神の背中にエレノアが飛びついた。突然のことに少々体勢を崩した大神だったが、それがエリーと知るやそのからだをやさしく抱き留める。

 あまりの紳士的なふるまいに、エレノアをよく知らぬ杉山と姫川がギョッと目を見張った。

「オイ──嫁の前で公然と不倫か、大神」

「やめろや、こっちが気まずくなるやんか」

「なにをバカなこと言ってんだ、テメーらは」

「アッ、シローさん!? やっぱり来てマシタね~!」

 と、かまわずエレノアは蜂谷のもとへ駆けてゆく。蜂谷は営業スマイル100%の笑みを浮かべ、一定の距離をとりつつ会釈をした。

「なんや。ハチ狙いか」

「あんな和製スレンダーマンのどこがいいんだ、女ってやつは」

「姫ちゃんのようなドレスの似合うビスクドールではないやろなぁ」

「オッ、喧嘩か? 買うぜ」

「やめろやめろみっともねえ!」

 と、すこし遅れてやってきたのは倉持慎也。そのうしろには一歩下がって全体を見守る橋倉のすがたもある。おもわず大神が腕時計に目を落とした。が、橋倉は「まだ大丈夫です」と、おだやかに答えた。

「あれ、慎也オマエ。神奈川の本選どうした」

「だからそれが終わって、ベネット先生の車に乗ってはるばるやってきてやったんじゃねーか。ったく、首都高ってのは道路が細くていけねーよ」

「どうだった、綾南は」

「……準優勝だった。まーたベネット先生に持ってかれたよ」

「え。持ってかれたって、それじゃあの金髪美人って」

「ハーイ。才徳顧問のエリーよ、ケンゴからうわさ聞いてマシタ。あなたが……Mr.スギヤマ、そちらがMr.ヒメカワ。Oh...ホントにミスター?」

「オイオイ。今日はよく喧嘩を売られる日だな──」

「才徳の顧問、いまこないべっぴんさんがやってんか。はらァ~見る目変わるなぁ」

「その才徳、さっき県大会で優勝したダカラ、桜爛の応援来ました」

 と、エレノアはにやりと口角をあげた。

 どうやらアメリカへ経つ大神を見送るため──というより、彼女の本命は桜爛チームの偵察らしい。宝石のようにキラキラ光る瞳を、コート前の桜爛陣営へ向けた。そこには、試合を一心に見つめる伊織とその仲間たちがいる。

 ベスト8決定戦だ、と大神はふたたびコートを見た。

「さっき桜爛から怪我人が出たんで、いまは番手が下のヤツも出てるが──それでもまったく問題ねえ。全体的なレベルが底上げされてる」

「イオリの手腕ネー」

「ああ。才徳も綾南も、関東は足元掬われるかもしれねーな」

「言うじゃねえか。まあでもたしかに」

 と、倉持が目を細める。

「一番コートのシングルスなんか、あれは相手にも言えることだけどよ。少なくとも都レベルじゃねーよな。関東、あるいは全国だって通用するかも。アイツが一番手か?」

「あれが二番。一番はダブルスに入ってる。……」

「Wao!! ツインダブルス? オモロイね~! でもオモロさで言ったら三番コートもオモロイ。彼、ダブルスのが得意そうだケド……ああいうプレーキライじゃないヨ」

「よくもわるくも柔軟なヤツだからな。あれで高校からのスタートってんだからおどろきだろ」

「センスあるのネ。ほらもう三ゲーム先制しちゃった──これはレベル差ありすぎヨ」


 S2試合はエレノアの言うとおり、赤子の手をひねる──は言いすぎだが、それでも桜爛陣営にとってはノーストレスな試合展開で、すすんだ。

 いつもは雅久や秀真、乙幡などの実力派選手にまぎれて目立たぬ新名だが、彼が生まれ持つ天性の運動センスは半端なものではないらしい。ボールへの嗅覚、ゲームメイクににじみ出る要領の良さ、今試合はとくにすべてが玄人のソレだった。


「ゲームセット ウォンバイ桜爛 ゲームカウント6-4」


 三番コートが終了する。

 新名はたいした疲れも見せず、いつもどおりの生意気そうな瞳をくるりとめぐらせ、桜爛陣営へともどってきた。

「ニーナっちヤバ! ちょーカッケーじゃん!」

「おめでとう新名くんっ。これで早々に一勝ですよ!」

 まず出迎えたのは女子マネふたりだった。

 つづいて赤月。彼はめずらしくもろ手をあげて大喜びし、新名をおもいきりハグした。

 なんだなんだ、と新名はすこし照れくさそうに赤月から身を離す。

「ずいぶん熱烈じゃーん。そんなによかった? いまの試合」

「すげーよかった!! マジ肚底ふるえた!! えれェ興奮したぜニーナっち! ……あ、いやまあ。オレ様が今後見せてく試合ほどじゃァねえだろうけどな!」

「ハイハイ。ま、自分でもいまの試合はさすがに手応え感じたケド」

 という新名の肩が叩かれる。

 蓮だった。だいぶ体力を回復したらしい彼も、赤月にならってかるく新名をハグする。

「ホントにすごかったよ。見てて負ける気しなかった」

「い、や~そんなに言われるとなんか」

「ホントよ。ホントのホントにホントなんだから。新名くんカッコよかったよ」

 と。

 いつの間に救護室からもどったか、遥香が泣きそうな顔で新名の両手を掴んだ。そのうしろには顔を氷嚢で冷やす乙幡のすがたもある。

 ボン、と音を立てんばかりに頬を染めた新名は、

「エッ」

 と喉から声をしぼりだした。

 ついさっきまで余裕綽々な表情だったというに、すっかりのぼせた顔になり、遥香を正面ではなくなぜか横目で見つめている。

 これほど分かりやすい子もなかなかおるまい。端から見ていた伊織は苦笑して、新名の頭をくしゃりと撫でた。

「お疲れ、ニーナ。アンタはホンマに、単複どっちもそつなくこなしよるな!」

「え。へへへ、ヘヘッ。そーか? そーかそーか。オレそんな良かったか!」

「大会初参加とはおもえへん。上出来やったで。おおきにね、ニーナ」

 新名はいよいよ照れたらしい。

 しばらく黙り込んでから、ほんとうにちいさな声で、

「……オウ」

 とだけ返事した。

 そのとき、エッと大神たちのいる観客席からどよめきが起きた。彼らの視線の先には一番コート、秀真が挑むS1試合がある。

 そのどよめきが不穏に響く。桜爛陣営はハッとコートへ視線をもどした。


「ゲームセット ウォンバイ華京学院 ゲームカウント7-5」


 主審コールが響く。

 エッ、と赤月が抜けた声を出した。ウォンバイ華京学院──とは。琴子と蘭花は顔を見合わせ、遥香はフェンスにかじりつく。

 新名と蓮は呆然と一番コートを見つめたまま、動かない。いや、動けない。


 橋本秀真が負けている。


 伊織は下唇を噛み、コートにしゃがみこむ秀真を見つめた。

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