第83話 このタマなしッ
赤月はしょげている。
せっかく親に無理言って一式そろえたテニス用具。体育館裏にてそれを胸に抱え、テニスコート方面へ一歩足を出しては引っ込めるという、無意味な動きをかれこれ三十分つづけている。
オレはわるくない、という意志は変わらない。
しかし憧れの人から言われた「最低」のひと言が、赤月のそびえ立つ自尊心を根こそぎ崩していった。いままでは、さんざん罵詈雑言を浴びせられたとて痛くもかゆくもなかったというに。赤月はズキズキ、モヤモヤとしたはっきりしない胸の痛みに、すっかり参っているのである。
「オレァわるくねー……」
まだ言うか、と。
赤月のとなりに寄り添うは中学時代からの友人、守谷。むかしから赤月といっしょになってそれなりにやんちゃをしてきた彼だが、わるいことは悪いとはっきり言ってくれる、脳筋赤月には大変ありがたい親友でもある。──赤月本人がありがたいと感じたことは一度もないだろうが。
「ろくな理由もねえまま殴ったら、そりゃあ人格疑われるぜ」
「理由ならある! でもそれを言おうとしたら琴子さん行っちまったんだよ、オレの話なんか聞きもせず!」
「ていうか今どき、気に入らねえからって手ェ上げるような時代じゃねーだろ。どこの田舎のヤンキーよ」
「アイツまじで調子乗ってんだって。ちょっとテニス経験があるからってイヤな態度しやがって。空気わりーし調子乗ってんしテニスうめーしマジクソ」
「テニスうまいのはいいことじゃん」
「そこは問題じゃねえんだよッ。とにかくちょずいてんじゃねーって意味でちょっと拳で分からせてやっただけだ。それをピーピーわめいてよお」
「わめいたのは女子マネだろ? 乙幡はやり返しもせず、そこにさらに拳を振り上げたのはお前──だれがどう見たってお前に非があるだろ~」
といって守谷は肩をすくめる。
正論をぶつけられてもめげない赤月。でも、だって、と屁理屈をこねくりまわして守谷への反論をつづける。守谷としては、テニスのテの字も興味のなかった赤月がまさかテニス部に入っただけでもおどろきなのに、さらにはテニス部の空気がわるくなったからという理由で喧嘩を吹っ掛けただなんて。
こいつが空気を読むことがいままであっただろうか──なんて感慨深くすらある。
「まあでも、たしかに乙幡ってヤツもちょっとな。いくら実力があるからって先輩に対して露骨に態度出しちゃァやりづれえや」
「そうっ。そーだろ! ま、べつに先輩とかはどうでもよくて、そんな態度をこのオレ様にも向けてきたからムカついたんだけどよ。ちょっとうまいからってクソがよぉ」
「お前の罵倒はクソしかねえのか、ボキャ貧が。ほんでもどっちにしろテメーがわりーや、部活行くついでに謝ってこいや。『乙幡の態度のせいで先輩が委縮してるのを見たらいてもたってもいられなかったッス』とか言ったら心証もいいんじゃねーの?」
「イヤだ! オレ様から謝るなんてジョーダンじゃねえッ。ぜってー謝らねえからな!」
「あっそ。じゃあもうテニス部やめんの? どうせ行けねえんだろこのままじゃ」
「…………、……」
うつむいた。
昔からこうなのだ。後先考えなしに行動して、自分に非があることにも謝罪なんかできないからそのままなあなあになってフェードアウトする。友人関係でも、今回のようなチーム関係でも、彼は小学校のころから変わらない。
守谷は肩をすくめた。
「じゃあまた今日から帰宅部ってか? まあいいじゃん。中学んときみたくいっしょにマックでだべってゲーセン寄って~って」
「…………」
「いつもそうやってやってきたじゃん。不満ねーだろ」
「──ああ。ま、そうだよな。おん。そうだ、そうだよ。なんでオレがこんなこと悩まなきゃなんねんだ。もういいよ。こんなもん、オレには不要だ、不要!」
と。
テニス用具一式をぶうんと地面に放り投げた瞬間、赤月は背後から突き飛ばされた。となりに座っていた守谷がぎょっとふり返る。そこに立っていたのは息を切らした夢咲蘭花──。
「てぇめえェ……腐ったことぬかしてんじゃねーよ、このタマなしッ」
という暴言を添えて。
あわてて体勢をととのえた赤月は、振り向きざまに「てめえ」と威嚇する。しかし夢咲蘭花にそんなものは通用しない。バチバチに盛り上がったつけまつげをしばたたかせて、ビシッと赤月を指さした。
「ナニぐちぐちくだんねーこと言ってんだぁ!? いいからさっさと部活行く準備しろやボケ」
「やめろ押すなッ。もういいんだ。オレはテニス部をやめるんだーッ」
「なんで?」
「なんでって……」
「乙幡にテニスでかなわねーから? なんなら口でもかなわねーから? 雑魚? 雑魚だから?」
「なッ」
「てゆーか、なんで乙幡のこと殴った?」
蘭花はぐいっと詰め寄った。
顔面の圧がすごくておもわず身を引く赤月だが、引いた分だけさらに蘭花が詰めてゆく。代わりに守谷が「いやさ」と口をひらいた。
「ひと言で言っちゃうと、乙幡ちょずくなってことよ」
「ちょずくゥ?」
ちなみにちょずくとは、調子づく、の略語である。
蘭花は呆れたように前髪をかきあげて「ばっかみてー」と吐き捨てた。
「ちょずいてんなァどっちだよ。チャラチャラじぶんをよく見せようってことしか考えてねーお前より、自分のやりたいこと一途にやってる乙幡のが、よっぽどかっけーっつの! 自分より優れてるヤツに対して妬んで、気に入らねえから殴るってマジでダセーぞッ」
「な、なんだこのクソアマ……」
「あんだよ、言いてえことあんなら言ってみろ!」
「ぐ、……ば、バーカバーカ! あっちいけ馬鹿野郎ッ」
「小学生か」
守谷がブハッと吹き出す。
しかし蘭花はにこりとも笑わずに、赤月の胸ぐらをつかんだ。
「テメーが乙幡に劣っててくやしいからテニス部辞めますってんならそれでもいいよ。でも、琴ちゃんセンパイ泣かせて、なんのケジメもつけねーまま辞めんのは許さねーからな! このままコートまで来てもらうぜ、連れてくって約束しちまったし!」
「エッ──こ、琴子さん泣いたのか。オレのために……」
「ちげーよバカッ。テメーが部活来ねえのは自分がひどいこと言っちゃったせいだって、あの人ものすごく落ち込んでんだかんなッ。なんもわるくねーのにさァ!」
「…………」
赤月はうつむいた。
乙幡やテニス部の男たちがなにかを言う分には気にしない。が、琴子となると話は別だ。彼女を悲しませたいわけではない。決して。しかしだからといって今さら顔を出して乙幡に謝罪するなどもってのほかだ。赤月はこういうプライドだけはべらぼうに高いのである。
そのプライドの高さも、赤月の葛藤も理解している守谷は「難儀なヤツ」とため息をつくが、それらすべてを理解しようともおもわない蘭花にとってはこの時間も無駄に感じる。
「オイ!」
と、赤月のケツを蹴りあげる。
「ギャルの貴重な一分一秒、テメーのために使うヨユーねーわけ! いいから行くよ、謝りたくねーなら謝んなくてもいいから。とにかくセンパイたちになんで乙幡を殴ったのか、テメーの口から聞かせてやんだよ!」
「う、……」
謝罪しなくていいならいいか、と赤月のこころが揺れ動いたときだった。
「待って蘭花ちゃんっ」
と声がした。
駆けてきたのは、ジャージ姿の黛琴子。
それを見た瞬間に赤月のからだは硬直し、蘭花の目は見ひらかれる。
「琴ちゃんセンパイ!」
「ご、ごめん──なんだかんだでやっぱり、来ちゃった……」
といって、琴子はまっすぐに赤月を見あげた。
ひたすら見つめられる赤月は居たたまれないのか、もじもじと巨躯を縮こませて目線を右へ、左へ。そんな彼のようすにイラッとしたか蘭花がふたたび足で蹴り上げようとしたところを、守谷が抑え込み、すこしのあいだ距離をとらせる。
駆け来た際にあがった息をととのえて、琴子は「赤月くん」と口火を切った。
「昼間はごめんなさい。赤月くんの言い分、なんにも聞かないでひどいこと言っちゃって──」
「い、いや……」
「どんな理由があっても手を上げるのはよくないとおもう。でも、そこにある遺恨は残すべきじゃないから。だから聞かせてほしいんです。赤月くんはなにをおもって、乙幡くんを……?」
「イコン──?」
赤月がちらりと友を見る。
すこし離れた場所にいた守谷だが、その視線の意味はわかった。『イコンってなんだ』と聞きたい顔だ。そんなことはどうでもいいから早く理由を説明しろ、と身振り手振りで伝えると、赤月はゆっくりと琴子に目線を戻す。
やがてすこし緊張した面持ちで、口をひらいた。
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