第84話 コートに戻るぞ
乙幡の態度が気に食わなかったこと。
実力があるからといって下に見られるのがムカついたこと。
ヤツのせいで先輩がイシュクしたのが見るに堪えなかったこと──。
ちなみに最後の理由は、守谷からの受け売りである。
とはいえ琴子にはその最後の理由がいちばん胸に刺さったらしい。彼女は泣きそうな顔で口元を手で覆うと、消え入りそうな声で「ごめんね」とつぶやいた。
「え、なんであやま」
「赤月くんが、凛久くんたちの代わりに怒ってくれたってことでしょう。そんな理由があったのに、私ったら聞きもしないでほんとにひどいこと……」
「あー」赤月がちらりと守谷を見る。
「ま、まあね。えれェ立派な理由でしょ。がはははは」
赤月は白々しくわらう。
守谷と蘭花の視線がチクチク刺さる。それを振り払うかのようにぶんぶんと頭を振って、まあでも、とつづけた。
「しょうがねえや。オレはホラ、結局加害者なわけだし? いくら乙幡のヤローが嫌なヤツでオレがりっぱなヤツだとしても、殴るのはやりすぎたかなっておもうし!」
「それは、……」
とつぶやく琴子。
あんまり哀しそうにうつむくので、いよいよ蘭花が赤月に対して文句をぶつけようと、肩を怒らせたときだった。
「オメーのどこがりっぱだ、バーカ」
と、新名がにやにやと笑みを浮かべてやってきた。その両隣には秀真と凛久もいる。まさか彼らが来るとおもわなかった琴子はエッ、と顔をひきつらせる。
「ニーナくん、練習は?」
「赤月の馬鹿を連れてくるなんて大仕事、琴子ちゃんひとりに任せちゃ可哀想だって話になってサ。どうせあんな空気じゃ集中できねーし、向こうは向こうで説教タイムだよ」
「せ、説教タイム──って」
「雅久がちょっと……」
凛久は苦笑した。
「ここらで一度テニス部全体で話をする必要があるんじゃねーかって。とくに乙幡とはね。だってアイツ、ぜったい次代のエースを担う男だろ。辞めてほしくないし、桜爛をチームとして引っ張ってほしいっておもってるから、なおさら」
「ま、指導だぁな」
と新名がわらうので、琴子はいよいよ青ざめた。あちらもあちらで手の早い雅久のことだ。指導といったら身体に教え込むなんて物騒なことをしているのでは──と懸念したのである。
が、その心配は顔からだだ漏れていたようだ。秀真がふるりと首を横に振った。
「心配すんな。むこうには蓮もいる。それにコーチと、谷も」
「あっ。そ、そうだよね……よかった」
「さーて、それで赤月クンはー、テニス部辞めてえとか言ってるわけかー?」
新名がずずいと赤月を覗き込む。
これほど体格差があるというに、新名の眼光がよほどするどいためか赤月のほうが気圧される。いやだって、と口内でもごもごと反論をつぶやく後輩のすがたをねめつけてから、新名はちいさくため息をついた。
「ま、べつにオメーが辞めても、テニス部的にはそこまで痛くねえからいいけど……」
「ハァ!?」
「だって初心者じゃんおまえ。テニスのルールも知らねえし、つぎの春季じゃ到底使いもんにならねーべ。それとちがって乙幡とゆーヤツは入部していきなり三番手ときた。これを逃したら桜爛の勝ちは見えねえってくらいには大物だろ。ま、性格には難有りだが──」
「ハッ」と、秀真が鼻でわらった。
「性格に難がねえ部員なんかいねーだろ、うちの部に」
そしてちらりと赤月を見る。
「テメーもな、赤月。桜爛テニス部員らしいりっぱな問題児だ」
「問題児の代表がなんか言ってら……」
「うるせえっ。俺はもう更正してんだよ、思い出させんな!」
「だからとにかくさ、」
凛久は腰をかがめた。
先ほど赤月が地面に投げ捨てたテニス用具一式を拾い上げる。土ぼこりをかぶったテニスウェアを二、三度はたいて、それを赤月の胸に突きつけた。
「気に入らんところもひっくるめて、みんなでなんとかやってこーよ。赤月は新生桜爛テニス部になってからの、初めての新入生なんだから。せっかくの縁を、こんなことでふいにしたくないよオレ」
「部長──」
「そーだよ、赤月」
ふいにしたのは、夢咲蘭花の力強い声。
しかしその顔は声色とは対照的にやさしく笑みが浮かんでいた。
「てめーが抜けたら一年生、あたしと乙幡だけになっちまうじゃねーか。あんな陰気クセーやつとふたりだなんて耐えらんねーっつの。てめーもタマついてんなら、こんなとこで愚痴る前にさっさと強くなって乙幡のヤローぶちのめせよ」
「て、てめえさっきから聞いてりゃタマタマって……」
「いや引っかかるとこそこかよ! ほんっと馬鹿だなオマエ!」
「んだとテメーッ」
と、わずかにあったシリアスムードもすっかりなくなり、髪を掴み合う赤月と蘭花。ふたりをよそに、琴子は胸の前で手を握る。
「それで──むこうは、いったいどんな話をしてるんですか……?」
「さあ、それはおれらもわかんねーな。……でもま、いずれにせようまくまとめてくれるんじゃねーかしらね」
新名は、さほど心配していない。どちらかというと楽観主義な凛久もウンウンとうなずくなか、秀真は眉をつり上げて「オラ赤月ッ」と怒鳴る。
「夢咲も、てめえらじゃれてねーでコートに戻るぞ。赤月は早く着替えろ!」
「アッ、ウィース!」
「チッうるせーなあ……いまから着替えようとおもって──」
「あ? うるせえだと? てめえ先輩後輩の立場が分かってねえみてーだな。仕方ねえ、雅久が乙幡に教えてやってるっつんなら、俺がてめえにみっちり教えてやんなきゃ駄目だな」
「アデデデデッ」
と、秀真に耳を引っ張られ、コートへ向かう赤月。
なんだかんだで彼の退部は阻止されたらしい。一部始終を傍観していた守谷はひとり、肩をすくめた。そんな彼の前に立った黛琴子は、深々とお辞儀をする。
「あの、赤月くんのこと説得してくださって、ありがとうございました。──えっと」
「エッ。イヤ俺はなにも……あ、守谷です」
「守谷さん! テニス部マネージャーの黛と申します。あの、守谷さんもテニス部──もし、興味があったらいつでも体験に来てくださいね。いつもこんな騒動ばかりじゃないですからっ」
「あ。ハイ、どうも……」
「コートに戻らなきゃ。蘭花ちゃん、行きましょう!」
「ウィース!」
こうして、赤月を巡る遺恨は消え、テニス部員は各々いろんな感情を抱えながらコートへもどってゆくのであった。
そのうしろ姿を眺める守谷は、
「マブイ……」
と、密かに憧れを抱いたとか、いないとか。
※
──さて、時はすこし戻る。
ここからは突如駆け出した琴子を追って、三人のメンバーがコートを立ち去ったあとの話である。
残されたのは、乙幡をはじめ雅久、蓮、遥香、伊織。しばしの沈黙ののち、口火を切ったのは意外にも乙幡だった。
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