第95話 追い風
秀真に落ち度はない。
よくあることだ。いくら実力があるといえど完璧ではないのだから。唯一あげるとするならば、ここ最近ダブルス練習に力を入れていたためだろうか。一方の戦い方を引きずってしまうことも、ままある。
コートから出てきたS1選手を、華京学院陣営がワッと迎え入れるなか、桜爛陣営──とくに女子マネや顧問の遥香は、ともに戻った秀真に対してかけることばをさがしていた。
なにせ秀真の顔が。落ちているのである。確実にテンションが地に落ちて、生気をうしなっているのである。下手に励ませばかえって地雷を踏んでしまいそうなほどに。
結局、当たり障りのないことばしか思いつかず、
「お疲れさまっ、惜しかったね!」
と無難に声をかける遥香。
が、新名と赤月はガハハハッと無遠慮に笑いとばし、
「ざまあねェぜもっつぁん。最後のゲーム、オレさまだったらあのボールはドロップじゃなくてドライブで決めてたのにな~」
「テメーのドライブは大砲ショットになってアウトだろどーせ。でも秀真も相手のコト、正直なめてたべ? オメーぜってーちょっとヨユーとかおもってたべ? ダッセーなァもっつぁん!」
秀真はムッとくちびるを結んだまま、なにも言わない。それを良いことに新名と赤月はさらに追い討ちをかけた。
「アプローチからボレーまでの流れはよかったのによー。膝が高くなかったんでねーの? 脚長いアピやめろやテメー」
「オレなんかアプローチしたらネット張り付くけどね! もう全面壁んなってやるってゆーか」
「ギャハハハ! バッカおまえそんなんサイド抜かれて終わんだろバカ。てゆーかおまえ頭身低くね? 短足? 顔がでかいの?」
「は? 頭身どころか身長低いヤツに言われたくねーし」
「んだとテメーやんのかコラ」
「おう上等だよ、ニーナっちなんざ片手で捻り潰しちゃうもんね」
……と。
だんだん主旨の変わってきた会話を横目に、ストレッチに集中していた蓮が立ち上がり、秀真の肩を叩いた。
「おつ。ダブルス見よーぜ」
「ああ──」
秀真はフッと口角をあげてから、くるりと新名と赤月に向き直る。彼らの頭にするどい拳骨を一発ずつ叩き込み、
「うるせーんだよてめえらッ。もっつぁんて言うな!」
と怒鳴ってから、蓮とともにダブルス観戦へ移る。その背中に、
「秀真」
と伊織が声をかける。
呼び止められた秀真はハッとした顔で、伊織のもとへ駆けよった。やかましいふたりのせいで、試合後のアドバイスをもらうことをすっかり失念していたらしい。
「すんません」
「いまの試合良かったよ。ちょっと練習がダブルスに偏りすぎたかな、ごめんな」
「いや、それは関係ない……ゲームメイクがうまくなかった。そもそもあのタイミングで前に出るべきじゃなかったし」
「それはちゃうで。秀真くらい前で動けるヤツは、あそこで出たほうがええ。その前に相手を揺さぶってたんもよかった。ただ──焦ったやんな」
「……うす」
「うん、自分で分かってんねやったら大丈夫。あとはフォアストローク、手首で無理やり持ってくクセあるから気ィつけや」
「はい」
「あとは──せやな。ダブルスの勝利を信じるだけやで。応援しよか」
「……はい!」
さて、そのダブルス。
高宮双子がペアを組むのは、あまり多くはない。なぜなら団体戦において雅久が絶対的なS1であり、ダブルスを担うことがそうないことだからである。
遥香からすれば、なぜこの局面で雅久をわざわざダブルスに持ってきたのかがわからなかった。彼がS1に入れば、ダブルス練習を積んだ秀真が凛久と組んで出場することもできたはず。彼らはふだんからよくペアを組んで練習しているし、凛久もずいぶん秀真に気を許している。──ように見える。勝利も手堅いはずだ。
何故──と伊織に目を向けた。
当の伊織はダブルスの試合から目を離さない。ゲームカウントは華京学院高校マッチゲームとなる5-4。ここで負ければ、チームはベスト16で終わるというに、彼女の表情はずいぶん余裕だった。
「伊織さん……」
「なに、死にそうな声出して。どしたん谷ちゃん」
「だって──リードされてるんですもん。み、みんなあんなに頑張ってたのに、短期間で一気にベスト16残れるくらい上達したのに、ここで終わったらとおもうと……」
「スポーツってそういうもんやん」
「そ、それはっ」
「華京学院の子らも頑張ったんちゃう? みんな頑張ってきたんやなあって、この試合見てたらおもうよ。ホンマにうまいわ、ゲームメイクが」
伊織は惚れ惚れしている。
そんな悠長なことを言っている場合なのか、と遥香が眉をつり上げた。
「…………い、伊織さんは平気なんですか。負けてるのにそんな余裕そうな顔して──今回のオーダーだって、雅久くんをダブルスに持ってきた理由はなんですか? 正直、堅実に勝利を狙うならもっと別のオーダーがあったんじゃないかとおもいます」
「うーん、せやってそんなん……」
一瞬言いよどむ。
それから、高宮双子のペアを指差した。
「公式戦で、ツインダブルス見たかってんもん」
「……は?」
「一回組ませたことあるやんか、白泉との練習試合。あのときも思うたけどやっぱりええんよなツインダブルス」
「な──なにが?」
遥香の声がふるえる。
まさか、そんな理由でここぞという時に大博打を打ったとでもいうのかと、柄にもなく怒りが込み上げてきたのである。
しかし伊織は首を横に振った。
「うちも双子でダブルスやっとったからよう分かんねん。どれだけ慣れ親しんでいても、他人と組んだダブルスより不思議と……」
瞬間、伊織がほうと息を吐いた。
凛久が見惚れるほどのスマッシュを叩きつけたのである。いつもは腰が引け気味の彼が、なんという雄々しさ。ましてそれを公式戦本番に出せるのだからおどろきだ。
ヤベー、と蘭花がフェンスにかじりついた。
「ブチョーめっちゃノッてね?」
「うん、いつもよりカバーも速い」
蓮もキラキラと瞳をかがやかせる。
とかく動きがちがった。彼らは声をかけあうわけでもなく、しかし互いの動きが手に取るように分かるのか、阿吽の呼吸で陣形をつくる。
ダブルスに強いと言われるだけあって、華京学院のD1はゲームメイクからテクニックまで申し分ない。おかげでゲームカウント的にもここまで押されたわけだが……。
なにより高宮双子の顔があかるかった。
伊織は、だから余裕なのだと言った。
「ゲームには流れがあんねん。せやってそもそも、いまマッチゲームになっとるわけやけど、これずっとこんな感じやったで。さっきまでは2-5やってん。そこから二ゲーム連取でやっとんねん。追い風、あのふたりがいま一番感じてるよ」
「追い風、……」
「堅実な勝利なんて、あらへんねん。せやったらいっそ気持ちよく試合したいやんか」
「…………」
雅久のサービスゲームはキープされ、カウントは5-5。なんと桜爛の三ゲーム連取である。
高宮双子は盛大にハイタッチを交わし、つづくリターンゲームの準備に入った。あれほどメンタルに不安のあった凛久がリラックスした表情で構えている。それを見た蓮が眉間を揉み込んだ。
どうやら感動のあまり、込み上げるものがあったらしい。ジジイか、と蘭花が笑い飛ばした。
────。
ゲームカウント6-5。
(あと一点)
ボールをつきながら、凛久は息をととのえる。
サーブが一番好きだ。
とくにトスをあげた瞬間。
あの一瞬は、世界がスローモーションになる。
青空も、白雲も、そこに混じる黄色い球も全部ぜんぶキラキラして、この瞬間は、世界のすべてが自分のものみたい。
肩、腕、指先。
すべての神経が目と腕に集中して、高まる緊張感を吐き出すように、打つ。
時が、世界が動き出す。
ここからはもう止まらない。ドキドキもときめきも不安も恐怖も、すべてが綯交ぜとなって、まるで恋してるよう。
(たのしい──)
凛久の胸はおどる。
(たのしい!)
テニスが好きだ、と。
前衛でポーチに出た雅久がするどいボレーを決めるすがたを見て、凛久はおもった。
『ゲームセット ウォンバイ桜爛 ゲームカウント7-5』
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